第百十五話「ある4月の日に」
「ラストオーダーのお時間です。ご注文はございますか?」
笑顔を浮かべながら、手にしたオーダー票を準備して店内を回る。
17時半。残り30分。だが店内はまだ多くの客で賑わっていた。
もう4月に入ったというのに今年はスキー場が営業を続けられているおかげで、スキーやスノーボードの客足が続いている。
例年なら冬の終わりとともに閑散期に入り、店も夕方前には客足が途絶えるはずだった。
けれど、今は違う。閉店間際の時間になってもまだ満席に近い。
ふと、カレンダーに目をやる。
氷清村観光協会が作成したもので、村の四季を切り取った写真が添えられている。
今月の写真は、満開の桜並木だった。
「……桜、か」
思わず呟いた。
そして店の窓から外を見る。
白い。
相変わらず、村は冬の景色のままだ。
本来なら、山の山頂にだけ雪が残り、村の中心部は緑が広がっている時期だ。
それなのに、今年は違う。
雪は消えず、スキー場もそのまま営業を続けている。
おかげで雪乃亭も客が途切れることはないけれど、村の人々の間では「このまま一年中雪が溶けないのでは」とさえ囁かれていた。
「今年の冬は特別すぎる……」
ふと、村の人たちが話していたことを思い出す。
村から少し降ると、まるで境界線のように春の景色が広がっているという話。
雪と緑がはっきり分かれている。
まるで、何かが意図的にそうしているかのように。
「すみませーん、追加でおでんお願いします!」
お客さんの声に、ハッと意識を戻す。
「はい、ありがとうございます。すぐにお持ちしますね」
今は仕事に集中しよう。
胸の奥に、わずかな違和感を抱えながらも、ボクは再び店内を巡り、ラストオーダーの確認を続けた――。
「雪耶ちゃん、ちょっとこれ見てみなよ」
ラストオーダーを取り終えてしばらくして隅のテーブルから声がかかった。
客に混じりいつものようにぜんざいを食べにきていた夏美ちゃんが、新聞をボクに差し出した。
地元紙『氷清新報』。地元の出来事を扱う新聞で、観光や村の経済事情などの情報がよく載っている。
「何?」とボクが尋ねると、夏美はある見出しを指さした。
『氷清村で新しいリゾート施設の計画が進行中』
「……え?」
驚いて記事を読むと、そこにはさらに驚く内容が書かれていた。
スキー場近くの一等地に、新しいリゾートホテルが建設される計画。
ショッピングモールと映画館を併設し、宿泊と娯楽を兼ね備えた複合施設となる。
商社と氷倉グループが提携し、1年後に着工、3年後にオープン予定。
「うわ……マジ?」
思わず口から言葉がこぼれる。
今のリゾートホテルができた時も、村では大騒ぎになった。
地元の旅館や飲食店は反対したし、村の人たちも大きく意見が割れた。
けれど、数年が経ち、今ではホテルで働く人も増え、ホテルと取引する業者も出てきている。
「うちのお父さんから前々から話は聞いてたんだけど、ついに具体的になったみたいねえ」
夏美ちゃんの父は村長だ。
今の氷倉グループのリゾートホテルができた時も、地元の意見と企業の間に立って苦労していた。
夏美ちゃんは、その姿を間近で見てきた。
「お父さん、最近しょっちゅう東京に行って、偉い人と話し合いをしてるの。毎日大変みたい」
夏美ちゃんはため息をついた。
「村の人たちの意見は?」
ボクがそう尋ねると、夏美ちゃんは肩をすくめた。
「前みたいに反対派ばっかりじゃなくなったみたい。やっぱりホテルができたことで仕事が増えたし、商売的には助かってる人も多いしね」
それはボクも感じていた。
父さんは政治にはあまり関心がないが、以前は付き合いで反対の署名の隅に名を連ねていた。
でも、最近では「これも時代の流れだな」と苦笑するようになっていた。
「例えばさ、八百屋の『八百八』さん、今じゃホテルに野菜を納品してるんだよ」
夏美ちゃんがそう言うと、ボクは思わず雪哉の頃の記憶でぼやいてしまった。
「ああ……聞いたことある。八百八さん、昔はプラカード持ってタスキまでかけて反対の陳情してたのに。今はニコニコでホテルに品を納めてて、商工会の人たちも笑ってるって聞いた」
