死闘の開幕 4
「おっし! 最後の一匹だ!」
リュードは止めを刺したベルヴィナスより大剣を引き抜き、角に追い詰められた最後の一頭を見ていた。
クリフと囚人達に囲まれつつも、その長い尾と腕を使って威嚇する。
一匹とは言え、死に物狂いで戦う生き物ほど怖いものはない。
「全員気をつけろ。コレウスの呪文詠唱が終わるまで。持ちこたえろ」
死刑囚達も槍を突き出して、ベルヴィナスを牽制する。多数の槍を前に、ベルヴィナス
は必死の抵抗を見せる。
「もう少し、もう少しだ」
クリフが後方で呪文詠唱を続けるコレウスに目を向ける。最後の一匹ということもあってか、彼は安心して魔法詠唱をと得ていた。その分、傍から見れば、かなり無防備だ。
クリフは再びベルヴィナスに意識を向ける。
その時だった。
突然、闘技場中央の地面が、轟音を上げながらゆっくりと動き出す。
そこに立っていたリュードは慌ててコレウスの元に向かって駆け出す。
ゆっくりと左右反対方向にスライドする闘技場の地面、そこには大きな四角い穴ができていた。地面を震わせて、穴から何かが持ち上がってくる。
「な、なんだあ?」
リュードとコレウスは呆気にとられて、中央の地面を見つめる。
開ききった地面からは、ゆっくりと何かが上がってきているのがわかる。それが何なのか、二人には見当もつかない。
しばし、注視していると、穴から何かの皮膚が見えた。円形の形をした、何かの頭だ。
表面はツルツルとしていて、妙に青白く、何より大きく見える。
「な、なあ、あれってまさか」
コレウスが口を戦慄かせながら、上がってくる何かをゆびさす。
「あ、ああ。こいつはマジでやべえな」
苦笑するリュード。
「おい! 先にベルヴィナスを倒すんだ! コレウス! 魔法を詠唱しろ!」
クリフが叫ぶとコレウスは顔を向けていた。その先には一頭のベルヴィナスに苦戦する死刑囚たちが見える。
「そ、そうですね! リュード! とにかく、背中を任せます」
「任せろ! 一匹なら俺でも食い止めてみせる」
リュードはコレウスを背にして、上がってくる昇降台に駆け出していた。
彼が再び自分のいた位置に戻る頃には、ほぼ、その巨大妖魔の全貌が明らかとなる。
青白い肌にむき出しの牙と、豚以上にえぐれた鼻、体型は腹が出ていて、腕と足も妙に太い巨人と言っていい。
体高もリュード三人分の背の高さを優に超えている。
「まじでやべえぞ、コレ……」
リュードが昇降台の前にたつ頃には、その巨大な妖魔を見上げる形となり、その迫力に圧倒されていた。
闘技場内は瞬時に静まり返り、観客達はこの奇妙な状況に怯えだしていた。
「どうなってんだよ。こいつはよぉ……。なんで、こんなでっけえ妖魔がいるんだよ」
手には大木と言えるほど太い棍棒を持っている。その凶悪な出で立ちと醜悪な顔に、観客たちは騒然となる。
この時、リュードは見落としていた。この巨大な妖魔を前に、足元にいた二匹の小型の妖魔がいたことを。
突然、リュードの横を二匹の妖魔が通り過ぎていく。
ムカデのような出で立ちの、八本の足を持ったトカゲ。長くしなる尻尾には、刺こそないが振り回して鞭のように扱うことができる。
だが、その尻尾の攻撃は、鞭などという生易しいものではない。
一度振るわれて直撃すれば、アバラなど粉々になり、体は宙を舞うだろう。
「ああ! 畜生! コレウス!!! 逃げろおおお!」
そう叫んだ時には、既に妖魔はコレウスの背中に到達していた。
「え!?」
振り向いたコレウスに、長く太い尻尾が襲いかかる。
彼の体にめり込む尻尾、体が空中に浮いて、軽々とコレウスを闘技場の壁に叩きつける。壁に叩きつけられたコレウスは、ぐったりと地面にその体が横たわっていた。
「コ、コレウス!!」
リュードとクリフが同時に叫ぶ。と同時に、ベルヴィナスが囚人の一人をその尾の毒にかけていた。苦しみで叫ぶこともできず、その場にうずくまる囚人。
即効性の毒は臓器を破壊し、穴という穴から血を噴出させる。
瞬時にして血まみれになる囚人を前に、他の囚人達は完全に戦意を喪失していた。
士気の低下した軍団を、更にムカデ型のトカゲが追い討ちをかける。
長い尾で数人の囚人を軽く吹き飛ばし、すぐに鋭い歯の並んだ口で囚人に襲いかかる。
闘技場は瞬時にして虐殺の場に変わり果てていた。
