レニの戦場
次々とやってくる負傷者たち、老若男女の区別はなく、順にベッドの上へと寝かされる。
彼ら負傷者治療は、看護師や神官が行なっていた。
漁師の男や一般の女性とその子ども、はたまた人夫や老齢な商人、騎士と、職種や人種も様々だ。ただ、一つ言えることは、それらの全ての人々が、妖魔によって傷つけられたことだ。
そんな負傷者が運び込まれるテントの一画で、その場に似つかわしくない可愛らしい格好をした少女……、ではなくスカートを履いた男の娘が忙しそうに駆け回っていた。
「はい、これで大丈夫!」
一人の男の幼児を見終わったレニは、笑みを浮かべる。
その笑みがまた天使のごとく可愛らしく、幼児もつられて笑みを浮かべて言うのだ。
「ありがとう。おねえちゃん!」
その言葉を聞いた時、レニは大きく肩を落としていた。
(う、うそだ……。こんな純粋無垢な子供にまで、女の子呼ばわりなんて)
だが、感謝されていることには変わりなく、なぜか悪い気はしない。
レニの顔に再び元の笑顔が戻り、彼もすぐに返事をしていた。
「いいんだよ!」
だが、ここでレニを再びどん底に落とす言葉がかかる。
「ありがとうございます! こんなに可愛らしいお嬢さんなのに、神聖魔法が使えるなんて、さぞかし、ご苦労をなっさたのでしょうね」
幼児の母親が心配そうにレニを見ると、彼は疲れきった顔で母親を見る。
「ええ。まあ、そうですね」
助けた人の嬉しそうな表情を見れる反面、レニのプライドを見事にズタズタに引き裂く女の子扱い。その母親につい口走っていた。
「今もこうやって、苦労はしてるんですけどねー」
「え? あら、そうでしたか。す、すみません」
何を勘違いしたのか、母親は苦笑してその場を早々にたちさっていく。
態々呼び止めて事情を説明するわけにもいかず、レニは自分の発言を後悔する。
「お~い、お嬢ちゃん。こっちにも負傷者がいるんだ! 早く手当をしてやってくれ」
などと、その場を取り仕切る騎士に言われ、レニはため息をついて走り出していた。
彼が駆けつけた先には、妖魔に胸を斬りつけられた騎士が、辛そうに横たわっている。
胸には包帯が巻かれ、顔色も優れない。普通の医者が見れば、匙を投げるかも知れないほどの重傷者である。
「う、これは酷い傷ですね……」
包帯の上からでも血が滲み出ているのが分かり、早急に治療しなければ騎士の命が危ない。レニの顔付きが急に変わり、周囲が彼に目を向けていた。
レニは周囲の様子を気にすることなく、負傷者の包帯を手際よく取る。レニは精神を集中させて両手を傷口にかざしていた。そして、すぐに詠唱する。
レニの詠唱が終わると同時に、彼の両手が仄かな黄色い光を放ち始める。
脂汗をかいて苦しみの表情を浮かべていた騎士が、見る見るうちに表情を安堵するものへと変えていく。周囲はそれを見て、また一層と盛り上がるのだ。
「す、凄い。ここまで完璧にアルキウスのご加護を使いこなす人、初めて見た」
「神官戦士でも、あんなに上手くは使えないだろう」
「ええ。私達でも彼女みたいに、上手く使いこなせいわ。あれは天性の才よ」
周囲にいた騎士や、手の空いた神官戦士、その場にいた周囲の人々が、レニを見つめて口々に言うのだ。
「彼女はこのガリアールの聖女だ!」
幸い傷を治すことに集中しているレニの耳に、その言葉は届くことはない。
それが唯一の救いとも言えた。
騎士の傷が癒えて、騎士が一命を取り留めたのが誰の目で見てもわかる。
レニは安堵のため息をつくと、額の汗を片手で拭って微笑を浮かべる。
「これで一応の治療は完了しました。後は、他の神官戦士に任せます!」
レニは緊急的な治療を澄ますと、休む間もなく次の患者の元へと駆けていく。
その一生懸命な姿を見て、その場に居た全ての人々は元気づけられていた。
レニにとっては、願ってもみなかった活躍の場だ。人を助けて感謝されることほど、彼にとって嬉しいことはない。だが、彼は一つだけ、大きなミスを犯していた。
それは……。
「お、お嬢さん! こっち、こっちにも重傷者が!」
「お、俺、さっきの戦いで腕を斬られたんだ」
「血が、血が止まらないよ! 助けて!」
などと口々に叫ぶ軽症者の男たちだった。
女装したレニの姿を見た男たちは、レニを完全に女の子と見ていた。普通の少女が着る服を着ていながらにして、神聖魔法を使いこなす。それに加えて、聖女というに相応しい愛らしさを持っていた。
そんなレニが、遊人の多いこのガリアールの男たちの目に止まらないわけがないのだ。
(うぅ……。男なのに……。好きな人だってちゃんといるのに……。僕を、僕を誰一人、男としてみてくれないなんて……)
そんな内心とは裏腹に、レニは軽傷の騎士達も差別することなく治療をこなしていた。
(もう、こうなれば、どうにでもなれ! やることやれれば、それでいいんだ!)
