恩返し 2
夕闇の支配する森の中からは、丘の上に聳え立つガリアール城が望める。港街ガリアールの郊外の森の、細い路地には六台の馬車が整然と並んでいた。
その前には一人の若い金髪の男と、ケニーとマリーナが立っている。
「用意できたのはこれだけです。まあ、僕の信頼している運び屋なので、十中八九、あなたの領地まで運び込めますよ」
いつもの薄ら笑いを浮かべたケニーは、男に対して朗らかに説明する。その腹の内は、その表情からはよみとれない。だからこそ、男は思うのだ。
(薄気味悪い野郎だ)
男はケニーを一瞥すると、馬車の車列を見て問いかける。
「そうか。ならいいが、貴様のこの馬車隊が止められることが、万に一つでもあったら困る。それに領地を抜けるには関所を通らねばならんぞ」
男の心配は尤もだった。領地から領地を移動する際は、その度に設けられている関所を通らなければならないのだ。
もちろん、全ての領地の関所の検問が厳しいわけではない。
厳しく積荷を確認する関所もあれば、賄賂を渡して通り抜けられる関所もある。はたまた、やる気がないのか、関所に止められずにそのまま通過できる所まである。
各領地の領主の性格を表しているのかがよく分かるのだ。
とはいえ、関所を通るということは、そこに記録されるということ。ましてや、この様な怪しい馬車の集団を、易々と通してくれる関所ばかりではない。
ケニーは男の心配を知っていてか、相変わらずの表情で答えていた。
「極力関所は通らない道を行きますので、まず積荷を見られることはないでしょう。何より、これがありますから」
そう言ってケニーは懐から、ある一枚の紙を取り出していた。
それを見た男は目を丸くして、ケニーを見つめる。
「こ、こいつは、王の勅印を押してある通行許可証……」
男がそう言って唖然とする。勅印を押された通行許可証は、王が直々に手渡すものだ。しかもその勅印の偽造は禁忌とされ、見つかれば即刻処刑という重罪である。
しかも、持っていた者ののみならず、製作した者も同罪という。
捕まれば過酷な拷問と、痛みを持って行われる処刑が待っている。だからこそ、人々はその勅印の効力を畏怖しつつも、手に入れたいとも思っている。
裏取引の場でも例外はなく、これらのリスクを冒して、命を落とした者が多い。
「これがあれば、検問も関所も全て素通りです。まあ、使うのは最終手段ですけどね」
苦笑したケニーは、その勅印の書を懐にしまう。
彼としてもこれはあまり使いたくない。だが、どうしてもという時は、これを使う覚悟を決めなくてはならない。
「こ、これは偽造できるものではないぞ! どうやって手に入れた?」
男が怪訝な表情と、静かな怒りを込めてケニーを問い詰める。
この勅印書を手に入れるには、この国に対してそれ相応の功績をあげた者にしか与えられない。何より、悪用を防ぐために、管理を徹底させると同時に、持ち主が死んだ場合は返却義務まであるのだ。
そんなものがここにあること、それ自体が不自然なことだ。何より、偽造をしようにも、印を作る職人はいない。
ケニーは何一つ動じることなく平然と答えていた。
「僕は黒魔術師であり、裏取引の商人です。いくらでも手段はありますし、何を持っていても何らおかしくないでしょう?」
笑みを浮かべたケニーを前に、男はそれでも納得のいかない表情で問い詰める。
「一体、お前は何者だ?」
「言ったでしょう。黒魔術師で商人だと」
ケニーの薄ら笑いに、男は背筋を冷やしつつも、この荷が確実に目的地に着くことを確信した。
(恐ろしい奴だ……。だが、信頼はできそうだ)
「あとは頼むぞ。絶対に届けてくれ」
男の言葉にケニーは笑みを浮かべたまま頭を垂れていた。
「ええ、もちろんです。それで、今ならこの隊商にあなたも乗っけて帰すこともできますけど、どういたします?」
抜け目ないケニーに、男は小さくため息をついていた。
「どうせ、金を取るのだろう」
