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ルショスクの悲劇 1


 草原が終わりを告げたと思えば、次は永遠と続く深い森。この間にすれ違った行商人は何人いただろうか。辺境ということもあってか、あまり商人達もここには来ない。

 森は奥に進むに連れて、どんどんと外気温は下がっていく。標高が高くなっている証拠で、暗にルビャンスカ山脈に近づいていることを示していた。

 そのルビャンスカ山脈の麓付近には、小さな城下町がある。


 それがルショスクだ。


 人口も1万人に満たない小さな城下町。

 だが、小さいながらもその景観は山脈と連なって美しく見える。

 空気が澄んでいて、普段は霞んで見えないルビャンスカ山脈の最高峰フィンギグア・ギガスコラ(巨人の指)が、灰色の地肌を白く雪化粧しているのが見えた。


「空気が澄んでて気持ちいい。それに水も美味しいし、何よりこの霊峰が何とも言えないほど綺麗ね」


 メアリーが伸びをしながら、斜面となっている街の目抜き通りを歩いていた。夏にも関わらず、山頂付近は真っ白に雪化粧している。

 それだけではない。

 真夏の太陽の日照りに当てられても、まったく暑くない。


「あの平原と森林が嘘みたいだ。過ごしやすいな」


 平原では青々と茂った背の低い青草が茂り、降り注ぐ日光がカラッとした暑さを感じさせた。それが3週間ほど続いた。かと思えば、突如森が地平線の向こう側に現れる。一行は深い森の中に続く道を進まなければならなかった。


 森の中は木々が生い茂り、日照りはしなかった。だが、森林地帯に入ったばかりの場所は、低地にあるせいかかなり湿気を含んでいて、その場にいるだけでも汗が滴り落ちるほど蒸していた。


 それも三日ほど進めば、和らいでくる。進むに連れて徐々に標高が高くなっていき、四日目には日中でもかなり涼しくなって、過ごしやすくなっていた。そのせいか夜になると肌寒さを感じるほどに気温は低下する。


 この寒暖差にアストール達の体は、すっかり疲労していた。


 唯一の救いは森の中を進むに当たって、結構な割合で村に遭遇したことくらいだろう。ルショスク近郊から伸びる商業用道路の近くには、ルビャンスカ山脈の雪解け水が元になっている川が流れている。ここには小魚もいて、水は済んだ硬水でのど越しがいい。


 アストール達はそんな水を飲んで、感嘆してしまうほどだ。

 うまい水の周囲には自然と人の集落が出来上がるというが、この森はそれを如実に表していた。

 商業用道路はこの小川に沿うようにして続いていて、その道中に多くの村々が点在していたのだ。


 そうして、ようよと森を抜けると、綺麗な高原地帯が広がっていた。牧草地とも呼べる青草を、放牧している家畜が貪り食っている。その光景は街にはない長閑さがあり、時間もゆっくり進んでいるように感じる。


 小鳥が囀りをあげ、高原に木霊する。


 アストール達の旅で疲れた体に、癒しの空間を提供していた。

 森を抜けてからも、一行の旅はまだまだ終わらない。高原を進んでいくと、ルビャンスカ山脈が姿を現していた。

 首都や近くの主要都市からはかなりの距離がある。どちらにしろ、あの草原と長々と続く森、そして、この高原を抜けなければ、ルショスクには辿り着けない。


 行商人がここを訪れない理由も納得がいく。

 お偉方が来るとしても避暑地として、どこかの貴族様が訪れるくらいだろう。

 山脈の向こうには、すぐにハサン・タイが隣接している。だが、この山脈を越えて来れるような軍隊は存在しないだろう。

 霊峰と呼ばれるほどだ。

 道中は危険な道が多くある。麓の道とは比べ物にならないほどに細い道は崖の際にあったり、溶ける事のない山脈中部の凍土地帯には、クレバスも多数存在している。道なき道には、悪魔が住み着いていると地元では伝承が残っているほどだ。


