追い焦がれた背中 4
アストール達は船に乗り、ティザニアからミュゼルファートへと入っていた。
ディルニア公国最大の交易都市であり、首都でもある。
大きな港にはレンガ造りの倉庫があって、商船が多く停泊していた。
それとは別に軍港もあり、このアストール達がいる商船用港から離れた場所に、半要塞化された港が存在している。それがこの首都ミュゼルファアートの軍港であり、そこを攻略しない限りはこの国を落とす事はできないだろう。
また、丘の上には居住区が広がっており、白い壁で作られた家々が建ち並んでいるのが見えた。
アストールはこの美しい街ミュゼルファートを見ながら、感嘆の溜息を吐いていた。
「やっと、やっとここまできた!」
アストールは遂に自分の成すべき事の一つを果たす為に、ここまで来れた事を心の底から喜んでいた。
この女の体に変わってからもう少しで一年近くたってしまうのだ。
女の体に変わった当初は、男で出来る事が出来なくなっていたことにもどかしく思い、また、腹立たしく思う事も多々あった。
何よりも男からみられる視線が、どこへ行っても如何わしい下心が混じっているのが、とても嫌だった。
それが今や受け流せるほどに耐性がついている。
リュードやウェインの様に本当に好意を抱いて近付いてくる相手もいる。
だが、二人には悪いが、アストールの決心は変わらない。
絶対に男に戻るという気持ちが、エストルを前にして沸々と湧き上がってくる。
とはいえ、短いようで長いこの一年を思い返すと、女の体が馴染みつつあるのも事実だ。
当初は困惑した月一の出来事に、髪の毛の手入れ、化粧品による肌の手入れと手慣れたものだ。
すっかり女の体に慣れてしまっている事に気づいて、アストールは苦笑していた。
一人船べりで佇んでいると、横から音もなくメアリーがふっと現れる。
「アストール」
「うわあ、びっくりした!」
「そんなに驚かなくてもいいじゃん」
「気配を消して近づかれたら、だれでも驚くだろ!」
アストールはメアリーにそう言うものの、彼女は気にする様子もなく続ける。
「常日頃から鍛錬は欠かさないのが、従者としての務めだよ!」
「それは、そうだけどさ……」
アストールはそう言って近づいてくるミュゼルファートへと目を向けていた。
キャラック船の帆が大きく張られ、風が一層と強く吹き、二人の髪の毛を撫でていた。
冷たい風に身震いしながらも、二人は顔を見合わせる。
「やっと、だね」
「ああ、そうだな」
アストールは自然と横に居たメアリーの肩を抱き寄せていた。布越しでも感じる彼女の暖かさを感じつつ、彼女は胸の内を満たしてくれる暖かな落着く想いが沸き上がっていた。
それはメアリーも同じだ。
行動を共にしてきたからこそできる信頼関係、そこに主人と従者以上の信頼が育まれつつある。
二人は固い絆が育まれている事を確信している。
だが、それを口にする事はない。
口にせずとも、心でお互いに通じ合っているのが分かるのだ。
メアリーが安心できているのは、やはり、リュードやウェインの様なアストールの心を女として引っ張ってしまう不逞な輩がいないからと言うのも大きい。
だからこそ、思うのだ。
(はやく、アストールを男に戻して、私の最愛の人になってほしいな……)
メアリーは甘えるようにして頭をアストールの肩に着ける。
アストールはそれに応えるようにして、彼女の方へと顔を向けていた。
「エストルを捕まえたら、ようやくゴルバルナと対面だ……」
「そうだね」
「それで、ようやく元の生活に戻れるんだ」
「うん」
「この体が元に戻ったら、メアリー、お前を一番に抱きたい」
アストールの率直な愛情表現に、メアリーは急遽顔を真っ赤に染め上げる。
いきなりの告白に近い形の言葉に、メアリーは何も言葉を返せなかった。
「ばばば、ばかぁ」
