混乱の港 4
筋肉質な背中に突き刺さった六本の氷柱。
オーガは小さく呻きながら、その場に片足をついていた。
「やったか……」
アストールは目の前の巨人を、冷静に見据える。
オーガはそれに気づいて、急にその場から立ち上がり、大きな雄叫びを上げていた。
耳をつんざく大きな叫び声が港に響く。
アストールは思わず両手で耳を塞いで、オーガを細目で見る。
オーガは気合を入れて背中の筋肉を張る。
弾けんばかりに貼られた筋肉が、バン!という有機物ではありえない音をだし、あろうことか突き刺さっていた氷柱を、背中から押し出していた。
ゴロゴロと音を立てて、氷柱が桟橋に転がっていく。
「んな、馬鹿な……」
アストールは絶句しつつ、その場から、二歩、三歩と、知らずの内に下がる。
「あ、武器! 武器だ!」
丸腰であることに気づいて、アストールは体を弄る。
だが、出てきたのは、頼りない護身用のナイフだけ。
剣をも折る妖魔相手に、ただのナイフで立ち向かうのは、棒きれを持って立ち向かうのと同義であった。
「まじで終わったかな。コレ……」
万策尽きて、苦笑するアストール。だが、それでも、ナイフを握る手には力が入る。
「でも、諦めは悪いんでね! 最後まで、戦わせてもらうぜ!」
アストールは片手でナイフを構え、オーガと向き合う。
「エスティナよ! 拙僧が再び魔法を詠唱するまで持ちこたえよ!」
ジュナルの魔法でまだ勝ち目が残っていることが、アストールを突き動かしていた。笑みを浮かべたアストールは、真正面からオーガに立ち向かおうとする。
その時だった。
ジュナルの横を素早く何者かが駆け抜けていき、オーガ目がけて突進していく。
「うおりゃああ! この勇者リュード様がクソ妖魔どもを成敗してやるぜ!」
リュードがオーガの背中に迫り、大剣を思い切り叩き付けていた。
その姿はかつて男であった頃のアストールを思い起こさせる。
断末魔の叫びが響くと同時に、オーガの背中に大剣の肉厚な刃が、筋肉を押しつぶしながらめり込んでいく。
「あいつは女がらみとなると、見境なくなるな」
再びジュナルの後ろから、もう一人の男が現れる。顔に傷痕がある小麦色の健康的な肌をした体格のいい男だ。手には短槍を持っていて、身のこなしからも一瞬で玄人と分かる。
「全く呆れますよ。あの癖さえなければ、本当に勇者と言えるんですけどね」
その男の横には白い服を着た金髪の青年が立っていた。手には杖が握られていて、彼も魔道師であることがすぐにわかる。
「おらああ! 覚悟しやがれ! 大人しくリュード様のこの大剣の錆になりやがれ!」
アストールは青年を前に、呆然と突っ立っていた。
「リュードって、さっきの男……」
そう、今、オーガと対峙している大剣使いこそ、カフェでアストールをナンパしようとしたリュードであったのだ。
あの時は只者ではないとは思ったが、そこまで強い男には見えなかった。だが、オーガを相手に巧みに立ち回って次々と攻撃を浴びせていく。
その姿は正に、玄人の戦士そのものだ。
右に左にと、大剣をいとも簡単に振り回し、オーガを切りつける。
オーガはそれでも時には身を下げて、致命傷を避けたりする。時には手の大なたで大剣の一撃を防ぎきったりしてみせる。
「おらおら! さっさと死にやがれ! しぶてええええ!!」
絶叫するリュードはオーガを翻弄するも、なかなか致命傷を与えられない。
背中の傷でオーガの動きは鈍ったものの、流石は上級妖魔なだけあって、中々倒れない。
体力、知力、共に馬鹿にはできないのだ。
「余裕をかますんじゃない! 相手は上級の妖魔だぞ!」
クリフがリュードの横に駆けてきて、その短槍でオーガを牽制する。
素早い槍さばきで、オーガの腕や脚を斬りつけていく。
オーガはそれに対応しきれずに、短槍の刃が体を削り出す。
だが、削れるのは表面の皮と肉だけで、筋肉を断ち切るまではいかない。
「ち! 人間相手とは訳が違うな!」
クリフが毒づくと、オーガは大鉈を横凪する。
リュードとクリフは素早く後ろに下がり、それを回避していた。
そこに突然、氷の氷柱がオーガの正面より飛んできていた。
今度は倍の数の12本、その全てがオーガに迫っていた。
オーガはその内の、8本を大鉈の一凪で叩き落とし、顔に迫った四本を反対の左腕をかざして受け止める。筋肉にまで深く突き刺さった氷柱は、左腕の動きを奪っていた。
