恩返し 1
業火に包まれる屋敷は、轟々と音を立て、闇夜をその光で煌々と照らす。
その屋敷の周囲には多くの消火隊の人々が集まっていて、周囲に火が燃え移らないように木々を切り倒したりしていた。
大人達が騒がしく動き回る中、一人の少年が魔術師に体を抱かれている。
その少年は魔術師から逃れようと、必死にもがいていた。
「離せ! 離せよ! 僕は行くんだ! みんなを助けに!」
そう必死で懇願するように叫ぶ少年を、魔術師ジュナルは引き止める。
「エスティオよ。行ってはなりません! あの炎の中に飛び込めば、あなたも命を落としかねません!」
少年のエスティオは、それでもなりふり構わずに叫んでいた。
「だけど! 父様と母様が中に、中に居るんだよ!? 助けにいかないといけないんだ!」
言うことをきかないエスティオを前に、ジュナルは厳しく言い放つ。
「馬鹿なことはやめなさい! 屋敷の入口も窓も、全て炎で包まれています。どこから入るというのですか!?」
それが意味するところ、エスティオの両親はもはや助からないと言っているも同義だった。それがわかったエスティオは、それでもなお、悲痛な声をあげていた。
「じゃあ、どうすればいいんだ!? 僕は! 僕は立派な騎士の姿を父様と母様に見せるって約束したんだ! だったら! なんで、なんで! 助けに行っちゃいけないんだよ!」
声変わりする前の高い声が、涙と嗚咽によってかすれていく。
ジュナルはその言葉を聞いて、泣きたくなる衝動に駆られる。だが、エスティオの目付け役であるジュナルが、涙を見せるわけにはいかない。
「僕は、僕は、約束したんだ!」
「拙僧には、どうすることもできませぬ……」
ジュナルも目に涙を浮かべ、業火に包まれた大きな屋敷を見据えていた。
そこではかつて、ジュナルと侍女二人、そして、エスティオとその両親が住んでいた。
それが今や、炎に包まれて見る影もなくなっている。
「どうすれば、どうすれば、いいんだよ」
エスティオは現実をようやく受け入れて、その場に力なく項垂れていた。
父親には剣の稽古を毎朝つけてもらい、侍女には教養を学び、母からは愛情を持って育てられ、ジュナルは彼を厳しくも優しくしつけてくれた。
生まれ育った生家が、炎に包まれている。
彼の幼少からの思い出も、常に優しかった侍女二人も、愛情を持って接してくれた母も、威厳のあった父も、全て、炎に飲み込まれていた。
エスティオは力なく、その場に膝をつけて、頬を伝う涙を拭くこともできずに呟く。
「なんで……。なんでなんだ?」
ジュナルも胸の内に渦巻く感情を処理しきれずに、右手で涙の出る目を押さえていた。
言葉が詰まり、彼を励ます言葉も見つからない。
しばし無言のままのジュナルは、佇んでいた。
彼にとってもまた、ここは思い出の場所だった。
仕えるべき主人を見つけ、そこで生まれた子どもを我が子のように、主人の家族の一員として共に育て、エスティオの成長を心から喜び分かち合った場所だ。
その屋敷が主人とその家族と共に炎に包まれている。
「拙僧は……。まだまだ、未熟者であるな……」
炎の前にどうする事も出来ないジュナルは、力なく膝をついて片腕で涙をぬぐっていた。
この日、ジュナルはエスティオと共に、町へ新しい木剣を買いに出向いていた。
それが幸いしてか、今回の火事に巻き込まれることはなかった。だが、その代わりに焼かれた代償はあまりにも大きすぎた。
家、思い出、そして、家族、炎は容赦なくエスティオから全てを奪い取っていた。
「僕は、立派な騎士になるって、約束したのに……」
エスティオは潤んだ視界で、屋敷を見続けた。
「これじゃあ、約束なんて、意味ないよ……」
エスティオの言葉は、夜の闇に消えていく。
彼の夢さえも、その夜の闇に飲み込まれていきそうだった。
「ジュナル……。僕、どうすればいいのかな?」
そう問われた時、ジュナルは何も答えられなかった。
ジュナルに向けられた顔には、笑みが浮かべられていて、全ての幸せを奪われた絶望感と悲壮感しかない。そんなエスティオにかける言葉が、今のジュナルには思いつかなかったのだ。