言った瞬間、「しまった」と思った。
でも、夏美ちゃんは「そうそう!」と頷く。
「でしょ? だからお父さんも、前みたいに全力で反対するってわけじゃなくて、今の村の人たちがどう思ってるかをちゃんと聞こうとしてるみたい」
しかし―ちゃんと大事な部分を夏美ちゃんは聞き漏らしてなかった。
「でも……雪耶ちゃん、よく知ってるね。氷清村で反対運動があった時期のこと」
夏美ちゃんの声が、店内の喧騒の中でもはっきりと耳に入った。
う。いきなりの核心。
ボクは一瞬息をのむ。
湯気の立つぜんざいの椀を手にしている夏美ちゃんの視線が、まっすぐボクに向かってくる。
「そ、それは雪哉君から聞いてて……」
自分でもわざとらしいと言いたくなるほど、慌てた答え方だった。
夏美ちゃんは、じっとボクを見つめたまま、スプーンを椀の中でくるくると回している。
「ふーん、そっか。雪耶ちゃんとは、結構やりとりしてるんだね。最近あたしのところには、めっきり連絡がなくなっちゃって」
彼女の声は変わらず明るいのに、その言葉が妙に突き刺さる。
ボクの背筋に、冷たいものが走った。
「雪哉もあの頃、まだ小学生だったけど、熱心に雪哉のお父さんの修司さんと一緒に説明会に行ってたもんね」
夏美ちゃんはそう言いながら、ぜんざいの最後の一口をスプーンですくい、口に運ぶ。
小さく息をついた。
「そ、そうそう。雪哉からわたしも聞いたんだ」
言いながら、ボクは内心で自分にツッコミを入れた。
言葉の選び方がなんてぎこちない。
夏美ちゃんは、ふと手元のスプーンを置き、ボクをじっと見た。
「智則も全然連絡来ないっていってたし……」
「ひ、ひどいなあ、あいつ。まったく」
口調はあくまで軽く、ごまかすように笑った。
けれど、夏美ちゃんの視線は変わらない。
「じゃあ、雪耶ちゃん、伝えといて」
「え? ああ、うん」
咄嗟にうなずいたものの、何を伝えればいいのかわからない。
夏美ちゃんは、少しだけ笑みを浮かべて言った。
「……あたしたちは今の雪哉がどうなってるか分からないけど……何があっても雪哉の友達なことは変わりないから」
「……!」
ボクの胸が一瞬、ぎゅっと縮んだ気がした。
夏美ちゃんの言葉が、じんわりと心に染み込んでいく。
「……あ、あの……夏美ちゃん」
ボクの声は、自然と震えていた。
夏美ちゃんの視線が、まっすぐにボクを射抜く。
真剣な眼差し。
まるで、ボクが何か隠していると知っているかのように。
「あんまり見つめるから……その」
ボクは思わず目をそらし、頬を指で触る。
……熱い。
「ああ、そうだね。ちょっと力がこもっちゃった」
「……」
「おーい、雪耶。これ2番のテーブルのお客さんにはこんでくれ」
厨房から父さんの声がした。
「雪耶ちゃん、早く行ってあげなよ」
夏美ちゃんはそう言うと一旦席に座った。
「あ、はい。今やるよ。ごめんね、夏美ちゃん」
「いいよ。お手伝いの方が大切だもん」
それからしばらくボクはフロアの仕事をし続けた。
しばらく後夏美ちゃんがスプーンを置いた。
「ごちそうさま。やっぱりここのぜんざいは最高ね」
再び立ち上がる。
「お会計お願いね」
「はい、ありがとう、夏美ちゃん」
ボクは笑顔で答えながら、その動きを見送る。
いつものように元気に席を立ち、レジへ向かう……はずだった。
しかし、何かが違う。
夏美ちゃんの足取りが、ほんの少し重い。
レジの前に立ったまま、俯いている。
「夏美ちゃん?」
ボクがそっと声をかけると、その肩が微かに揺れた。
そして、か細い声で――それも、ボクにだけ聞こえるような声で、ぽつりと呟いた。
「……雪哉、もう良いんだよ」
――え?
一瞬、頭が真っ白になった。
夏美ちゃんは、ボクを見上げることなく、静かに言葉を続ける。
「雪耶ちゃんって、本当は……雪哉のやつなんでしょ」
その瞬間、ボクの背筋が凍りついた。
今回ちょこっとAIを使ってみてます。
でもどうしても嫌だという人がいたらごめんなさい。