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つくも神 その2

作者: 杜若

つくも神でもう一本かいてみました

ファンタジー怪談です

「どうも、ありがとうございました」

帽子を軽く上げて一礼し、引越し会社のスタッフが帰ると

俺は改めて部屋をぐるりと見回した。

砂壁に畳敷き、トイレは和式で風呂にはシャワーなし。

「昭和」という言葉で表現される、よく言えばノスタルジック

率直に言えば古臭く時代遅れな六畳一間。

ワンルームなんて言葉は、恥ずかしくて使えない。

それでも家賃は格安で、恐らく日本人の殆どが名前を知っている都心の駅から

歩いて15分の場所に建っている。西向きだが、一応3階建てのアパートの最上階だ。

「寝るだけの場所だし、都心ってだけでも満足しなきゃな」

明るすぎるくらい明るい声で、俺はつぶやき、心にじわじわと広がる

惨めさが入り混じった劣等感を無理やり干からびさせた。

中途半端に開発されたままさびれ始めた地方都市の、平凡なサラリーマン家庭で生まれた俺が

「映画監督」なんていう大志をいだいて上京したのは3年前。

専門学校に在籍だけして、撮影所でバイトバイトの毎日だった。

多分、カメラにうつらない裏方を監督以外ははすべて経験したと思う。

いい加減自分が何をやりたくてこんな場所にいるか忘れかけ始めた頃、小さな映画会社の

社員になることができ、そしてさらにありとあらゆる雑用をこなして1年

やっと日本ではそこそこ有名な監督の新作のサードではあるが、助監督に抜擢された。

天にも昇る気持ち、という物を一晩飽きるほどかみ締め俺は唐突に引越しを決意した。

それまで住んでいたのは、東京都ではあるが都心まで一時間半もかかり、その時間が

億劫で会社や撮影所で寝泊りし続け、二月に一度帰ればよし、という場所だった。

雑用なら代わりはいくらでもいるが、一応「助」監督しかもサードだ。

事務所に寝泊りしていて、体調を崩しました。など言ってられない。

かといって、ホテルに泊まり続けるほどの金はない。どんなに短時間でも帰って眠れる場所が欲しい。

遊ぶ暇もなかった俺の貯金通帳には、多くもないが決して少なくもない残高が記載されていた。

映画の撮影が始まる短い時間、俺はいくつもの不動産屋を渡り歩き、ようやく俺の給料でも

払っていけるここを見つけた時には、クランクイン1週間後に迫っていた。

閉め切った部屋で、カビと埃とついでに可燃不燃ごみにまみれていた家財道具は殆ど処分して

布団と机とテレビをかねたパソコン、それに小さな箪笥をリサイクルショップで買い揃えて

俺はこの部屋にやってきた。

クランクインはあさってだ。

まだ見慣れない窓の外の景色は、夕暮れから夜へと徐々に変りつつある。

疲れが急激に体の中で膨れ上がって、あくびが立て続けに口をこじ開ける。

とりあえず、コンビニで夕飯の調達をしてこよう。埃が気になるが 掃除は明日だ。

そう思った時

「ふむ、ここが新しい家か」

唐突に俺の横しかも腰の辺りから聞えた声に、口から心臓が飛び出しそうになった。

「住人はお前だけか、若造」

くいくいと服のすそが引かれる。

俺の頭の中を、ありとあらゆる怪談映画の幽霊が光の速さで駆け巡った。

血は苦手、化け物もいや。怖い顔なんて見たくない。でも美女がありえない場所で

微笑んでいたら、それはそれで怖すぎる。が、

いつまでも直立不動で窓の外を見つめ続けるわけには行かない。

幸い、空の端っこに太陽の最後のカケラがまだ引っかかっている。

心の中でうろおぼえの般若心経をとなえつつ、俺はえいや、と声のしたほうをむいた。

「・・・・・」