メアリーは顔を背けて小さな声で答えていた。
「いや、なのか……?」
「嫌じゃないけどさ……。なんていうの、ちょっといきなりすぎるよぉ」
メアリーはそう言っていつものペースを乱されて、恥ずかしそうに顔を背けたままでいる。
普段の天真爛漫な彼女からは想像もつかない程の奥ゆかしさに、アストールは笑みを浮かべていた。
「だからさ、この体が戻るまでは、キスもしない事にした」
「え?」
アストールの言葉を聞いて、メアリーは慌てて彼女に向き直る。
「戻った時に思い切り抱きたいからさ、それまでは我慢する。今だって、その本当はな……」
アストールは気恥ずかしそうに顔を背けていた。
「もう、馬鹿! 私だって、本当は今すぐ……」
「え?」
メアリーはそう言ってアストールの頬にキスをしていた。
一瞬の出来事にアストールは呆気に取られていた。
「だから、これで我慢するの!」
メアリーはそう言って、恥ずかしそうにその場を駆けだしていた。
「あ、メアリー……」
アストールは頬にされたキスの感触を感じながら、優しく微笑んでいた。
再びアストールはミュゼルファートへと向き直る。
この先に何が待ち受けているのか、考え出していた。
エストルはガリアールで会った時、魔晶石を砕いて妖魔を召喚していた。
もしかすれば、今回も妖魔と戦わないといけないかもしれない。
オーガのような巨大で強力な妖魔を召喚されれば、少々厄介ではある。
何よりも、アストールは大きな疑問を抱いていた。
(なぜ、あいつはここに居続ける?)
このディルニア公国で身を隠しているまでは理解できる。
しかし、何か月も潜伏していれば、公爵に自分がディルニア公国に潜伏している事がばれていると感づくはずである。ましてや追われる身である。
そう言った情報は真っ先に仕入れていたはずだ。
それが何故かわざわざ目立つような手法で、堂々と潜伏しているのだ。
その意図をアストールは図りかねていた。
自分が逃亡者ならば、即座に王国の勢力圏から逃れるだろう。
その時間と資金は十分にあったはずなのに、王国のお膝元と言えるディルニア公国で潜伏を続ける理由がない。アストールは考え出すものの、すぐに頭を振っていた。
「直接会うんだし、捕まえて聞けばいい」
アストールがそう答えを出した時、船が港についていた。
ゆっくりと岸壁に接岸し、船べりに階段がかけられる。船に乗っていた乗員や客たちが次々に降りていく。
アストール達もそれに倣って降りようとした。
その時だ。
アストールは船べりで足を止める。
彼女の視線の先には、見覚えのある顔があり、それで足を止めていたのだ。
金髪の美男子の青年が、黒い服を基調とした兵士を引き連れて舟板の前にいる。
彼の名前はライル・バレト、エドワルド公爵の右腕と称される若き騎士だ。
「お待ちしてましたよ。エスティナ殿」
ライルは船べりに立つアストールを見上げて、優しい笑みを浮かべていた。
「そ、それはどうも」
アストールは引きつった笑みで答えながら、舟板を伝って陸に上がる。
ライルはさりげなく彼女の手を取って、紳士的に振る舞う。
その後ろからアストールの従者たちも次々に降りてくる。
全員が荷物を持って陸に上がるのを見ると、ライルはアストールに対して声をかけていた。
「遠路はるばるご足労をおかけしました。関所からの連絡で、この船に乗るであろうと連絡を受けていましてね」
「なるほど、それで私を出迎えに……」
「ええ、それにこれはエドワルド公爵殿下の御意思でもあります」
ライルはそう言いつつ、一同と共に歩みだしていた。
暫く歩いていると、一同の目の前には馬車が用意されていた。
それこそ国賓級の扱いでミュゼルファートへと招かれている。しかもそれが隠されることなく、存外に堂々としており、すでに周囲に観衆が集まりだしている。
