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恩返し 3


(うまくいってくれればいいが……)


 エメリナが王城に向かって二日が経過し、彼女自身から予定通りアリーヴァに手紙を渡せたことを聞いたアストールは、それでも不安を隠せなかった。

 エメリナには自分の書いた手紙を、アリーヴァという侍女を探し出して渡すように言いつけていた。

 広い王城の中、大勢の侍女たちがいる中で、アリーヴァを探し出すのは一見して難しいように思えた。だが、実際のところ、さほど難しくもなかった。


 アリーヴァは王城付侍女の中では珍しく、西方出身の黒髪の女性だ。

 ヴァイレル城の侍女の、その全てといっても過言ではないほど、侍女の髪色は金か銀、茶髪である。薄い濃いと違いはあれど、色の直接的違いはないのだ。

 だからこそ、アリーヴァを見つけることは存外に容易だった。


「まあ、本当に彼らに届いてるかまでは、わからないけどね」


 そう言い残して、エメリナは隠れ家より出て行っていた。

 それが今日の朝のこと。

 いまや夕闇が家を包み込み、不気味な静けさだけが部屋の中を支配していた。


「……大丈夫かな」


 体中の痛みは意識を取り戻した時よりは引いていて、体を起こすのに支障はない。しかし、激しく動くことはできないため、今妖魔に襲われるとひとたまりもない。

 そんな静かな恐怖がアストールを襲い、周囲に何か武器がないかを確認させた。

 だが、いくら部屋を見渡せど、武器らしきものはない。


「当たり前だよなー。見ず知らずの人間を武器が置いてる部屋に入れるわけないよな」


 アストールの声が虚しく響く。

 妙な静けさの中、外から何か物音が聞こえて、アストールは肩をびくつかせる。

 妖魔が来たのかと内心焦りつつ、痛みに顔を歪めながらベッドから降りて立ち上がっていた。本調子でないこの体では、攻撃を避けることも、ましてや武器をとって戦うことさえできない。


 何より……。


「そういえば、この体、女、なんだよな……」


 非力な女性の体。それが余計にアストールの不安を煽っていた。

 妖魔の中には他種族の雌を、繁殖に使うような悍ましい者もいる。

 そのことを思い出したアストールは身震いしつつ、夕闇の中で武器を探し求めた。

 だが、それらしきモノは見当たらない。

 仕方なく木の棒らしき、杖を持って周囲を警戒する。


「ほほう、俺たちの存在に気づいたか」


 感嘆の声が部屋の中に響き、アストールは背筋を冷やす。何よりその声が聞こえてきたのは……。


「後ろ!」


 振り向きざまに杖を素早く振るう。体中の痛みを我慢していたせいか、その一撃はいつものような切れはない。

 軽く杖を受け止められて、アストールはそれでも男を見据えていた。


「て、てめえは……」

「女がそんな言葉づかいを……」


 男の顔をみた瞬間に、アストールは自分の左腕を切り裂いたあの男だと確信した。


「あの時と違って、よくしゃべるじゃねえか」

「今はあんた一人だからな」


 アストールは男を睨みつけながら答える。


「だから何だって言うんだ?」

「それが知りたかっただけさ」


 男はそう言うと杖を引いて、アストールを抱き寄せる。一体なんのつもりなのか、アストールは困惑しつつ、男を見つめる。


「な、何を!?」

「やっぱり近くで見ると綺麗だ。殺すのには惜しい。美人薄命とは正にこのことを言うんだろう」


 男は陶酔したように言うと、アストールを抱きしめる。それと同時に体中のいたるところから、痛みが生じて彼女かれは小さくうめき声を上げていた。


「わ、私は、まだ死んでない!」

「今はな。だが、もうすぐ死ぬ」


 おしゃべりな暗殺者に抱かれて、アストールは嫌悪感をあらわにする。

 だが、体の痛みで男から逃れることはできない。


「ふざけるな! 私は死なない! 死んでやるものか!」

「そうかい。なら、今ここで死んでくれ」


 男はそうは言うものの、体を密着させたまま離さない。それに嫌悪感を抱き、アストールは男を睨みつける。


「まだ、殺さないのか?」

「あんたを見てると、殺すのが本当に惜しくなってな。だから、一頻り愉しんだ後、殺そうかと思ってな」


 その言葉を聞いたアストールは、背筋に悪寒が走っていた。


(女になってから、こんなことばっかりじゃねえか。くそったれ)


