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辺境領の異変 3


 西日が地平線上に近付き、青かった草原は真っ赤に染め上げられる。

 焼けるような紅はあと一刻もたたぬうちに、漆黒の闇へと姿を変えるだろう。

 草原の何もない光景には飽き飽きとしていたが、この夕暮れだけは何度見ても美しいと思える。また、これが一日の終わりを告げているためか、どことなく哀愁さえ感じさせた。


 そんな、幻想的な自然の光景を前に、アストール達一行は、道の路肩にあるちょっとした広場に馬車を止めていた。


 草原の青い草の上に、旅路の途中の村で買い付けたむしろを敷き、その上に座って焚火を囲む。それがこの草原での野宿の方法だ。

 昼が過ぎてから、数刻すぎてからは野宿に適した場所を探し、夕食を全員で協力して済ます。そして、夕暮れ前には全員が野宿する準備を完了させる。


 野営するときの基本は、肉食動物や妖魔、盗賊などに警戒するために、常に一人は歩哨に立っている。交代でそれを行い、夜が明けるのを待つ。


 それが彼らの日課となりつつあった。


「それにしても……。本当に遠いわね」


 メアリーは揺れる焚火の炎を見つめ、この先も続く旅路を憂いていた。

 隣に座っているレニも、小さくため息を吐いて同意する。


「全くですね。従者になってから、遠くに行くことがありましたけど……。国境沿いまで行くなんて、初めてです」


 レニはメアリーの横で、小さく蹲って篝火を見つめていた。


「へー。そうなの? じゃあ、従者になる前はずっとヴァイレルに居たの?」


「え? あ、はい。出身もヴァイレル近くの小さな村ですし、神官になるための神殿もヴァイレル近くです。それに修業中は神殿から出る暇もありませんでしたし、修業が終わって神官戦士に任命されてから、すぐにエスティナ様の所に行きましたから……」


 地味に苦労していそうな過去を語るレニに、メアリーは苦笑する。


「そうなの。大変だったのね」


「村の皆を見返すために、何より男らしくなって見せるためにも、僕が選んだ道です。後悔はしてません!」


 レニのしっかりとした答えを聞くも、メアリーにはやはり、どうしても引っかかってならない。


「村で何があったの?」


 メアリーの問いかけに、レニは表情をくぐもらせて答える。


「昔から、僕、女っぽいって言われてたんです……」


「へー」


 彼の容姿を見れば、別段驚くことでもない。むしろ、女の子と茶化されていなかったと言われた方が驚くだろう。


「でも、今の神殿の神官長がやってきて、僕の才能を見出してくれました。だから、これからは女男って馬鹿にされないくらいに立派な男になるって決めたんです」


 決意を燃やした瞳は、情熱に燃える男の目そのものだ。だが、その容姿だけはどうしようもない。いくら目だけが男であっても、顔全体から出る女性の様な雰囲気はどうしようもない。


「でも、まだまだ、目標の男には程遠いわね……」


 辛辣なメアリーの一言に、レニはシュンと顔を下げる。


「やっぱり、そう思われますか?」


「うん。だって、顔の周り全体を覆ってるその白い修道着だと、レニの顔つきじゃ、どう頑張っても女の子だし」


 メアリーの言葉に対して、レニは完全に落ち込んで見せていた。


「やっぱり、そう見えるんですね……」


 できるならば、自分の顔、変えられるならもっと男らしいものへと変えてみたい。だが、そんな事は現実問題として、不可能である。


 そんな二人の会話を他所に、道の端では甲高い声が響き渡る。二人は何事かと目を向ければ、そこには剣を抜いたアストールが、エメリナに向けて斬りかかっていた。


 気合の入った声を張り上げ、正面からの袈裟懸け、続けて切り上げて、突き上げ、そのまま横なぎ。アストールの連続攻撃を前に、エメリナは真顔で全ての攻撃を、身軽さを生かして避けきる。