「はは、ははは。みんな、みんな、燃えてる」
空笑いをしだしたエスティオを見て、ジュナルは近づいてただ彼を抱きしめていた。
「ははは、もう、もう、いいんだ。騎士なんてどうでもいい……」
後ろから抱きしめられても、エスティオの反応は変わらなかった。
打ちひしがれた彼は、ただ、笑みを浮かべ、涙を垂れ流してこういうのだった。
「神様……。僕の家族を返してよ……」
エスティオの呟きは、業火に焼かれる屋敷の音の前に、かき消されていた。
それはまるで、彼の願いを受け入れない神の答えのように感じられた。
◆
体中がずきずきと痛み、その苦痛でアストールは目を覚ます。
「う、ぅぅう……」
全身の痛みは呻き声を上げることさえ、体に拒絶させる。
アストールは痛みに耐えかねて、その場で動くことをやめる。暫く安静にしていると、体中の痛みが引いてくる。そこで彼女は、過去に起きた悲劇を夢で見てしまったことに、憂鬱になる。
(嫌な夢……。見ちまったな)
冷静さを取り戻したアストールは、ゆっくりと瞼を開けていた。
ここはどこかの家なのか、彼の目に最初に映ったのは、屋根を支える梁だった。
「どうも、生きてるみたいだな……」
あの橋から落下して、水に叩きつけられるまでの記憶はある。だが、その後の記憶が全く抜け落ちていた。というよりは、気絶していて、何も覚えていない。
山の民、クーマン族と思われる者の襲撃に対して、アストールは太刀打ちできなかった。
それゆえの今。実力のなさと自分の不甲斐なさに、アストールは奥歯を噛み締める。
「こんなことしてられない……」
アストールはようやく動くようになった首で、周囲を見回していた。
白いシーツの敷かれたベッドの上に寝かされていたらしく、ふかふかの布団が上には被せられていた。
体中の激痛に顔を歪めつつも、アストールは動く右手でゆっくりと掛布団をどけていた。
その右手は細く、至る所に痣ができていた。どこで打ち付けたのかもわからない傷の痛みを前に、アストールはそれでも上体を起こそうとする。
体には包帯が巻かれていて、質素な麻布の服が一枚着せられているだけだ。
特に左腕は厳重に、添え木をそえて包帯が巻かれている。
重症なのは自分の体であるから、本人が一番分かっている。安静が必要なのは分かっていた。だが、アストールは起き上がらないわけにはいかなかった。
(ジュナル、レニ、コズバーン、ウェイン……)
従者全員とウェインが無事であるかどうか、それが真っ先にアストールの頭に浮かんだ。何より、アストールが最も心配している女性の名前が、口から漏れ出ていた。
「メアリー……」
アストールはその場でぐっと歯を食いしばり、右手を使ってその場で上体を起こしていた。動作一つ、その全てにおいて痛みを伴い、彼女は思わず悲鳴を上げていた。
それでもその場で上体を起こすことに成功する。
「待っててくれ……。今行くからな……。みんな……」
痛みを感じつつも、右手は自由を取り戻している。
体の状態はすこぶる良くないが、だからと言って、ここでじっとはしていられなかった。
「あ、ちょっと! 何やってんのよ! 安静にしてなさいよ!」
突然部屋の中に響いた女性の声に、アストールはゆっくりと顔を声の聞こえた方へと向けていた。そして、女性を見たアストールは驚嘆する。
「あ、あんたは……!」
その女性の顔に見覚えがあり、アストールは名前を呼ぼうとする。だが、彼女の名前など聞いていないことを思い出し、喉の奥で声が詰まっていた。
「もう! 動かないのよ! まだ、絶対安静が必要なんだからね!」
そう言った女性は、アストールの前までくると、優しく彼女を介抱してベッドに寝かしつける。
アストールは何もすることができず、彼女のなすがままにされていた。
寝かしつけられたアストールは、天井をまっすぐ見据える。
ここがどこなのか。女性を見てようやく把握できた。
ここは彼女の家である。
「あんたは、あの時の賊だったな?」
アストールの問いかけに女性は、苦笑しつつ答えていた。
