混乱の港 2
「船の中から様子を見守るって言ってもさあ、これはあんまりだろ……」
桟橋の最も奥に位置している船舶から、顔を出す黒髪の青年は船べりから顔だけ出して外の様子を窺っていた、
港は突然現れた妖魔の群れに襲われ、完全に混乱状態にある。
コルドの群れに襲われる女性や子ども、それを守ろうと木の棒で果敢に殴りかかる漁師や船乗り。だが、無情にも彼らは逆に妖魔達の強靭な肉体の前に倒れていく。
混乱を極めて人々が我先にと逃げる中、警備の騎士達は必死で避難を誘導していく。
だが、それも妖魔の群れが押し寄せることで、妖魔退治に向かわなければならなかった。
「だああ、ちっくしょう! なんで、行っちゃダメなんだよ。クリフ!」
黒髪の青年は苛立たしげに、横にいた体格のいい小麦色の肌をした男に聞いていた。
「言っているだろう。リュード。ここはヴェルムンティア王国で、俺たち異国の探検者が好き勝手したら、後が面倒なことになるんだと」
「だからって、目の前の人間を見捨てろってのか!?」
リュードが苛立たしげに言うと、クリフは黙ってうなずいて見せていた。
「仕方ないだろう。俺たちは余所者だ。首を突っ込んでもいいことにはならん」
「でも、見捨てるのは、いかがなものかと思いますけどね」
その横に端整な顔立ちの金髪の青年が現れて、クリフを問いただす。
「コレウス……。お前まで……」
端正な顔立ちの青年は、白い服を着ていて一見神官戦士にも見える。だが、実際の所は、魔術師である。
魔術師界ではある程度名の知れた人物でもある。通り名はヴァイス・シャルフリター(白い処刑人)という名を冠している。そんな彼も、この惨劇を前に憤っていた。
「とはいえ、クリフの言うことも尤もです。なにせ、僕たちは西方同盟の人間ですからね」
このヴェルムンティア王国が西方遠征を開始した時、早々に三つの大国が王国に敗北して滅んだ。それに危機感を抱いて、西方諸国が同盟を結んだ。
その同盟の名前が西方同盟と言う。
リュード達は探検者とはいえ、出身は西方諸国であってこの王国では敵性国家の国民になる。例え人が目の前で死のうが、剣は己の為以外には抜かないのが一番なのだ。
首を横に振るコレウスを前に、リュードはそれでも納得がいかないのか不満を口にする。
「でも、あれをみろよ! 無抵抗な人間が殺されてんだぞ! 妖魔に!」
歯噛みするリュードを前に、クリフはそれでも冷酷に言い放っていた。
「俺たちとは無関係の人間だ。ましてや敵国の領地だぞ?」
クリフの言葉にリュードは暫く押し黙る。
「でも、探検者に国境はないって言ってたの、クリフだろ?」
リュードの言葉に今度はクリフが押し黙る。
「それはだなあ。時と場合を選ぶもんだ。そうならない時もある」
船べりで三人は隠れながら、ただ様子を見ていた。
暫くするといくらかの騎士隊が到着して、すぐに住民たちの救助に奔走しだしていた。だが、その数は妖魔よりも圧倒的に少ない。
おそらくは近場にいた騎士達が集結して、その場凌ぎで部隊を編成してきたのだろう。
統率もあまり取れておらず、集団戦を得意とする妖魔たちに四苦八苦している。
「騎士隊も頼りないし、行こうぜ! クリフ! コレウス」
リュードは背中の剣の柄に手を翳して、飛び出そうと身を乗り出そうとする。
その首根っこをクリフが掴んで、船べりに引き戻す。
「誰が行くって?」
「だってよおお!?」
「頭冷やして考えろ。俺たちは敵国にいるんだ。それだけでもあらぬ疑いをかけられかねないのに、こんな目立つことしてただで返してくれるとおもうのか?」
クリフの言葉は真意をついていた。