 アストールはそこから後ろにステップを踏んで、エメリナを見て息を整える。


「本気で打ち込んでみたけど、全然、当たらない……」


 上がりつつある息を整え終えると、アストールは剣を鞘に納める。

 エメリナは彼女かれを前に、微笑みを浮かべていた。


「まあ、一応、最初に動きは見せて貰ってたし、洗練された動きだけど、見切れないこともない。ま、太刀筋に殺気がなかったからってのもあるけどね」


 エメリナはさらっと自分がギリギリな事をしていたと、アストールに告げていた。


「やっぱり太刀筋甘かったのかな?」


 アストールは苦笑してエメリナに聞く。


「そんな事ないよ。これなら、そんじょそこらの賊なんか目じゃないよ」


 エメリナの言葉にアストールは、ふぅっと息を吐く。


 近衛騎士となってから、まさか、師匠以外の人間から武術を学ぶことなど考えることもなかった。だが、今は女だ。かつては無敵の強さを誇っていたあの男の体とは、似ても似つかない。

 力は格段に落ちていて、筋肉もなかなかつかない。例え鍛えて筋肉をつけたとしても、この骨格ではかつての肉厚な大剣は振り回せないだろう。


 女の体となってからは、明らかに力不足を感じていた。

 筋肉もまともにつかない上に、扱える得物も限られている。


 そんなアストールの悩みを解決してくれたのが、目の前に立っているエメリナだった。


 彼女は今まで盗賊稼業をこなしてきている上に、あの王城では衛兵をいとも簡単に倒した。いくら油断していたとはいえ、女の身で大の男を倒すことなど容易なことではない。


 そこでアストールはエメリナに、彼女の武術を習えないかを聞いていた。


「まずは私の動きに慣れてもらわないとね」


 エメリナは笑みを崩さずに、アストールを見据える。

 彼女の動きは騎士の愚直なまでに真っ直ぐな動きではない。正面に立っていても、攻撃はなぜか一つも当らない。確かに捕えたと思ったのだが、悉く(ことごとく)、その一撃、一撃を全て軽やかにかわしていく。まるで、舞踏を踊っているかのように。


