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第一話「プロローグ:始まりは十五年前、吹雪の中の出会いから」

 雪地獄。



「おーい!」


 激しくぶつかり合う吹雪に向かって、青年は有らん限りの力を振り絞って叫んだ。


「誰か! いないか!」 


たった一人、青年は雪に埋もれそうになりながら立ち尽くす。


「いたら返事してくれ!」


 振り絞った渾身の声も、雄叫びのような風に虚しくかき消される。

 あとにはただ虚空の中に、吹きすさぶ雪が見えるばかりだ。


「ちくしょう……」


 青年は絶望的な状況にいた。

 冬山の登山中、ほんの数メートル先も見えない激しい吹雪に遭遇し、登山メンバーとはぐれた。

 先を行く仲間の後ろを追っていたはずが、ふと目を逸らしたすきに姿は消えていた。慌てて後を追いかけようと探したが、仲間がつけた足跡は既に絶え間なく降り積もる雪にかき消えていた。

 雪の世界にただ一人残された。

 周囲は、樹氷と雪原がどこまでも真っ白な世界が広がる。


「どこなんだ、ここは……」


 全く見覚えもない場所と景色で自分がどこにいるかもわからない。

 空にあるはずの太陽も悪天候に遮られ、四方は白い闇に閉ざされていた。方角もわからず進むべき方向も見失った。

 まるで 迷宮に入り込んだような錯覚さえ覚えた。

 なんとかこの雪地獄から抜け出すべく、しばらく彷徨したが雪に閉ざされた峡谷からの出口が見つからず仲間も見つからない。

 やがて日没が迫る頃、ついに青年はビバークすることを決断した。


(ぐ……やむを得ない)


背中に背負った登山リュックを降ろす。

夜を越す決断をした以上、グズグズしてはいられない。

すぐに野営の準備を始める。

 吹雪が激しくてツェルトと呼ばれる簡易テントを張るのも困難だった。やむなく、山の斜面で雪が積もっている場所に、携帯スコップで雪洞を掘り始めた。

 硬く降り積もった雪を堀り、かきだすだけでも大変な作業だ。

 暗闇が迫る中、時間と体力を費やしながらも、ようやく一人分の体が入れる穴を完成させると、そこに身を潜めた。

 完全に場所を見失って、下山するルートが見つからない今は、動き回っていたずらに体力を消耗させるより、この吹雪をやり過ごしつつ救助を待った方がよいと判断したのだ。

 まして夜になれば気温はどんどん下がる。

 果たしてその判断は正しかった。吹雪は全く止む気配が無い。

 青年は身を縮こませて天候の回復を待った。

 だが雪洞では、風雪はかろうじてしのげたが凍えるような寒さは、なおも体から温もりを徐々に奪い体力も失わせる。

 死。

 その文字が青年の脳裏をかすめた。

 その度に頭を振った。

 さらに疲労と精神的な疲弊からくる睡魔に襲われる。何度も眠りに落ちそうな意識を必死に堪える。

仲間は無事だろうか。今頃、自分の救助を要請してるだろうか。

きっともうすぐ救助されるはず。そのことを何度も祈るように繰り返し眠気と戦った。


 どれくらい経ったろうか、青年は感覚がなくなりつつあった手を擦る。

(凍傷が始まったか……)

辺りはすっかり暗いが吹雪は収まらない。

どれだけ時間が経ったか腕時計で時間をみようとした時だ。


「あれえ、お兄さんはこんなところで何してるんかぁ」


 この極限の状況に場違いな明るくて黄色い声がした。

 驚いて、顔をあげて雪洞の外を見た。


「!?」


 青年は目を疑った。

 未だ止む気配も無く吹雪が荒れ狂う雪洞の外に、まるで春の暖かい野に咲いた花のように、明るい顔の少女が立っていて、雪洞をのぞき込んでいるのだ。

 おかっぱ頭の黒髪――黒くつぶらな瞳とふっくらした頬と赤い唇。

 まだ幼さの残る少女は、白い和服の肌着一枚を羽織っているだけなのだ。

 おそらく気温は氷点下20度を下回るだろうに。

 とても人が過ごせる環境ではない。

 夢? 幻? 青年は目の前の存在を俄には信じなかった。

(幻覚だ、こんなところに女の子がいるはずがない)

 だが、その幻の少女は視線があうと笑顔のまま雪洞に入り込んで、青年に声をかけた。


「わあー、随分綺麗なものきとるんね。これって何でできとるの? 毛皮でも絹でもないなあ」


 楽しそうな声だ。もの珍しそうに、青年の服を触る。それは質的な感覚を伴った。少女は幻にしては、変に現実味があった。


「このハイカラな青、どうやってこの色出したんかね? スミレか菖蒲をしぼったんかね、いやここまで綺麗にはでんしなあ」


 登山用防寒ウェアの蛍光色の鮮やかな青や黄色、水色を興味深そうに眺める。


「あったかそうねえ――」


 少女の無邪気な笑いに最初は躊躇した青年も、少しずつ恐怖が和らいだ。


「これは登山ウェアだよ」

「うえあ? 街はすんごいお洒落えなものがあるんね」


 感心してうなづいた。

驚いた。幻ときちんと会話ができている。


「これ、なにつけとるん?」


 今度は少女は腕にはめている腕時計に興味を示した。


「これは……腕時計さ」

「時計? これで時間がわかるんか。スゴいなあ」


 いちいち驚きを示す少女の無垢さが可笑しかった。

 青年は、山に登る者の間でよく交わされる噂を思い出した。

 よく雪山で遭難死した者が、着ている衣服を脱ぎ散らかし裸で見つかったり、川に飛び込んだ状態で発見されたりと錯乱した状態でみつかることがあるという。

 科学者や医学者は、低体温症による脳機能の異常や、恒常機能喪失による錯乱が原因というが、実際のところはよくわからない。山で起こる不思議話として聞いたことがあった。

 きっと、それが、今自分に訪れているのかもしれない。

 ということは、きっと死がそこまできているのだと思った。

 そうしてみると少女は死神なのだろうか――。

 そのような想像にお構いなく、今度は少女は青年の携帯電話に興味を示した。


「すま……ほ? わ、光った! 箱の中に景色が……でてきた。綺麗……」


 待ち受けに使ってる山の景色を物珍しそうに、のぞき込む。


「これは、どういうからくり細工なん?」


 液晶を何度もなで回した。

 気がつくと青年からは、恐怖も寒さも消えていた。

 青年はもっと少女の反応を楽しんでみたいと思った。


「これ、食べるかい?」


 リュックの中から非常食として携えていた大事な食料のチョコレートを取り出す。


「何々?」


 銀紙の包みを解き、手渡すとやはり興味を示した。


「食べるかい?」

「わ、何? その黒いの……いい香り。食べてもいいん?」

「もちろん」


 青年はチョコを手渡す。


「甘くて、うめえなあ」


 少女は幸せそうに味わっていた。

 青年はそれを見ていると、こんな可愛い死に神にあえて凍え死ぬなら、それもいいかと思った。

 無性にこの死に神の名前を知りたくなった。


「君、名前は?」


 少女は体を起こした。少女の笑顔は絶えない。


「あたし? あたしは、雪ん娘の雪乃」

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