ちょっと癖のある肩までの黒い髪、赤い健康そうなほっぺ。切れ長の目とちょこん、とついた鼻と口は

かわいらしいというより、素朴な愛らしさがあった。

白いブラウスと赤いつりスカートという、これまた昭和時代を連想させるやや

古臭い格好を除けば、どこにでもいそうな5歳くらいの女の子が、そこには立っていた。

腑抜けたようなため息が口から漏れる。

引越しのどたばたにまぎれて入ってきた近所の子供。そうに違いない。

「お嬢ちゃんおうちはどこかな。もう遅いからお母さんが心配しているよ」

立てひざをついて目線をあわせ、俺は女の子に言った。

映画にはたくさんの子役も出演する。小さな子の扱いはそれなりの自信があった。だが、

「人が聞いたことにはきちんと答えろ。まったく最近の若造は礼儀を知らん」

小さな口から発せられた老婆のごとき口調に、俺は崩れ落ちそうになった。

なんなんだ、このがきは。握りこぶしに力をこめそうになるのを必死でこらえる

「お嬢ちゃん、大人の人にはそんな言葉使っちゃだめだよう」

「お前のような若造に敬語など使えるか。それより、さっさと質問にこたえろ

うすのろ」

ぱりん。俺の中でやさしいお兄ちゃんの仮面が音を立てて砕けた。

「おう、確かに俺は一人暮らしだ。だけどそれがお前に何の関係がある

とっとと帰れ、このクソガキ」

それなりの恫喝をこめたつもりだったのに、女の子は涼しい顔で頷いた

「そうか、男の一人暮らしは掃除が行き届かぬから好かぬのじゃが、

古道具屋の隅よりはましじゃ。幸いお前はわしが見えるようじゃから

色々教えてやる。ありがたく思え」

話が通じない。と判断した俺は、実力行使に打って出た。

女の子を抱き上げて玄関の外に放り出そうとして、出来なかった。

俺の腰くらいしかない、女の子が押してもひっぱってもびくともしない。

まるで床から生えているようだ。おれは、だんだんと薄気味悪くなってきた。

「お嬢ちゃん、どこの誰?」

ふむ、と女の子はもう一度頷いた。

「わしは、あの箪笥の化身だ」

「た、たんすう?」

「そんな大声をださんでも聞えるわ。若いくせに耳が遠いのか」

俺は壁際に置かれた小さな箪笥をまじまじと見つめた。

時代劇の小道具につかっても何の不思議もないほど古びたものだったが

格安の値段と、衣装を保管するには桐の箪笥が一番いいという聞きかじった

情報から買ったものだったが・・・・・・。

「なんじゃ、その目は信用しておらんな」

信用してたまるか

「つくも神という言葉を知らんのか。道具でも何年も使えば魂が宿るものじゃ

わしは明治時代に作られた。こんななりでもお前よりよほど長生きじゃ。

だから敬意ははらえよ。」

俺は箪笥に手をかけた

「おいこら、何をする」

「お前の言うことが本当なら、これを捨てれば万事解決だ」

化け物と同居なんてたまるか。

おれは鉄の取っ手に手をかけ、箪笥を持ち上げようとした。

が、動かない。さっきの時と同じだ。この部屋に運び入れる時には

軽々とまではいかないが、一人で十分持ち上げることが出来たのに

汗を流しながら奮闘する俺の背中に、けらけらと笑い声が浴びせられる

「わしは一応あやかしだ。若造一人でどうにかできるわけなかろう」

30分粘ってついに俺は力尽き、畳の上に大の字にねっころがった。

「ようやくあきらめたか、さ、いくぞ」

女の子がぴしゃぴしゃと俺の頬をたたく

「どこへだよ」

「掃除用具を買いに行くのじゃ。みろ、わしの体にこんなに引越しの埃がついている

さっさと拭かないと気持ち悪い」

「やなこった・・・・」

いったとたん、わき腹をいやというほどつねられて俺は悲鳴を上げた。

女の子がにっと笑う。

