運命の日を待とう 2
「エスティナ・アストールです。入ります!」
アストールは駐屯近衛騎士館長室に、返事を聞く前に入り込んでいた。
「やあ、そろそろ来る頃だろうと思っていたよ」
エンツォは笑みを浮かべて、エスティナを見やる。だが、その顔はいつもと違い、目だけは笑っていない。何かがあったのは明らかだ。
「来るのが、わかってた?」
「うん。まあ、大方のことはガリアール騎士団長の方から聞いてるからね」
アストールはこのガリアール城に来てから、ガリアール騎士団の取り調べを受けていた。当初は形式だけという言葉通りに進んでいた。だが、時間が経つに連れて、徐々に取り調べは厳しくなっていく。
最終的には「自白しなければ、牢獄に入れる」と脅しまがいの事を言いだしたのだ。
流石のアストールも頭にきて、言い返そうとした。そこに突然一人の騎士が入ってきて、彼女の釈放を言い渡していた。
(エンツォめ、裏で根回しして助けてくれたのは感謝するけど……)
「おかげで酷い目にあいました」
「苦労したみたいだけど、まあ、そこはこらえてくれないかな」
「……ええ。ある程度は、我慢はしますよ」
アストールは不機嫌な顔をして、エンツォを見つめる。彼は大きな溜息を吐いていた。
「全く、オーガを倒した女傑を拘束するなんて、僕には信じられないよ。どういう神経しているのか、全くもって気がしれないよ」
エンツォは笑みを浮かべてアストールを見ると、言葉を続けていた。
「ガリアールの市民は君の事を、オーガキラーと親しみを込めて呼んでるみたいだしね」
「……なんか、あんまり嬉しくない称号ですね……」
アストールは呆れ顔になりながら、答えていた。
これが男の体であったならば、むしろ光栄にさえ思えるような称号だ。
オーガを倒したことによる強さの称号でもあり、自他共に認めるような強さの証でもある。だが、生憎今は女の身である。
しかもこの世に二人といない絶世の美少女である。
そんな女性がオーガキラーなどと呼ばれるのは、些か不服でならなかった。
尊敬されているのか、畏怖されているのか、全くもってわからない。
「まあ、僕としては、そのオーガを倒した時の話を、一緒に食事でもしながら、聞いてみたいけどね」
「いえ、食事は不要です。その事について、ここに足を運んだんですから」
アストールの神妙な顔つきを見たエンツォは、顔をしかめる。アストールの言いたいことの察しが着いたのだ。
「オーガを倒せたのは、リュードと呼ばれる冒険者の協力あってです! それなのに、彼らを拘束して投獄なんて……。これはあんまりでしょ!」
アストールの怒声がガリアール駐屯近衛騎士館長室に響きわたる。
「いやー。でも、僕にはどうすることもできないんだよぉ」
たじろぐエンツォは、苦笑してアストールを見返していた。
「だって! リュード達はガリアールの市民を助けるために戦ったんですよ!? それを間者扱いでいきなり拘束するなんて、酷過ぎます!」
アストールの悲痛とも思える声に、エンツォも困り果てていた。
「でも、僕にはガリアール騎士団に何かを言う権限も干渉する権限もないんだ。例え、賄賂を渡そうとしても、最近あった賄賂問題の取り上げで彼らの面子が丸つぶれになったばかりだから、絶対に受け取らないしねー。僕にはどうすることもできないんだ」
改めてガリアール駐屯近衛騎士としての位置づけを、アストールに説明する。
各都市に配備されている騎士団の直轄は、基本的にその都市の領主にある。その特性上、基本的な行動は領主からの命令にのみ従わなければならない。
近衛騎士は国王直轄で、王立騎士は国王の下にある貴族評議会の直轄と、各自で騎士の管轄がちがうのだ。
ということは、ガリアール騎士団に対して、近衛騎士団が干渉することはできない。その逆も然りである。
「……。じゃあ、彼らを助けることはできないってことですか?」
アストールは納得のいかない表情でエンツォを見る。
「うん。そうなるね。じっと見守るくらいしか、僕らにはできないんだよ」
彼はあっさりと諦めろと答えていた。
「でも、納得できません……。リュードは確かに最低の男です。でも、ガリアール市民の為に身を危険に晒して、騎士達と剣をふるったんですよ?」
アストールの言葉に、エンツォは苦い表情を浮かべる。
「僕もどうにかできるなら、してあげたいさ。だけど、本当にお手上げなんだよ」
エンツォも残念そうに答え、アストールはその場で俯いていた。
まさか、この様な事態になるなど、思いもしていなかったのだ。
アストールも当初は、間者の疑いを掛けられていた。
だが、従者の弁護と、エンツォの近衛騎士の権限でアストールの疑いを晴らせていた。
(君の身を守る代わりに、あの三人には近衛騎士は関わらないなんて約束したこと、口が裂けても君には言えないよ)
エンツォはガリアール騎士団との取引をお思い出して、神妙な顔つきをしていた。
そう、彼はアストールを解放させる代わりに、この間者の件に関して、近衛騎士は一切の干渉はしないと約束してしまったのだ。
だからこそ、余計に関わりを持てなくなってしまったのだ。
「エンツォ騎士館長。ガリアール騎士ってそんなに腐ってるんですか?」
唐突に聞かれて、エンツォはそれでも苦笑して答えていた。
「今のガリアール騎士団は賄賂も受け取らないし、何より、妖魔を大量に港に発生させたことを許してしまったんだ。ただでさえ、功績もあげてないのに、更に恥の上塗りだよ。だがら、三人を拘束して仕事をしていると、大々的に宣伝するくらいしか、彼らには道は残されてないのさ。それに僕たち、近衛騎士の立場としては、ガリアール騎士に対して干渉はできないんだからね」
功績がなければ、でっち上げる。そこまで腐っているのが、ガリアール騎士団である。
その実情を目の当たりにしたアストールは、絶望感を覚えた。
「そんな……」
「悪いことは言わないよ。ガリアール騎士団には、関わらないようにね」
「でも……」
納得の行かないアストールは、エンツォを前にして困り果てた顔を見せていた。
「そんな顔をしないでくれよ」
エンツォは自分が本気で女性を困らせたように感じているらしく、顔を歪めていた。
それを見たアストールは、ふと思いつく。
(ん? いや、待てよ。今は絶世の美少女だよな。だったら、どうにかなるんじゃないか……)
困り果てるエンツォの表情を見て、アストールは解決の糸口を見つけて内心ほくそ笑む。
(へへ。そうだそうだ。こいつは男で、俺は女。ここは一芝居打ってやろうじゃないか!)