例え世界を旅してまわる探検者であったとしても、出身である故郷が変わるわけではない。いざ、自国の危機となれば、探検車といえども、彼らも祖国のために真っ先に戦場に立ったりするのである。
そんな敵性国家の兵隊まがいな人間を、はたしてここの国の騎士は、見て見ぬ振りで見逃してくれるのか。
答えは否。
戦況は膠着状態で前進することもままならないヴェルムンティア王国軍。西方で苦境に立たされた王国は少しでも情報を手に入れるためには、容赦はしないだろう。
不審だと思われて捕まれば、過酷な拷問が待っている。
ただ、三人は少しだけ勘違いしていた。
ここはヴェルムンティア王国領とはいえ、王国の中で唯一自治領を確立しているガリアールだ。風土そのものは王国とは全く異なっている。国際貿易都市と言うだけあってか、西方諸国の船の出入りも禁止するどころか、逆に貿易を行っているのだ。
王権及べど、ガリアール、利を損することなし。
そう、敵国の西方諸国の人であっても、ガリアール内では簡単に捕まえることはない。
ここで彼らを捕まえて西方諸国で変な噂を立てられれば、西方諸国からの収益が少なくなる。
だからと言って安全を保障されるかと言うと、そうでは無いのもまた事実である。
一つだけ忘れてはならないことは、ここガリアールは全てが利権に絡んでいること。
下手に動いても、利権を阻害する行為ならば、容赦なく捕まえる。
三人がもしも、利権に絡む要素を持っていれば、捕まる可能性も十分にあるのだ。
さわらぬ神に祟りなしとはいうが、正にこれの事を言う。
「うぅ……。わかったよ。じっとしてりゃいいんだろうが!」
諦めたリュードは渋々、腕を組んで船べりに座り込む。それを見たクリフはほっと一息ついていた。
「ああ、そうだ。その代わり、この船に敵が乗り込むことがあったら、話は別だ。その時は陸に上がって戦ってもいい」
クリフの一言に、リュードは笑みを浮かべる。
「ほ、本当か?」
「ああ。それなら、ある程度言い訳も効くしな」
クリフの言葉を聞いたリュードは、不敵な笑みを浮かべる。
「よし! あの桟橋のでっけえオーガがこの船に向かってきますように!」
などとリュードは祈りだしていた。
それを見たクリフとコレウスは顔を見合わせて、あきれ果てる。
「だめだ。こりゃ……」
クリフとコレウスの溜息が、船の上でこだましていた。
◆
アストールが先頭を走り、その後ろにメアリーとレニがつづく。アストールは二人が気になって、一度だけ振り向いていた。
後ろを走るメアリーを見ると、彼女はいつの間にか弓を持っていて、背中にも矢筒が背負われていた。
「あれ、メアリー。いつの間に弓矢を!?」
「さっきの部隊の兵士から貰ってきたの! やっぱり、武器は必要でしょ!」
メアリーの言葉を聞いて、アストールは苦笑する。
「ああー、失敗した。指揮官からロングソード貰ってくれば良かった」
「騎士が剣を他人に貸したりしないでしょ?」
「それもそうか」
メアリーの言葉にアストールも納得していた。そんなやり取りをしているうちに、三人は通りを抜けて港に着いていた。
そこで惨状を目にする。
道端には食い殺された人夫の男や、女性や子どもが倒れている。それ以外にも、多くの人が倒れていて、中には息のある人もいるようで、うめき声も聞こえてきていた。
「ひ、ひどい……。酷すぎますよ!」
言葉を失いかけていたアストールとメアリーだったが、横にいたレニが唇を噛み締めて叫んでいた。
年端もいかない子どもまでもが、妖魔の牙にかけられているのだ。レニの同年代の男の子ならば、失神していてもおかしくはない。
だが、その惨状を見て、レニは憤りと怒りを露わにしていた。