「お前だってこんな中で暮らしていると体によくないぞ。先人のいうことは聞くものだ

さ、早くせんか。」

俺にもはや抵抗する気力はなかった。映画よりもぶっ飛んだ現実に思考も停止する。

結局新居第一夜、俺は遅くまで女の子に叱られながら、掃除をする羽目になった。

ようやく夕飯にありついたのは深夜を回った頃。一口食べた所で記憶が途切れ、

気がついたら、朝日がまぶしかった。

起き上がって辺りを見回すが、押入れもない狭い部屋に俺以外の姿はなかった

「・・・・夢だったのか」

いや、夢に違いない。夢であってくれ。化け物と同居なんて真っ平だ。

つぶやいてから耳を澄ました。返事はない。

「うん、そうだ、夢だったんだ。疲れてたからな。いやあ 奇妙な夢だった」

「夢ではないぞ」

「・・・・・・・・」

恐る恐るふりかえると、箪笥の上には昨日の女の子がちょこんと腰掛けていた。

「どっからはいってきた、お前は」

「ここにずっとおったぞ」

「さっき見回した時はいなかったぞ、おい」

「昨日も言ったじゃろう。わしはあやかしじゃ。姿を消すことなど

たやすいことだ」

「じゃ、ずっと消えてろ。おれは化け物と住むなんて真っ平だ」

俺の叫びに女の子はまたふむ、と頷いた。

「では、こうしよう。お前がわしを、ひいてはこの部屋を清潔にしていれば

わしはお前に姿を見せない。それでいいか」

「本当か」

「疑わしそうな顔をするな。人間と違ってわしらは嘘はつけない。」

俺は女の子の顔をしばらく見つめた後、しぶしぶ頷いた。

休みは今日一日しかなく、箪笥は動かない。新しい部屋を借りる資金はもうなかった。

今は化け物の言うことを聞いておこう。そのうちにお札かなにか貼り付けてやる。

「よし、ではさっさと顔を洗ってしまえ。掃除のやり方を教えてやる」

「掃除なら昨日やっただろう」

「ばかもん」

罵声とともに、後頭部に衝撃が走った。いつの間にか机の上、いや机の上の空中に

移動した女の子の足が、ぶらぶらと揺れている。

「掃除は毎日するものじゃ。昨日の掃除の仕方もなっとらんかった。さ、さっさと支度をせい。

あ、そういえばまだ名前を聞いてなかったな。わしはサヤじゃ。お前は?」

「・・・・・とおるだよ」

「そうか、じゃあ早くしろ、若造」

にっと笑って言うサヤ。

「わかったよ。化け物」

精一杯の嫌味をいったとたん、後頭部にもう一発けりがきた。

・・・・・・・結局この貴重な撮影前の最後の一日も、部屋の掃除で終ってしまい

俺は雑巾の絞りすぎで豆ができた手をふうふうふきながら、撮影所に向かう羽目になった。



「撮影に入ったから、どんなに汚くしているかと思ったけど。」

部屋に入るなり彼女は言った。

同じ会社の社員で、今度の映画にも美術スタッフとして参加している彼女とは

去年から友達以上恋人未満の関係が続いている。

「すごくきれいじゃない。どうしちゃったの?」

俺はあいまいに笑いながら彼女に座布団をすすめた。

撮影開始から3週間が過ぎている。この日は野外で撮影の予定だったが

大雨で、予期せぬ休日になった。せっかくなので新居初のお客として、彼女を部屋に

招いたのだ。急須からお茶を入れていると、彼女の目がはっきりと丸くなったのが分かった。

「透君がお茶なんか入れているのをはじめてみた。いつもペットボトルじかのみだったのに」

おれだってこんなめんどくさいことは、本当はしたくない。しかし、畳の掃除には茶殻をばら撒いて

ほうきで掃くのが一番という化け物、もといサヤが喚くから、仕方なくやっているのだ。

「いやあ、一応お客様だし。引っ越してきたばっかりだから、きれいにしているのさ」

「前の家の時は、飲みかけのペットボトル差し出されたわよ。私」