 そうとは口に出せない状況に、アストールは恐怖するよりも腹立たしく感じる。だが、それでも、アストールは笑みを浮かべて、すぐに男を見つめる。


「そう、そう言うこと……ね」

「どうした?」


 男はアストールの急激な態度の変わりように、怪訝な表情を浮かべる。


「いいわ。どうせ死ぬんだし。最後くらい、愉しまないとね」


 態度の変わりように、男は警戒しだす。アストールに何か策があって、急に態度を変えたと思ったのだ。


「お前……。何か企んでないか?」


 男の指摘に、アストールはそれでも表情を崩さずに言っていた。


「まさか。私は手負い。しかも安静が必要な身、抵抗なんてできないじゃん」


 アストールのあっさりとした答えに、男は困惑する。

 もしかすれば、言葉通りの意味かもしれないし、罠かもしれない。まして、あの深手で激流を生き残り、こうして目の前にいる人物だ。

 後者の方が可能性は高いのではないか。

 そんな男の思考とは裏腹に、アストールは覚悟を決めていた。


(どうせ死ぬなら、愉しまないとな。助けが来るかもわからないし)


 アストールとしては、別段、男を嵌めようといった策略はない。

 とはいえ、こうして男が困惑し、思考を巡らせている時間がアストールを救っていた。


 男は突然アストールを床に突き倒すと、即座に後ろに跳び退っていた。

 何事かとアストールは、痛む体に耐えながら後ろを振り向く。

 いつ入ってきたのか分からないが、エメリナが短刀片手に男に襲いかかっていたのだ。


「き、貴様! 貴様は俺の仲間が殺したはず!」


 男の叫び声が部屋に響くも、エメリナは唇を赤い舌で舐めて答えていた。


「確かにあの人数は一人だと無理だったけど、生憎、私、一人じゃなかったのよね。今は心強い味方がいるの」


 不敵な笑みを浮かべたエメリナが斬撃を繰り出し、剣で受けた男に対して力を込める。


「人の家に、勝手に入り込まないでくれる? 本当に腹が立つから」


 男は予想以上に強い力と、エメリナの怒りを前に、冷や汗をかいていた。

 その間にも、部屋にはアストールの見慣れた面子がなだれ込んでいた。


「アストール!」

「エスティナ様!」


 ほぼ同時にレニとメアリーが叫び、倒れている彼女かれに駆け寄っていた。

 ジュナルにコズバーンも遅れて部屋の中に入る。

 倒れたアストールをメアリーが抱き起こし、レニがその場で怪我の容体を見る。


「さて、怪我人の治療の邪魔をされては困りますからな。そろそろ、その男には引導を渡して差し上げますかな」


 ジュナルの静かなる怒りは、エメリナを前に苦戦を強いられる男に向けられる。

 杖を男に向けたジュナルは、すぐに詠唱にかかっていた。


「万物の現象を司る力の根源の象徴よ。我が力をこの杖を通じて発現させよ。対象は目の前の男! レグブリーク!」


 そう言葉を発すると同時に、杖からは光の弾丸が男に放たれていた。

 着弾すると同時に、男はその場に膝をつける。


「な、なんだ。体が重くて動かない!?」


 男は四肢を床に付けたまま、そう言葉をもらしていた。


「拘束魔法を使わせてもらいましたからな」


 ジュナルは余裕の笑みを浮かべて、男に告げる。そこに容赦なくエメリナの短刀が、男の首筋を切り裂こうとした。その時だった。


「待て! そいつは殺しちゃだめだ!」


 アストールの叫び声を前に、一同が動きを止める。


「なんで?」


 エメリナが疑問をぶつけると、アストールはメアリーに身を支えられながら立ち上がって答えていた。


「そいつは、まだ使える」

「で、でも、アストールを殺そうとしたんだよ?」


 メアリーの言葉に対して、アストールは不敵な笑みを浮かべていた。

 男が暗殺者だと確信したアストールは、この事件を引き起こした者の正体が分かっていた。エメリナを殺そうとし、自分にまで刃を向けた者。そこから考えられたのは、たった一人。王城にいる何者かは、もう大方見当がついている。