アストールはそう思いつつも、その表情を更に困惑させたものへと変化させる。
「そんな。そんな……。私を、私を助けてくれた人が、捕まって、こんな事になるなんて、あんまりですよ」
アストールはその場に膝をついて、ヘタリ込む。そして両手で顔を覆い隠していた。
(うわー。やっべー。自分でやっておきながら、やっぱ気持ちわりぃーな。おい)
笑いだしそうになるのを抑えるのが、功を奏してアストールの肩が震えだす。
「うぅ。私を助けてくれたお方を、この様な形で、失うなんて、これでは、私が彼らを殺したようなものじゃないですか」
アストールは鼻を啜り、涙を押さえる素振りを見せつける。
それがエンツォには、効果抜群だった。
「ちょ、ちょっちょっと! そこまで思いつめることなんてないんだよ!? これは成り行きで君のせいじゃないし!」
席に座っていたエンツォは慌てて立ち上がって、アストールの元に駆け寄っていた。
「で、でも、私の命の恩人に、こんな恩を仇を返すような真似、あんまりですよ!」
アストールは必死で涙をひねり出そうと、過去にあった悲しい事を思い浮かべる。
だが、一向に涙は出てこない。
どうにか鼻をすすることで、嘘泣きを演じているが、ここまで近寄ってきたエンツォを前に演技を貫き通せるか、自信がないのだ。
せめて、涙さえ出てくれば……。
(ん? あれは……)
ふと目を机の前に向けると、長机の隅には埃が溜まっているのが見えた。
(こ、これだ!)
アストールは少々大げさに床に顔を伏せていた。
「そんな、そんなああ、これじゃあ、あんまりですよおお」
「ま、待て、あ、ここで泣くんじゃない! 泣かないでくれ!」
たじろぐエンツォを背に、アストールは床にある埃を、息で吹いて目に入れる。
少々の痛みを伴いながら、埃が目に入ることによって反射的に涙が出てきていた。
「あ、ああ、お願いだから、泣かないでよ、ね?」
ようやくエンツォはアストールの肩に手を置いて、上体を起き上がらせる。
そこには完璧に、頬を涙で濡らした美少女が、降臨していた。
「では、エンツォ騎士館長、リュード達をどうにかして、助けてくださいませんか?」
「え、いや、それとこれとは、話は別でさぁ……」
意外にもあっさりと断ろうとするエンツォを前に、アストールは再び泣きそうな顔をする。
「うう。やはり、私は、あの方達を殺してしまうのですね」
「え、いや、そういうわけでは」
「うう、もう、もういいです。ここまで頼りないなんて、聞いてなかったですよ」
アストールは立ち上がって、その場から駆け出そうとする。
エンツォはそれを慌てて止めていた。
「ああー!! 待って、泣きながら出て行かないで! これ以上変な噂が広まったら、ヤバいんだ!」
それでも、アストールは足を止めようとはしない。それにエンツォは慌てて彼女に声をかけていた。
「ああ! 待った! 分かった! 分かった! わかったから! 出来るだけの努力はするからさ! 尽力はするよ! だから、待ってってば!」
アストールは背中にかかる大声に、笑みを浮かべていた。
完全に相手の弱点に付け込んだやり方に、内心苦笑する。以前なら力ずくでやらせていただろうが、今やこのような姑息な手を使うようになるとは、思いもしなかった。
アストールは背を向けたまま、声のトーンはそのままに、エンツォを問い詰める。
「ほ、本当に、助けてくれるんですか?」
「あ、ああ。努力はする! 結果は保証できないけど、やれることはする!」
アストールはエンツォの言葉を聞くと、今までより声のトーンを上げて振り返る。
「その言葉、覚えておきますわね!」
そこに泣きっ面はなく、元の美少女が満面の笑みがあった。
「ありがとうございます! やっぱり、エンツォ騎士館長は、やってくれる人だと思いましたよ!」
満面の笑みのアストールを見た瞬間、エンツォは額に手を当てていた。
「ああー。僕としたことが、やられた……」
「では、私は私で彼らを助けるので、今後はご協力くださいね」
笑みを浮かべたアストールは、エンツォに背を向けて歩みだしていた。
「ああ……。わかったよ。全く、君にはかなわないよ……」
エンツォはただ、力なく呟くように返事をするのだった。