「どうやら、あいつ、戦う毎に、学習してるみたいですね」
魔法を唱え終えたコレウスが、表情を引き締めて言っていた。
「そのようですな。それにしても、御若いのに、拙僧と同レベルの魔法を繰り出すとは、貴方は魔法の才の塊のような方ですな」
ジュナルは笑みを浮かべて、横に立つコレウスに話しかけていた。
「いえいえ、そんなことはありません。魔法のキレはあなたの方が上です」
そう、二人は同時にアイス・ツァイフェンを唱えて、オーガに放っていた。
だが、オーガは正面を向いていて、易易と魔法を急所には当てさせてはくれなかった。
一瞬の隙を見て、再びリュードとクリフが、オーガに肉薄していく。
油断のならない攻防が、アストールの目の前で繰り広げられていた。
「すげえな。あいつら。魔術師はジュナルと張り合うし、あの二人はオーガを圧倒してる……」
アストールは連携のとれた四人を、感心しながら見ていた。
「エスティナ殿! ご無事でしたか!」
突然横からかかる声に、アストールは顔を向けた。
桟橋と対する岸に、ウェインが立っている。その手には、エメリナより貰った長剣が握られていた。ウェインの後ろでは既に騎士隊と妖魔の乱戦が始まっている。
「ウェイン! ……様」
いつもの勢いでウェインを呼び捨てにしようとして、すぐに思いとどまる。アストールは命令までしようとしたことに気付いて、苦笑していた。
(そうだ。今は女の身だ。ウェインはあくまで俺より上の立場だ)
一呼吸おいて、アストールはすぐに叫んでいた。
「その剣を投げてくださいませんか?」
対岸から桟橋までの距離は、船が一隻入れる程度の距離しかない。
しかし、甲冑で完全武装しているウェインが、長剣を投げて桟橋まで届く保証はない。彼もそれを考えたのか、一瞬躊躇していた。
「しかし、そちらまで届くかは……」
「やってみないと、わかりませんわ! お願いです。こちらに投げてください!」
ウェインはため息を吐くと、剣を持って振りかぶる。そして、思い切りブリをつけて投げていた。
弧を描いて空中を舞う長剣。
海に落ちる手前で桟橋の床にあたり、乾いた音を立てて滑っていた。
偶然なことに、長剣はアストールの足元にまで滑ってきて、彼女は笑みを浮かべて長剣を拾っていた。
「ありがとうございます! ウェイン様! 後で何かお礼をさせてくださいね!」
アストールの美声にウェインは、少しだけ頬を赤らめると、甲の面を下ろして彼女に背を向ける。その仕草を見たアストールはクスリと笑うと、手に持った剣を見つめる。
柄頭には小さな緑色の宝石が填められていて、銀色の装飾の施されていないシンプルな柄と鞘が目に栄えて映る。
荘厳さを感じつつ、アストールは鞘から美しい白刃を抜いていた。
太陽の光を反射する綺麗な刀身が、造りの良さを強調する。
「ふふ。これがこの剣の初めての実戦か。相手も不足はない」
不敵な笑みを浮かべたアストールは、オーガに向かい走り出す。
幸いなことに、リュードとクリフが気を引いていて、オーガの背中はガラ空きだ。
「ああ、さっきの可愛娘ちゃん! 危ないから下がってなよ!」
「よせ! 死にたいのか! 俺たちに任せておけ!」
オーガと相対するリュードとクリフは咄嗟に叫ぶ。
「御生憎様、美味しいところは頂いていきますよ!」
だが、アストールは更々逃げる気などなかった。
背中を見せるオーガは、痛みからか完全に猫背となっている。アストールはオーガの後ろまで迫ると、身軽さを生かしてオーガの背中を駆けあがっていた。
オーガもそれに気付いて、彼女を振り落とそうとする。だが……。
「これで終わり!」
オーガが行動に移るよりも早くに、アストールは剣を首元に容赦なく突き立てる。
突き立てた剣は、予想外に感触が軽く、アストールは戸惑う。
今まで使ってきた剣で、ここまですんなり妖魔の体に突き刺さる剣などなかった。だが、剣の白刃は頸部から喉元まで、完全に貫通していた。
掠れた声を上げ始めるオーガを前に、リュードとクリフは唖然としている。
「え~と。オーガが怖くないのかな……」
「無茶苦茶だ。信じられん。なんなんだあの剣は……」
などと、独り言をつぶやく始末だった。
そんな二人を気にかけることなく、アストールはそのまま剣を横に滑らせていた。
肉を磨り潰すのではなく、綺麗に斬りさいていく感触が手に伝わる。