 だからこそ、男に告げるのだ。


「いいんだよ。それよりもお前、お前の雇い主に伝えろ……。私はエメリナと共に、一週間後に王城に戻る。とな」


 アストールは傷を気にしつつも、不敵に笑っていた。その笑みが痛みのせいか、狂気じみたように見えて、男はひどく当惑していた。


「わ。わかった。つ、伝える。だから、早く、ここから逃がしてくれ」


 男は焦って拘束を解くように懇願する。

 ジュナルは迷った挙句、アストールに顔を向ける。それに対して、彼女かれは頷いてみせると、ジュナルは渋々男の拘束を解いていた。


 油断しないエメリナは、男に刃物を突きつけたまま、家の玄関まで男を追い出す。

 その一連のやりとりを見たメアリーが不安そうに、アストールに目を向けていた。


「本当に逃がしてよかったの?」

「ああ。あれでいい。あれで」


 アストールはそう言うと、急に力を失ってその場にヘタリ込む。


「ア、アストール!」


 メアリーは床に膝をつくと、彼女かれの顔をのぞき込む。


「全く、来るのが遅いぜ……。おかげで、めちゃくちゃ疲れちまったよ」


 不器用な笑みを浮かべるアストールを前に、メアリーもつられて笑みを浮かべていた。


「さあ、ベッドへ行きましょう。すぐに治療にかかりますよ!」


 レニの掛け声を皮切りに、部屋中が一斉に動き出す。

 それこそ、一同が彼女かれを思って動いている。それが分かったアストールは、ベッドに寝かしつけられながら心の底から安堵していた。


(俺は、いい従者に囲まれているな)


 レニはすぐに包帯を外して、彼女かれの左腕を見る。

 傷口は膿んでいて、いつ感染症にかかって高熱にうかされてもおかしくない。

 予断を許さない怪我に、レニの表情が一気に険しくなった。


「治せるの?」


 メアリーの心配そうな問いかけに対して、レニは真剣な表情のまま答えていた。


「治せるも何も、本人が治そうという気があれば、傷跡さえ残さず治してみせます!」


 レニの心強い言葉に、それでもメアリーは心配そうにアストールを見つめていた。

 本来治癒魔法とは、その人個人が持っている治癒能力を最大限引き出した上で、神の加護の力を借りて術者が傷を治癒する魔法である。


 全能神アルキウスの力は強大であり、どんな傷でも治癒する能力をもっている。その反面、力の加減を間違えるとその対象となる病人や怪我人が一気に老化してしまうとても扱いが難しい魔術であるのだ。