「命の恩人を、賊呼ばわりしないでくれる? 私にはエメリナ・ナスタールって名前があるの」
そういったエメリナは不快そうにしつつも、アストールの体を改めてみつめていた。
「応急処置はしておいたけど、左腕の傷がひどいわ。一応、包帯は洗って変えてるけど、早く神官戦士を呼んだ方がいいわねー」
そう言うエメリナは、アストールに次々と言葉をかぶせていく。
「でも、私には神官戦士の知り合いなんていないし、いてもガリアールだし、どうしようもないわ。でも、あなたの優秀な神官戦士がいれば、どうにかなるかもね」
一人お喋りを続けるエメリナを見て、アストールは呆然とする。
「な、なんで、私を助けた?」
この女盗賊を逃がしはしたが、助けられる義理などない。
アストールはそう疑問に思いつつ、エメリナを見つめる。
「あなたは私を助けたじゃん。あの時、この恩は絶対に忘れないって言ったでしょ?」
単純明快な答え、だが、盗賊風情が口にする言葉を、易々と信じていいのか。アストールは内心葛藤していた。
「だが、そう大したこともしていない」
アストールの言葉を聞いたエメリナは、きょとんと目を丸くした。その後、急に笑いながら答えていた。
「あなた、あれが大したことじゃないって?」
急に笑い出したエメリナを前に、今度はアストールが困惑する。
姫の過ぎる悪戯の秘密を知っているエメリナは、賊という名目の下、殺されそうになった。そんなエメリナを逃がしたアストールが、命を狙われるのは至極当然なことといっていい。
それを大したことではない言い張る辺りが、エメリナにとってとてもおかしく思えたのだ。
「な、何がおかしい?」
「こんな目に合ってまで、私を助けたのに。大したことじゃないって言いきるところ。おもしろすぎるわ」
その言葉を聞いた瞬間に、アストールはようやく気が付いた。
「まさか、あいつら、姫の……」
「刺客が来たって思った方が、自然じゃない?」
エメリナの笑みを見たアストールは、確信した。これは姫の御転婆を隠すための口封じなのだ。と。それならば、自分だけが狙われたのも合点が行く。
「ま、ここは奴らにばれてないし、当分は安心して体を休めていって」
エメリナが生きているということは、その言葉は信じるに値するだろう。
同じような境遇にある身だ。彼女の全てを信じるのは危険であっても、言ったことくらいは信頼してもいいだろう。
そう思ったアストールは彼女に問うていた。
「私は、何日くらい、気を失ってたんだ?」
「正味、二日ってとこじゃない? 私が見つけたのがおとといだしね」
エメリナの言葉を聞いたアストールは、その場で呆然と天井を見上げる。
「二日……。誰も訪ねてこなかったのか?」
「訪ねてくる人なんて、居るわけないでしょ。だって、ここは私の隠れ家だからね」
その言葉にアストールは暫し考え込んでいた。
(こんな状態だ。できるなら、すぐにでもレニを呼んできたいが……)
全身が痛みで悲鳴を上げている体では、とてもではないが王都までは戻れないだろう。
何より、この状況を打開する方法が見つからない。
「ま、とにかく、安静にしておくしかないわ。何かあったら呼んでちょうだい。近くにいるから」
笑みを浮かべたエメリナは、アストールのいる部屋から出ていく。
アストールは彼女の背中を見送った後、再び考えに集中しだしていた。
(このままじゃ、本当に死人扱いになっちまう。どうにかしねーとな)
もしも、騎士隊が捜索に来ていたのなら、その日のうちに導入されて、三日は捜索活動に従事する。だが、三日目が終了しても見つからなかった場合、捜索隊は帰ってしまう。
そうなると、ジュナル達もこの森から出ていくことになるだろう。
アストールは暫し、考えをまとめる。そして、とあることを思いつき、声を上げていた。
「エメリナー」
か細くも美しい美声が部屋に響き、暫くして名前の主が彼女の目の前に現れるのだった。
2023年1月13日 一部改稿しました。
誤字、描写の修正を行っています。
ストーリーには影響ありません。