 よほどの物好きでなければ、ここを登山しようという者はいないだろう。


 万に一つの可能性として、ハサン兵の一群がこの山を越えたとしよう。だが、その頃には、兵士たちは戦う気力等持ち合わせていないだろう。

 そんな険しい山脈の入口とも言うべき、山道の麓にある街、それがここルショスクだ。


「ようやく長旅も終わったし、酒場にでも行きたいな」


 アストールは傾斜のついた目抜き通りの中を、背伸びして横目で小さな酒場を見る。


「アストール。まだ、ルショスクについたばっかりでしょ?」


 横目で注意するメアリーに、アストールは苦笑していた。


「あぁ、ごめんごめん。でも今回、移動があんまりにも長すぎたからな……。もちろん、任務は忘れてないさ」


 アストールも自覚なしにここに来ているわけではない。

 今回はかなりの長旅に加えて、今後はここに長期滞在するかもしれない。

 それを考えてか、ジュナル、エメリナ、レニ、コズバーンには宿で休むように命じていた。

 だからこそ、メアリーと二人で峰の麓にある城まで続く、石畳の道を歩いていく。


「にしても、妙だな……」


 アストールが周囲を見回して、怪訝な表情を浮かべる。


「何が?」


「昼間なのに人っ子一人いない。それどころか、酒場以外どの家も窓も戸も全部閉めきってる」


「確かに……」


 いくら廃れているとはいえ、人の一人や二人が出歩いていてもおかしくはない。だが、誰一人としてすれ違わない。そんな異様な不気味さが漂っていた。


 ここルショスクを治めるのは、齢60を迎えたヴァリシカ・ゲリンヴィチ・ブルゴーニュ公爵である。


 ブルゴーニュ家は代々この地を治めてきた家柄で、かつてはこの地にあった小さな公国の大公をしていた。だが、これも数十年前におきたヴェルムンティア王国の戦いに敗れ、併合合併されて、今では王国の一属領に成り下がっている。


 小国とは言え、一時は山脈から魔鉱石や鉄鉱石が多数取れたため、莫大な富を手に入れていた土地だ。それゆえ、ルビャンスカ山脈には、未だに多くの廃鉱山があり、そこには多くの妖魔が住み着いているともいう。


 今では一時の栄華を誇っていた面影はない。


 大陸中央にある山脈より良質で安い鉄鋼脈が発見され、ルショスクの鉄鋼は価格競争に勝てずに廃れていったのだ。

 ここから主要都市までは陸路しかなく、何よりその距離が遠すぎる。そして、運べる量もさほど多くない。それでも、一時はここからかなりの量の鉱石類が大陸全土に行き渡っていた。

 それとは対照的に中央の鉱脈は港も近く、道路は整備されて大型の荷馬車も通れるようになっている。

 何より、鉄鋼供給する主要都市の距離が格段に近い。

 こうなると、価格競争で負けてしまうのは、目に見えていた。

 そうは言っても、ルショスクの人々は何も策を講じることができなかった。できるとすれば、中央鉱脈の鉄の値上げを、王国に打診する程度。それもあえなく却下され、今に至る。


 悲惨な歴史に哀愁漂うルショスク城の前まで来た二人は、その異様な雰囲気に息をのんでいた。


「ここって、人がいるのよね?」


「え? ああ。のはずだが」


 メアリーが怪訝な表情をして、アストールに聞いていた。

 城壁はボロボロに崩れ、修繕された所もちらほら見えるが、その殆どが壊れたままだ。

 外城壁こそ綺麗だったが、内城壁は見る影もない。辛うじて城門のみが、鉄柵と扉が開れていて、人がいる雰囲気を出している。


「ここ、幽霊でそうだな……」


 アストールが呟くと、メアリーが顔を引きつらせていた。


「ハハハ、冗談はよしてよアストール」


 二人はそんな会話をしつつ、断崖絶壁の壁と、町を見渡せる崖の間にあるルショスク城へと足を踏み入れていた。城門には二人の番兵が居て、アストールとメアリーを見てすぐに二人を呼び止めていた。


「誰か!?」


 尖塔の様な独特のヘルメットが特徴的な、ルショスクの番兵。髭を生やしていて、青い瞳がぎょろりと二人を見据える。それに臆することなく、アストールははきはきと答えていた。