レニは少女と思われることに、半ば諦めて半分自棄に治療を行なっていた。
大勢の人々がレニに感謝し、温かい目で彼を、聖女として敬い出す。
そうして、大方の一段落が着き、疲れきったレニは、廊下の片隅にある椅子に座って休憩を取る。
だが、しかし、彼に安息の場などなかった……。
「ねえ、君、どこでそんな神聖魔法を覚えたの?」
「え、えーと、ヴァイレルの神殿で」
そう、休憩をとっているレニの前には、彼の治療を見た神官戦士が話を聞きにきていた。
精神的に疲れてはいるものの、相手にしない訳にもいかず、たじろぎながらも答える。
数名の神官戦士達は、レニに興味津々で彼に質問を浴びせていた。
「アルキウスの加護をどうすれば、そんなにうまく使いこなせるの?」
「え、えーと。厳しい修行に耐えてこその賜物だと……。制御の力加減は、やっぱりその人個人の回復力に合わせて調整しないといけませんし、何より基礎の基礎が最も大事なんで、常に修行を怠らないことです」
「へー。まるで、神官戦士のようなことを言うんだねー」
白装束の女性の神官戦士を前に、レニは大きな溜息をついていた。
「こんな格好してますけど、僕も神官戦士です……」
「ええ!? 嘘!!! こんなに小さいのに神官戦士なの!?」
「はい」
驚嘆する女性神官戦士を前に、レニはそれでも名前だけは名乗れなかった。
神官戦士界の中で、レニはかなり名が知れている方だ。本人も多少なりとも自覚はあって、ここで名乗れば自分が女装趣味だと勘違いされかねない。
(やっぱり、名乗るのは、やめておこう)
「あ、そういえば、ヴァイレルの方で最年少神官戦士がいるとか、言ってたわねー。もしかして、君のことなの?」
返事をすることなく、レニは大きく嘆息していた。
年齢だけで大方の察しがついてしまっていたのだ。
「あー、えー」
口ごもるレニを前に、女性は彼に顔を近づける。
「でも、確か、その子って男の子って聞いてたけど……。君は、まあ、女の子だしねえー」
(うう、酷い……。僕は、本当は男なんだ)
着ている服さえ神官戦士の白装束であれば、キッパリと男ですと言えただろう。
だが、今着ているのは、緑色のワンピース。スラリとした生足の見えるスカートに、髪飾りを着けていて、誰がどう見ても言い逃れできないほど、美少女なのだ。
「た、多分、それは人違いでしょう……」
レ二は死んだ目で、女性に言っていた。彼女もなぜかそれに納得して頷く。
「そうだよねー。男の子がこんな格好するわけないしね」
笑顔の女性に対して、レニは乾いた笑みを浮かべる。
自分が男であるということを、隠さなければならない状況。
それはレニが最も望まない状況であった。
「レ、レニさん!」
一人の少年の騎士が女性の後ろから、彼の名前を呼んでいた。
年もまだ十代と見え、もしかすると、騎士見習いなのかもしれない。
清潭な顔はどことなく照れくさそうな表情をしていた。
「え? あ、はい」
「ガリアール城に至急戻るようにと、エンツォ騎士館長より言付かっています」
「え? あ、何かあったんですか?」
レニは何も呼ばれる由縁がないことに、疑問に思って少年騎士に聞いていた。
「自分にもわかりません。ただ、エスティナ様関連のことだと聞いてはいますけど……」
はっきりと答えられない騎士を前に、レニはその疲れた体に鞭打って立ち上がる。
「そ、そうなんですか? じゃあ、すぐに行かないと」
レニは主人の名前を聞いて、すぐに身支度にかかろうとした。だが、持っていくものがないことに気づいたレニは、すぐに騎士に背を向けていた。
「あ、あの、レニさん!?」
急に若い騎士がレニを呼び止める。
「え? あ、はい?」
何かまだ用があるのかと、レニが振り向く。
彼を前にして若い騎士は顔を真っ赤にして、レニを真正面から見つめていた。
年齢はほぼ同年代で、こういう経験も未熟なのだろう。何よりレニは彼を見て嫌な予感をすぐに感じ取っていた。
「あ、あの! あなたの直向きな姿に惚れました! 今度、僕と一緒にお茶でも行きませんか!?」
彼の言葉を聞いたとき、レニは大きく絶望していた。女の子として見られるということは、同年代の男子からも口説かれることもあるということ。
その事実を前にレニは言葉を返すこともできず、ただ一言だけ返すのだ。
「ごめんなさい! 僕は、君の期待には答えられない!」
すぐにレニはその場を駆け出していく。
人生で初めて告白された相手が男であったのだ。
受け入れがたい事実を背に、レニは走っていた。一人の純情な少年騎士見習いの恋心を見事に打ち砕いて……。
レニの悲劇は、まだまだ続くのだった。