「にしても、そんな事、良くできるわね」


「こう見えても。武術に関しては結構、しごかれたんだよ。特に親父にね」


 笑みを浮かべて見せるエメリナを前に、アストールは再び剣を構えなおしていた。


「じゃあ、もう一回行くとしますか」


「いいよ。本気で来て!」


 エメリナは身構えると腰から短刀を抜刀し、アストールと向き合う。

 二人の視線が交錯し、辺りに静寂が訪れる。


「遠慮はいらないよ」


 エメリナが口を釣り上げると、アストールは真顔を崩さずに答えていた。


「元よりそのつもりだ」


 対峙したアストールは、剣を正眼に構えてみせる。

 最初に動いたのは、アストール。剣を構えたまま、静かに素早く摺足でエメリナに迫っていく。上段からの振り下ろし、軽く身をよじってエメリナは避ける。


 アストールは素早く距離を取ると、再び上段から剣を見舞う。

 細かな振り下ろしを繰り返すも、エメリナにはかすりもしない。

 そうかと思えば、アストールは不意に上段から振り下ろすかのように見せた袈裟懸けに近い横薙ぎをエメリナに見舞う。


 エメリナも不意を突かれてか、今まで攻撃を受けえていた時と打って変わって、目の色を変える。


 このままでは刃は彼女の胸部を捉え、命さえも奪いかねない。だが、エメリナは手に持った短刀で、その横薙ぎを受けて、その力を上手くほかの方向へと流す。


 それと同時に体を刃のリーチより抜け出させる。

 刃は彼女の体を掠めることさえなく、空を振った。エメリナの見事な受け流しは、アストールの手に刃と刃がぶつかった感覚さえ残さなかった。


 手に感触さえ残さない術、正に空を切った。

 まるで、魔術にでも掛かったかのようなエメリナの身の捌き。

 アストールは茫然となるよりも前に、意識をすぐに目の前に集中させた。


 それも束の間、彼女かれの目の前には、既にエメリナの短刀の刃が迫っていた。アストールは慌てて剣を構えなおそうとするも、首筋に刃が向けられ動きを封じられていた。


 存外にあっけない幕引き。


 それが一部始終を目の当たりにしたメアリーとレニの印象だった。


「勝負、ありってね」


 エメリナが意地悪い笑みを浮かべると、短刀を引いていた。アストールは引きつった笑みを浮かべると、剣を腰の鞘にしまう。


「……。やっぱり、動きがよめないな……」


 アストールは残念そうにつぶやいていた。

 落ち込むアストールを見かねて、エメリナは短刀をしまってやさしく声をかける。


「んー。まあ、最初に比べると、幾分かマシになってると思うけど……」


「けど?」


「本気で私の体術を体得するつもりなの?」


 このままでもアストールは、充分に女性の剣士としてはかなり強い部類に入る。実際の所、エメリナの独特な戦い方に対する処法を教えれば、充分に勝つことも可能な実力を有している。

 だが、それでもアストールには足りなかった。


「……。ええ。時間は掛かるでしょうけどね」


 真剣な眼差しを向けられ、エメリナは静かに溜息をついていた。

 アストールがこんな目をした以上は、意地でも体得するつもりだ。彼女かれの決意が変わらないのは、目を見ればエメリナにもわかる。


「わかったわよ……。さあ、続けよう」


 エメリナは短刀を抜き構えると、アストールもまた抜刀して身構える。

 二人の特訓は太陽が沈むまで、続くのだった。





 暗い闇が支配する森の中、一頭の人ともトカゲとも判別のつかないモノが、座り込んでいた。


(私はなんで、こんなになったんだろうか……。わからない)


 かつては綺麗だったあの指は、今はささくれて異様に太く大きく変化している。本来あるはずの綺麗な素肌は、肌とも鱗とも判らない硬い何かが何重にも重なって鎧のようになっていた。体中を覆うこの硬い表皮は、剣の刃さえ弾き返す。


 だが、それでいて、彼女の体は軽く、宙を舞うかの如く身軽に動くことができる。

 

(このままだと、絶対に元の姿には戻れない。それだけは絶対に嫌だ……。絶対に元に、元に戻りたい……)


 日に日に変化していく体に、意識さえ混濁しだしている。

 そのモノは焦っていた。

(あの人は戻りたければ、ああしろといった)


「モト、ニ、モ……ドル、ヒ、ヒヒト、タベ、ル」


 自らが発するしゃがれた声に、ソレは絶望感すら抱く。


(もう、人の言葉もろくに喋れない。でも、食べれば、元の、あの綺麗な体に戻れる……。だから……)


「ヒ、ヒヒヒヒ、ヒト、タ、ベル」


 どうにか咆哮をあげたいという欲求を押さえ、ソレは歩みだしていた。暫く歩けば廃墟の町につくだろう。森を徘徊するそのモノの眼に、森の中で呑気に焚き火を囲む男達が映る。


 男たちの身なりはバンダナをまいていたり、腰には剣をぶら下げていたり、軽装の皮鎧を身に着けていたりと、物々しい風を呈していた。


「へへ。今回も稼げあしたね!」


「おう、そうだな。まあ、殺しちまったら意味ねーからな。とりあえずは脅して、ちょくちょく金品要求してりゃあ、まずくいっぱぐれはしねえ」


 下品な笑い声がゲラゲラと森の中に響き渡り、ソレは吸い寄せられように音もなく男達に近付いていた。


「そういば、ここら、変な伝説のこってあしたよね?」


「あん?」


「人食い姫の伝説。あのベルソクフカの鉱山都市って、元々小国の城だったとか。そこに居た姫が、実は化け物で、夜な夜な人を食ってた伝説でさあ」


「なんだよ? それ」


「なんでも呪いをかけられた姫は、呪いを解くために人間を食べるって話だ。なんでも、化け物になると、竜みたいな顔付になって、全身が鱗肌になって、体も巨大化するとか……」


