交錯する思惑 4
「君の方から出向いてくるなんて、珍しい事もあるんだね」
手に持った書類に目を通したエンツォは、その書類を机の上に置くと、肘をついていた。そして、上目遣いで佇むアストールを見据える。
「ええ。これだけの資料と証拠、集めるのには大分苦労しましたからね」
アストールはそんなエンツォを前に、苦笑して見せる。
その書類に書かれた事が事実ならば、当然、エンツォは動かざるをえなくなる。
そう見込んでの、エンツォに対しての直談判だ。
「にしても、君の情報収集能力は凄いね。僕達でも手に入れるのに苦労する資料を、こうも短期間に集めちゃうんだからね」
笑みを浮かべたエンツォは、書類を持つと再び目を通し始める。
「ええ。私の従者が優秀でなければ、ここまで集まらなかったでしょうね」
そう、この資料を集めたのは他でもない。
エメリナ・ナスタールである。元、凄腕の盗賊でありながら、情報収集も特技としている万能な従者だ。彼女にはかなり無理を言ったが、その分、給与も多く与えている。
だからこそ、今回、近衛騎士を動かすまでの資料を集めることができた。
「それで、協力はしていただけるのですか?」
アストールは真剣な面持ちで、エンツォを見据える。
彼はひと呼吸置いたあと、資料を机の上において答えていた。
「勿論。喜んで、協力させてもらうよ。僕達としても、彼らがいつ動くかが気がかりだったからね」
エンツォの言葉を聞いたアストールは、ふと疑問に思う。今回提出した資料には、ガリアール騎士団の首脳部が行った悪事や、違法行為を示す証拠が書かれた資料を提出しただけなのだ。
それでいて、エンツォが予めガリアール騎士団が動こうとするのを、あたかも知っていたかのように話す。
「え? どういうことですか?」
「ああ、彼らには昔から、反乱の兆しが常に見え隠れしていたからね。それがいつ爆発するか。こっちとしても、常に気を張ってないといけないんだよ」
エンツォは首を左右に振りながら、苦笑して見せる。
「ここは元々、自治国家だったからね。王国に併合されて損をした上流階級者は、常に王国に対して反旗を翻すことを企んでるんだよ」
エンツォの苦笑を見て、アストールも釣られて苦笑していた。
「そうなんですか……」
「現地の反乱の監視の意味を込めての、我々駐屯近衛騎士さ」
ヴェルムンティア王国の各都市にいる駐屯近衛騎士には、表向きは国王の加護と権威を示す意味合いとして駐屯している。だが、真の目的は反乱を未然に防ぎ、万一、反乱が起こった場合には即座に鎮圧できるようにすることにある。
隣国を攻め滅し、領土を拡張してきた巨大国家だからこそ、この様な制度が生まれた。
駐屯近衛騎士のこの一側面を見れば、誰しもが苦い顔を浮かべるだろう。
「では、今回もそれを口実に、動いていただけますね」
アストールは安心して、エンツォを見据えて協力を得ようとする。だが、そんな彼女に、エンツォは不敵な笑みを浮かべる。
「勿論、こちらとしても二度とないチャンスだ。ガリアールの領主に督促状を貰って動く準備はするよ。でも、僕からも一つだけ、お願い事があるんだ」
彼の怪しげな言葉に、アストールは即座に嫌な予感がしていた。だが、もう、ここまで来ては逃げられようがない。
「なんでしょうか?」
アストールは至って冷静を装って聞き返す。
「この前、僕と食事に行くって言ったけど、それを考えておくって言ったよね?」
(ぐ、ぐぅ。マジかよ! それをここで持ってくるかぁ!?)
食事を上手く回避するために言った言葉、それが今、逆に彼女を追い詰めていた。プランとしては、そのままうやむやにして、食事はなしにするつもりだったのだ。
だが、どうやら、それは叶いそうにない。
「え、ええ? そんなこと言いましたっけ?」
白々しくそっぽを向くアストールに、エンツォは笑みを崩さない。
「言ったよ。今回は泣かれても、僕は一歩も引くつもりはないからね。ここで行くか行かないか、決めてくれないかな?」
エンツォは満面の笑みを浮かべて、アストールに決断を迫っていた。
ここで断れば、エンツォは協力するかが怪しくなる。リュード達の救出計画の本当の要は、エンツォ達ガリアール駐屯近衛騎士達だ。
彼らの協力は是が非でも必要になってくる。
そうなると、食事の話は完全にエンツォが主導権を持っていることになる。優位に立っているエンツォを前に、アストールはそれでも、はっきりと断りを入れていた。
「ごめんなさい。私、兄上に知らない人と食事をするなと言われてますの」
あくまで愛想のいい笑みで、相手の機嫌を損ねないようにする。しかし……。
「安心してよ。僕は君の兄上と面識はあったからね」
(だから、余計に信用できねーんだよ!)
エンツォの女癖の悪さは、以前より耳にしている。一度狙いを定めたら外さない。女性殺しの鷹とまで言われているほどだ。何より、彼とは何度か会って、話したこともある。そこで、確信したのだ。
(お前は俺以上に女たらしだっての!)
心の底から叫びたくなるのを我慢して、アストールは愛想笑いを浮かべた。
「で、ですけど、私、その、色々と事情があって……。変な噂を立てられると、立場上動きにくくなりますの」
愛想笑いが苦笑に変わったのに対し、エンツォは相変わらず余裕の笑みを浮かべたまま答えていた。
「その点なら、安心してよ。僕行きつけの店を貸切にするからさ。君にはその価値が十分あるし、食事だけでも一緒にとってくれないかな?」
これでは、エンツォに変な貸しを作ってしまうようで、絶対に行きたくはない。ましてや、行きつけの店で貸切など絶対に避けなければならない。二人だけという時点で、もう、襲う気満々なのが見え透いている。
「え? いやいや、貸切なんて、悪いですよ。そんなことなら、従者をつれて一緒に酒場にでも行きませんか?」
「んー。君と二人きりじゃないと、僕は嫌だなー」
エンツォはどうしても二人で食事に行きたいらしく、絶対に引こうとしない。その根気強い態度から、食事を断りきれないと思ったアストールは渋々言うのだった。
「わかりました。じゃあ、そのお店に行きましょう」
彼女の言葉に、エンツォは心の底から喜びを露にしたように言う。
「本当かい! ありがとう!」
だが、ここで油断してはならない。今のアストールは女だ。過去の事例から、押し倒されれば男の力には敵わないのがわかっている。
「ただし、私からも一つお願いがあります」
「え? なになに?」
アストールの言葉に、エンツォは相変わらず顔を綻ばせている。
「店は貸切ではなく、通常営業にしてください。でないと、私行きません」
「ええ~。さっきと言ってること逆だよー」
「いいの。それが条件」
アストールの言葉に、エンツォはその美形な顔の唇をとんがらせていた。
「わかったよ……。僕と二人きりがそんなに嫌なのかな……。ああ~、プランが台無しだよ……」
その言葉からエンツォが都合良く何かをしようとしてたのが、アストールにはすぐにわかった。
(こいつは、マジで油断できねえな)
アストールは冷や汗をかきながら、エンツォと約束事を交わす。
「では、ご協力お願いします。また、詳しい事は追って連絡致しますので」
「うん。任せてー。僕もこれから準備にかかるよ」
そう一言、二言交わしたあと、アストールは騎士艦長室を出ていっていた。
(これで大体の準備は整った。後は、決行する日を待つだけだな)
決意を胸にアストールは力強く、足を踏み出すのだった。