見え隠れする黒い影 3
「ぬう。これは……」
多くの人通りのある大きな通りのど真ん中、一人の巨漢の男が腕を組んで壁に貼られたポスターを見つめていた。
「どうかしましたかな? コズバーン殿」
その隣でジュナルが巨漢の男、コズバーンに問いかける。
「見てみよ」
ボロボロの壁に貼られたポスターには、闘技場が描かれている。その下には大きな文字でこう書かれていた。
「なになに、『史上最強の闘士達が集まる祭典、ここに始まる。王国最強の闘士達が集う闘技大会始まる! 腕に覚えのあるあなたこそ、最強の闘士だ。見どころ満載、前祭には恒例の罪人と妖魔のコロシアム。生き残るのは、人か妖魔か……』なんとも野蛮な前祭ですな」
ジュナルはポスターの文字を読み終えると、苦笑しながらコズバーンを見上げる。
「まさかとは思うが、コズバーン殿はこれに出たい……と?」
コズバーンは問い詰められると、腕を組んだままそっぽをむいて答える。
「ふん。少しばかり目についただけ。今は雇われの身。主の許可がないかきりは勝手に出たりはせん!」
鼻で笑うコズバーンであるが、ジュナルは彼を見て苦笑する。
(わかり易い奴だのう……)
コズバーンがここでジュナルを呼び止めてまで、この闘技場のポスターを見せた。それは彼が暗にここに出て腕試しをしたいと言っているも同義だった。
それが察せないジュナルではない。
けして出たくないと言わないところからも、彼が内心この大会に出たいのは明らかだ。
「それが分かっておられるなら、諦めて本来の任務に戻りましょうぞ」
ジュナルはコズバーンにそう促すと、彼も渋々その重い足を上げていた。
本来の任務はエストルの確保と、それに伴う情報収集である。
とはいえ、ジュナル達も情報を集めるのには、相当に苦労していた。
エストルについて聞けば、我関せずの人間ばかり。知らないのは当然であるが、その目撃情報さえ手に入らない始末だ。
コズバーンが半ば飽きて壁のポスターを見るのも仕方がない。
ジュナルは溜息をつきつつ、ガリアールの港を見渡していた。
多くの人々が行き交い、活気あふれる港。
船乗り、漁師、倉庫に積荷を運ぶために来た労働者達、それら全てがごった返して、ガリアールの街とは一風変わった雰囲気を持っていた。
「にしても、活気が溢れておりますな」
「うぬ……。酒場とはまた違う活気」
コズバーンもその騒がしさに、少しばかり驚いていた。
「では、探しますかな」
「見つかるとも思えんがな……」
コズバーンの言葉にジュナルは再び溜息をついていた。
「最初から諦めていては、どうにもなりませぬぞ」
「今まで大した情報も得られておらん」
「情報を集めるということは、時間と労力のかかるものでありますぞ。1日、2日でそのような有力な情報など得られませね。ましてや、その本人とばったりと会うことなど、万に一つでも有り得ぬことですからな」
説得力のある言葉にコズバーンは、大きく溜息をついていた。
ジュナルには口では到底かなわないのがわかっている分、言い逃れする言葉も見つからない。できるなら、自分の活躍時まで、酒場でゆっくりしておきたかった。
それがコズバーンの本音だ。
「さて、聞き込みを開始しましょうぞ」
笑みを浮かべたジュナルは、ガリアールの港へと足を踏み出していた。
仕方なくその後を、巨漢の男、コズバーンがついて行く。
彼が歩けばその巨大な体格から、自然と周囲の人々が避けていく。それにあやかって、ジュナルもコズバーンの横について、悠々と人ごみの中を歩いていた。
そうしてやってきたのが、船着き場だ。
世界各地の船を集めた船着き場。
その形も様々で、東洋の角ばった船に、典型的な帆船の形をした西洋の船、ガレーのような形をした南洋の船と、正に船の見本市と言っても過言ではない。
