混乱の港 3
アストールは走りながら後ろをちら見する。レニが指示通りに騎士を連れて行くのを見て、すぐに安堵していた。
これで正面の戦闘に集中していられる。レニを後方に下がらせたのは、彼が戦闘をあまり得意としていないという事と、年齢が若すぎる事の二点だ。
この乱戦の中、彼を守りながら戦うのは、この体では流石に無理がある。
だからこそ、メアリーに背中を任せて、港の戦場に出ていた。
普段ならば多くの人々が行きかい、活気のあるはずの港。だが、そこには多くの妖魔が徘徊している。下級妖魔のコルドに、上級妖魔のトロイコプス、それをも上回る強さを持つと言われるオーガまでもが、港を我が物顔に闊歩していた。
「まさか、本当にゴルバの野郎が、ここであの魔晶石を使ったんじゃ……」
それ以外に可能性は考えられない。
あの万全の警備を敷いた王城にさえ、妖魔を召喚したのだ。ガリアールの港に召喚することも、容易なはずだ。
「だったら、近くにいるかもね!」
一緒に駆けるメアリーが、アストールに真剣な表情で言う。
「だといいがな。これが逃げるためにやったことなら、もう、ガリアールにはいないかもな」
アストールの言う事は尤もだった。
ゴルバルナが七体のトロイコプスを召喚した時、あの男は混乱に乗じて逃げ果せていた。その事を考えると、ここにゴルバがいる可能性は限りなく低くなる。
「ま、それはそれね。今はここで戦うしかないよ」
メアリーは周囲の状況を見て、改めてどこに行くかに迷う。
彼女たちの目指す奥の方では、先に到着した騎士隊が戦闘を開始している。
だが、実戦経験の浅い兵士たちは完全に妖魔に押され気味だ。
そんな中、二人の男たちが奮戦しているのが見えた。
一人は超がつく巨漢、素手でコルドを殴り飛ばし、踏み潰し、片手の大剣で真っ二つに胴体を断ち切る。その姿は正にオーガそのもの。
オーガと並べてみても、その破壊力は引けを取らない。
「コズバーン!」
「あっちにはジュナルがいるよ!」
メアリーが指さした先、桟橋の上でオーガと対峙するジュナルが見えた。彼は振られる大ナタを巧みに避けて、魔法を放つタイミングを伺っている、
防戦一方と言ってもいいほどの劣勢だ。
「まずいな。ジュナルがきつそうだ。メアリー、援護してやれるか?」
アストールが心配そうに言うと、メアリーは苦笑する。
「ちょっと、距離があるし、無理かな」
「なら、あっちまで向かおう!」
二人は立ち止まることなく、桟橋の入口近くのコズバーンの元に駆けていく。
その後ろを妖魔たちが追い始めるが、後方に到着した騎士隊が妖魔と戦闘を始め、二人を追う妖魔の数も減っていた。
進行方向には多くの妖魔がいて、アストールは正面に立っていた一匹のコルドの頭を斬りつけて怯ませる。
コルドたちは幸いなことに統率が取れておらず、集団で襲いかかっては来ない。
それが唯一の救いとも言えた。
メアリーは走りながら弓矢を構え、正面のコルドに狙いを定める。
キリキリと弦が音を立てて、次の瞬間には弾かれた弦の音と共に、矢が飛んでいく。
一直線に矢はコルドの頭部に飛んで、突き刺さっていた。
そうして、二人は進行方向の邪魔者を、次々に排除していく。
「ねえ、あれ、コズバーンの近くって、ヤバくない?」
メアリーが走りながら、巨漢の男を見やる。
「ああ、滅茶苦茶、楽しそうだな……」
コズバーンの周囲を見たアストールは苦笑する。
彼の周りには多くのコルドとトロイコプスが群れていて、次々に襲いかかっていた。
コズバーンはそれをいとも簡単に倒していくのだが、その数が問題だった。
桟橋前の妖魔の群れは、その場がコルドの肌の緑一色になるほど、大量に密集している。
いくら、コズバーンが強いからと言って、すぐにジュナルの元に行けそうにはなかった。
「コズバーン! 援護するわ!」
メアリーが叫んでコズバーンの背後のコルドを弓矢で射抜く。
それに気づいたコズバーンは、笑みを浮かべていた。
「ふむ。ようやく主の到着か」
アストールとメアリーは、コズバーンの後ろまで駆け寄る。
それに伴って後ろを追い掛けてきていたコルドが迫り寄り、三人を包囲していた。
「ぬう、お主らが来たはいいが、妖魔が増えたではないか!」
コズバーンが珍しく愚痴を漏らし、アストールも苦笑する。
「仕方ないでしょ、そうなっちゃたんだから。それよりも、桟橋には行けそうにないわね」
アストールは目と鼻の距離にある桟橋に目をやった。コルドの群れが犇めき合い、所々に背の高いトロイコプスが散見していた。
「うぬ……。我が大斧、バルバロッサがあれば、あやつらなど、一薙ぎで終わるのだがな」
「ない物求めても仕方がない。とにかく、桟橋まで渡れるように道を開かないと……」
ジュナルが非常に危険だ。
ジュナルは魔術師とはいえ、それなりに身体能力が高いが、如何せん持久力はない。息を切らせているのが、アストールの位置からでも窺えた。