本来ならば、骨に当たって剣の刃が止まってもおかしくない。だが、彼女の剣は切れ味が落ちることなく、そのままオーガの首を切り裂いていた。
「すげえ、切れ味……」
自分の剣がオーガをいとも簡単に切り裂いていく。
大剣でさえここまで綺麗に断ち切ることはできないだろう。
アストールは異様なまでの斬れ味の良さに、愕然としていた。
オーガはアストールを背中に乗せたまま、断末魔を上げることなく、その場で硬直する。
次の瞬間には、うつ伏せに倒れこんでいた。
「お、うわああ!」
大きな音と共に、桟橋が大きく揺れる。
オーガの背中にちょこんと座り込むアストールは、こんなに簡単にオーガが倒せたことに驚きを隠せずにいた。
あそこまでの大きな妖魔は、ジュナルの補助魔法が無ければ、その肉を切り裂くことさえ困難だ。ましてや、そこらの騎士達の剣と、肉厚は少し薄いだけで、外観はさほど変わらない。
その剣が補助魔法もなしに、オーガを切り裂いたのだ。
騎士達の剣では妖魔相手に切れ味が悪い。だからこそ、叩いて潰して引きちぎる、刃こぼれの心配ない大剣を、アストールは好んで使っていた。
その努力が、この一振りで水泡とかしていたのだ。
(な、なんだよ。コレ……)
一人オーガの上でアストールは苦笑する。
「無事であったか!?」
「大丈夫ですか?」
「やるじゃないか」
ジュナルとリュード、クリフがアストールの元に駆けより、アストールの体を気遣う。
「この通り、ピンピンしてる」
剣を片手に持ったまま、アストールはオーガの背中から桟橋に降りる。
「す、凄いね、君。名前はエスティナっていうんだね!」
リュードは満面の笑みで、アストールを見つめていた。
あのオーガを一撃で仕留めたのが、絶世の美少女なのだ。リュード好みの可憐な少女が、こんな特技を秘めている。
その魅力にますます、彼は惹きつけられていた。
リュードに名前を呼ばれて、アストールはため息を吐く。
「危ないところを助勢していただき、ありがとうございます。感謝はいたします」
至って事務的に答えるアストールを前に、リュードは目を輝かせて聞いていた。
「君、本当に凄いよ! 度胸も据わってるし、剣捌きも美しい。まるで、戦場に舞うバラの如く美しい。本当に美しいの一言では済ませれないほど……」
「ジュナル! すぐにコズバーンとメアリーを援護しに行きましょう」
リュードは大袈裟に両手を広げて、アストールを褒め称えていた。だが、褒め言葉が口説くなり、アストールは最終奥義、無視を繰り出していた。
「ですな。いまだにコズバーン達も苦戦しているようですしな」
リュードを相手にすることなく、アストールとジュナルは桟橋の入口へと向かう。
「あ、だったら、俺たちも手伝うぜ!」
リュードが名乗り出るものの、アストールはそれに何も答えずに背中を向けていた。
ジュナルは後ろを気にしつつも桟橋に向かう。
「まったく、釣れないねぇ……。でも、そっちの方が、攻め甲斐がある!」
「リュード。あの女には深入りしねえ方がいいと思うがな」
クリフがリュードの横に歩み出て、呆れながらに助言する。
「うっせーな。クリフは一々口うるさいんだよ」
「リュード。君はもう少し、年上の人に対する言葉遣いを考えた方がいいよ」
コレウスもリュードの横に来て、彼に痛い一言を浴びせる。
「そういうコレウスは、俺より一つ下だろうが!」
リュードが憤慨するも、整った顔立ちの好青年コレウスは涼しい顔で答えていた。
「あれ、そうだっけ? それよりも、手伝うなら、早い方がいいよ」
コレウスが視線を向けると、桟橋近くではすでにアストールが戦い始めている。
切れ味のいい剣が、コルドをいとも簡単に引き裂いていく。
ジュナルがその後ろで魔法を唱え、的確に炎で妖魔たちを炙っていた。
「そうだな。じゃあ、二人とも、いつも通り、行こうぜ!」
リュードが調子よくアストールの尻を追いかけて走り出す。
「全く、これは一銭にもなんねえ労力だってのが、わかんねえのか。あのバカは……」
「仕方ないですよ。リュードの楽しみと言えば、女あさりくらいですからね」
呆れるクリフとコレウスは愚痴りながら、彼に続いていた。
こうして、ガリアールの港で起きた妖魔の大量発生は、アストール達や駆けつけた騎士隊の活躍によって、早急に鎮静化していくのだった。