「エスティナ・アストール代行近衛騎士です。ブルゴーニュ公爵との謁見の為に馳せ参じました」


 恰好こそ近衛騎士の格好だが、二人は少女と見間違えられても仕方がない。兵士二人は余計に訝しみながら、二人を問いただしていた。


「それは本当か? 証拠はどこにある?」


「な、ほ、本当ですよ! 何を疑う必要があるのですか!? 近衛騎士にしか与えられない肩掛と腰巾着、これが私が近衛騎士である証拠です!」


「だが、その年で近衛騎士、しかも女がなるなど、如何程に信じられるものではない。何か書状を持っていないのか?」


 恰好だけでは信用しようとしない番兵。城を預かる番兵としては優秀ではあるが、国王の遣いともなる近衛騎士をここまで疑うのは、逆に失礼極まりない。

 アストールは懐より書面の入った丸筒を取り出すと、番兵に手渡していた。

 番兵は書面を確認して、国王の直筆サインと勅印を確認してようやく二人を認めていた。


「ふむ。確かに……。入るがいい」


 番兵は二人に書面を返すと、城門内に入るように促していた。

 アストールとメアリーは城内に入ると同時に、その異様な光景に目を丸くしていた。

 至る所に真っ黒に焦げた木と高熱で変色した石畳があり、城に至ってはありとあらゆる場所が損壊している。まるで、ついこの間まで大きな戦争でもあったかのようだ。


「酷い、有様ね」


 メアリーが呟くと、アストールも同じように城の敷地をみて呟いていた。


「ああ。街は綺麗で治安が保たれているのに、なんで、城だけこんなに酷い事に……」


 街自体は至って損傷もなく、外から妖魔の侵入を阻む外城壁は全く損傷していなかった、


「本当に……。まるでドラゴンにでも襲撃されたみたい……」


 メアリーの呟きにアストールは、はっとなっていた。


「ドラゴンか……。もしかして、ゴルバルナが本当に襲撃を……」


 アストールはゴルバルナに近づけたかもしれない事に、少しだけ胸を躍らせていた。


「でも、そうとは限らないしね」


 メアリーが呟くのを聞いて、アストールも冷静になる。

 いくらゴルバルナとはいえ、あそこまで完璧に隠れていながら、態々足を付けるようなことをするだろうか?

 考えられるのは、他の可能性だ。


「上級妖魔か……」


 妖魔の中でも知性を兼ね備え、魔法を操り、強靭な肉体で人を八つ裂きにする。黒魔術師と契約して、使い魔にもなるという上級妖魔。


 想像しただけでも寒気がする。同時に嫌な予感が頭を過ぎっていた。


(面倒なことにならなきゃいいが……)


 アストールはそう願いつつ、とメアリーと共に早足に、ルショスク城へと向かっていた。そうして、城内に来たアストール達は番兵に案内され、一直線に城主の元へと通されていた。


