追い焦がれた背中 3
雪化粧したコリンゲンの街を見下ろしながら、エストルは大きく息を吐く。
吐いた息は白くなり、凍えるような寒さの中、館の屋上で来客を待っていた。
このコリンゲンに来てから数ヵ月、エストルはずっとこの街に潜伏し続けている。
既にこの街にエストルがいる事を、エドワルド公爵も把握している。
それを分かった上でなおここに居るのは、とある人物との決着をつけるためという事もある。
だが、それ以上に大きな目的があってこの地にとどまっていた。
「来るなら来い。俺はいつでも待っているぞ」
エストルはそう呟きつつ、大きく息を吐いていた。
夏ごろに来た時は、涼しくてとても過ごしやすい場所であったが、冬になるととても過ごしにくい場所へと変わっていた。
「ギルバート様、お客様です」
屋敷の屋上入口より従者の男が声をかけてくる。
彼もこの地まで共に落ち延びてきた従者の一人だ。
「珍しいな、客人とは……」
「は、何でも先日届きました銅像の事で話をしたいとか……」
従者の言葉にエストルは即座にその相手が誰なのかを察していた。
本来であればゴルバルナが直接ここに来て、自分にアレの使い方を教えないといけないのだが、あいにく彼にはもっとやることが多くあるのだ。
それに金貨の受け渡しも行わなくてはならない。
「お通してお茶でも振る舞ってやってくれ。すぐに行こう」
エストルはそう言うと早々に屋敷の中へと戻っていく。
羽織っていたコートを従者に渡すと、エストルは自室へと戻る。
自室にある鏡で自分の姿を見て、エストルは小さく溜息を吐いていた。
髪の毛はボサボサになり、生やしていた髭は更に伸びて、美形な顔を覆い隠す。
目の下には熊が出来ていて、逃亡に疲れているのをその姿が如実に語っていた。
それでも彼の瞳の輝きは失われてはいない。
部屋に飾っていた一族に代々伝わるサーベルを手に取り、腰にさして携帯する。
長い髪の毛を後ろに掻き上げると、布でぎゅっと縛って顔をあらわにする。
そこにかつての近衛騎士団長の姿はない。
「さてと、行くとするか」
エストルはそう言うと、ツカツカと歩んで客人の待っている応接室へと向かう。
応接室に入れば対面式に置かれたソファーに、青年と少女が座っている。
少女は出されたお茶に舌鼓しながら、暖をとっていた。
ここにくるまでに相当に冷えていたのだろう。まだ、耳も赤く、手がまだ震えていた。
対する青年は何事もなかったかのように、澄ました顔でお茶を飲んでいる。
少しだけ長い黒髪に、鋭い目つき、整然とした顔つきには隙がない。
ぱっと見ではとても魔術師には見えないが、青年は黒魔術師である。
彼とは数か月前に会ったきり、顔を合わせてはいない。
「遠い所から……。本当にご足労をかけますな。ケニー殿」
エストルはそう言って二人をねぎらう。
「いえいえ、これも今の私のお仕事なのでね」
エストルは二人の前まで来ると、対面のソファーへと腰を掛ける。
そして、ケニーとマリーナに向かいあって、真剣なまなざしを向ける。
「書状は読ませていただきました」
「という事はご用意いただけていますかね?」
ケニーの問いかけに対して、エストルは後ろに控えていた従者に目配せする。
従者は麻袋を後ろから持ってきてエストルとケニーの間にある机の上に置いていた。
「これです。ご確認いただけますかな?」
エストルはそう言ってケニーに促すと、彼は笑みを浮かべていた。
「ええ、それでは失礼いたしますね」
ケニーはそう言うと麻袋を注視する。
しばし、そのまま時間が過ぎたのち、ケニーは再び笑みを浮かべていた。
「確かに金貨150枚、確認いたしました」
ケニーは麻袋を開けることなく、外側より目を向けるだけですべてを見透かしていた。
それが何らかの魔術であることは確実であり、エストルは彼のその実力に驚嘆する。