次々と死んでいく囚人達を前に、クリフはそれでも冷静さを保ったままベルヴィナスに攻撃を仕掛けていた。
だが、それが表面上のものだと、リュードにはすぐにわかった。
彼の顔がいつもよりも強ばっていたのだ。
余裕のない表情からも、彼が焦っていることがわかる。
リュードは唖然としながらも、再び巨人に目を向ける。
巨人妖魔は一向に動く気配はない。
妙な違和感を持ちつつもリュードは、クリフと合流するために背を向けた。
「やべえ! くそ! なんだってんだ! この国は!?」
その時だ。突然巨大妖魔が棍棒を振り上げて、リュードに襲いかかっていた。
「ち、畜生!」
リュードは素早く身を転がして、振り下ろされた棍棒を避けきる。ドスンという音と共に闘技場の床が抜け落ちそうなほどの揺れが彼を襲う。
「一体、どうなってんだよ! こんな妖魔を飼ってるなんて、ここは正気じゃねえ!」
リュードは立ち上がると、自分を襲ってきた妖魔を見上げていた。
醜悪な面構えの巨人型妖魔は、リュードに向かってゆっくりと歩み始める。
「こんなことって、マジで、ねえよ……」
リュードはそれでも諦めずに、妖魔に立ち向かおうと剣を正面に構えていた。
重症のコレウスの元にすぐにでも駆けつけたい。その気持ちはリュードもクリフも一緒だ。だが、状況がそれを許してくれない。
クリフと囚人達は二匹のムカデ型のトカゲ妖魔を相手に苦戦し、リュードも巨人型妖魔を前に手を離せなくなっている。
「こりゃあ、猫の手でも借りたいな……」
リュードは覚悟を決めて、巨人と相対する。
観客席はシンと静まり返り、奇妙な静寂が場を支配していた。
巨人は棍棒を横凪に振るい、リュードを横になぎ倒そうとする。叩き潰すのがダメなら、範囲が手広い横薙ぎで、彼を一気にたたみかけようということだ。
「ちっくっしょ! こんなのかわせるかよ!」
どう考えても避けようがない。
棍棒は丸太ほど太く、二回建ての家よりも大きな丈がある。それを横凪に振るわれれば、どう足掻いても逃げ場はない。
「終わるもんか!」
リュードは無駄と分かりつつも、大剣を構えて棍棒の一撃に備えていた。
瞬時にして迫る丸太のような棍棒を前に、リュードは目をつぶる。
(ああ、やっぱ無理っぽいわ……)
覚悟を決めたリュードは、最後の一撃が来ることを悟り、剣を手放そうとする。
肉のぶつかる乾いた音と土煙が上がり、観客達が大きな歓声を上げていた。
吹き飛ぶ体の感覚を感じようと、必死で目を瞑っていた。だが、一向にその時は訪れない。リュードは疑問に思う。
(ん? あれ、俺吹っ飛んでねえな)
確かに耳には肉が丸太にぶつかる音が聞こえた。だが、彼の体には何一つ痛みはなかった。リュードはゆっくりと目を開けて、自分の置かれている状況を確認する。
目の前まで迫ってはいたが、数センチの所で止まっている棍棒。そして、彼の隣には、かなり図体のいい男、否、巨人が棍棒を抱えるようにして受け止めていた。
「え、うええええ?」
現実では絶対にありえない光景を前に、リュードは出す言葉を失っていた。
何せ、あの巨大妖魔の棍棒の一凪ぎを、生身の大男が受け止めているのだ。
しかも、その男は余裕からか、その髭をモジャモジャに生やした顔に笑さえ溢れてだしている。
「あ、あんたは……」
リュードがその男に素性を尋ねると、男は屈強な笑みを浮かべて答えていた。
「ふふ! 説明はあとだ! 貴様はあのムカデともトカゲとも分からんクソ妖魔を倒しにいくがいい。こいつは我が獲物よ!」
大男は笑みを浮かべたまま、全身の筋肉に力を入れる。そうして、抱えていた棍棒を引っ張り、あの巨大妖魔をも地面に膝をつかせていた。
「ぬははははは!! その程度かああ! 大きいのはどうやら、体だけらしいな! ぬはははははは!」
大声をあげて笑う大男は、妖魔の持つ棍棒を持って妖魔そのものを引き寄せる。そうするなり、大男は棍棒を放して、その太い腕で妖魔の顔面を殴りつけていた。
勢い余ってその場から吹き飛ぶ妖魔。
その信じられない光景を目の当たりにしつつ、リュードはすぐに駆け出していた。
(な、何なんだよ! あの大男は! 妖魔の一撃を体で受けきるなんて! それどころか、素手で殴るか、普通! あいつ人間じゃないだろ!)