 領主の謁見の間には、足腰のしっかりとした老人が玉座に座っていた。

 だが、目の下には熊ができ、彫り深きがより一層憔悴しているのを強調していた。


 何より、彼は二人を見た瞬間に、小声でこうつぶやいていた。


「ヴァイレルめ、辺境領には小娘二人で十分という事か……」


 耳が敏いメアリーはこの小言を聞き逃さなかった。


「遠路よりはるばるご苦労……。諸君らが王都より使わされた近衛騎士か?」


「は! 近衛騎士代行エスティナ・アストールです。こちらは従者のメアリーです」


 二人は敬意を払って礼をすると、ヴァリシカは小さく溜息をついていた。


「卿ら以外に近衛騎士は来ていないのか?」


 あからさまに不満そうにするヴァリシカに、アストールは怪訝な表情を浮かべていた。


「はい。遣わされたのは私と、私の従者一同のみです」


 その言葉を聞いたヴァリシカは、頭を抱えてその場に項垂れていた。


「ああ……。もう終わりだ。ルショスクは滅びても構わんというのだな……。憎きヴァイレルめ!」


 今一状況が呑み込めないアストールは、ヴァリシカに聞き返していた。


「どういう事ですか?」


「昨今、近くの廃城にヴェヘルモスが住み着いたのだ! それを討伐に軍を編成して向かわせたのだが、全滅! 一週間ほど前に報復にこの城を攻撃してきたのだ!」


 ヴァリシカは頭を抱えながらも、どうにか答えていた。その弱々しい声に威厳はない。あるのは、このルショスクが滅びるかもしれないという怯えの色だった。


「あ、あの、聞いていた話と違うのですが……」


 アストールは黒魔術師の猛威を調査するために遣わされたのだ。上級妖魔がいる事など聞いてもいなかった。


「ん? どういう事だ?」


 怪訝な表情を浮かべるヴァリシカは、二人を見つめていた。


「私は黒魔術師が猛威を振るっていると聞いて、派遣されたのです」


「何? 黒魔術師? 私は一言もそのような事は言っておらん。キリケゴール族の人攫ひとさらいを解決してくれと、打診はしたが……。まさか、卿らはその打診の返答を……」


 ヴァリシカはハッと我に返って、アストールに聞いていた。


「え? あ、この書状をお読みください」


 アストールは丸筒を取り出すと、ヴァリシカに渡す。彼は書面を見るや、手に力を入れて小刻みに震わせていた。


「な、なんたる侮辱か! 私はキリケゴール討伐の軍をこちらに寄越せと申したのに! 来たのは頼りない小娘二人! しかも、この事件が黒魔術師の可能性が高いだと! ええい! くそお!」


 ヴァリシカは書面をくしゃくしゃに丸めて、放り捨てる。

 その顔は真っ赤に紅潮していて、とても声を掛けられる状態ではない。


「……ただでさえ、得体のしれない妖魔がうろついているというのに! 加えてヴェヘルモスまでもが、このルショスクを狙っておるのだぞ……。なぜ、なぜ本国は我が領内に軍を差し出さんのだ……」


 ヴァシリカの感情は一転して沈みだす。絶望に打ちひしがれ、暫し動きを止めていた。

 意味深な発言を聞いて、アストールはヴァリシカに聞き返していた。


「このルショスクで、一体何が起こっているのですか?」


 アストールの言葉にヴァシリカは、静かに現状を語りだしていた。


「ここ数ヶ月で領内の人、軍民問わず行方不明者が続出している。それに加えて食人妖魔も森の中に出没しているというし、最期にはヴェヘルモスの様な上位妖魔がルショスク内に現れる始末だ……。もはや私にはなす術もない」


 諦め気味な口調でヴァリシカは、自領の末期的な状態を憂いていた。彼は天井を仰ぎみると、その疲れた眼で一点を見続ける。


「なぜ、神はこうも我らルショスクの民に、こうも絶望をお与えになるのだ……」


 ヴァリシカはそのまま頬から涙を流し、二人を見据えていた。


「取り乱してすまない……。貴公らが来てくれたことには感謝する。だが、所詮は近衛騎士一人、しかも女性の貴公らが来た所で何が変わろうか……」


 ヴァリシカは別段彼女たちを侮辱したつもりはない。だが、彼の言葉を聞いたメアリーは、激昂して叫びそうになる。それをアストールは冷静に手で制する。


 いくら相手が無礼な事を言おうと、ここはヴァリシカの領域内だ。下手に食いついてしまっては後々の事を考えると色々とやりにくくなる。


 女と馬鹿にされること自体に腹を立てていたが、それも仕方がない。

 アストールはこみ上げてくる怒りをぐっと抑えつつ、慇懃に頭を下げていた。


「それでも我々は近衛騎士です。できる事があるならば、手伝わせてください」


 アストールの健気な言葉に、ヴァリシカは苦笑して見せていた。


「そうか。そこまで言うのであれば、お前たちにはキリケゴール族による人攫いの件を任せよう。選任のルスラン・ヴェスヴィチ・アレクセイを訪ねるがよい」


 ヴァリシカの言葉を聞いて、アストールは上級妖魔のことを気にかける。もしも、ここに来て、上級妖魔の討伐まで命じられると、それこそ厄介事に首を突っ込むどころの話ではなくなる。


「その他妖魔と、ヴェヘルモスについては如何様になさいましょうか?」


「卿らは気にせんでよい。私でどうにかするしかないのだからな。私もそろそろ行かねばならぬ。これにて謁見は終了だ」


 ヴァリシカは絶望感と悲壮感を漂わせつつ、立ち上がっていた。絶望からかその足取りはおぼつかない。二人を置いて、そのまま謁見の間を出ていく。その衰えた痛々しい姿をみたアストールは、ヴァリシカを悲哀の視線で見送った。


「メアリー、行くぞ」


「え? あ、ああ。うん」


 アストールが踵を返して玉座に背を向ける。メアリーもすぐに彼女かれの後に続いていた。

 二人は玉座を後にして、ルスランの元へと足を向かわせるのだった。




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