涼しげに言う彼女に、俺は思いっきり気まずくなった。

うつむく俺に彼女はくすり、と笑って湯のみに口をつけた。

「ま、なんにせよ、いい傾向よ。事務所のみんなも言っていたわ。透君は助監督になってから

やっと人間らしくなったって」

「そんなにひどかった?俺」

「夏はスタジオに君がいるかいないか、匂いで分かったくらいね」

顔から火が出る、とはこういうときを言うのだろう。肌寒いくらいなのに汗が止まらない。

撮影は予想以上にきつかった。助監督とはいえ、仕事は雑用と変わらない。責任だけが重くなっただけだ。

夜中に疲れた体をひきずって帰ると、すぐに布団に倒れこみたくなるが、

とりあえず、掃き掃除と拭き掃除だけはやらないとサヤは寝かせてくれなかった。

そればかりでなく、朝も飯を食う時間の分だけ早く起こされる。3日に一度はそれに洗濯の時間が加わる。

たまったものではなかったが、不思議なことに以前より体調はよくなり、周りの評判もなぜか上がった。

「まあ、この調子でがんばんな」

1時間ほど雑談をした後、彼女はそう言って帰っていった。今日も手を握るどころか、隣に座ることもなかった。

かすかに残った化粧の香りが俺を切ない気持ちにさせる。

「若造、匂いでわかるなんて相当だったのだな」

あきれたようなサヤの声が頭上から降ってきた。見上げると細いカーテンレールの上に器用に立っている。

「それだけ映画に夢中だったんだよ。化け物」

なれというのは恐ろしいもので、俺はもう普通の人間と同じような感覚でサヤに接していた。

「限度というものを知らんのか、ばか者」

がこん、と頭部に衝撃が走る。

「俺の頭はサッカーボールじゃないって何度言ったらわかるんだ」

俺がにらんでもサヤは涼しい顔だ。いつものごとく、が、

「ふむ、洗物をすぐにするようになったか、成長はしているようだな」

この言葉に俺はちょっとびっくりして振り返った。

「どうした、若造」

「いや、化け物から褒め言葉らしいものを聴いたのが初めてだったからさ」

「お前が、何も言わないのにゆのみを洗い始めたからだ。ふん、いくらあやかし

とて、理由なくがみがみいうているわけではないわ。馬鹿もん」

鼻をひとつ鳴らして、サヤは虚空に消えた。

そういえば、水切り籠の中にはいつのまにかゆのみが洗ってふせられている。

いつの間にか俺は、片付けの習慣がついたようだ。

「・・・・・ま、悪いこっちゃないな」

古いが、きれいに片付けられた部屋を見渡して、俺はつぶやいた。



携帯電話が鳴ったのは明日に備えて早めに休もうか、と布団を敷いた時だった。

着信はチーフ監督。なんとなく嫌な予感がする。

5回目のコールで通話ボタンを押し、俺は予感が正しかったことを悟った。

ロケハンでやっとみつけた、この映画で重要なシーンを撮影する予定だった

古い民家が火事で全焼してしまったというのだ。

「まいったよ」

電話から漏れる監督の声は、本当に困りきっていた。

それは俺も同じだ。ロケハンに5日もかけてやっと探してきた場所だ。

しかも予定では明日からそこの民家で撮影の予定だったのだ。

また一から撮影場所を探すとなると、どのくらい撮影が遅れてしまうか、

考えるだけで眩暈がしていた。

「とりあえず、今からお前も新しい場所を探してくれ。まあ、時間が時間だから

朝まではろくなことは出来んが、それでもやらないよりはましだ」

俺はわかりました。と言って電話を切り、大急ぎで黄色くて分厚い

電話帳をめくった。古民家をしってそうな業者に片っ端から電話をする

もちろん、役所関係にもだ。

だが、夜遊びではまだ宵の口でも、仕事は深夜残業に突入する時間

色よい返事は当然のことながら得られなかった。

