辺境領の異変 2
肌を焦がすようなキツイ日照りが降り注ぎ、何もしなくても顎から汗が滴り落ちる。
ここが大陸北方地域であることも忘れてしまうほどの暑さに、アストール達一行は疲れ果てていた。
「アストール? まだ、なの?」
「分からねえよ……。まだじゃないんですか?」
メアリーの問いかけに暑さのせいか、つい口調が男になりそうになる。それを抑えて答えつつ、アストールは青々と茂った草原を見渡していた。ただっぴろい草原が永遠と続き、綺麗な地平線が見える。そんな美しい草原を商業道路が一刀両断して永遠と続いている。
道の駅とも呼ばれているククェルまでは、かなりの距離がある。
昨日出た村では幸い宿がとれて、ベッドとシーツの上で眠れたが、今夜はどうやらこの広大な草原がベッドとなりそうだ。
「エスティナ~? 馬車の中の日陰は涼しいよ? 交代する?」
馬車から顔をひょっこり出すエメリナに、アストールは苦笑していた。
「いいよ。主の私が馬から降りてるのを商人に見られたら、笑いものだ」
アストールはエメリナの気遣いを嬉しく思いつつも、カラッとした空気に晴れ渡る空から降り注ぐ日照りを憎く思う。
ヴェルムンティア王国の北東部中央地域に広大な草原が広がっている。ここを抜ければ森林地帯があり、更に東に行けばハサン・タイから自然の防塁の役目を果たしているルビャンスカ山脈がある。
アストール達が向かう目的地はそのルビャンスカ山脈の麓にある歴史の古い城下町ルショスクだ。
「にしても、いくらゴルバ関連だからって、王都に留まらずに向かうのも急ぎすぎじゃない?」
メアリーの問いかけに対して、アストールはすぐに言い返していた。
「少しでもあいつに近づけるなら、行くしかないだろ」
馬車で手綱を握るジュナルが、アストールに言っていた。
「そうですな。拙僧もエスティナ殿の言う事は分かる。とはいえ、王都に帰還してから日もたたぬ間に出発というのは急ぎすぎとも思いますがな」
王国最東部にあるルショスクで黒魔術師が猛威を振るっているという。その真偽の確認と真相の究明。可能であれば犯人を捕まえる。という緊急任務の命を受けていた。
そこで、アストールは従者が旅の準備をしたままという事もあってか、軽く下準備をさせると、馬車と馬を交換して王都到着後、三日目には出発していた。それに従者一行は不満を漏らしつつも、彼女の言う事に従っている。
アストールがそういう行動に至ったのには、やはりゴルバルナが関係している可能性がある。この一点が大きかった。
「皆にはすまないと思ってる。でも、ゴルバを見つけられる可能性が少しでもあるなら、急がなきゃいけない」
本当の事情を知らない人が見れば、兄思いの良い妹である。だが、真の所、自分の体にかけられた呪いを解くために他ならない。
「はぁー。ま、早くエスティオが帰ってこないといけないしね……」
「そうですな……」
静かに同意するジュナルに、メアリーはなぜか少しだけ残念そうに溜息をついていた。
「そう言う事!」
アストールは笑みを浮かべると、再び草原を見据えていた。
自分の向かう方向、ゴルバルナが王都より飛び去った方角だ。
確証はないが、ゴルバルナが逃走して辺境で猛威を振るうとなると、それも合点はいく。
「それにしても、今回、ウェイン殿の護衛を断ってしまってよかったのですかな?」
ジュナルが心配そうに、アストールに問いかける。
「ウェインに頼りっ放しじゃいけないでしょ。それにこれ以上迷惑かけたくないし」
アストールの言葉にジュナルは静かに同意する。
「ふむ。そうですな」
だが、ジュナルは見透かしていた。それがアストールの本心ではないことを。
(これ以上後輩に頼ってられるか! かっこ悪い!)