「中は確認していないようですが……」
「透視術ですよ。布袋の中くらいなら簡単に見えます。それに金貨を数えるくらいは朝飯前ですよ」
ケニーはそう言って笑みを崩さずに答えていた。
彼のその笑みが逆に不気味に感じられ、エストルは口元を引きつらせていた。
「あ、そうそう。確かに今回の給金、受け取りましたので、これを渡さなくてはなりませんね」
ケニーはそう言うと懐から赤く綺麗な結晶を机の上に置いていた。
「これは?」
「魔晶石ですよ」
「いや、それは見れば分かるが……。何に使うんだ?」
エストルのきょとんとした顔を見たケニーは、笑みを少しだけ曇らせる。
「書状に書いていませんでしたか? あの魔導兵器の起動するためのカギだって」
「いや、ゴルバからの書状にはそんな事は一つも書いてはいなかったな……」
ケニーはエストルの言葉を聞いて、すぐに察する。
(ゴルバルナめ。僕に魔導兵器の説明を押し付けたね……。これは後で追加料金を請求しないと……)
「まあ、いいでしょう。どちらにせよ実演はしないといけないですしね」
「おお、では中庭にあるアレの使い方を教えて頂けると」
「勿論です」
エストルが意気軒昂に切り出すと、ケニーもまた笑みを崩さずに答える。
「では、さっそくお頼み申せますか?」
「大丈夫ですよ」
エストルとケニーは立ち上がる。マリーナもそれについていき、三人は応接室を抜け出ていた。
屋敷内には従者以外にも、護衛となる傭兵が駐留している。
廊下を歩いていると、数名の傭兵ともすれ違っていた。
(まったく、これほどの財貨、一体どこから湧いてくるのやら……)
ケニーはエストルの財源がどこから来ているのか気になっていた。
領地も失ってしまった今ではお金もないはずだ。
だが、彼は親しい者はチャーター船で他国に亡命させ、自分はこのコリンゲンにある屋敷を買い取って、それでいて傭兵まで雇い入れているのだ。
それだけではない。ゴルバルナに対しても多数の魔導物資を買い付けては送り続け、遂にはゴルバルナの研究も完成させたのだ。そうなると、一小国の国家予算程の潤沢な資金が回っている。
だが、エストルの資金が底を尽きる事はなかった。
たかが一領主にできることではない。
ケニーは珍しく相手の事を詮索しようとしている事に気づいて自嘲する。
(ふふ、僕はただの裏商人ですから、相手がお金を出すのであれば、その客の事などどうでもいいじゃないですか)
そう思っているうちに、三人は屋敷の中庭まで来ていた。
中庭の中央には人型のごつい石像が佇んでいる。
人の背丈の二倍ほどの大きさがあり、各関節も石造りではある物の稼働できるように繋がれている。
長細い独特の形状をした顔の先端には、丸い緑の結晶が埋め込まれている。
「うげぇ! これって、あの屋敷で見たのとほぼ一緒じゃん!」
マリーナが中庭の中央で佇む石像を見て驚きの声を漏らす。
「あそこで手に入れた書物を、僕がゴルバルナ導師にあげたものですからね」
「という事は、ケニー殿はこれを見た事があるのかい?」
「似た物ですがね。ただ、こいつの中身は別物ですよ」
ケニーはエストルの前に手を出す。
「ん? 何を……」
「さっきお渡しした起動用の魔晶石を下さい」
ケニーの言葉に促されて、エストルはポケットにしまっていた魔晶石をケニーに渡していた。
彼は魔晶石を受け取ると石像の後ろに回り込む。
「この後ろにある窪みにこの起動用魔晶石をはめ込んでください」
ケニーが魔晶石を魔導兵器にはめ込むと、石像がズズズと石をこすり合わせるようにして顔を正面に向けていた。
「ひとまずこれで起動完了です。こいつは起動した人間の命令だけ従順に従う兵器です。なので、今はコイツの命令は僕しかきかないんですよ。ほら、6歩踏み出して」
ケニーの命令を効いて石像はその場から足を踏み出していた。
6歩進むとその場で立ち止まる。
