【第一章・ユートピアにて】第四話
幾分か整理されていた一般階層から外れたスラム階層内。日常的に誰かも分からない人間やアンドロイドの死体が転がっているこの区画では、人々が暮らす家々もアバンギャルド極まりない形をしているか、オンボロか、はたまた吹きさらしの様な出で立ちだ。
それらが道も何も関係なくこの区画の好きなところに掘っ立て小屋のように建てられ、大通りと呼べるような場所が少ないのは当然ともいえる。
なんにせよ、危険から逃れるため、もしくは、自らが強奪者になり日々を必死に生き残るため。そういった理由でこのスラムには人々が集まる。
闇市、娼館、裏ギルド、解体場、闇病院、闘技場、闇カジノ。そういった、一般階層では見られない人間の私利私欲や闇の部分に当てはまる店もちらほらと居を構えている。
そんな中。
「この区画も案外、儲かるねえ。」
と、自分の住む穴倉へと帰る男が一人。
いくつかの路上の喧嘩を仕切ったり、参加してきたりして、一日分程度の生活費を稼いで生きる男。名前は、アルジュナという。
暴力とは、すなわち人間の本能である。それを掻き立てられるのであれば、見世物としてはちょうどいい。そんな思想の下生まれた喧嘩をショウビジネスとして展開するギルド、「シエジー社」にアルジュナは属している。
アルジュナ、という名前は本名ではない。だが、本名があるというわけではない。生まれたときから名前など無い。そんな人間は、この世界では珍しくは無いのだ。
今日の仕入れに心持ち笑みを浮かべながら歩いているアルジュナは、一人の白衣の男が近寄ってくるのを見る。このあたりでは見かけないし、お忍びでやってくる上位階層の連中にもあんなやつはいない。そう考え及んだアルジュナは少し警戒しながらも声をかける。
「んん?なんか用?」
「はじめまして。僕はドクター・ブラウン。実は君にお願いがあるんだ。」
「…お金の話?」
アルジュナの嗅覚は金銭の匂いに敏感だ。少しでも自分の利に繋がるなら、話くらいは聞いてやろう、と。それくらいの気持ちで彼の言葉を待つ。
「いや、お金の話じゃないんだ…。君はこの世界を変えたくは無いか?この陰鬱としたディストピアを。」
「…革命、みたいな話か?なんで俺?まぁ…変えたいか変えたくないかっつったら、変えたいけどさ。」
「君を選んだ理由か…。なんだろうね。勘…って言ったらおかしいかな。でも、君の考え方はきっと役に立つと思ってる。」
そう伝えるドクター・ブラウンの顔は大真面目だ。
「はあん?ま、いいや。具体的な話しよう。もし俺がその話に乗るとして、何をさせる?」
アルジュナは、はっきり言えば頭はそれほどよろしくない。教養が無いといってもいい。しかし、独特の感性を持っている。そんなわけで、細かいことを気にせずにまずは話を聞くことを選ぶ。
「うん…僕はタイムマシンを作ったんだ。それを使って世界が荒廃する前に戻って、このディストピアになる未来を改変する。その手伝いをお願いしたい。」
「…随分でかい話だな?それは依頼って形でいいのか?ボランティアなら、俺の生活費を察してくれよ。」
そう、アルジュナは細かいことを知らない。当然、科学技術に関しても。知らないからこそ、それが可能かどうか、ということには拘らない。時空移動に関して、少なからず質問をするだろうというドクター・ブラウンの目測は外れた。しかし、動揺を押し隠してドクター・ブラウンは二の句を告げる。
「あぁ…そうだね。お金に関しては、一銭も払えない。過去を改変して、その世界でどんな貨幣が使われるかわからないからね。…とはいえ、改変に挑むまでの時間という話なら、これくらいでどうだろう。前払いで…ってなら、このお金は渡すよ。」
一銭も払えない。そう聞いた瞬間、踵を返そうとしたアルジュナを見て、ドクター・ブラウンはお金の入った袋を取り出しながらそう言った。
見た目からして、相当な量が入っているだろうそれは、アルジュナの足を止めるには最適解。内容を確かめもせずに、アルジュナはこう口を開く。
「はあん。前金でこれなら十分だ。話に乗ろう。俺はどうすればいい?」
スラムで喧嘩を文字通り「売る」男は、口端をニヤリと上げてそう告げた。