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第百十八話「春の雪」

 朝、目覚めるとまだ村の空は淡い藍色に包まれていた。

 4月だというのに外は鳥の声は無く静かで、まだ雪が屋根や路肩に積もっている。

 そっと布団を抜け出し、制服に着替える前にまず店へと足を運ぶ。

 開店前の雪乃亭。誰もいない店内に入り、箒を持って床を掃き始める。

 床に箒の先がこすれる音が、朝の静けさに優しく響く。


「お、もう起きてたのか」


 厨房の奥から、父さんの声が聞こえる。

 寝ぼけたような声に、ボクは笑って返す。


「うん、ちょっと早く目が覚めちゃって。新学期だからね」

「お、そういえばいよいよ三年生か。いよいよ受験生だな」

「はは、そういやそうだね……」


 苦笑しながら掃除を続けていると、父さんは手際よく仕込みを始めていく。

 その合間に、冷蔵庫から食材を出し、簡単な朝食を作ってくれる。

 目玉焼きと味噌汁、少しの漬物とご飯。シンプルだけど、美味しい。

 ボクも手を洗って加わり、一緒に朝の支度を整える。


「いただきます」

「ん、今日も元気に行ってこい」


 朝食を終えたら、部屋に戻り、制服に着替える。

 セーラー服。

 この制服にも、ようやく慣れてきた。

 最初は戸惑いもあったけれど、今では袖を通すのも自然な動作になっている。

 鏡の前に立ち、髪にくしを通して整える。

 特別な化粧もしないし、飾り立てることもしないけど――

 最低限、女子としての身だしなみを整えることには、もう慣れた。

 学校で周囲がそうしているうちに、自分も自然とそうなっていった。


「……よし」


 鏡に映る自分に、小さく微笑みかける。

 心の奥では、雪哉としての自分が「変わったな」と呟いている気がした。

 玄関で靴を履き、カバンを肩にかける。

 いつもの春よりずっと寒い空気に、少しだけ肩をすくめながら、父に声をかけた。


「行ってきます!」

「おう、気をつけてな」


 そして戸を開けると――そこには、すでに制服姿の夏美ちゃんが立っていた。

 セーラー服の冬服。コートの裾が軽く風になびいている。


「おっそーい。寒いよ、雪耶ちゃん!」

「ご、ごめん。準備ちょっとだけ時間かかっちゃって」


 ボクは、少しだけ早足で彼女に駆け寄る。


「ほら、行こう行こう。初日から遅刻なんて、縁起悪いしね!」


 そう言って笑う夏美ちゃんの顔を見ながら、数日前のあの日のことが頭に浮かぶ。


―雪哉、もういいんだよ。


 あの日、夏美ちゃんは確かにボクの元の名前を呼んだ。

 まるで、すべてを知っているかのように。

 でも、それはエイプリルフールの冗談だと、笑い飛ばした。


 それ以来、夏美ちゃんは何も言ってこない。

 まるで、あの一言は本当にただの冗談だったかのように。

……でも、ボクにはまだ分からない。


 彼女が本当に何も知らないのか。

 それとも、知っていて、気づかないふりをしてくれているのか――


 雪道に足を取られないようにしながら、二人で並んで歩き出す。

 通学路には、まだ薄く雪が残っている。

 でも、その上を春の光が静かに差していた。


 新しい季節が始まる。

 三年生としての一年が。


 そして、雪耶としての新たな日々も――また、始まる。




 

 夏美ちゃんと雪の道を歩き学校への道を歩いていると、途中の角を曲がったところで、見慣れた姿が立っていた。


「……あれ? あれ、智則じゃない?」

「……あ、本当だ」


 黒髪を短く整え、手には教材の入ったトートバッグ。

 制服姿の佐伯智則が、いつものクールな表情でこちらに気づく。


「よ。……久しぶり」


 少しだけ照れたように言いながら、ボクたちのもとに歩み寄ってくる。


「春休み中、全然顔見せなかったじゃん」


 夏美ちゃんがふくれたように言うと、智則は軽く肩をすくめた。


「悪い。塾の講習、朝から晩まで詰め込まれてさ。雪乃亭も顔出せなかった」

「相変わらず智則のところは教育熱高いね~」

「……そっか。お疲れさま」

 

 ボクは、ちょっとだけほっとしながら返した。

 智則には正体がバレていないと判断して、胸をなで下ろす思いだった。


「雪耶ちゃんは部活どうしてたの? 女子テニス部だろ?」

「あ、春休みはあんまり練習なかったんだ」

「そうそう、雪耶ちゃんは店のお手伝いして忙しいからね」


 本当に夏美ちゃんには助かった――

 責められなかったのは夏美ちゃんがしれっと口添えしてくれてたからだ。

 女子テニス部はサボると後が怖い。

 理由もなく練習を休めば、先輩から厳しいお説教が待っているのは間違いない。


「ま、春休み終わっちゃったし、ここからまた忙しくなるな」


 智則のぼやきに頷きつつ、三人一緒に校門をくぐった。

 桜が咲くはずの通学路も、まだ雪が残り、どこか季節がずれているような景色だ。

 昇降口から教室に入ると、廊下の掲示板にクラス分けの紙が貼られていた。

 名前を探す人だかりの中、ボクたち三人は背伸びして確認する。


「えっと……え? ……あった!」

「わっ、わたしも! 同じクラスだ!」

「……智則もだ。へぇ、三人一緒か」

「やったー!」


 夏美ちゃんがパッと雪耶の手を取って喜ぶ。

 智則も、少しだけ口元を緩めていた。

 この三人で一年過ごせることに、安心感が広がる。

 が――その直後。


「……げっ」


 ボクは口から思わず素の声を漏らしてしまった。


 夏美ちゃんが驚いて顔を向ける。


「え、どしたの?」


 掲示板の一角に書かれていた、もう一つの名前。


氷倉ひくら 凍子とうこ


 その文字を見た瞬間、何ともいえない微妙な感情が背中を走った。

 あの凍子が、一緒のクラス……。

 彼女も自分と同じく、雪ん娘。

 だが、性格は真逆と言っていい。

 つっけんどんで、冷徹。

「人間の里の勉強」として転入してきたくせに、いつもボクに対して敵意を隠さない。

 雪山でも、学校でも、何かにつけて突っかかってくる。

「あなたみたいな"半端な雪ん娘"に何ができるの?」と、あからさまに言ってくることもあった。

 一緒のクラスなんて……気が重すぎる。


「どうしたの、雪耶ちゃん? 誰かイヤな子でもいた?」


 夏美ちゃんが不思議そうに尋ねる。

 無理やり笑顔を作った。


「う、ううん、ちょっと……ね」


 まさか、「実は雪女の同族がいて、その子と仲悪い」なんて言えるはずもなく。

 内心、重いため息を飲み込んで、教室へ向かって歩き出す。

 波乱の三年生が始まった――そんな予感しかしなかった。


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