心変わりはいつから? 1
ガリアールより三週間という期間をかけて王都ヴァイレルに帰還したアストール。彼女はヴァイレル城に来ると、即座に第一近衛騎士団長の執務室へと向かっていた。勿論、今回、任務を一緒に遂行したウェインも一緒だ。
「遠路はるばる御苦労であった。此度の活躍、聞いているぞ」
尊厳な態度をとるグラナは、近衛騎士団長執務室にてアストールとウェインを前に労いの言葉をかけていた。
「は、しかし、本来の任務とは全く関係のないことをしてしまいました」
アストールは申し訳なさそうに、グラナに頭を垂れていた。
本来の任務はエストルの確保だ。
だが、彼はガリアールの大騒動を隠れ蓑に、また消息を晦ましていた。
現在、近衛騎士と王立騎士が追跡を続けているが、その足取りは分からず仕舞いだ。
それも全ては自分達の失態が引き起こしてしまったから起きた事だ。もしも、エストルを完全な形で捕らえていれば、あの様な悲劇は起こらなかっただろう。
「うむ。確かにそうかもしれん。だが、結果としてエスティナ殿の行動が、謀反を暴きだし早急にこれを防いだ。今回の活躍は勲章を与えるに値する行為であるぞ? もっと胸を張ってもよいのだ」
グラナは大様に言ってのけると、柔和な笑みを浮かべていた。
一通りの報告はエンツォが行っており、報告書等書面も揃えた上で先にグラナの元に行き届いていた。
だからこそ、グラナはアストールを叱る事をしなかった。
てっきりお叱りの言葉の下、大行儀をされると思い込んでいたアストールは拍子抜けしていた。自分が身構えていた分、グラナのその言葉を聞いて一気に安堵感が込み上げる。
「ウェイン殿もよく彼女を守ってくれた。今後とも彼女の事を頼もうかと思うのだが、どうかな?」
グラナは意味深に目をアストールに向ける。
深読みすれば、それがウェインは男としてどうかな? と問われているようでもあってアストールとして釈然と答えにくい。アストールはそれでも苦笑して、返答していた。
「その事について、少しお話があります」
アストールの言葉を聞いて、ウェインとグラナは彼女を見つめる。
「此の度、ウェイン様には助けていただき、感謝しています。いざという時には常に傍に居てくれるとても心強く頼もしい男性です。しかしです」
アストールがそこで言葉を区切ると、ウェインは複雑な心境をひた隠しにして彼女を見据える。もしかすると、自分は彼女に嫌われたのではないか。そんな一抹の不安が、ウェインの胸をよぎった。
「ウェイン様は私の護衛の為だけに留まってほしくありません」
グラナはアストールの言葉を聞いて、目を細める。彼女が何を言いたいのか、真剣に聞いて見極めようというのだ。
「今回ご一緒していただき、私は確信しました。ウェイン様は今後の近衛騎士を背負う事ができる数少ない近衛騎士の一人です。私如きの護衛に留まって、これ以上貴重な時間を私の為に割いて頂きたくないのです」
アストールの言葉を聞いた瞬間に、流石のウェインも複雑な表情を浮かべていた。
彼女がそう評価してくれる事は素直に嬉しい。その一方ではもしこの言が通れば、離れ離れとなり、彼女の身を按じながら職務を遂行しなければならない。
そう思った時、ウェインはふと胸の奥が締め付けられるような感覚を覚えた。奥から湧き上がる何とも処理のし難い感情に、ウェインは内心戸惑う。
(この感情は、一体なんなのだ? 彼女を守れない口惜しさからくるのか……)
ウェインは自問自答して必死で答えを探す。だが、当の本人が恋愛に無自覚なせいか、その答えは一向にでこなかった。
そんなウェインを他所に、話は進んでいく。
「ふむ。エスティナ殿よ。確かに貴公の言う事には一理ある。ウェイン殿は私も一目置いている存在だ。だからこそ、貴公の護衛に宛がったのだ」
グラナの言葉を聞いたアストールは、自らの胸に手を当てて力強く主張する。
「私には優秀な従者がいます。今回の一件で全員が実戦の経験をし、団結力も以前とは比べ物にならないほどに固まりました。私はこれ以上、他人の手を煩わしたくありません。ですから、これを契機に、単独での任務をお与えいただければと思ったのです」
グラナとしても、要職についている近衛騎士をアストールの護衛には付けたくない。だからと言って、彼女に護衛なしでは、近衛騎士としての面子が保たれようもない。だからこそ、最も信頼の置けるウェインに彼女の護衛を頼んでいた。
だが、ふとグラナは思う。
(うむ……。ウェインも少し早いが、次の段階に踏んでもらういい機会かもしれぬな)
