第百一話「氷の世界」
雪がしんしんと降り積もる中、麻衣、むつみ、みなの三人は、寒奈の後に続いて山奥へ入っていった。
もう一時間も山の中を歩いている。幸い雪明かりで、真っ暗闇ではないが、暗い中にぼうっと浮かび上がる木々は不気味だった。
時折どさっと木の枝に積もった雪が重みで落ちる音がするたびに、身体を震わせた。
寒さなのか、心細さからくる震えなのかも、わからなくなっていっていた。
おとなしく恐がりのみなが、先をゆく寒奈に声をかけた。
「ね、ねえ……寒奈ちゃん、まだなの?」
街の灯はもう見えなくなってしまった。早く暖かいところに行きたい。ストーブ、シャワー、温泉。なんでも良かった。
ぽつりと尋ねる。
寒奈は構わずどんどん先へ行ってしまう。
「あと少しだよ」
まったく迷っている素振りがないので、きっと目的地へゆく正しい道をいってるのだと信じた。
「今日はうちの山の神様に祈りを捧げる日なんだから、遅れたら大変よぉ」
やはり奥へ奥へと行ってしまう。
「変な風習……そんなの地元の人に聞いたことないけど」
首を傾げた麻衣が、隣にいたむつみに同意を求めるが、
「そ、それより、足が……」
雪の深みにはまって足が抜けなくなったむつみはそれどころではなかった。
今度は麻衣とみなが力をかして深みからだしてやった。
お互い少し疑問に思い始めたが、既に来た道はとっくに見えなくなっており、自分たちの居場所もわからなくなった。
足跡も振る雪で覆われてどんどん見えなくなっている。
引き返すこともできず、後について行くしかなかった。
何しろ、前も後ろも真っ白の静寂な世界。
まるで異世界にでもやってきたかのような不気味な感覚すらあった。
だが視界もほとんど無い中を、件の寒奈は躊躇なく突き進んでゆく。
長い時間雪を踏みわけて、ようやく寒奈が足を止めた。
「ほら、ついたよ」
震える三人が少女の後をついてようやくたどり着いたのは太い氷柱が垂れ下がる洞穴の前だった。
暗い入り口が山の雪の合間からぽっかり空いている。
「こ、ここ? 本当に?」
「スタッフさんたち、先に来てるのかな?」
「あ、わかった。撮影するのかな、お仕事、だよね」
ここはきっと地元の人しか知らない名所なのだろう。
新しいプロモーションビデオでも撮るのか、きっと大がかりなセットだと言い聞かせた。
大人がようやく二、三人通れる洞穴に、大きなつららが無数に垂れ下がっている。
さっさと洞穴に入った寒奈は、振り返って3人へまたこちらへ、手招きする。
「ああ、そうだよ。早く入らないと。一緒におつとめやるんでしょ」
どんどん入って奥へ行ってしまう。
やむなく追いかけた。
「さ、寒い」
「冷たいよ」
「凍っちゃいそう……」
洞穴の中は、ガラスのように透き通る氷の世界だった。声が冷たい空気に反射してこだまする。
風こそ吹かないが、じんと体にしみこんでくる寒さだった。
無数の氷柱が天井から剣山のようにぶら下がる。
「はよう、はよう、遅いよ」
中は不思議と明るかった。外の雪明かりがどこからか入ってきてほんのわずかな光が反射して集まり、照らしこんできているのだろうか。
きらきらと天井も足下も星のように輝きながら光る。
灯りは必要なかった。
「綺麗だね……」
「どうなってるんだろう……」
「見たこと無いよ、こんなの」
イルミネーションのような人工の灯りではなく、自然の創造による神秘的な輝きに寒さを忘れて見入った。
「ここで撮影したら、きっと凄いよ」
リーダーの麻衣が呟いた。
スノーガールズの悩みは歌も踊りもそれなりに良い。
だが、ただ歌って踊るだけでは数多のアイドルグループと差別化できない。決定的なものが無く、一部の熱心なファンを得るに留まっている、
小さなイベントにもこまめに出演にファンとの交流も欠かさない。
メンバーの脱退にもめげずに、地道な努力を重ねているが決定的なものが欲しいのが想いだ。
この神秘的な世界の映像はファンからの反響は確かに凄いだろう。
「そ、そうだね」
「みんなが喜ぶよね」
ファンやメディアからの絶賛をイメージをすると残りの二人も勇気が芽生えた。
「おーい、こっちこっち」
ふと我に返ると、早足の寒奈はずっと先にいっていた。再び追いかける。
「ちょ、ちょっと待ってよ。寒奈ちゃん」
3人の中で一番体力が無い。
みなが、ふうっと一息つき、氷の壁によりかかる。
「うん?」
気がついた。壁となっている透明の氷の中に何かぼんやり浮かんでいる。何かがある。
よくよくのぞき込む。
(人の形のような……)
よくよくみると4本の手足がある。
「こ、これって」
よく見ると人だった。
さらによく目を凝らす。
人間の男だ。氷漬けにされている。ぼうっと生気を失ったように目を見開いたままーー。
「ひ、ひとよ」
他の二人も気づいた。
「きゃああああああ」
「いやああ」
悲鳴が響いた。
「ひ、人だよっ……」
登山姿の男が一人。虚ろな目のまま、氷の中に閉じこめられていた。
「な、なに大声だしとるんか」
寒奈は逆に三人の叫び声に驚いた。
「ほ、本物!?」
恐怖に顔がひきつる。
息が激しくなる。
「何、驚いてるん?」
少女は、この氷漬けの男を見ても、まったく動じていない。
ごく当たり前のごとく。
「し、死体が……」
「死んどらんよ。百年前からずっとここにいる」
けらけらとまた笑う。
当たり前のように、頷いた。
「氷になって一緒に過ごすことを選んだ男。確か相手はええと……冬美ちゃんのお母さんのお姉さんだっけ」
その言葉にひいっと小さく悲鳴をあげた。
残りの二人は何とか押し殺した。
「あら、そんなことも知らないの? 本当に雪ん娘修行、ろくにしてないの? 他の山は厳しくやってないのなあ。あたしも最初は驚いたけど、慣れたわ」
寒奈が気がついたように目を大きく見開いた。
「あれ? それともまさか……あんたら人の子? もしそうなら、ここから出られないけど」
じっとのぞき込まれて、三人がぶるぶると首を振った。
その振りは震えているのか、否定しているのかわからないぐらいに小刻みだった。
「ま、そんなわけないよね」
寒奈は勝手に納得してしまった。危機は乗り越えた。
「も、もちろん、知ってるわよ」
一番気の強いむつみがとっさに言い返した。
「う、うん」
リーダーの麻衣も頷いて返したが、みなは腰を抜かしそうにそうになって立つのがやっと。
だが、声はひきつっていた。
「ちょ、ちょっと……今日は、もうこれで……」
そして麻衣は、ここからすぐにでも脱出しよう、とお互いに目配せして、逃げようとした。
「そんな遠慮しないで、今日は思う存分うちで修行やっていきなさいって」
肩を捕まれた。そのひんやりとした手に震撼した。
人の温もりがない。
ようやく、三人は、この子が普通の子ではないことに気づいた。
雪女、本当に怪異に遭遇しているのだ。
「修行せんと、良い雪女になれんからなあ」
三人の肩をぽんぽんと叩いた。
伝わってくる冷たさがさらに体に染み込んできた。
「え、ええ、そうよね」
やむなく三人は凍えながら少女に従うことにした。
そしてどんどん奥へ連れて行かれる。
なかなか書く時間が取れず、遅くなりました。