「お安くしておきます」
ケニーのうすら笑いを見た男は、首を横に振っていた。
「いい。あんたに出す金は全部なくなった。それにやることがまだ残っている」
「やること?」
ケニーの視線を受けた男は、不機嫌な表情で言い返していた。
「お前には関係の無いことだ。余計な詮索をするな」
「そうですか。それならいいですよ。では、私はこれで、業務に戻らせてもらいますね」
ケニーは満面の笑みで、男に背を向けていた。その後ろをピッタリとあの少女、マリーナがくっついていく。
(ち、全く、ガリアール人は……)
男は内心毒づきながら、再び混沌の港街、ガリアールへと戻るのだった。
◆
アストールの捜索は騎士隊と共に、川沿いを重点的に行われた。
その途中、妖魔に出会うこともざらだったが、ジュナルやコズバーンの圧倒的な強さの前には妖魔も赤子同然であった。
もちろん、この時に騎士隊が目を丸くしていたのは、言うまでもない。
崖下、死角となっている河原、近くの草原、木々の間、隅々までアストールの痕跡を全員が必死で捜索した。
結果、見つかったのが、彼女の細剣の柄だけだった。
三日目が経っても、それ以上の物は見つからず、ウェインとアストールの従者一同、足取り重く、王都に帰還していた。
「あれだけ、探しても見つからなかったってことは……」
明かりの灯った一室に響く、暗いメアリーの声。
虚しく消えていくその声が、主のいない部屋に消えていく。
「諦めるしか……」
そう言いかけたメアリーは、その場で首を横に振っていた。
「いや、あいつ悪運強いし、まだ、どこかで生きてるかも」
メアリーは苦笑して、その場で立ち上がっていた。
空元気であるのが周囲に伝わり、それが余計に悲壮な感じをかもしだす。
「だが、川沿いには、水を飲みに来る獣や妖魔が出没する。あの状況を見ると、助かっている可能性は限りなく低いな……」
いつもは寡黙なはずのコズバーンが重い口を開く。内容も同じように重い現実を、集まっていた一同に突き付けていた。
川沿いを捜索中、幾度となく妖魔や肉食獣に出くわした。その頻度は、捜索を困難にさせるほど多く、捜索隊が三日で帰途についたのもそれが一つの要因でもある。
「だ、だからって、死んだと決まったわけじゃない!」
メアリーは強く言うものの、アストールが生きているという確信が持てないでいた。
メアリーもあの状況を目の当たりにしてしまっては、とてもアストールが生きているとは思えなかったのだ。それでも、まだ、彼女の死体が上がったわけではない。
重い空気の中、レニは一人大きく溜息をついていた。
「僕は……。僕は、エスティナ様が生きていると、信じてます」
突然喋りだしたレニに、一同が注目する。
「だって、僕に男がなんたるかを教えてくれた方です! それに、僕の仕えるべき主人です! 僕たちが生きていると信じなくては、エスティナ様は絶対に帰ってきません」
レニのその神頼み的な発想。だからこそ、全員が思うのだ。
「レニよ。現実を見たはずだ……。あれでは助かりようもない」
「ジュ、ジュナルさんまで! 僕はバカって言われてもいい。エスティナ様が見つかるまで、絶対に諦めません!」
レニの力強い瞳に、一同は心の中でなにかしら動かされそうになる。
もしかしたら、アストールはどこかで生き延びているのではないか。そんな淡い希望が胸の内で薄くもわいてくるのだ。
「死体が見つかったわけじゃない……。私たちだけでもいい。もう一度捜索に行きましょう!」
メアリーの言葉に一同は、顔を見合わせる。
それぞれが諦めつつあった中、それでも諦めない二人のおかげか。コズバーンとジュナルの表情も自然と明るくなる。
「そうですな……。アストールのこと、もしや、助けを待っているやもしれぬ」
ジュナルがそう言って立ち上がると、コズバーンも腕を組んだまま武骨に言う。
「お主らが行くとなれば、我も行かざるをえぬな」
