【第一章・ユートピアにて】第一話
一般階層、とある建物の中。その男は、白衣を身に纏う。このユートピアにおいて、白衣を身に纏うのは一部の人間だけだ。医者か、科学者か。そのどちらかだ。
「お変わりないですか?」
透き通るような、しかし理屈っぽいような声色でそう言いながら患者達を見て回る。
ここは病院だ。彼の職業は医師。病院に集う患者たちは腕や足を負傷しているものがほとんどだ。それも、小さな傷なら良いのだが…。
クリスタライザー…このユートピアにおいて作られた光線銃であり、プリズムの乱反射による拡散された熱線をレンズで収束させて撃ちだす悪魔のような武器であり、それによって受けた傷はそうそう直せはしない。見た目でわかるくらいに、体の形が変わってしまっているものも多い。
「あぁ、先生。まだなおんねえよ…。いつになったら腕っつーのは生えてくるんだ?」
「…腕は、生えてはきませんよ。残念ですが。」
「そうかい。先生は冗談もうまいなぁ。腕が無かったらこんな場所じゃ野垂れ死んじまうしかないじゃねえか。あぁ、いつになったら生えるんだろうなぁ…。」
「…っ。次の患者が待っていますので、これで。」
患者の前に膝をつき、会話をしている男、都葵 斎はそんな患者たちを見やり、内心胸を痛めながらも、平静を装ってその傷を見ていた。
彼は医師だ。危険と隣り合わせのこの地下の中で、アンドロイドたちの襲撃や上位階層が秘密裏に雇う強奪者からの暴力に見舞われた患者達を治す。もちろん、日常的に発生する病気も。だが、普通の人間とは違うところがある。
それは、アンドロイドに対しても好意的であるという点だ。彼は患者でさえあるならば、機械であろうと人間であろうと治す。
このユートピアにおいて、アンドロイドという存在は差別の対象であり殲滅の対象であり憎むべき存在とされているのだ。その理由は至極簡単であり、まず見た目では人間とアンドロイドを判断できないということ。そして、なにより暴力的な思想を持っているという点からだ。
しかし、都葵はそんなことはどうでもいい、と思っている。アンドロイドには感情がある、と思ったのはいつのころからだろうか。そんなことも忘れてしまうほど、彼の中では当然の価値観だった。
そこに、傷ついたものが居れば。そこに、痛みを感じると嘆く存在が居れば。彼はいつだって手を差し伸べ、理解を得られなくともその存在を治してやる。
そんな、他人から見ればひどく異常な価値観を当然と思い実践しているのが、都葵 斎という人間だ。
それは優しさ、とも違う。あくまでも痛みに対しひどく臆病で、それを怖がるという感情を知っているからこそできる行い。ある意味エゴでもあるのだろう。
そんな、人から理解されないながらも人も機械も治す日々の最中だった。
都葵は少し気分転換でもしようかと、外に出た。病院はいつも手が足りない。都葵の体はひとつだ。アンドロイドにも救いの手を伸ばすなどという素っ頓狂な行動をする手伝い手も少ない。どうしても、睡眠なんて長くは取れないのだ。
そんな都葵に、一人の白衣の男が近づいてくる。男の見た目は30才くらいで、少し汚れた白衣を着ている。髪はオレンジ色に近い色をしていて、少し長くなったその髪を、後ろに結わっている。
その姿を都葵は目にしたことが無い。あまり外に出る機会はないが、それでも自分以外の白衣の男を、この近くでは見かけたことすら無い。
「…こんにちは?」
「こんにちは。えっと、都葵さんだね?僕はドクター・ブラウン。」
戸惑いがちに挨拶を交わす都葵をよそに、彼は握手を求めた。
「はじめまして。」
都葵も笑顔を見せながら握手を返す。
「はじめまして。協力的でよかった。じつは、君にお願いがあってね。」
ドクター・ブラウンと名乗るその男は少し笑みを浮かべて言う。安心した様子だ。
「お願いとは…?なんでしょう、自分に出来ることならば」