ウェインは近衛騎士の中でも有望視されている新人だ。もっと色々な経験をして、成長してほしい。だが、それを切に願うばかりでは、いつまで経っても前進はない。何か大きな試練を与え、乗り越えさせぬ限りは結局は箱入り娘と一緒だ。いつかはダメになる。
だからこそ、グラナは決断する。
「ウェインよ。貴公も聞いての通り、代行と言えどエスティナ殿も一端の近衛騎士である。今後はどちらが上という事もなく、対等な同僚として接してほしい。それ故に、貴公を護衛の任から解こう。そして、貴公には新たな任務を与えよう。内容は後ほど知らせる。下がってよい」
ウェインはそれを聞いて、いよいよ自分の予想していた事態が起きて、少なからず残念に思っていた。だが、近衛騎士団長の命令とあっては、下がらないわけにもいかない。
ウェインは慇懃に礼をしてみせると、無言でその場を後にしていた。
それを見送った後、グラナは静かに溜息をついていた。彼はゆっくりと目をアストールに向けて、何でも包み込んでしまいそうな優しい目で彼を見据える。
「そこまで言うのならば、今回の任務、単独で遂行してみるとよい」
グラナがそう言うと、アストールは表情を明るくしていた。
「はい」
それを細かく見ていたグラナは、表情を一気に真剣なモノへと変えていた。いよいよ任務の説明かと、アストールも表情を引き締める。
「北東部のルビャンスカ山脈にかかる辺境領ルショスクを知っておるな?」
「はい」
王国最東端とも呼ばれる位置にあり、一昔前までは鉄鉱石等で潤っていた辺境領だ。だが、王国中央部より良質かつ今までの半値という破格の鉱石が取れるようになり、ルショスクは一気に衰退していた。いまや、最盛期を誇っていた時期と比べると、人口も三分の一にまで減っている。
そんな過疎化した片田舎は、黒魔術師や手配犯が隠れるにはもってこいの場所と言える。
「そこで黒魔術師の仕業と見られる人攫いが多発している情報が入ってきた」
「はい」
人攫いと聞いてすぐに思い浮かんだ顔は、あの憎たらしい下品な笑を浮かべた初老の男のゴルバルナだ。
だが、アストールはふと疑問に思う。あそこまで姿を隠しているゴルバが果たして、人攫いなどして足を付けることをするのだろうか。アストールが考えるよりも先に、グラナは言葉を続けていた。
「貴公にはその情報の真偽を調べて欲しいのだ。奇しくもルショスクはあのゴルバルナの飛び去った方角と同じ方向にある。もしかすると、貴公の兄に関する手がかりがあるかもしれん」
怪訝な表情をするアストールを前に、グラナは釘を刺すように言う。
「あくまで目的は人攫い事件の真相究明にある。被疑者の確保は二の次であり、可能であればすればよい。だが、無理な行動は控えよ。必要とあらば、すぐにでも騎士団を動かす準備もしておく」
グラナの手厳しい言葉と、その優しさからくる態度に、アストールも胸の内に決意を改める。
次という次こそは、ゴルバルナの情報が少なくとも手に入るかもしれない。そう思うと、否が応にも体は早く行こうと疼き出す。
そんな体と心を鎮めつつ、アストールはグラナを見据える。
「はい」
「それとこれを持っていくといい。緊急事態の時以外は使わぬが吉だ。魔導師に通信を傍受される恐れがあるからな」
グラナはそう言うと、懐より掌サイズの綺麗な水晶を取り出していた。
そして、彼女に手渡していた。
真丸に削り出された水晶は、透き通るような綺麗さを保っている。
「これは……。通信水晶」
一部の高官や貴族の中でも特に爵位の高い者しか取り扱っていない代物だ。アストールも何度か使用したことがあるが、使用している時は、手から力を吸い取られるようで気分が悪くなることが多々ある。
「私、直々に繋がるようにしてあるから、安心して使え」
「はい」
凛とした声で返事をするアストールに、グラナは相変わらずの尊厳ある表情で言い放つ。
「では出発は7日後の明朝である。流石に立て続けの遠路任務、休息が必要であろう」
グラナの気遣いを嬉しく思いつつも、アストールはすぐに返していた。
「いえ! 早い方がいいです。従者の支度が済み次第、出立させていただきます」
ゴルバルナに一歩でも近づけるなら、時間等は惜しんではいられない。
今のこの体に心が慣れてしまうよりも先に、早く元通りになりたいのだ。男の体を取り戻すのに早いに越したことはないのだ。
「ふ、ふむ。まあ、よいか。出立前には必ず一報入れることを忘れぬようにな」
流石のグラナもアストールの異様なやる気に押され気味だった。
「はい」
「さがってよし」
グラナからの許しを貰い、アストールは意気揚々と決意を改めて、団長室から退室するのだった。