「して、ジュナルよ。なぜ、ここに来た?」
船着き場の前で立ち止まるコズバーンを前に、ジュナルは彼を見上げて答えていた。
「ここガリアールは黒魔術師の秘境ともよばれていますが、本来の姿は貿易港、すなわち、船を活用して発展した街でありますぞ。そこにエストルが留まるとなれば、黒魔術師関係以外に考えられるのは、自然と絞られてくるものでありましょう」
ジュナルの言葉を聞いたコズバーンも、流石に察しがついたのか閃いたように唸って答えていた。
「ぬう。船を利用して何かをしようというわけか」
「その通り。であれば、船着き場で情報を集めれば、何かしら情報が手に入るはず」
ジュナルはそう言って笑みを浮かべると、船着き場へと歩み出そうとする。
それをコズバーンは、急に腕を引っ張り止めていた。
「ジュナルよ! あれを!」
急に腕を引っ張られたジュナルは、その力強さに顔を歪めつつコズバーンを見る。彼はその巨大な腕で、ある一方向を指さしていた。
「あ、あれは……!?」
西洋の船が多く停泊している船着き場、そこの桟橋に見覚えのある人が遠目に見える。
「万に一つのことが、起こったようだな」
歪な笑みを浮かべたコズバーンに、ジュナルも苦笑してこたえていた。
「まさか、本当に出会ってしまうとはな。エストルに……」
二人が見つめる桟橋の上、そこを周囲に目をやる挙動不審なエストルが歩いていた。
「さて、いきますかな。ここで見失っては、二度と見つけられなくなるかもしれませんからな」
「うむ」
ジュナルの言葉にコズバーンも頷いて見せていた。
二人は桟橋へと向かって、足を踏み出していた。
コズバーンは桟橋前で待機し、ジュナルは杖を片手に持って桟橋を歩んでいく。そして、エストルがいると思われる船へと向かっていた。
ジュナルは船の前までくると、立ち止まる。典型的な商船で、武装は積んでいない。見たところ、船籍は西方諸国のどこかのものである。
船に上がるための、船橋が桟橋より続いていて、その船橋を船の乗員が荷物を持って入っている。それから察するに、出航も近いと思われる。
「さて、どうしましたものかな。乗り込んでもよいですが……やはり、ここは待つべきか」
船の上では極力魔法は使いたくはない。
この桟橋上はヴェルムンティア王国の領土であるが、一度船に上がってしまうと、そこは船の国籍の領土になってしまうのだ。勝手はこの船の船長が許さないだろう。
何より、船乗りに喧嘩を売るほど、この世に怖いものはないとも言うのだ。
だからこそ、ジュナルはエストルが出てくるのを待っていた。
桟橋の荷物の影に隠れるように腰を掛け、ジュナルは横目で木造帆船の船橋を見る。
多くの船乗りが従来する中、暫く待っていると、ようやく目的の人物が降りてきていた。
船橋から堂々とした足取りで、エストルが降りてくる。ジュナルには目もくれずに、そのまま真っ直ぐ桟橋を伝って港に向かおうとした。
「これはこれは、精がでますな。エストル殿」
ジュナルは素早くその後ろについて、声をかけていた。
エストルは足を止めると、その場で振り返る。
「ふん。誰かと思えば、貴様、エスティオの魔術師か」
振り返ったエストルの顔には、かつての活気と野心あふれる生き活きした生気は消えていた、
かつては美男子と呼ばれていた顔には、無精髭が生えていて、その頬も逃亡生活からかいくらか痩せこけているように見える。
だが、何より、ジュナルを意外に思わせたのは、容姿ではなくその目だった。
「いかにも。それよりもそなた、そのような目をしておったかな?」
ギラついた目は、餓えて気が狂ったような狼の瞳のように見える。
以前は野心こそ持ってはいたが、もっと希望あふれる青年の目をしていた。それが今や何かを付け狙う獣の目になっているのだ。