「君は、このディストピアを変えたいと思ったことは無いか?この殺人と暴力の溢れる最低な場所を、どうにか変えたいと思ったことは無いか?」
そんな、下層の人間なら誰しもが一度は思うような夢物語を、彼は真剣な眼差しでそう言った。
「…ふふ。変える、っていうのはおこがましい話だろうけども。自分は、少しでもその殺人を減らすために動いているつもりですよ。」
「そうか。僕はその根源から変えたいと思っているんだ。僕はこのディストピアを改変する。その手伝いをお願いしたい。」
「まあ、話の内容次第ですかね。あまりここを離れるわけにも参りませんし。」
都葵もまた、下層の人間である。もちろん、このユートピアという皮肉めいた名前の場所に対しては、誰しもが抱くように否定的だ。
しかし、都葵は他人と少し違った意見なのも確か。都葵のそれは、アンドロイドを差別し、カーストという制度の元、人間を区別するこのユートピアの在り方への不満である。
しかしそれはさておいて、見た目穏やかそうなドクター・ブラウンと名乗る男が、その外見や話し方に似合わず、少し刺激的な発言をすること自体にも、興味を持った。
「うん。驚かないで聞いてほしいんだけど…僕はタイムマシンを作ったんだ。時代をさかのぼって、別の時代にいける装置。そいつでこの世界が荒廃する前に戻る。そして原因になった事象を改変してこの世界を救いたいんだ。」
一瞬の沈黙が、場を支配した。ともすれば、「お前は何を言っているんだ」とも言われかねない彼の発言はしかし、そのまなざしの真剣さからするに本当にそういう機械を作ったのか、はたまた相当な腕の詐欺師か、そういうことができると心から信じてしまった狂人のものだ。
「何年前に遡るんですか?またこの時代に戻ることは?原因の事象とは?」
その様子を見た都葵は、内心ではいぶかしみながらも質問を返した。どちらにせよ、もう少し詳しく突っ込んで聞いてみる。もし本当であるなら、こちらの質問に納得の行く形で返すはずだ。そうでないなら、嘘か、妄言だと判断しよう。
都葵は自分自身がおかしなことをしていると自覚はしているし、理解は得られないとも思ってはいる。他人からすれば「お人好しが過ぎた馬鹿」と揶揄されるが、頭の悪い方ではない。こんな妄言じみたことでも、真実味があるなら受け入れる。そういう性格なのだ。
そもそも…と、二の句を待たず、続けざまに都葵は尋ねる。
「何故ただの一般市民である自分がそれに誘われるのでしょうか。」
「…戻るのは2112年4月24日。200年前の世界。詳しい話は、乗ってくれるなら話すよ。君を選んだ理由は…勘、かな。この世界には珍しい。君には愛がある。それがきっと必要なんだ。」
愛。この世界では語られなくなってから久しい言葉。しかし、その意味は知っている。
とはいえ、自分を動かしているもの。そして、それを愛と評するのは正しいのか。とにもかくにも、目の前の男がのたまう言葉は心を揺さぶってくる。
都葵は、自分のやっていることが、優しさ、ではないと自分では思っている。しかし、家族や友人に対し尽くしている人間が時折見せる「笑顔」は、それもまた優しさとは違うとも感じている。
「自分は愛など大して持ち合わせていませんよ。愛されたい、ただそれだけです。」
愛は知らない。愛したことがあるのかどうかも。そして、愛されるとは何なのかもわからない。いや、そもそもこの世界において愛するという感情自体が存在するのかすらも怪しいではないか。
ただ、愛という言葉を使う、というのはまた、なかなかどうしてと思わなくもない。
「…まあ、しかし…この、病院がここまで機能"してしまう"状態をよく思っていないのは事実です。」
と、都葵は一旦言葉を切る。そして。
「…乗りましょう。詳細をお聞きしても?」
知りたい答えへの期待と同時に、自分の中のこの世界への不満と、それに抗う術があるならば。そう考えた彼は。
いつのまにかこの男の荒唐無稽な夢物語を信じてみたいと思ってしまった都葵は。
そう、答えた。