これ以上ウェインに頼るのは、アストールのプライドが許さなかった。屈辱の敗北宣言に始まり、そこから色々と彼が助けてくれたことには、アストールは深く感謝している。
だが、女性になった当初と比べ、今は格段と戦力が上がっている。
怪物男コズバーンに、天才神官戦士レニ、優秀な元盗賊エメリナ、そして、弓の達人メアリーと王国一の魔術師ジュナル。これだけ仲間がいれば、ウェインに頼るまでもない。
「それにウェインの出世コースを邪魔したくない。あいつは私の護衛だけで止まっている騎士じゃないんだ」
ウェインは新人近衛騎士の中でも、特に優秀な騎士だ。だからこそ、自分の護衛に止まって貰っては困る。もっと上に行き、将来近衛騎士を引っ張るべき人物だ。アストールは自分が不真面目だったからこそ、余計にそう思えてならなかった。
「珍しい。アストールが他の騎士を認めるなんて……」
「これは嵐でも来そうですな」
メアリーとジュナルが口々に普段のアストールからは信じられないと言いたげに彼を見る。
「私だって近衛騎士。べ、別に他人を真っ向から否定したりしません!」
アストールは男口調になるのを押さえつつ、二人に言い返していた。
「そうだったかしら?」
メアリーが疑わしき視線を向けると、アストールはバツが悪そうに目をそらしていた。
まだ、体が男だった頃、世俗に入り浸り、堕落していたアストールを周囲は嫌悪していた。それと同じように、アストールもまた、同僚の近衛騎士や周囲の騎士、貴族を毛嫌いしていた。
唯一彼が友人として心を許していたのは、同期の近衛騎士のゲルハルトくらいだった。例え、どんなに優秀な騎士が目の前にいようと、その騎士を認めたりはしなかった。
(女性になってから、急に成長しましたな……)
ジュナルはアストールに直接その言葉をかけられず、もどかしくも嬉しく思う。彼の両親からは、もしも自分達に何かあった時は、お前が親代わりになってくれ。そう懇願されていた。また、ジュナル自身も救ってくれた恩を返すためにもエスティオを育ててきた。
何よりも、彼自身、両親を失ったエスティオを見捨てることはできなかった。だからこそ、アストール家の従者として、エスティオの世話をしてきたつもりだ。
エスティオは一時、堕落した生活をしていて、誰も受け入れようとはしなかったのが、今ではそれが嘘のようにさえ思える。
一人上機嫌なジュナルは、馬車の手綱を握ったまま笑を浮かべていた。
「ジュナル、なんで笑ってんの?」
メアリーが笑顔の理由を聞いてくるが、詳しくは答えられない。答えてしまえば、エスティナが元は男であったことがバレてしまう。
「拙僧の仕える主人の成長を喜んでおるのですよ」
あくまで当たり障りのなく答える。
「なるほどね」
メアリーもまたその本心を見抜いたのか、納得していた。
「さっきから三人で何を話してるの?」
馬車の後席からレニが出てきて、ジュナルの横にちょこんと腰掛ける。
「色々と込み入った話をしておったのですよ」
ジュナルはあいも変わらずご機嫌のまま、笑顔でレニを見ていた。
「ふーん。そっか。僕もその話に混ぜてもらいたかった」
入れてあげたくても、入れられない込み入った事情がある。だが、それも言えない事に、アストールは何とも言えないもどかしさに襲われる。
「もっとレニが付き合い長くなれば、この話にまざれるかもね」
メアリーが透かさずフォローを入れる。
「エスティナ様の従者として認められる様に、もっと頑張ります!」
レニもその言葉を良いように解釈して、張り切って見せていた。
アストールの従者の中では一番愛らしい男の子だ。今後ももっと成長して欲しいと、アストールは切に思う。そんなやり取りをしていると、幌の中から野太い声がかかる。
「あと、どの位でルショスクに着く?」
馬車の幌の中から野太い声が聞こえ、ジュナルでさえもつい後ろを向いてしまう。
幌の入口からにゅっと頭をだしたコズバーンが、ジュナルを見た後、アストールに視線を向けていた。
「まだ、当分、先になるんじゃない?」
王都から出て既に二週間が経っている。だが、まだ道のり的には半分も来ていない。馬も生き物だから当然休憩が必要になるから、歩くよりは早いとは言え、時間はかなりかかる。