 また、術者はアルキウスの力のコントロールと共に、対象となる人の治癒能力を最大限まで引き出さなくてはならない。


 重症患者であれば、極力本人に備わる治癒能力を最大まで引き出さなければならない。

 だが、治癒能力を引き出しすぎると、体力を奪って逆に患者を死に至らしめる。

 そこで補助的な力の補填として、アルキウスの力を使うのだ。


 神官戦士の治癒技能の何が凄いのかと言うと、アルキウスの力をコントロールして補助で当てつつ、本人の治癒能力も適度に引き出して、魔術を行使するところなのだ。

 それ故に、レニも今回の傷を見て、真剣な顔へと変わっていた。


「僕に全てがかかっている!」


 レニは気合を入れ直すと、神官戦士の白装束の長袖をまくって、傷口に手をかざしていた。レニとアストールの静かな戦いが、今、始まろうとしていた。





 王城から程なく離れた場所にある酒場、そこでイレーナは不機嫌そうに酒を煽っていた。

 喧嘩をおっぱじめる王立騎士や、杯をかわして馬鹿騒ぎする男たち、男女で交友を深める一団など、酒場の中はいつもと変わらない騒がしさが支配していた。


 そんな中に、イレーナは一人カウンターで酒を煽っていた。

 まさか、こんな所に王女の執務官がいようとは、誰も思いもしないだろう。そう思ってイレーナは堂々と酒場で酒を煽る。もちろん、それが自棄酒であることは言うまでもない。


「あれまあ、これはこれは、イレーナさんじゃないですか」


 イレーナの隣に笑みを浮かべて彼女の名を呼んだ男が座る。それに相変わらず不機嫌そうな顔を、イレーナは男に向けていた。


「何よ?」


「いえいえ、いつも以上に機嫌が悪いので、心配してきたまでですよ」


 男はそう言うと、笑みを浮かべていた。対するイレーナはそっぽを向けて不愛想に答える。


「大きなお世話よ」


 男は笑みを苦笑に変えた後、彼女に聞かなければならないことを問うていた。


「それはそうと、例の件はどうなったんですか?」

「ああー、あの役立たずのせいで、結局二人ともまだ生きてるわ。しかも、一週間後に二人とも王城に来るって言ってるんですよ」


 そう、それがイレーナに自棄酒を飲ませる一番の原因だった。

 王女の執務官として、絶対の秘密を守る。いわば、国家機密にも等しい、王女の盗賊招き入れ行為をなんとしても、外に出してはならない。

 それであるのに、当事者は生きていて、なおかつすべてを知っている近衛騎士も生きていた。それどころか、近衛騎士は当事者を連れてこの王城に出向くと申し出てきたのだ。


「それはそれは、また災難ですね」


 他人事のように言ってのける男に、イレーナは溜息をついて嘆いていた。


「身から出た錆とはいえ、あんまりだわ」

「彼らがどういう風に出てくるのか。予め、予想しておかなければなりませんね。それより、依頼に失敗した彼らは?」


 男はそう言うと、イレーナを見る。彼女は憂鬱そうに答えていた。


「え? あの愚図どもはもうとっくの昔に始末済みよ」


 アストールとエメリナの暗殺に失敗した彼らは、もはや用済み。報告が終わった瞬間に、予め連れてきていた近衛騎士に身柄を拘束させていた。


 もちろん、罪などいくらでも捏造して被せることのできる立場、近衛騎士達には適当に凶悪犯の逮捕と言って協力させていたのだ。

 この後の暗殺者の運命など、言わずとも知れているだろう。


「そうですか。ならいいのですが、あの事はまだ外に漏れては困る情報ですからね」


 男は腕を組んで安堵の溜息をついていた。


「ま、彼らには何のことかなんて、分かってはなかったでしょうけどね」

「全く、君は本当にあくどい」


 男は呆れたように言うが、その顔にはちゃっかり笑みが張り付いている。


「いえいえ、これも姫様を守るためですよ」


 イレーナの笑みをどういう意味にとったのか、男も苦笑しながらも問いかける。


「そうですか。それよりも、帰ってきたら、二人をどういう処遇にするつもりです?」


 男の問いかけに対して、イレーナは再び気分を害し、そっぽをむいて答えていた。


「ま、一応は決めてるわ」

「ほほー。決めてるんですか」


 男が意外そうに聞き返すと、イレーナは悩ましそうに表情を歪める。


「ええ。王城のアレ、あなたも知ってるでしょ」


 イレーナがそう言うと、男は暫し考え込んだのちに納得したように答えていた。


「ああ、アレですか」

「そ、アレ。アレの実験に協力してもらおうと思ってるのよ」


 イレーナの言葉を聞いた男は、再び驚きを露にする。


「意外ですね。殺さないなんて」


 男の言葉を聞いたイレーナは、苦笑して答えいた。


「あれだけやっても倒せないのよ? だったら、いっそのこと、利用した方がいいでしょう」


 イレーナがそういうのも仕方がない。王都ヴァイレルで名の通った暗殺者でさえ、アストールとエメリナを仕留めることができなかったのだ。


 高い前金を払ってまで雇い入れた暗殺者たちが、全く歯が立たないとなると、殺すという選択肢が必然的になくなるのだ。

 男は真剣な表情をしたかと思うと、すぐに笑みを顔に貼り付けてイレーナを見る。


「ごもっともですね。まあ、あなたが好きになさってください。僕はあくまで傍観者ですからね」

「ええ。まあ、見ていてくださいよ。いずれは、私の貢献も評価される時がきますから」


 イレーナは自信満々に答えると、グラスに注がれた酒を一気に飲み干していた。

 男もその晩は、彼女に付き合って酒場で杯を共にするのだった。




2022年7月2日 一部改稿しました。

誤字、描写の修正を行っています。

ストーリーには影響ありません。

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