リュードはそう思いつつ、改めて後ろをチラ見する。
あの巨人妖魔と大男の身長差は、二倍近くはある。遠くに行けば行くほど、あの大男の凄さが余計にわかる。
大男は真っ黒い毛皮の服に、背中には巨大な戦斧を背負い、腰には二本の大剣が下げてある。明らかに武装がおかしい。
それに加えて、力比べで自分より巨体の妖魔を負かすことなど、まず生身の人間ではありえない。
「も、もしかして、あいつも妖魔なのか……?」
リュードは大男が生身の人間であるのかを疑いつつも、クリフと合流する。
彼の元には既に二人の騎士が援軍に来ていた。
「あ、あんたらは……」
リュードはその二人を見て、再び言葉を失っていた。
一人は彼の見知っている顔だ。この世に二人といない絶世の女騎士、エスティナ・アストールだ。そして、もう一人はあまり面識のない若い騎士だ。
「これで貸し借りはなし! この妖魔を倒すわよ!」
リュードを前にアストールは剣を構えてムカデ型の妖魔を見据える。
「お、おう!」
リュードも彼女の横に来て、大剣を正面に構えていた。烏合の衆の死刑囚たちとは違い、彼らは対妖魔戦も経験のある騎士だ。僅かに生き残った囚人達を纏め上げ、攻撃態勢を取り直していた。
クリフと同等かそれ以上の実力者、それでいて、腕は折り紙つきだ。
「さて、いくぜ!」
リュードはトカゲを倒しに真っ向から走り込み、大剣を振るっていた。
「ば、ばか! 勝手に行くな!」
アストールもリュードに慌てて続いていた。この破天荒さには、流石のアストールも動揺せざるを得なかった。
後ろではウェインとクリフと囚人達が、もう一頭のムカデトカゲを相手に戦っている。
背中はあの二人に任せておけば、間違いはない。
「あとは……、メアリー達だな」
アストールはそう小言で呟くと、意識を戦いに集中させていた。
頭をカチ割ろうと、リュードは真っ向から頭に大剣を振り下ろす。だが、あの巨体でありえないほど素早く動くムカデトカゲは、リュードの剣を難なく避けていた。
「ち、やっぱはええ!」
「だから、むやみに突っ込むな!」
思わず男口調になったアストール。だが、それも気にしていられないほど、相手は手強い。素人集団の死刑囚とは言え、大の男二十人を一瞬で屠った相手だ。
大きな体躯についた長い尻尾が、二人に向かって振るわれる。
「避けろ!」
しなる尻尾が二人をまとめて襲うよりも早く、アストールがリュードの首を掴んで地面に伏せさせる。
観客席からはなぜか安堵の溜息が聞こえてくる。
「リュード……。だったな?」
「え? ああ! 覚えてくれたのか!?」
「すぐに敵がくるぞ!」
地に伏せったのも束の間、アストールは立ち上がって剣を正面に構える。
トカゲの黄色く鋭い目がアストールを捉え、彼女もまた真剣な眼差しをトカゲに向けていた。
リュードも大剣を構え直し、アストールに毒づくように言う。
「あの位のしっぽなら、俺の大剣で防ぎきれる!」
アストールはその言葉にむっとして、思わず言い返していた。
「防げるかもしれねえけどな! あんたと少し離れたとこにいた俺は、しなった尻尾がぶつかるんだよ!」
そう、例えリュードが大剣で尻尾受けたとしも、アストールはこのバスタードソード一つでは、しなって迫る尻尾から身の守りようがない。
「お、そうか、わりいな」
「ちったあ、反省しろ!」
アストールは苛立ちながら、剣を握りしめていた。
「で、あいつどうやって倒すよ?」
リュードは隣で佇む美少女に、笑みを浮かべて聞いていた。
「そんなの一つしかないでしょ!!」
アストールは男口調をどうにか抑えて、リュードと顔を合わせる。互いにその顔には満面の笑みが張り付いていた。
どうやら、考えていることは、二人とも一緒だったらしく、二人は声を揃えて言っていた。
『斬って、ぶっ倒す!』
リュードとアストールの声が被り、二人の呼吸がぴったりと合う。
二人はムカデ型の巨大トカゲに向かって、駆け出していた。
リュードが先に動き、トカゲの頭を叩き切ろうとする。だが、トカゲは上から振り下ろされた一撃をいとも簡単に避けていた。
空を切った大剣は地面を叩き、今度は口を開けたトカゲがリュードの体に噛み付こうとする。刹那、彼の後ろからアストールが現れ、剣を横に構えてリュードの横からトカゲを攻撃しようとしていた。