監督の怒りと落胆、役者をはじめとする関係者への迷惑を考えると

胃がきりきりと痛む。

「なにぞおこったのか」

のんびりとした声が頭上から降ってきても、しばらくは返事をする気にもなれなかった

「答えろ、若造」

俺がようやくサヤに事の次第を説明したのは、頭を蹴飛ばし続けられる痛みに耐え切れなくなった

からだ。

「今はやりのCGとやらで作れないのか」

「作れないからこうやって探しているんだろう」

俺の怒鳴り声に、サヤはふむ、と考えこむような表情をした。

「どうしても、古民家が必要なのか」

「ああ、いい映画が作れるかどうかの瀬戸際だ」

「ふむ」

サヤが黙り込んだので、俺はまた電話帳を広げた。

さて、どこに電話しようか。と考えていると

「若造、今からわしをこの場所に連れて行け」

と目の前に地図が突きつけられた。かなり遠い。

「化け物のわがままに付き合っている暇はない」

「お前のノゾミをかなえてやろうというのじゃ、さっさとしろ」

「のぞみって・・・・古民家か」

「そうだ。嫌ならいいんだぞ」

藁をもつかむ思いで俺はうなずき、ヘルメットを掴み取った。

車は維持費や駐車場代が払えないので、俺の脚は中古で買った250CCのバイクだ。

「おい、警察に捕まるぞ」

「わしの姿はめったなものには見えん、安心しろ。さっさと出せ」

前輪の真上、ハンドルの間にサヤをちょこんと腰掛けさせたまま、

俺は夜の東京をつっぱしった。

途中一台だけ車が俺にむかって激しくクラクションを鳴らし、尚且つ

運転席の窓を開け、何か叫んだが、俺はとまる余裕がなかった。

サヤが見えたのかも、知れない。

こうして走ること2時間

「ここじゃ」

バイクのライトだけが唯一の明かりのような、東京とは思えない

山の中に、ひっそりと燃えてしまった民家と同じような建物がたっていた

「・・・・・あった」

念のため近づいてみたが、空家のようでクモの巣がすごい所を除けば

問題なく使えそうだ。

「どうしてこんな所を知っていたんだ」

「・・・・・わしが作られた場所じゃったからな」

バイクのハンドルに腰掛けたままのサヤは、どことなく寂しそうに見えた。

「・・・・・ありがとう」

「ふん、こうでもしないとお前は一晩中でも電話をかけ続けそうだったからな

うるさくて眠れん」

そう言ってぷい、と横を向くサヤ。

素直じゃねえなあ、と思いながら、俺はチーフ助監督に電話をかけた。



「いや、本当透君がこの場所を探してくれなかったらどうなっていたか」

3日後、凄まじい速さで撮影までこぎつけたチーフ助監督は、美術スタッフに混じって

セットの点検をしていた俺に、ニコニコ顔で話しかけてきた。

「本当、助かった ありがとね」

俺は適当な言葉が見つからず、ただ照れ笑をし、ありがとう御座いますとだけ答える。

「ここだけの話、監督も一目置いたよ、君の事」

追加でそっと耳打ちされ、うれしさが全身を駆け巡った。

「すいません、こんなものが押入れから出てきたんですけど」

助監督が離れると同時に、美術スタッフが駆け寄ってきた

「アルバム、だよな」

「そうですよね」

片方を黒い紐で閉じた、台紙に直接のりではるかなり古いタイプのものだ。

ぱらぱらめくると、白黒写真が何枚も張ってあった。

その中の1枚に手が止まった。

胡坐をかいた頑固そうな老人。その膝の上に座っている女の子は・・・・・・。

「サヤ」

髪の毛をお下げにしているものの、その顔は間違いなくサヤだった。

そして、二人の後ろに小さく写っているのは、俺の部屋にある箪笥だ。

「・・・・どうしたんですか?」

不審そうなスタッフに俺はあいまいに笑って、持ち主に届ける、と言って

