交錯する思惑 3
ガリアールからは東に大分離れた森。暗闇の中で響くエルングフクロウの鳴き声が不気味に響きわたる。
森の中では妖魔だけではなく、盗賊や凶暴な野生生物にも注意しなければならない。
火を焚いていれば、妖魔や猛獣は逃げるだろう。だが、逆に野盗などが近寄ってきたりする可能性がある。
それを考えると、森の中では一睡もできない。
火が絶えない様に、薪を足して明かりを保つ。エストルの顔が、火の灯に照らされ、不気味に輪郭を映し出す。だが、その顔には野心を秘めた様な表情はない。
あるのは憔悴の色だけだ。
ガリアールでは危うく、ジュナル達に捕まりそうになった。だが、あの騒ぎを起こして、エストルはどうにか逃げ延びた。あの大騒ぎ、黒魔術師でさえ表立ってこんなことはしないだろう。
それだけ、エストルには選択肢がなかった。
あの時、妖魔を召喚していなければ、確実にアストールの従者達に捕まっていた。そうなれば、あの計画は全て崩れてしまう。
エストルはどうにかガリアールから逃げおおせたことに、多少の安堵感を覚えていた。
追手も来ることなく、安全にここまで逃げられたのは奇跡に近い。
彼は静かに、懐から水晶を取り出す。
そして、小声で古代魔法の呪文を短く詠唱していた。
水晶は淡く青い光を放ち、次の瞬間にはとある部屋が水晶越しで移される。
「いるか? 俺だ。エストルだ」
数瞬の間を置いて、水晶越しには男が現れる。
男は高級そうな服を着込んでいて、明らかに王族などの重要なポストでもつかない限り、貰えない勲章が胸に輝いていた。
初老を迎えようかというのにその目付きは鋭く、見た者全てを突き刺すような威圧感が放たれていた。
「連絡ご苦労。どうにか、脱出には成功したようですね」
彼の連絡を待ちわびていたのか、その顔つきは少しだけ柔らかくなる。
水晶より聞こえてくる声に対して、エストルははっきりと答えていた。
「ええ。もちろんです。多少手荒なことになりましたがね」
エストルの言葉に心底安堵した男は、表情を一変させてから、凛と響く声で水晶越しに言っていた。
「なら良いのですが……。進んでいる計画が露見してしまうのはまずい。あなたは一刻も早く研究を完成させて、出国の手筈を整えておいたほうがいい」
彼はエストルの身を案じて、声をかけていた。だがおそらく、それだけではないだろう。彼からすれば、少しでも情報を漏らしそうな人間は、この国から消しておきたいのだ。だが、エストルは元騎士団長だ。そう、易易と消せるような男でもない。
何よりも、彼は今、最も重要な任務を遂行している。
「私の身を按じてくれるのは結構ですが、私とて、元近衛騎士団長だった男です。あの計画を遂行するにあたって、手を汚す覚悟は出来ています。何より、貴方は手を直接汚してはならない立場にある」
エストルのその言葉を聞いてか、水晶の男は少しだけ沈黙していた。
彼が言う所、即ち、自らが汚れ役になるということ。
「ですが、良いのですか? あなたには守るべき人も領内にいるはず」
「先程も言いましたが、私の事など捨て駒と考えてくれていい。それに守るべきものは、この手で必ず守ってみせます。だからこそ、危険を犯してまで、このガリアールに趣いた。ケニーとの交渉などはどこでもできましたからね」
エストルの言葉を聞いた声の主は、再び沈黙していた。
「そうですね。エストル殿がそれほどの御覚悟をなさっているのに、私がこれではダメですな。では、これ以降はあなたを捨て駒としてみましょう」
水晶から聞こえてきた声に、エストルは誰にも聞こえない声で呟く。
「そうだ。それでいい」
「それにしても、丁度良かったです。私もあなたに連絡を入れようとしていたのです」
相手の男は安堵のため息をついて、エストルに対して声をかけていた。
「どういうことですか?」
「実はですね、計画に一部支障がでました」
水晶の向こうで聞こえる声には、どことなく焦りを感じられる。
