新たな依頼(オーダー) 1
ルショスクの居住区の北側に位置する集会場。
探検者と呼ばれる職業の人間が集まる場所であり、必ずと言ってもいいほど近場に歓楽街があり、その周辺は治安が良いというわけではない。
ルショスクも例外はなく、この北側には治安維持部隊の駐屯所も近くにある。
とはいえ、辺境の土地であるルショスクでは、人口の流出は著しく、この歓楽街近くでさえ活気はあまり感じられない。
アストール達はそんな閑散とした街を歩き続けていた。
「にしても、本当に静かねえ」
周囲を見回していたメアリーは、その人の従来の少なさに関心さえする。
街は整備こそされているが、人の住んでいる気配のない家が散見された。
人通りも住人にすれ違う程度で、行商人の店はこれまで歩いて来て見たのは一軒のみ。過疎化というよりも、衰退している街と言った方がいいだろう。
そんな中、騒ぎがあれば、それこそ目立つもの。
「おい! 待てええ!」
静寂な街道に響く男の叫び声に、アストール達は声のした方へと振り向く。
彼らの進んでいる方向には、 ちょうど、広い十字路であり、中央にはかつての活気の象徴の大きな噴水があった。その広い十字路で外套を頭から被った子どもが、十名ほどの男達から逃れようと駆けて逃げている。
朝から面倒事に巻き込まれるのは、アストールとしても望むものではない。子どもがそのまま自分たちに気づかずに、違う方向へと逃げてくれることを願う。
そんな、彼女の願いとは裏腹に、子どもはアストール達の方へと向きを変えて駆け出していた。
(うわ、ちょっと、これ……)
アストールはそれを目の当たりにして、直感的に危険を予知する。
厄介ごとに巻き込まれたくはない。
だが、アストールとしては、この状況を目にして黙って見過ごす訳にもいかなかった。
(いくら、俺が隠密行動してるからって、こんなの見て見ぬふりはできねーよな)
騎士として弱者を助ける事、それが自らに課せられた使命。そして、何より騎士としての模範的行いであり、師より叩き込まれたことだ。
面倒事に巻き込まれたくないという気持ちとは裏腹に、既に体は動こうとしている。それに気づいてアストールは覚悟を決める。
そして、従者一同に顔を向けていた。
「みんな、ちょっと厄介ごとに首突っ込むけど、いいかな?」
アストールが聞くと、全員がそれぞれに反応を示す。
ジュナルは黙って頷き、メアリーはやれやれと首を振る。レニは真剣な目で彼女を見据える。
「異論は、ないわね」
アストールは笑みを浮かべると、すぐそこまで迫ってきていた少女に対して歩みだしていた。相対する二人の距離はあっという間に縮まる。
「あ、あの! すみません! 助けてください!」
子どもはアストールの腕にしがみつくなり、息を切らしながら助けを求めて来ていた。
予想していた通りの出来事が起こり、アストールは小さく溜息を吐いていた。
「なんで、追われてるか知らないけど、いいわ」
アストールは子どもを庇うようにして、後ろに移動させる。
その時、少女はアストールを見て、問う。
「その、助けを求めておいて、難なのですが、こんなにあっさり助けてくれるもんでなのですか?」
少女が疑問を持つのも無理はないだろう。アストールはどこからどう見ても、ただの粋がった小娘に過ぎない。なおかつ、このルショスクであっさりと助っ人を捕まえられるとは、少女も思ってもみなかったのだ。
「貴方みたいな子どもに助けてと言われて、無視するわけにもいかないでしょ」
アストールはそう言うと、優しく少女の手を握っていた。
そうしている間にも、追手の男達がアストールの元に駆けつけていた。
男達は足を止めると、アストールの手前まできて、笑みを浮かべる。
「け、手こずらせやがって。おい、あんた、その小娘をこっちにわたしてくれねーか?」
男の一人がアストールの前までくると、後ろに隠れる少女を出すように要求していた。どんな事情があるかはわからないが、ただ、単に彼女を差し出す訳にもいかない。
アストールはとりあえず、男の身なりを見ていた。
男の腰に帯びている剣はそれなりの長さがあり、一般に騎兵たちが馬上で使うようなロングソードとみていい。この手の剣は肉厚もあり、対妖魔戦の時には刃毀れもしにくいという理由からか、探検者達の中では一般的な武器でもある。
それぞれに胸当てや胴当てを身に着けていて、統一感はない。そこから見ても、彼らが探検者であることが分かる。
「まあ、いきなり来て、その物言い。全く、ルショスクの人間は女性に対する口の利き方を知らないのかしらね?」
腰に手を当てたアストールは、男に面と向かって言い返す。
高圧的な態度をとれば引き下がるとでも思っていたのだろうが、生憎アストールは修羅場を潜り抜けてきた猛者だ。たかだか男一人の脅しに屈するほど軟じゃない。
「なに?」