その場を離れた。

「あんれ、こんなものがまだあの家にあったんだねえ」

歩いて5分ほどの所にすんでいるこの言えの持ち主である

50過ぎの女性は、そう言って懐かしげに目を細めた。

俺がさりげなく写真の人物についてたずねると

「これは私のじいちゃんと、叔母さん」

と答えてくれた。

「じいちゃんは腕のいい箪笥職人だったけど、明治の男だからそれは厳しくてね

特に掃除のやり方は人一倍うるさかったんだよ。それでも娘、ああ、私の叔母は

すごくかわいがってたいらしいんだけど、叔母は5歳で腸チフスで亡くなったのよ」

「そうなんですか」

「じいちゃんは何も言わなかったけど、やっぱりショックだったんだろうねえ。

ここに家を建てたんだけど、死ぬまで叔母とくらしたあの家を離れなかったのよ」

そういってアルバムを愛おしそうになでる女性。おれは胸に暖かいような

切ないような複雑な感情がわきあがってくるのを感じながら、女性に礼を言って

現場に戻った。


「なんじゃこれは」

「髪留めだよ。しらないのか」

「そんなことは知っておる。だから、何でこんなものを私によこすのだ、若造」

その夜、俺は近所の雑貨屋で写真の女の子が付けていたものと、似たような

飾りのついたゴムを買った。

「この間のお礼だよ。化け物。いらないんなら、かえせ」

「ふん、若造も気が利くようになったではないか」

憎まれ口を叩きながら、それでもうれしそうに髪の毛を束ねようとするサヤ。

「ほら、かしてみろ」

苦戦をしているサヤに、俺はゴムを取り上げると髪の毛をお下げにて結んでやった

「中々うまいな、若造」

「ヘア、メイクも時々やってたからな」

俺の小さな手鏡を覗きながら、うれしそうに笑うサヤは、どこからみても人間の女の子だった

「あのさ、今日、多分お前を作った人の写真を見たよ。娘さんとうつってた」

「・・・・・そうか」

サヤの顔からすっと笑みが消えた

「あのおじいさん、お前が見えたのかな」

「・・・・・・今日の掃除がまだじゃ。さっさとしないか」

喚くサヤに、おれははいはい、と箒をてにとった。

だれだって答えたくないことはある。俺は深く聴かないことにした。

「・・・・・見えなかった」

ぽつり、とした声が聞えたのは、おれが掃除を終えた頃。

俺は「え」と周囲を見渡したが、サヤの姿はどこにもなかった。


撮影はその後も順調に進み、無事にクランクアップを迎えた。

俺は助監督たちと肩を組み合って泣いてしまい、

監督に慰められる始末だった。

打ち上げで飲んだ酒は生涯最高の美酒で、俺たちは

スタッフと場所を変えながら飲み続け、結局お開きになったのは

夜が白々と明ける頃だった。

今日くらい掃除は免除してもらおうと思いながら家路に着いたとき、

ポケットの携帯電話が鳴った。


俺は全速力でアパートへの道を走った

近づくにつれ、焦げた匂いが強くなり、野次馬が増えていく

アパートの前は黒山の人だかりだった。

それを掻き分けた俺の目に飛び込んできたのは、

半分焼け落ちた、無残なアパートの残骸だった。


出火したのは一階の部屋で、発見が早かったせいか

俺の部屋は焼けずに住んだ。だが、消火のためにじゃんじゃん水を

かけたせいで、部屋の中は水浸し。無論、あの箪笥もたっぷり水をすいこんでしまっていた。

「おい、化け物」

俺は幾度も声を張り上げたが、答えはない。

こんなことは今までなかった。

「一度水を吸い込んだ家具、というのはどうしようもないんだよ」

知らせを受けて、駆けつけてくれた彼女は箪笥を見て気の毒そうに言った。

それでもおれは、箪笥の引き出しを全部だして、雑巾で何度もからぶきして天日に干してみた。