「み、みんな……」
メアリーとレニは笑みを浮かべる。
自らが仕える主人が見つからなかったのでは、歯切れが悪い。何もせずに待つよりは、行動に移さなくては何も始まらないのだ。
「さて、行くと決まれば、急ぎましょうぞ。騎士隊は帰れど、拙僧らは拙僧らだ。主人を見つけるまでは、終わりではない」
ジュナルも意気消沈していたのが嘘のように元気を取り戻していた。
メアリーはそんなジュナルを前に、笑みを浮かべて主人の部屋から出ようとした。その時だった。突然扉がノックされ、全員が固まる。
「あの、すみません……」
扉の向こう側から聞こえてきたのは、女性の声であった。それに応えて、メアリーが扉を開ける。
この国では珍しい黒髪の侍女が、両手に手紙を抱えて佇んでいる。
「何か御用?」
その出立にメアリーは見覚えがあった。
かつて、アストールがゴルバルナの研究室を見つけた時、彼と一緒にいた侍女だ。どういう関係かまでは深くは聞いてはいなかったが、今思えば、不審に思うこともいくらかある。
メアリーの怪訝な表情を見た侍女、アリーヴァは躊躇しながらも両手を差し出す。
「こ、これをエスティナ様の従者様にお渡しになるようにと頼まれまして……」
「ん? なにこれ?」
手渡されたモノ、それは一通の手紙だった。
「誰から?」
手紙の封を開けつつ、メアリーはアリーヴァに問う。すると、彼女は困った表情を浮かべて、答えていた。
「そ、それが、この王城では全く見ず知らずの方で、年齢は十代の女性でした」
アリーヴァの答えにメアリーは今一つ納得できず、怪訝な表情を浮かべたまま手紙を取り出していた。
「こ、これは……」
それを見てメアリーは少しの間言葉を失う。
全員が何事かとその場に駆け寄ってきて、メアリーと共にその手紙を見ていた。
そこに書いていた内容は、とても簡潔で短いものだった。
『私は生きている。私が落ちた橋で明日の昼、私の使いが待っている。レニを連れて急いで来てくれ。
エスティナ・アストール』
字を書けるほどの教養があるということは、アストールであるということには間違いないだろう。だが、クーマン族の一件もある。
あの襲撃はあくまで山間部族のモノとされてはいるが、実際の所はここにいる全員が怪しいと訝しんでいる。もしかすると、これも罠ではないのか。
そんな予感がメアリーの脳裏によぎっていた。
「……どうする?」
「手掛かりがない以上、この手紙を信じていくしかなかろう」
ジュナルの言葉が、メアリーを後押しする。
もしも、罠であったとしても、この面子ならば負ける気はしない。
メアリーは一抹の不安を抱きつつも、準備せざるを得ないことに歯噛みする。
「あ、あの、エスティナ様までもが、行方がわからなくなったと聞いたのですが……」
そう声をかけたアリーヴァを前に、メアリーは一抹の不安を覚えながらも言っていた。
「ええ。そうです。でも、あなたの送り届けてくれた手紙のおかげでどうにかなりそうよ」
その言葉を聞いたアリーヴァは、安堵の表情を浮かべていた。
「よかったです。一刻も早く、彼女を見つけ出してあげませんとね」
アリーヴァの顔を見たメアリーもまた、笑みをつられて浮かべていた。
「そうですね。まあ、ここからは私たちの仕事、この手紙を届けてくれたこと、感謝するわ」
メアリーの感謝の意を前に、アリーヴァは深々と頭を下げる。
「いえ、これも仕事ですから。それでは、私はこれで」
そう言って侍女のアリーヴァは、メアリー達の前から立ち去っていく。
「さて、みんな。備えを万全にして行きましょうか」
メアリーの掛け声を前に、従者一同きびきびと動き出す。
まだ、罠かもわからぬ手紙とはいえ、一縷の望みがあるならば、それにかけてでも見つけ出してあげたい。
その気持ちが、全員を突き動かすのだった。
2023年1月13日 一部改稿しました。
誤字、描写の修正を行っています。
ストーリーには影響ありません。