第83話 ピアノ
「ごきげんよう、如月さん」
自信みなぎる様な美女はミカであった。少しの化粧を施し、少し派手な、けれどデザイン性の高いフリルのついたドレスをまとっている。
「ごきげんよう」
茜は最低限の笑みだけを見せて、ブドウジュースを置いた。少しピリつく空気が二人を包む。
周りはそんな二人を遠巻きに見ている。現在、婚約者として推されているミカと、現在の恋人である茜の二人だ。野次馬根性も働くだろう。
何より、壁となっていた隼人がいないこともあって、その好奇的な目線がいっそ注がれる。
「なんていうか……随分と貧相なドレスね?よくお似合いだわ」
そういいながらも、若干バカにし見下してそういった。
今、茜が着ているのは白を基調としたワンピースみたいなドレスである。品格とシンプルさを重視しているので、このパーティーでは少し浮いているように見えるだろう。
「シンプル・イズ・ザ・ベストです。学芸会のようなドレスは嫌なので」
学園祭でやった白雪姫を思いだし、茜はそういったのだが、そんな事情を知らないミカからすれば、自分のドレスをバカにしたようにしか聞こえない。
「へ、へ~そうなんだぁ。ところで、私は今からピアノを弾くの」
「そうですか」
ミカは自慢気にそういったのを茜は聞き流す。伴奏はきっとあの舞台でやるのだろう。ピアノがポツンとおいてあるのが特徴的だった。
「婚約者としては、それぐらい出来ないとね……よかったら、聞いてくださるかしら?」
「いいですよ」
茜が軽い調子でそういえば、ミカは舞台に上がった。それに気づいた観客たちが拍手する。
「よろしければお聞き下さい」
ミカはニコリと笑って、椅子に座り、ピアノを弾きだした。少し悲しげな旋律が特徴的なこの曲は……
「(ショパンの19番……)」
簡素ながらも哀愁があり、ゆったりとしたこの空気に合うメロディーであり、それなりに有名なので結構耳にする。
比較的に簡単な方であるというのもあるが、ミカの伴奏はうまく、周りはミカへ視線が集まっていることに気づいた。
「(今のうちに赤城さんとこ戻るか……)」
茜はそう思い、動こうとしたのだが……
ガシッ
「折角、彼女が弾いているんだからゆっくりと見たらどうだい?」
後ろで両肩を捕まれ、耳元でそう呟かれた。肩をつかまれただけなのに、体全体が金縛りにあったように動けず、穏和そうながらも、重低音の声はそれだけで人を支配する力がありそうであった。
茜はゆっくりと首だけ後ろに向ける。
「赤城さんのお父さん……」
「クスッ……私も一応は赤城だよ。鷹平って名前なんだ」
穏和そうな笑みを浮かべながらも、鷹のような鋭い目を隠している。能ある鷹はなんとやら……っと、そんな諺が頭に出た。
「奥さんはどうしたんですか?」
「家内は今、愚民……出席者たちの挨拶回りをしているよ。本当は愚息……息子がやればいいんだけど、今回は不躾な者が多いからね」
所々で滲み出る嫌な言葉に突っ込みを入れそうになったが、関わったら面倒臭いという本能に従って、それらを飲み込んだ。
パチパチパチパチ!!
そうこうしてる間に演奏が終わったらしく、拍手が飛び交っていた。ミカはそれらを満足そうに浴びながら、舞台をおりて茜の前にたつ。
「どうだったかしら?」
「うん、いいと思う」
正直、聞いていなかったのだが、そういう訳にもいかないので適当に賛美を送る。ミカは、そうだろそうだろ、とばかりに満足気な笑顔を見せてから、こういった。
「よかったら、如月さんもやってみたらいかが?」
これは、一種の識別を出す為だ。
茜はまだ小学生なのでピアノの腕ははいい方じゃないと思われる。というか、弾けるかどうかすらあやしい。
それらは普通ならば問題ないが、今はそれがダイレクトに素養の問題、教養の問題に繋がれる。相手に恥をかかせ、更にやはり自分が本物ということを周りに認識させる為であった。
「(誰がやるかいな、んなもん)」
茜は即座に断ろうとしたのだが……
「おぉ!それはいいじゃないか!やってみなさい」
鷹平が、面白そうにそういった。
『面白そう』に。
「え……ちょ「折角だ、弾いてみなさい」」
ここの主催者であり、もっとも空気を変える力があるものが、そう言えば、周りもそれに賛同しだす。それを好機ととったミカは茜の腕を引っ張りながら舞台に引きずり出す。
「ねぇ、いいじゃないの!簡単なのでいいから!」
笑顔ながらも『恥をかけ』という心がありありと出ている。茜は嫌がるが、舞台の上まであげられてしまえば、逃げ場がない。
舞台の上で隼人を見つけた。驚き、焦っているようだ。
ミカが舞台の中心まで茜を引きずり、嘲笑しながらいった。
「安心しなさい、誰もアンタの演奏なんてどうでもいいから」
小声でミカはそういって、舞台から下りた。
「がんばって、如月さん」
わざとらしい笑顔で、声援を送る。
舞台に残されたのは、茜だけであった。
「(どうしよ……)」
完璧に四面楚歌であった。もう舞台に出てしまった以上、逃げることが出来ない。唯一あるとしたら、あそこにいる隼人が暴れてうやむやにすることだが、そんなことをしたら隼人の立場が危ない。
「(……赤城さん……)」
泣きそうな、そして何もしてやれない悔しさの表情を見せる隼人をみつめ……
「弾かせてもらいます」
ニコリと笑った。
堂々と、おくすることなく、そして心配そうに見つめている自分の恋人を安心させる為に優しく……
とても、綺麗に微笑んだ。
「(……ったく……)」
椅子に座り、鍵盤に手を置く。
「(ピアノが弾けないなんて一言もいってないから)」
拍手につつまれながら、茜の演奏が始まった。
隼人のお父さんは鷹平にしました!
ピアノ知識はにわかです。茜、何を弾かせようかな……




