第86話 腕と肩
『周りに気をつけろ』その言葉をもっと考えるべきだった。もしくはもっと警戒するべきだった。
「本当に全然ダメだった……でも……とても素晴らしい曲だったわ……」
ティンパニーの音で消さそうな程に小さくミカさんは顔を真っ赤にしてそういった。私が少し驚いて目をパチクリさせた。
「ミカさ……」
「あぁ、そうそう!肩のリボンが曲がってるわよ……」
ミカさんは照れ臭さを隠すように肩のリボンを直そうと手を伸ばした瞬間……
「キャア!」
突如、誰かに腕を捕まれ、強い力で後ろにあるテーブルへぶつけるように引っ張られた。テーブルにはナイフやフォークがあり、ぶつかれば顔面に刺さってしまう。無理矢理に体勢を変えれば、強く頭をぶつけた。
「氷もってこい!医師も呼んでこい!そこのお前は今どうなってるか情報を教えてくれ」
隼人は少し乱心しながら、茜を休憩室にあるソファに寝かせ、使用人たちに指示をした。しかし、微かな声がそれを遮る。
「大丈夫です……赤城さん」
痛む頭を無視して起き上がろうとすれば、隼人が茜の額に手を当てて軽くおし、阻止した。
「少し……休んどけ」
茜は隼人の目を見ると、無言でうなづき、再び横になった。
安心させるように微笑みながらも、内心隼人は少し焦っている。
「(これは……ミカがやったのか?俺は判断を間違ったのか?)」
隼人は考える。
あの時、目を離した隙に事がおきてしまった。
茜を思うがあまりに冷静さを失った。もし、当たり所が悪ければ死んでいたかもしれないとまで、思い詰めたところで自分に声がかかる。
「ただいま戻りました隼人様」
情報収集に行かせた執事が帰ってきた。
「どうだった?」
「隼人様、パーティー内ではミカ様が茜様の肩を突き飛ばしたと噂になっております」
その言葉を聞き、やはりミカなのかと隼人は思った。
しかし、危ない程純粋で嘘が苦手なミカは、茜を突き飛ばしたならば突き飛ばしたで、開き直るか、下手な嘘をつくはずである。
茜を突き飛ばしたのは、ミカだったのか本人に聞こうとした時……
「茜くん取り合えず氷もってきたよ、これで頭を冷やして」
幸彦がドアから表れ、氷をもってきた。
それを優しく茜の額に乗せた。それを茜は無言でみている。
「本当に災難だったね、ミカちゃんに腕を引っ張られるなんてさ」
心配するように、幸彦はそういった。
茜は何も言わず、無言でジッと見ていたが、不意に口を開く。
「赤城さん、パーティーに戻ってください、ミカさんは私を突き飛ばしていません」
その言葉に隼人は目を見開き、そしてやはりかと納得がいった。
「私を突き飛ばしたのは顔は見ていませんが別の人です。それに、ミカさんの今の状況が危ないと思うので行ってください」
ミカの今の状況は、嫉妬で子供を突き飛ばした女。しかも婚約者には信じて貰えず、捨てられた……これ以上なく不名誉である。
アレだけの騒ぎになった以上、麻生を嫌っているものは大義名分を振りかざしてミカに攻撃をするかもしれないし、ここで恩を売ろうと速まった行動に出るかもしれない。
隼人は早くにそう考えたが、やはり茜が心配である。
「大丈夫です……幸彦さんがいますから、だから早く行ってください。
ミカさんは私の肩を突き飛ばしていません」
茜は最後を強調するようにいった。
隼人は何か胸騒ぎがして、やはりこのまま居ようかとも考えたが、そうする訳にもいかないし、何より茜からさっさと行けと雰囲気が出ている。
「……わかった、混乱をおさめたらすぐに戻る」
そういって隼人は急いでパーティーに戻った。
誰もいなくなった別室で、茜はソファから起き上がる。
幸彦はまだ寝てた方がいいといったが、茜はそれを無視して上半身だけを起き上げた。
「氷……ありがとうございます」
「全然大丈夫だよ…………」
幸彦は優しげに微笑んで茜を見つめ、スッと茜の頬を手で撫でた。まるで神を象った絵画をうっとり見つめているようだ。
「よかったね……綺麗な顔にナイフやフォークが刺さらなくて……」
「えぇ、まったく」
茜は少し汗をかきながら答えた。