「ふふ。人間は変わるものさ」
自嘲気味に笑うエストルは、両手を肩の高さまで持ってくると首を振る。
「そうであろうかな……。それよりも、エストル殿、あなたには国王より出頭命令が出ておりましてな、すぐにでもご同行を願いたい」
ジュナルは早々に要件を切り出していた。
それに対してエストルは、再びその鋭い瞳でジュナルを睨みつける。
「断る。と言ったら?」
ジュナルは手に杖を握り、両手で構えを取る。彼も獲物を逃さない猛禽類の如き瞳で、エストルを見据えていた。
「力尽くでもご同行してもらいましょうぞ」
「ふふ。優秀な魔術師に目を着けられてしまっては、逃げ場もないであろうな」
エストルはそう言いつつも、腰の剣を抜くことなく、懐に手を伸ばしていた。
「何をなさろうというのかな?」
「こいつに見覚えはあるか?」
エストルが懐から取り出したもの、深紅の光を放つ石、魔晶石だった。
「魔晶石……。ですかな」
どこかで見たことのある魔晶石を前に、ジュナルは杖を構える。だが、エストルは魔術の基礎知識もない素人だ。魔晶石を扱うこともできないだろう。
魔晶石はあくまで魔法を行使するための、エネルギー源であるのだ。魔晶石単体を持っていても、魔術を行使することはできない。
「魔術には魔術、と言いたい所だが、俺は魔術を使えないんでね」
苦笑するエストルを前に、ジュナルは油断することなく構えたまま言う。
「エストル殿もおわかりのはず。魔晶石単体では、何もできないということを」
そうは言うものの、ジュナルはすぐに思い直す。これがもし何かしらの黒魔術を施されていたならば、エストルが魔晶石を持っていてもおかしくない。表情を一変させたジュナルを見て、エストルは不敵に笑う。
「気づいたようだが、もう遅い!」
エストルはその魔晶石を、思い切り桟橋に投げつける。
「しまった……!!!」
ジュナルが叫んだ時には、既に手遅れだった。
エストルが投げた魔晶石は、落ちた衝撃で強烈な光を放ち、その場にいた人間全ての行動を止めていた。暫く強烈な光を放っていたが、徐々に光は収まっていく。
ジュナルは発光が止んだのに気づいて、ゆっくりと目を開ける。
そこで目にしたモノに、彼は言葉を失っていた。
「これは……。とんでもないものを、呼び出しましたな……」
苦笑するジュナルの目の前に、聳え立つ巨人の怪物。
耳まで裂けた口に、飛び出た下牙、醜悪な顔の上部には、二つのコブがある。手には大ナタが握られていて、鎧の騎士をも二つに切断するという噂に現実味をもたせる。
「オーガとは、全く、ついておりませぬな」
ジュナルの身長の三倍はある体躯の妖魔、オーガが彼の目の前に立っていたのだ。
オーガは彼を見るなり、大きな叫び声を上げる。
桟橋上にいた船乗りや人夫が突然現れた妖魔を前に、荷物を捨てて走って逃げだしていた。逃げ切れないと判断して、慌てて海に飛び込むものさえいた。
オーガは目の前のジュナルに気づいて、ゆっくりと大ナタを振り上げる。
「これは、全く、そんな役回りであるな」
苦笑するジュナルは、振りおろされた大なたに素早く反応して、その場で転がるようにして身を避ける。木製の桟橋が大きく揺れ、ジュナルの立っていた部分が、木片と共に空中に舞い上がっていた。
「拙僧一人ではちと荷が重いな」
苦笑したジュナルは立ち上がると、オーガを見据えていた。そして、杖を構えて魔法詠唱を始める。それを尻目にエストルは駆け出していた。
だが、それもある程度は予想のついていたこと。桟橋近くに来ると、コズバーンが大剣を片手に立ちはだかる。
「ふ、二段構えとは用意がいいな……。こうなれば、やむおえん……」
エストルは懐から幾つもの、深紅の魔晶石を取り出す。
ガリアールの港で、今まさに惨劇が始まろうとしていた……。