夕方になっても板は生乾きのままで、不審そうな彼女を尻目に俺は箪笥を抱えて近所のビジネスホテルに移動した。

あれほど動かなかった箪笥は、あっさりと俺に持ち上げられて、俺はかえって不安が募った。

備え付けのドライヤーで乾かし続けてみたが、乾くにつれて板は反り返り、

時計の針が12時をさすころ、箪笥はただの歪んだ大小の箱になってしまった。もちろん、引き出しを再び収めることは

どうがんばっても出来なかった。

「・・・・・おわかれじゃな」

呆然とする俺の耳に、いつもよりずっとか細いサヤの声が届いた

いつのまにか目の前に立っていたサヤは、体が半透明で向こう側が透けて見えた。

「まてよ、あした家具の修理センターにいってみる。何とかしてくれるさ」

俺の言葉に、サヤは軽く笑った。

「無理じゃ。芯までぬれてしもうた。そのうち黒かびが生えてくる。」

「・・・・・・・」

「うるさいわしの小言をよう聞いてくれたな。礼を言うぞ」

「礼だなんて・・・・・」

胸にこみ上げてくる熱いものは、言葉をつまらせ、視界を滲ませた。

ぽたぽたとした雫が俺の手の甲に落ちる

「泣くな、物はいつか壊れるものじゃ」

そういったサヤの顔も泣きそうだった。

「縁があれば又会えるかも知れぬ。だから、せめて笑って別れたい。頼む」

俺は袖で涙をぬぐって頷いた。

目を開けると、サヤが泣く一歩手前の笑い顔を作っていた。

俺も笑った。また涙が溢れたが、それでも笑った。

「さらばじゃ、透」

サヤの姿が煙がきえるように、ふうっと空中にとけ硬い音が響いた。

俺が結んでやったゴムが片方だけ、歪んだ箱の中に落ちていた。

「サヤ」

それを手にとって俺は初めて、サヤの名前を呼んだ。

答えは、いつまで待ってもかえってこなかった。


次の日、俺は箪笥の残骸をひそかに撮影所の焼却炉で焼いた。

そしてその灰を、あの民家の庭の桜の木の根元に埋めた。

どこからか、女の子の笑い声が聞えた気がしたが、きっと俺の幻聴だったのだろう。

その後、俺は助監督のオファーを断り、彼女の部屋に転がり込んで

3ヶ月かけて一本の脚本を書き上げ、クモの糸より細いつてを総動員して映画化まで

こぎつけた。

物の怪の女の子と人間の男の子の心温まるラブストーリーは、その年の

映画賞を総なめにし、我がことのように喜んでくれた彼女に、俺は結婚を申し込んだ。



妻からの電話を受けて、俺は産院に駆けつけた。

「元気な女の子よ」

ベッドの上の妻は疲れた顔をしていたが、それでもうれしそうに言った。

その脇では、生まれたばかりの娘が安らかな寝息を立てている。

「ただね、不思議なことがあったの。」

首をかしげる俺に、妻は髪飾りのついたゴムをみせた。

ドキンと俺の心臓が跳ね上がる。

それとまったく同じものが、俺の携帯にはくっついていた

「生まれたときに。この子はこれをしっかり握っていたんですって。

不思議よね」

俺は顔に笑みが広がるのを感じた。

胸の中に熱いものが一杯になる。

「・・・・・縁があったんだな。俺たち」

小さい顔を覗き込んで俺はつぶやく。

生まれたばかりの娘が、にこっと笑った。


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― 新着の感想 ―
[一言] とんとん拍子に話が進むのに少し違和感有った 詰め込みすぎか?
[一言] 泣けました。いい話ですね……。 私も掃除とかちゃんとやろうと思いました(笑) 展開もドラマチックですごくよかったです。 ラストは少しありきたりかなとは思ったのですが、こういう話のラストはや…
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