「それにこいつは試作品とは違って、多様な機能を有してます」
ケニーはそう言って右手を石像にかざす。
エストルはそれを見て彼が魔法を出そうとしている事に気が付いていた。
「な、なにを!!?」
エストルの声が届く間もなく、ケニーの右手から大きな炎球が打ち出される。
かと思えば、今度は冷気で作り出したつららを打ち込む。
更に加えて水のレーザーで魔導兵器を切ろうとしていた。
しかし、その魔法全てが魔導兵器にあたる直前に消えていく。
そう、全てが文字通り消えていった。
「攻撃魔法の一切は当たる直前に全て吸収され、こいつの動力エネルギーへと変換されます」
エストルは安堵の溜息をつくと同時に、この魔導兵器の恐ろしさを痛感する。
この兵器は魔術を無効化する盾なのだ。
それでいて石と言う固い物質で出来た動く城壁と言っていい。
「全く、恐ろしい兵器だな。こいつは」
エストルは感心しながら魔導兵器を見つめる。
絶対に敵に回したくない兵器であるが、いざ自分の物となるとこれ程心強いものはない。
「基本的に武器などは搭載してませんが、こいつの腕で殴打すれば大概の兵士は致命傷を受けます。加えて弓矢、剣、斧の打撃で傷ついた部分は、自動修復機能で再生します。大砲で運よくコアを撃ち抜かない限りは、こいつの動きは止める事なんて不可能です」
ケニーは得意げに説明を続けると、肩から下げていたバッグよりサークレットを取り出す。
「いまなら、金貨15枚追加で、このサークレットを特別にお付けいたしますよ」
「なんだ? それは……」
「こいつには一つ弱点がありましてね。命令は遂行しますが、命令を完遂すると動きを止めちゃうんですよ」
ケニーはそう言って石像を見る。
彼の言った通りで、先ほど歩く命令を出して以降、石像は一切微動だにしていないのだ。
「確かに……」
「戦っている真下、一々命令してるとそれこそ気が散って、いざと言う時に対応が遅れるでしょう」
「まあな」
「それを解消してくれるのが、こいつです」
ケニーは魔導兵器から起動用魔晶石を取り外して、エストルに渡していた。
「このサークレットを付けて、起動してみてください」
ケニーに言われるがまま、エストルはサークレットを付けて魔導兵器を起動する。
すると魔導兵器から見える景色が頭から流れ込んでくる。
「こいつは離れながらにして、魔導兵器を自在に操る優れものです。あなたは念じるだけで、この兵器を操れますし、今見ている兵器からの映像も、頭の中で念じれば表示の切り替えも可能です」
ケニーの言葉にエストルは笑みを浮かべていた。
「こ、これは、なんて優れものなんだ!」
「そう言うわけなので、金貨15枚頂ければ、そのサークレットをお譲りいたしますよ」
「よかろう! 出してやれ!」
エストルはそう言うと従者に更に金貨を追加で出させていた。
「ふふふ。こいつさえあれば、あのエスティナも従者たちもぶちのめせる」
エストルは笑みを浮かべたまま、魔導兵器から起動用魔晶石を抜き取っていた。
「お買い上げ、ありがとうございます」
ケニーはそう言うと、満面の笑みで慇懃な礼をしていた。それを横で見ていたマリーナは思う。
(商売上手だけど、やっぱり腹ぐろよ。あんた)
ケニーは金貨を受け取ると、エストルに対して告げる。
「ああ、そう言えば、あの方から伝言です。簒奪準備は整った。決行する。だそうです」
ケニーはそう言うとマリーナを引き連れて中庭から出ていく。
残されたエストルはその言葉を聞いてぐっと拳を握りしめていた。
「遂に、遂に決行するんだな……。俺の役目は、エスティナと生き残った王女の抹殺か……」
エストルはそう言って曇り空を見上げていた。
ちらほらと振り出した雪が、エストルの髭に当たっては消えていく。
彼は因縁の決着をつける決意を新たに固めるのだった。




