第百十六話「今日は何の日?」
空気が、一気に重くなったような錯覚を覚える。
「な、何を……」
思わず口を開きかけたが、声がうまく出ない。
夏美ちゃんは、ボクをじっと見つめた。
その目は、まるで全てを見透かすような、真剣な色を帯びている。
「何で女の子になってるのかな?」
さらに追い打ちをかけるように、淡々とした声で尋ねてくる。
「ああそうか、雪哉は変装上手なんだねー」
冗談のような口ぶりだけど、目は笑っていない。
ボクの心臓が、速くなる。
鼓動が耳に響くほど、全身の血の気が引いていく。
どうしよう……バレた?
いや、そんなはずはない。
これまで上手く隠してきた。
「雪哉の従姉妹の雪耶」としてふるまってきた。
それなのに、何で――?
なのに何で夏美ちゃんは、こんなにも確信を持った目をしているの?
――終わった。
ボクは思わず息を止めた。
もう、言い逃れできない。
友達に、バレてしまった――!
「……っ」
震える手をギュッと握る。
何か言わなきゃ。
でも、何を言えば?
しかし、次の瞬間。
「――あはは、ごめんごめん」
夏美ちゃんが、急に満面の笑顔に戻った。
「えっ?」
ボクは思わず、気が抜けたように目を瞬く。
夏美ちゃんは、ひょいっと指を伸ばし、カウンターの上のカレンダーを指さす。
「ほら、今日は何の日?」
ボクは視線をカレンダーへ向ける。
氷清村観光協会のカレンダー。
4月1日――エイプリルフール。
「もう、雪耶ちゃんったら、すっごく動揺してたよ?」
ポンポン、と肩を軽く叩かれる。
「う、うそ……?」
「うん、うそ!」
夏美ちゃんはいつも屈託の無い笑いを浮かべた。
「だって、雪耶ちゃん、可愛い格好いいし雪哉かもーって思っただけ!」
ボクは、呆然としながら夏美ちゃんを見つめる。
「それに、雪哉のこと、全然連絡くれないしね。ちょっと意地悪しちゃった」
くすくす笑いながら、夏美ちゃんは財布を開き、レジにお金を置いた。
にっこりと笑い、お釣りを受け取ると、ふと店の外を見やった。
外はすでに夕闇に包まれ、雪の白さが街灯の光に反射してぼんやりと輝いている。
「いよいよ、来週から新学期だね」
夏美ちゃんがボクの肩をぽんっと叩く。
「三年生だよ、受験生! 頑張ろうね、雪耶ちゃん」
「あ……うん、頑張ろうね」
そして軽く手を振りながら、夏美ちゃんは店の扉を開け、外へ出ていった。
扉のベルがチリンと鳴り、外の冷たい空気が少しだけ店内に流れ込む。
扉が閉まる音が、やけに重く響く。
ボクは――ただ、その場に立ち尽くしていた。
「……なんだよ、それ」
エイプリルフールの冗談。
でも、あの瞬間、確かにボクは心の底から震えた。
本当に、バレたのかと思った。
「……もう……」
ボクは深く息を吐いた。
肩を叩かれた場所が、まだジンジンと熱いままだった――。
――本当のことを話せる日は来るのだろうか?
夏美ちゃんや智則に、雪耶の正体を隠していること。
ボクはもう「北原雪哉」ではなく、「雪ん娘の雪耶」になってしまったこと。
友達に嘘をつき続けるのは苦しい。
でも、それを話してしまったら、どうなるのか……分からない。
ボクは小さく息を吐き、心の奥底にその気持ちを押し込めた。
今はただ、彼女を笑顔で送り出すことしかできない―。