アストールは嫌な予感を感じつつ、ライルを見ていた。
「あのさあ、私の来訪って結構知られてたりするの?」
アストールの問いかけに対して、ライルはそっけなく答えていた。
「さあ、分りませんね。何も告知は出しておりません。しかし、噂伝いと言うのは広まるのが早いですからね」
ライルはそう言ってアストールに馬車に乗るように促していた。
アストールが馬車に乗ると、メアリーもそれに続いて乗り、ライルも一緒の馬車に乗っていた。
他の面々も違う馬車へと乗り込んでいき、一同が全員無事に乗り込むと馬車の車列はミュゼルファートの城へと向かって進みだしていた。
馬車の中でライルとアストールは顔を見合わせる。
「エドワルド殿下はお元気ですか?」
「はい、勿論です。少し前までフェールムントの反乱の知らせをきいて迅速に西方同盟との国境に軍を配置して牽制したりと、大忙しでしたが、今は落ち着いていますよ」
ライルはそう言って笑みを浮かべる。
ヴェルムンティア王国の長い国境線に配している部隊が、フェールムント鎮圧に動いたのは西方同盟も知っているだろう。
だが、ディルニア公国軍が北方で軍を動かして牽制したからこそ、西方同盟は動けなかった。
さすがにフェールムントの反乱が長期化していれば、西方同盟も手を出していたかもしれないが、幸い争いは二週間程度と短期間で収まったのだ。
それもこれも全てはノーラのおかげである。
いまだフェールムントでの調停に時間がかかっているだろうが、それが終わればこのフェールムントへとやって来るはずだ。
アストールは外の景色を見て、この街の活気の良さに気づいていた。
行き交う人々の着る物は綺麗で値が高そうなものが多い。
表情も皆柔らかく、生活に余裕のある人々の顔がそこにはあった。
潤いのある街に、アストールは王都ヴァイレルを思い出す。
ヴァイレルも同じように活気のある街であり、このミュゼルファートに負けない程の活気がある。
だが、ここは王都よりも東西の交易品が手に入りやすい中継地点でもある。
行き交う人々の身に着けているのは、その交易品が多く、ファッションも東西の文化が入り混じった独特な物へと進化している。
「それにしても、良い街ですね」
「ええ、我が国一の都市ですから」
「公爵殿下も誇らしく感じてますよ」
「ゆっくりとこの街を観光してみたいわね」
アストールはそう言って馬車の窓の外を見ながら、流れる景色を見ながらつぶやく。
「生憎ですが、それもできそうにありませんよ」
アストールの呟きを聞いたライルは、残念と言わんばかりに表情を暗くする。
「エドワルド殿下が既にエストル殿のいる場所に向かう様に手はずを整えているので……」
「大丈夫、エストルを捕まえた後にゆっくり観光すればいいじゃない」
メアリーがそう言ってアストールを元気付ける。
「それもそうか」
アストールもまた笑みを浮かべてメアリーを見る。
ライルはそんな二人を見て、ほほえましく、また羨ましくも思えた。
「善きご関係ですね」
ライルの言葉を聞いたメアリーは、アストールを見たのちに答える。
「私の大好きな主人なので!」
恥ずかしげもなく答えるメアリーに、アストールはドキッとする。
今までメアリーにこう言われても、ここまで動揺する事はなかった。
なのに、今そう言われると、無性に彼女を愛おしく思えてしまうのだ。
アストールは咳ばらいをしたのち、ライルに目を向ける。
「エストルがとこに居るのか、また、詳しく話してもらえるのよね?」
「ええ、勿論です。詳しい話は城に着いてからにしましょう」
ライルはそう言って窓の外を見る。
「堅苦しい話も難ですから、馬車の中から街のガイドをしますよ」
ライルがそう言って窓から見える景色を解説しだす。
こうして観光案内よろしく、ライルの馬車ガイドを城に着くまで二人は楽しむのだった。