 男の一人が得意げに語ると、周囲に居た男達は再び大きな声で笑い始めていた。


「そんな事があるかっての! ここらじゃ、妖魔でさえ人間を食いやしねえ。ましてや、そんな高度な魔術を扱える奴は、もうこの時代にゃいねえよ。下らねえおとぎ話だぜ」


 男達はゲラゲラと笑い声をあげ、ソレに不快感を与える。


(食べル、私は、また人に近づいて、また、元の姿を取り戻せるから……)


 食欲を押さえつつ、ソレはそっと森の影から、音を立てずに姿を現していた。男たちはソレを見て、絶句していた。

 ある者は盃を落とし、また、ある者は手にもっていた肉をその場に落として、口を開けたままソレを見つめる。


 それもそのはず、彼らの目の前には、正に伝承の通りの魔物が目の前に立っていたのだ。

 鋭い黄色い眼光が、男達を捉えると、一人の男がその場で腰を抜かして地面に尻餅をついていた。


「ん? なんだ?」


 唯一ソレに背を向けていた頭目と思しき男に、周囲の男達がソレを指差していた。


「お、おかしら、後ろ……」


 一人の男が私を指差して、その男はゆっくりと顔をソレに向けていた。


「ん? う、うあわああ!」


 伝説など信じはしない。そう豪語していた男が、ソレを身て一瞬にして恐慌を引き起こす。


「ヒトオ! タベルウウ!」


 ソレがしゃがれた声で叫ぶと、男たちは我に返って剣を抜いていた。

 目の前の男も剣をぬこうとするが、そのモノの動きはそれ以上に早い。

 男は胴体を両手で掴まれ、完全に身動きが取れなくなっていた。男は必死でもがくが、既に無駄な抵抗だ。


(誰が死ノウと、関係、ない。元に戻るために、コレは必要ナコト!)


 ソレは裂けた大きな口を開けて、ゆっくりと男の方へと顔を近づけていく。その動作にはどことなく、躊躇している動きにさえみえた。


「お、お頭を助けろおお!」


 男達が一斉にソレに斬りかかっていた。

 男達は必死に剣を振るうが、剣の刃が表皮を叩くだけで傷一つつかない。


(無駄な抵抗。鉄の棒で、なんか、私、切れない)


 男達は必死に剣や斧を振るって、ソレの足元で抵抗して見せる。


「化け物がああ!」


「御頭あああ!」


 男たちの悲痛な悲鳴が、手の中にいる男の顔を余計に引きつらせた。

 しかし……。


(捕まえたこの男、食べる……)


「ヒト、モド……ル。モット、ニク、ニニニク、タベル!」


 人語を語るソレは、大きく口を開けて、男の頭に齧り付こうとする。


「うわあああああ!」


 断末魔の叫びが響き、ソレの手の中で体がビクビクと痙攣して見せる。

 勇敢に戦いに来ていた男達は、その光景を見て再び絶句していた。

 訪れた沈黙の中、骨の噛み砕かれる音が響き渡る。


(おいしい……。もっと、もっと食べる。ソレで、人間にモどる。絶対……)


 全身を黒い鱗の鎧で覆われたソレは、両手に収まっている男の体を一気に貪りだす。

 まるで、今まで我慢していた欲を満たすかの如く、口の中に男の体を放り込んでいた。


「ああ、ああ、あ、お頭……。お、おい、どうする!?」


「こ、こんな、化け物、敵うわけがねえ! 逃げるぞ!」


 恐慌を起こした男達は、一斉にその場から走り出していた。

 だが、もう、遅い。

 ソレは軽やかな身のこなしで、逃げ出した男達の背中を追い出していた。


 次から次へと背中をその鋭い爪で引き裂かれ、その場に突っ伏していく。

 ある者は尻尾で串刺しにされ、ある者は体をその口で引き裂かれる。

 正にそれは凄惨を極めた。


(ニガ、さない。食べてやル。から、モドる……。ウマイ、ニク、ニンゲン)


 森の中に咆哮が響き渡り、静寂な森の中に次々と男たちの屍が転がりだす。瞬く間に全ての獲物を、ソレは狩り終えていた。

 

(お腹……。スイタ……。タ、べる)


 静寂な森の中、食事を行う生々しい音のみが、闇の中に響き渡り始めるのだった。


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