「こんなこと、許せません! エスティナ様!」
「ああ、絶対に許してはダメだ」
アストールは静かに答える。道の入り口で立ち尽くしている三人の元に、傷まみれの騎士が、慌てて駆けてくる。
その腕の中には、腹部から血を垂れ流す子どもが抱かれていた。
「お、おい! お前たち、何やってんだ!? 早く逃げろ! すぐに奴らが来るぞ!」
騎士は盾を背中に背負っていて、二本の剣を腰に下げている。
「その子は……?」
アストールが静かに聞くと、騎士は即座に答えていた。
「道端で拾った! まだ息はある!」
「そうか……。お前、ここから逃げるのか?」
アストールの真剣な眼差しを受けた騎士は、即座に答えていた。
「当たり前だ! あんな化け物の中にいたら、いくら命があっても足りないぞ!?」
一目見たとき、彼に護衛を頼もうと思ったのだが、それは無理そうだった。
切羽詰まり、息絶え絶えの騎士。
もう一度戦場に連れていけば、錯乱する可能性とてある。
アストールはこの騎士が戦うことを放棄していると判断した。だが、それもやむを得ないことである。
初めて妖魔と戦った時、アストールも妖魔のしぶとさに驚いた。
普通の人間ならば動けない致命傷を負っても、妖魔は動き続ける。獲物を殺すためだけに研ぎ澄まされた牙と爪が、剣を刺しても容赦なく襲い掛かってくるのだ。
並みの騎士ならば、死んでいてもおかしくない。
この騎士とは一緒に戦えないと言う事が分かった以上、アストールはすぐに騎士に声をかけていた。
「そうか、逃げるのなら、その腰の剣、必要ないだろう? 一本、私に貸してはくれないか?」
鋭い目つきでアストールが騎士を睨み付けるように言うが、彼は言葉に従わなかった。
「馬鹿を言え! 剣は騎士の命、他人に貸すわけにはいか……」
騎士が言い終えるより前に、アストールは素早く駆けだす。騎士の横を駆け抜けざまに、長めの剣の柄を掴み、鞘から抜き取る。
その勢いのまま、剣を横に振りかざしていた。
肉と骨を断ち切る感触が手に伝わるも、アストールは構わずに剣を振りぬいていた。
剣自体の重さと、それを振るう速さ、絶妙なタイミングで騎士の後ろにいた下級妖魔のコルドを斬りつけていた。
骨を粉砕し、肉を磨り潰し、臓器を切り裂いた白刃は、コルドの胴体の半分を切り裂いて止まる。
「ち! 切れ味の悪い剣だ!」
毒づくアストールは素早く剣を引き抜くと、足蹴りでコルドを押し倒す。そして、頭部に容赦なく剣を突き立てていた。
コルドの体がビクリと大きく揺れたのち、動かなくなる。
「この剣、借りるぞ」
女神のような美しさを持った女性が、妖魔の返り血で真っ赤に染まる異様な光景を前に、騎士は言葉を失っていた。
「あ、ああ……」
騎士はアストール達を逃げ遅れた女性だと思っていたらしい。だが、そんな女性の一人が、最下級の妖魔とはいえ、コルドをあっという間に一匹倒してしまったのだ。
「レニは後ろの騎士隊と合流して、負傷者を回収して手当てに当たれ!」
アストールからようやく従者らしい仕事を与えられ、レニの目は光り輝いていた。
「はい!」
「メアリー!」
アストールが真剣な眼差しで、メアリーを見つめる。
「ん?」
メアリーは真剣な目で彼女を見つめ返す。
「背中を頼む!」
「任せといて!」
二人はすぐにその場を駆けだしていた。
「お、おい! 待て! あんなとこに行くのは自殺行為だぞ!?」
騎士が後ろで制止するも、二人は立ち止まることなく港の中に駆け込んでいく。
「さあ、行きましょう! すぐそこまで、騎士隊が来てますから!」
レニは騎士の手を引き、来た道を戻っていくのだった。