第百十三話「雪ん娘の涙」
「そんなのおかしいよっ」
声をあげた。もし店の外に人がいたら何事かとびっくりするかもしれない。
だが今は誰もいない、静かな夜だ。
外はまた雪が降ってきていた。
頭が熱くなったボクは父さんの言葉に冷やされた。
「雪耶はこの村でみんなと一緒にいたいだろう」
その言葉はボクでも何が言いたいのかわかった。
全部、ボクがこの村にいさせるためだった。
それ以上言えないボクが情けなかった。
「うう……」
なんてボクは弱いんだろう。
「あら、雪耶は母さんにいつでも会えるから大丈夫よ。修行があるからなんなら毎日来てもいいのよ?」
ボクのことじゃない。こうなることで一番辛いのは父さんであることにすぐに思い至った。
「で、でも父さんは……」
「また当分下りてこられないから……会えなくなっちゃうわね」
また離ればなれ。どれぐらい長くなりそうなのかは、わからないけれど1日2日ではないことは察した。
1年、2年。もしくはそれ以上。
父さんはボク以上に会いたかった。
待ちこがれていた14年の間ずっと待っていた。
「いいんだいいんだ。母さんにはもう会えないかもしれないと思っていたことすらあったんだから、またこうやって会えたこと自体が奇跡だと思ってるんだ」
自分に不甲斐ない。
ボクだってもう14歳。
なのに迷惑をかけてばかり。
「雪耶は間違ったことをしてない。身を投げ出して誰かを助けようと思ったんだろう? むしろ表彰もんだぞ、うつむかないで胸を張れ」
父さんの言葉に、ボクはただ自分の拳を握りしめるだけしかできなかった。
泣いてはいられない。
もっと強くならないと。
もうあと少しで12時の鐘が鳴る。
母さんは家の戸をあけて出て行った。
「名残惜しいが……」
「しゅうちゃん、またね」
「おう、またな雪乃」
まるでちょっとしたおでかけのような、あっさりした挨拶がいたたまれなかった。
「あ、雪耶は、また明日、修行をみっちりやるから覚悟しなさい」
「もちろんだよ」
このお別れに泣かなかった父さんはきっと心の中で泣いているんだ。
本当は別れたくない。三人一緒にたい。
以前みた夢を思い出した。母さんと別れる際に大泣きする父さん。赤ん坊のボク。
あれは夢ではないように思えた。
父さんは母さんと別れて本当は泣きたいぐらいに悲しい。
だが、今父である自分が泣いたら、ボクが罪悪感にさいなまれてしまう……だから……。
きっと父さんは我慢している。
十二時を告げる音がした。
「雪耶、もう寝ろ。明日は学校があるだろ?」
母さんがいなくなった居間でいつまでも沈黙したままのボクの肩を父さんが叩いた。
いつもどおりに振る舞っている。
「……今日は飲んでもいいよ。なんならつきあうよ」
「そりゃあ、ありがたいな」
「いつも言ってた父さんの夢、息子に家を継いでもらって娘と酒を酌み交わすことだって。はは、なんなら両方できるよ」
涙は流さない。代わりに笑って立ち上がろうとした。
「なーに言ってるんだ。明日も店だから、今日はやめとくよ。明日から二人でまた店を切り盛りするんだからな、期待してるぞ」
こん、とボクの頭をこづいた。父さんはいつもの調子であった。
「もちろんさ!」
1日でも早く母さんとまたこの店で過ごせるように。
でもまだまだ力が足りない。
店を守る力だって、雪ん娘としての力も。
もっと沢山勉強して、本気で修行をしないと――。
次回で第二部完です。