「どういうことですか?」
エストルの問いかけに対して、男は気を落ち着けながら答えていた。
「例のケニーと言う男の暗殺に、失敗しましてね」
「なんだと……」
瞬時にして言葉を失うエストル。彼はもう一度水晶に問いただす。
「それは、一体、どういうことですか?」
「最初に言ったでしょう。彼らを野放しにはできない。と」
「だが、彼らは金を渡した以上は、協力者だ。殺すなど聞いてない」
エストルは焦りを感じながら、水晶に勢いよく怒鳴りつけていた。
「それは違う。奴らは商人だ。金さえ与えれば、身内さえも売るゴミだ。利用したあとは、ちゃんと処分せねば、あとで痛い目を見るのは我々さ」
男の冷淡な言葉に、エストルは暫く言葉を口にできなかった。
例え、彼の言うことが正しく、そして、実行に移すにしても、流石に今は時期尚早というものだ。
彼らはエストルが見る限り、まだまだ、使い道は多くある。
何より、積荷が目的の場所についてもいないのに、いきなり暗殺しようとするなど、急ぎすぎている。
「やるならば、もっと時間をかけてやれば」
「そうしたいのは山々、だが、我々にはもはや、時間は残されていないのだ」
男の声にエストルはがっくりと肩を落としていた。
今、ここで自分達が、ケニーを襲ったことがバレれば、あの大枚をはたいて買った魔鉱石は領内に届かなくなる。
それだけはあってはならない。
「なぜ、今、それを?」
「失敗しないという確証があったのだがね。残念ながら、現実には失敗した」
男が水晶の向こう側で首を振っているのが、エストルには容易に想像がついた。
「まさか、今度は私にケニーを殺せと?」
「ああ、そうだ。と言いたいが、それも無理というのが分かっている。だから、こちら側に引き込んで欲しいのだ。彼らをね」
男の無理難題に、エストルは思わず頭を抱えそうになっていた。
相手をゴミクズ呼ばわりしておいて、始末し損ねると、今度はこちらの手中に収めようとする。あまりにも都合が良すぎる。流石のエストルも我慢しきれそうになかった。
だが、一つだけ、彼の怒りを引き止めたものがあった。それは……。
「全ては、新生ヴェルムンティアを築くためだ。そのためなら、ゴミをも拾うことを躊躇してはならん」
男の声でエストルは自身を思いとどまらせていた。そう、新生ヴェルムンティアを作るために、この水晶の向こうの男は確実に必要だ。
それはこの自身が手を汚し、命までをも尽くしても、まだ足りないほどまでに、崇高な理想の国なのだから。
「しかと、承りましょう」
「難しい事とは思いますが、貴方ならきっとやってくれるはずです。では、頼みました」
男はそう言うとすぐに水晶での通信を切っていた。夜分に遅いとは言え、通信相手は長くは怪しい行動を取れないのが現状だ。
彼の事情を知っていれば、尚更腹立てようがない。
エストルは大きくため息を吐いた後、自分がかなり窮地に立たされている事に酷く憂いていた。
「とは言ったものの、どうしたものか」
エストルは暫しの間、考え込む。
暗殺者たちが自分と全く内通していなければ、問題はないだろう。
何より、この事実を知らない方が、エストルとしては大分引き込みやすかった。
だが、一度暗殺の事実を知ってしまえば、彼らがどこかで自分達を疑っているのではという疑心に駆られてしまう。
「簡単に言ってくれるな。いくら汚れ役とは言え、これは少しキツいぞ」
エストルは一人毒づきながら、また、一つ薪を火にくべていた。
相手は裏を知り尽くした商売人だ。もしかすると、もう既に自分とあの男の繋がりに気付いているかもしれない。
そんな、周到で狡猾な男を、こちらに引き入れる事は容易ではない。
「夜は長い。じっくり考えながら、夜を明かすとするか」
薪が赤く光り、パチパチと音を立てながら燃えていく。
エストルは腰の長剣の柄を触りながら、一人、考えを巡らせるのだった。