プロローグ
「……というわけで小林さん。あなたの予想通りです。」
造りは古く、どこか脆さを感じさせる洋室に男が二人、テーブルを挟むようにしてソファに腰かけていた。
一人は若く大学生と言っても通じる服装と雰囲気を醸し出している一方、対照的に小林と呼ばれた男は、その年齢からは想像できない深い疲れを身にまとっていた。
「やはり……そうですか」としわの目立つシャツを着た小林は、自分の顔を掌で覆い、体を沈み込ませるようにソファへ深く座り込んだ。
「奥さんはこの写真の男性と不倫関係にあるようです」
静寂が部屋を包む。
最後のは余計だったな。
若い男、三浦大輔は静かに立ち上がった。少しの間だが一人にしてあげよう、大輔はそう考えた。
卓上のコーヒーを手に取り、新しいものと取り換えると依頼主に伝えた大輔は、応接間からキッチンへ向かおうとしたのだが……。
「大輔君! ケーキだ! プリンもあるぞ!」
応接間と廊下を隔てる扉から上半身を覗かせながら、一人の少女が重く沈んだシリアスな空気を吹き飛ばした。その手には、以前大輔が解決した事件の依頼主から贈られてきた高級ホテルのケーキの箱が掴まれている。
確かにそれは普段大輔たちがなかなか口にすることはない、ハイクオリティな高級品で少女のテンションが上がってしまうのも無理はないのだが、いかんせんタイミングが悪すぎた。
突然の場違いな発言と人物の登場で、妻の不倫への悲しみを隠せず深くソファに腰かけていた小林は、思わず背筋を伸ばし姿勢を正してしまい、大輔はカップのコーヒーを少しばかり床にこぼしてしまった。
「大輔君の好きなモンブランもだ……ってあれ?」
ワンテンポ遅れて自分がこの場に相応しくない発言をしたことに気が付いた少女。
「……大輔君。もしかしてこれはあかんやつやろか?」
「あかんやつです、所長」
焦ると似非関西弁が飛び出す少女の問いに、ハンドジェスチャーを交えながら答える大輔。意味はこうだ。
“客の対応ができるようさっさと準備しろ(怒り)”
「……出直してまいります」
そう言いながら応接間を後にした少女だが、振り返りながら“てへぺろ”と舌だしアピール。大輔は黙って無表情に親指を下向きに立てた。
少女が部屋を離れるのを見届けた後、未だ驚きの中にある小林の方に振り返る。
「あ~……どうもすいませんね。騒々しくて」と小声で言いながら大輔は扉を閉めた。
「いえ……大丈夫ですよ」
「どうもあの人は空気を読むってのが苦手でして」
そのまま手に取ったカップを机に戻し、こぼれた中身をティッシュで吹きとった大輔は、さっきまでと同じように小林の正面のソファに座った。
『こりゃあもう気をつかって退出する必要もないな』
大輔流の空気の読み方だ。
大輔が腰かけると、小林がこう尋ねる。
「さっきの女の子……妹さんですか」
そう訊く小林からは悲しみ、苦しみといった負の感情が薄れているよう、大輔には見えた。
「いえ、違います」
「それならお姉さんとか」
「それも違うんですよ。……って、そういえば小林さんにはまだ紹介できていませんでしたね。あの人は……」
バン、という扉を開く音が大輔の台詞を遮る。
「東に不倫、証拠を集め
西に痴漢、いって冤罪晴らしてみせよう
南に殺人、犯人逮捕で一件落着
北は……まあいろいろ解決」
ちっとも語呂の良くない名乗りと共に、少女は部屋に舞い戻る。
「どうもみなさんご贔屓にお願いします。私、高崎探偵事務所の所長! 高崎綾子でございます!」