ひたすら大ナタを振り続けられては、ジュナルもまともに魔法の詠唱もできない。
アストールは剣を振るいながら、妖魔を遠ざける。その隙に咄嗟に出た考えを、コズバーンに伝えていた。
「コズバーン、私を桟橋の向こう側に投げられるか?」
ジュナルを助けるための最終手段。
コルドの群れを正面から突破できないとなれば、その上を通ればいいだけ。
アストールの考えに、コズバーンは少しだけ躊躇する。
「ぬう、できぬこともないが、失敗すれば死ぬぞ? 本当にするのか?」
もしも、失敗すれば妖魔の中に落ちて、ズタズタに引き裂かれる。
その危険もあり、コズバーンはあまり乗り気ではないのだ。
「もちろんだ。仲間が危ないのに、見捨てられはしない!」
アストールは目の前の妖魔を切り捨てると、そう叫んでいた。彼女の言葉を聞いたコズバーンは、豪快に笑う。
「ぬははは! 流石は我が主だ! よかろう! 我が腕に掛けて、お前を桟橋まで投げてやろうではないか!」
コズバーンは一旦、メアリーに戦闘を任せると、すぐにアストールを抱き上げる。
「ぬおおおりゃあああ!」
コズバーンは両腕で彼女を抱えると、そのままボールを投げるかの如く、勢いよく彼女を投げ飛ばしていた。
アストールの眼下を多くの妖魔が通り過ぎていき、あっという間に桟橋近くにまで到達する。
かと思いきや……。
「コズバーン! 勢い良すぎだ!」
アストールの体は桟橋から外れ、海面へと真っ逆さまに落ちていく。
大きな水しぶきが上がり、桟橋を濡らしていた。
服が水を吸って、体の動きを鈍くさせるものの、どうにか海面まで頭を出す。そして、曳航ロープをかける杭に手をかけて、すぐに桟橋の上へと足を踏み入れていた。
幸いなことに、コルド達はコズバーンに意識が行っているのか、桟橋へは上がってきていない。目の前にいるのは、オーガとそれに対峙するジュナルだけだ。
「ジュナル! 助太刀する!」
アストールが叫び声をあげて、オーガに突進する。ロングソードを振り上げて、思い切り白刃を足に叩きつける。
オーガが悲鳴を上げ、その場に蹲る。
はずだったのだが……。
思い切り振りこんだ白刃は、オーガの筋肉に食い込みはした。のだが、オーガが足に力を入れると同時に、食い込んだ白刃が甲高い音を上げて、文字通り、真っ二つに折れていた。
「ええ!? ちょっと、剣が折れたああ?」
ゆっくりとオーガはアストールに向き直ると、その醜い顔で彼女を睨みつける。
「あ、いや、ちょっと、これには、深い事情があって……」
言い訳するアストールの言葉が通じるわけもなく、オーガは容赦なく大ナタを振り上げて襲いかかってくる。
「ちょ、ちょっと、勘弁してええ!!」
アストールは素早く身を転がし、大ナタの一撃を避けていた。桟橋が大きく揺れて、床が滅茶苦茶に捲れ上がる。
「や、やば!」
アストールはその威力に肝を冷やしていた。
「エスティナよ! 少し持ちこたえよ! 拙僧が奴に魔法にて止めを刺してみせます!」
オーガがアストールに気を取られた隙に、ジュナルは即座に魔法の詠唱にかかる。
「なんで、剣が斬れないどころか、折れちまうんだよ!!」
アストールの使っていた剣は、あくまでも騎士の剣。彼女の普段使用していた大剣と、同様の扱いをすれば、刃はあっという間に痛むだろう。
それが妖魔相手なら尚更だ。
強靭な肉体と骨を斬りつけていれば、普段よりも刃の磨耗は格段に早い。質が悪ければ、最悪、先程のように折れてしまうこともザラだ。
「だああ! もうちょっと丁寧に扱えばよかったああああ!」
右に左にと振られてくる大ナタを、アストールは叫びながら身軽に避けていく。
濡れた服といえども、鎧ほど動きにくいわけはない。むしろ、鎧を着けていないからこそ、身軽に動いてどうにか避けきれる。
王城に戻って武装してこなかったことが、逆にアストールの命を救っていた。
「万物の現象を司る力の根源の象徴よ。我が力をこの杖を通じて発現させよ。氷の精霊プリズマーの力を借り、ここに水の力を集め、結氷せしめよ! いでよ! 氷の剣! アイスツァイフェン!」
ジュナルの詠唱が終わると同時に、構えていた彼の正面に、霧が集まっていく。その霧が三角錐状に圧縮され、六本の氷柱が出来上がる。
ジュナルが構えた杖を思い切り前に振るうと、氷柱はオーガに目掛けて一直線に飛んでいく。
中空を舞う氷柱は、目にも止まらぬ速さで、オーガに迫っていた。
「これで倒せる!」
アストールが叫ぶのと同時に 六本の氷柱はオーガの背中に全て突き刺さる。
激痛で跪くオーガを前に、アストールは思わず片腕を前に持ってきて拳を握り締めていた。
「よっしゃああ! これでぶっ倒せたかああ!」
もはや、自らが女であることを忘れて、言葉遣いも男そのものになっている。
アストールはジュナルの攻撃に絶対の信頼を置いていた。今の今まで、彼の攻撃を受けて立ち上がった妖魔はいない。
だが、しかし……。