「そんなことよりも、なんで、この子が必要なの?」
アストールの率直な質問に、男達は一瞬だけ表情を曇らせる。だが、それもすぐに彼らの剣幕にかき消されていた。
「てめえには関係ねーだろ。大人しく差し出せ! さもないと」
「さもないと?」
アストールが真正面から男を見据えると、男達は彼女をなめ回す様に見てから下品な笑みを浮かべていた。
「痛い目見るぜ?」
明らかに男が女を悪い方向に意識してみる目。それにアストールは頬をヒクつかせながら、引きつった笑みを浮かべていた。
「あら、結構な事いいますのね?」
目を向けられるだけでここまで悪寒を感じたのは、いつぶりだろうか。久々の感覚にアストールは相手に対して、容赦しない事を誓う。
腰の剣に手をかけるなり、抜刀して剣の平刃の部分で一閃する。腹部を剣の刃の平部分で思い切り叩かれた男は、唾を吐きながらその場に蹲る。
ちょうど頭頂部が胸の前ほどの高さまで来たのを見て、アストールは剣の柄で首筋を叩きのめす。あっという間に一人の男が地面にひれ伏していた。
「今なら、全員五体満足のまま帰したげるけど? 死にたい人からかかってきてもいいのよ?」
アストールは余裕たっぷりに倒れた男の頭の上に足を乗せ、剣の切っ先を男の頸椎に突きつける。男達は一瞬の出来事に、その場で一斉に得物を抜いていたが、流石に人質を取られてか身動きできない。
「まあ、どっちでも良いんだけど? 今、私、すこぶる機嫌がよくないのよ! イライラしてるし! わかる? この気持ち?」
アストールは笑顔のまま、男の首筋に刃を少し力強く突き立てる。
薄らと皮膚を切られ、赤い血液がたらりと首筋を伝う。
アストールが本気なのを見て取ったのか、男達は顔を見合わせていた。
「どうするの? ここで引き下がる? それとも、皆ここで死ぬ? ええ!? 早く決めろ!」
いつになく苛立ちを隠せないアストールを前に、男達は結論を決めあぐねている。後ろに控えているメアリー達は、じっと男達の決断を見守っていた。
「……ま、待て、分かった。そいつには手を出さないでくれ。その子は諦めるから」
男達は手に持っていた剣を腰に仕舞う。
「なら良いんだけどさ……。さっさとこの雑魚の死に損ないを片付けて消えてよね」
アストールはその場から一歩二歩と下がっていき、少女を背中に匿うようにして男達を見据える。男達は倒れた男を数人がかりで抱えると、その場を立ち去っていく。
アストールはその時、もれなく男達に睨み付けられていたが、彼女が睨み返すと、男達は目をそらしていた。
「全く、小物風情が……」
小さな子どもを追い回して、一体どこに連れて行こうというのか。
もしも誘拐なら、なおの事、見逃すわけにもいかなかった。
アストールは後ろで隠れていた少女に向き直ると、剣をその場でしまっていた。
「大丈夫かしら?」
アストールが優しく聞くと、フードのついた外套を被る少女は、小さくうなずいていた。
「は、はい。ありがとうございます。この恩、どうやって返せばいいのか……」
たじろぐ少女に対して、アストールは笑顔を浮かべる。
「いいの、いいの。これも仕事だから。それよりも、あなた、ご両親とか親族は近くにいないの?」
ごく当然の質問だ。これだけ小さな少女であれば、近くに親族がいて当たり前。保護者と思しき人物に早急に送り届けなくてはならない。
だが、少女はアストールの質問を聞くと、なぜか慌てていた。
「え、あ、あの、今日は私一人でここに来たんで、近くには誰もいません」
たじろぐ少女を見て、アストールは思う。
(やっぱ、何かわけありか……)
疑わしいと言わんばかりに、少女を見ていると、彼女はアストールに一礼する。
「あ、あの! ありがとうございました! 私、急ぎの用事があるので、これで失礼します!」
そう言うなりアストールの目の前からそそくさと、背を向けていた。そして、足早に早朝の町の中へと消えていく。
「気を付けるのよ!」
アストールは後ろ姿を見送り、その背中に声かけていた。その横にメアリーが弓寄ってきて、アストールに対して聞いていた。
「ねえ、少し、怪しくない?」
実際問題として、あの少女が怪しいのは確かだ。
いくら辺境の町とはいえ、早朝からあんな風に男達に追われることなどないだろう。男達が用意周到に少女を追い回していたと考えた方がいい。
「あまり、厄介ごとには首を突っ込まぬことですぞ」
反対側からジュナルが現れて、二人に釘をさす。あくまでアストールの任務はルショスクに潜んでいるであろう黒魔術師の確保だ。
余計なことに労力を使うよりも、さっさと黒魔術師の確保という任務をすませなければならない。何よりも相手があのゴルバルナである可能性もあるのだ。
アストールとしても、無駄な事には時間は割きたくはない。
彼女は走り去っていく少女を呼び止めることなく、そのまま見送っていた。