トカゲの標的は瞬時にアストールへと切り替わる。
「へ、もらったぜ!」
彼女の元に一直線に伸びる首に、間髪いれずにリュードが大剣を構え直して振り下ろしていた。
その殺気に気づいたトカゲ。だが、もはや避けようはない。
図太い刃が大きな音を立てて、首に叩き込まれていた。
土煙が舞い上がり、アストールの目の前でトカゲの頭が地面に押し付けられる。
「ち、かてえ! こいつ、斬れもしねえのか!」
確かな一撃を首に与えたものの、硬いウロコと筋肉がリュードの大剣の刃を拒む。
「任せろ! この剣は特別仕様だから!」
アストールは両手で剣を構えて、目の前にあるトカゲの頭に剣を振り下ろす。
上段からの一撃、ついで横薙ぎ、最後に再び剣を持ち替えての首への一撃。
その華麗な太刀捌きに、観客席からは感激の吐息さえ聞こえてくる。
トカゲ型妖魔はそのまま、動きを止めて微動だにしなくなった。
アストールは斬り終えると、素早く妖魔の血を振り払って白刃を鞘にしまう。
彼女が剣柄と、鞘をぶつける様にしてわざと鳴らす。すると、トカゲの頭が斬られた後にそって滑るようにして、切断されて、地面に転げ落ちていた。
「す、すげえ」
唖然とするリュードは、アストールに感嘆のため息を漏らしていた。
「さて、もう一匹行きましょうか」
苦戦を強いられているクリフとウェインを見て、アストールはリュードに声をかける。
「だな! まだ、もう一匹いやがるんだな」
「おっと、その前に……。レニィイイ! 降りてきて!」
アストールが叫ぶと、観客席から小柄な神官戦士が闘技場に飛び降りる。
「レニ! そこの魔術師の治療を!」
アストールが小柄な神官戦士に、倒れているコレウスの治療に向かわせる。
「お、おい。ちょっと、手際が良すぎないか?」
リュードは驚きを隠せずに、アストールに問いかける。
「まあねえ。あなたには命を救ってくれた恩義もあるからね」
リュードとアストールは、歩きながらクリフとウェインの元へと向かう。
笑みを浮かべたアストールを見たリュードは、彼を見つめながら真剣に答えていた。
「いやー、ソレはソレだ。別に今ここで恩義を返されるより、君個人からお礼をもらいたいな」
「食事にでも来いってことかしら?」
「んー、俺としてはその後のことの方が楽しみなんだけどな」
「正直でよろしい。気に入ったわ」
「じゃあ、食事にでも!」
「お断りします」
「つれないな」
などという会話を交わしているうちに、二人はウェインとクリフの元に来ていた。
「のんびり歩いてきやがって!」
クリフがそう毒づきながら、リュードを睨みつける。対するリュードは笑みを浮かべて、大剣を構えていた。
「へへ。すまねえ。一匹倒して、ちょっと疲れてたからさ」
「助成、致します」
その横にいたアストールも剣を抜いて、正面に構えていた。
「これで七対一、戦いやすくなったもんだ」
クリフは振られた尻尾を避けると、短槍で尻尾に追い討ちをかけるようにして、地面に突き立てようとした。
だが、硬い甲羅のようなウロコが、槍の一撃を弾く。
「ち! やっぱ無理か!」
弾いた勢いのまま尻尾が再びクリフに繰り出される。
「こいつらの硬い鱗、ただじゃ、斬れません」
ウェインがそう言って、クリフに襲いかかってきた尻尾を剣でいなす。
「流石に魔術師の補助なしでの妖魔狩りは、きついな」
クリフは悪態を付きつつ、妖魔から距離を置く。
アストールとリュードの元に帰ってきた二人は、ムカデ型のトカゲ妖魔と対峙する。
「あいつ、どうやって倒したんだ?」
クリフがアストールに聞くと、彼女はあっさりと答える。
「どうやってって、これで斬ったに決まってるでしょ」
「また、無茶な戦い方をなさったのですか!?」
アストールにきつい口調で、ウェインが突っかかる。
「いや、別に無理な戦い方じゃないわ。私があいつの首を切り落とすから、それをサポートしてもらっただけ。今回もそれで行くよ!」
アストールは周囲の同意を得るよりも先に、先頭に立って妖魔に立ち向かっていた。
その後ろを慌ててリュードとウェインが追いかける。
「だから、無茶はやめてください!」
「あぶねえぞ!」
そんな三人を見て、クリフはため息をついていた。
「結局、俺が尻ふきなのな」
そう悪態付きつつも、クリフは三人の後に頭をかきながら、二人の囚人を連れて続くのだった。