何より、ガリアールと違って、転送装置で近道ができるわけでもない。
陸路をひたすら進んでいくしかないのだ。
アストールはどこまでも続く平原を見据え、大きく溜息をついていた。この草原があとどのくらい続くのか、想像もできない。最初は綺麗だと思ったが、何の変哲もない草原は見飽きると、気持ちをげんなりさせてくれる。
「ふむ。まあ、よい。我は時が来るまで、また一眠りする」
コズバーンは再び幌の中に入っていく。大型の幌馬車を借りたのも、コズバーンがいるからだ。体が大きすぎて馬に乗れない彼の最も早く移動する手段。それが馬車だ。
「また、活躍の場が来れば、呼ぶわ」
アストールはコズバーンに一言だけかけて、すぐに前を見据える。
「本当に遠いね」
レニがジュナルの横で呟く。それを聞いたジュナルは笑顔で答えていた。
「ここまで遠いのは、久しゅうございますな」
「全くね。ゴーチェさんとこのオストンブルカ辺境領に妖魔討伐行って以来かな」
メアリーが昔を懐かしむように、南方を見ていた。彼らが向かう地からは更に東南へ下らなくてはならない場所だ。
「そうそう……。じゃなくて、その東方の辺境領ってどこでございますの?」
メアリーの言葉に、アストールはうっかり昔の事を放しそうになる。それをどうにか誤魔化すために、咄嗟に地名のことを聞いていた。
「えーと、確か、王国最東端の領地で、今行ってる場所よりもっと遠かったかしら?」
「でしたな。あそこの妖魔もまた、かなりの強者揃いでしたな」
ジュナルが妖魔との死闘を思い返しながら、呟いていた。
「そうそう、あの一つ目、じゃなくて、どの様な妖魔がいましたの?」
今度はジュナルの言葉につられて、自分の過去を暴露しそうになる。アストールは再び、話題から自分をそらすために聞いていた。
「確か、東部ではよく見かける角の生えたコルド系の妖魔が多く生息していまして、ここらのコルドよりも草原を駆けるためか手足が逞しく、ナックルウォーキングをしておりましたかな。その分、道具を使うこともなくなっていましてな。確か、集団で獲物を追い回していたと思いましたが。そうそう、羽の生えた炎を吐くタイプの一つ目巨人もおりましたかな」
「……。ジュナルって何かの学者?」
レニが興味深そうに問われると、ジュナルは柔和な笑みを浮かべていた。
「いえ、単なる趣味ですよ。興味本位で妖魔を研究してる程度です」
ジュナルは苦笑して見せていた。
本来は魔術の勉強を常に怠らずと言うのが、ジュナルのやることだった。だが、アストールが騎士になることを知ってからは、妖魔との対決を想定した魔術を極めることにした。
それと同時に妖魔の生態を知り、効果的な魔法の選定も行うようになっていた。それがいつしか自分の趣味となり、度々、アストールがいない間を利用して新魔術を使って妖魔を倒しに行っていた。それがいつしか、街の住人や村人に伝わってしまい、一部の人間からは賢人ジュナルとも呼ばれる始末だ。
「ふふ、主のためにやってきたことが、趣味になってしまうとは思いもしますまい」
レニは笑うジュナルを不思議そうに見つめる。
「ジュナルは物知りなんだね」
レニはそう言うと、その場で伸びをしていた。
「僕もジュナルみたいにならないとね!」
「ほほ! 拙僧のようになってしまうと、苦労しますぞ」
快活な笑顔で答えたジュナル。レニは相変わらずの無邪気な笑顔を浮かべてジュナルを見ていた。
そんな中、一行の前から早馬が飛んでくるように駆けてくるのが見えた。
地面を全力で駆け抜けていく。その様は何か急な知らせを持ってのことだろう。アストール達とのすれ違いざまに、チラ見して行くが、早馬を走らせる男たちは足も止めずに駆け抜けていく。
その数三騎、顔には憔悴した表情が見えたが、その事にさえ構ってはいられないという顔だった。
緊急の用があるのだろう。この道を使うとすれば、ここらの領主か、はたまた行き先のルショスクか、それは見当もつかない。だが、アストールの脳裏に何故か、嫌な予感が横切っていた。
「今度は何か支障がないといいけどな……」
アストールは呟きながら、馬をゆっくりと平原の中進ませていた。一行は、まだ見しらぬ土地へとゆっくりと向かう。
まだ見ぬ未知の土地へと、ゆっくりと……。