モレアのお祭り 5
レニの前で奴隷たちは四つん這いになって絶望していた。
「せ、折檻が待っているのか……」
そんな奴隷たちを尻目に、レニはコートの飾られた壇上へと案内される。
「はい! おめでとうございます! 優勝賞品の贈呈です!」
運営スタッフはそう言うとコートを手に取って、レニに手渡していた。
周囲のギャラリーたちは大きな拍手と歓声を上げていた。
その様子を誇らしげに腕を組んでアストールは笑顔で見ていた。そして、横目でディートリヒを見る。
彼女は言葉を発することもなく、悔しそうにアストールを睨みつけていた。
暫くしてレニがコートを抱えて、アストールの前まで駆け寄ってくる。
顔には満面の笑みがほころんでいて、その姿はとても誇らしくてかわいらしくもある。
だが、アストールの前に来る前に、ディートリヒが彼の前に立ちはだかっていた。
彼女の顔は必至そのもので、目には涙を薄っすら浮かべていた。
「ちょ、ちょっと、待ちなさい! そのコート! 幾らだったら譲るの!?」
「え、ん-、そんなお金じゃ譲らないですよ!」
笑顔で即答するレニを前に、ディートリヒは顔を真っ赤にして突っかかる。
「何でよ! なんで、お金じゃ買えないの!?」
「僕はあれだけ妨害されたんですよ! そんな人に譲るわけないじゃですか!」
レニの至極当然の答えに、ディートリヒは遂に遂に堪えていた感情が噴き出していた。
「う、うええわわわうぇああわん」
大声で泣き叫ぶも、レニは一切気にした様子もなく、アストールの前まで来ていた。
「エスティナ様! このコート、受け取ってください!」
レニの後ろでギャン泣きするディートリヒ、それに対してアストールは素直に喜んで受け取れる気にはなれなかった。
「うわあああ、お母さまにそのコートをあげるのおおおお! あああああ!」
甘やかされて育ってきた少女、だが、その動機は決して利己的なものではなかった。
誰かの為に意地でもコートを取ろうとしていたのだ。
「あああああ! 五年まえのコートとおおおおおといっしょおおああわああわあああ!」
泣きすぎて最早何を言っているのか分らないアストールは、そんなディートリヒを見て苦笑する。
「レニ、ごめんね」
アストールは一言だけレニに告げると、コートを受け取ってディートリヒの元へと来ていた。
「ディーお嬢様」
「ああああ! むわあああああ!」
「オホン! お嬢様!!!」
「う、っひぐ! っひぐ!」
アストールの叫び声にディートリヒは一時的に泣き止む。
「はい、これ。あげるわ」
アストールはコートをディートリヒに差し出す。
突然の事にディートリヒはきょとんとしてアストールを見据える。
「ふぇ?」
「別に私が持ってても、そんなに使わないし、あげるわ」
アストールがそう言ってディートリヒにコートを押し付ける。
「……え? 本当にいいの?」
「ええ。別に特別欲しかったわけじゃないし」
アストールはそう言って腕を組んでいた。
コートを両手に抱えたディートリヒは完全に泣き止んでいた。
「あ、ありがとぉ」
小さな声で呟くように言うと、ディートリヒは恥ずかしそうに、だが、大切にコートを抱え込んでいた。
「あのさ、その代わりと言っちゃ難だけど、私のレニにやってきたこと、謝ってくれないかな?」
アストールがそう言うと、ディートリヒは少しだけ表情を曇らせていた。
「なな、なんで……。私は必死にとろうとしただけだし」
口をとがらせてそっぽをむく。
「じゃあ、それ、返してもらおうかな」
アストールがそう言うと、ディートリヒはコートをぎゅっと抱きしめる。
「お嬢様、折角譲っていただいたのです。謝っておきましょう」
使用人に促されて、ディートリヒは渋々頷いていた。
彼女はゆっくりとした足取りでレニの前まで来ると、彼にばつが悪そうに眼をそらしながら言う。
「そ、その、悪かったわね。色々と……」
レニはその態度があまり気に入らないのか、小さくため息を吐いていた。
「お嬢様、しっかりと謝ってください」
「わ、分かったわよ! あなたをちんちくりんなんていって悪かったわ! それに、色々と無礼をした! この通りよ!」
ディートリヒはレニと目を合わせたのち、そう言って頭を下げていた。
レニもそれに一応誠意を少しだけ感じ取っていた。
「わかりました。いいですよ。許します」
レニも神官の端くれだ。この様な事で一々起こってもいられない。
歳不相応な大人な対応をしたレニは大きなため息をついていた。
「そのコート、お母さまにしっかりと渡してあげてください」
「……わかってるわよ。言われなくたって渡す!」
ディートリヒはそう言って、そそくさとその場を立ち去っていく。
二人の前から嵐の様に立ち去って行ったディートリヒの背中を見据える。
アストールは自分のお人よしな所がに自嘲気味に笑みを浮かべていた。
「疲れたし、帰ろうっか」
アストールの言葉にレニは頷いて見せる。
「何で渡したんですか?」
レニは不機嫌になってアストールに聞いていた。
それはそうだろう。
水を浴びせられ、泥まみれになり、目を砂でつぶされ、ぶつかってこれても、耐えに耐えて勝ち取った優勝である。それなのにレニのその努力が無駄となったのだ。
彼としても納得がいかないのは当然だ。
「うーん、だって、あのまま帰っても、あのディートリヒは私達に絶対謝らないでしょ」
「そ、それはそうですけど……」
レニはそれでも納得がいかないらしく、機嫌を損ねたままだった。
「僕は別にあの女に謝ってほしいために優勝したんじゃないんです!」
レニは珍しくアストールに怒っていた。
「僕はあのコートを、エスティナ様に着てほしかったから、頑張って優勝したんですよ?」
「それはそうだけど……。でも、私も貴方をあんなむかつく女にけなされっぱなしにされるのが嫌だったのよ」
アストールはそう言うものの、レニの機嫌は直らない。
「別にいいんですよ! コートを渡さなかったら、それでよかったじゃないですか!」
レニが珍しく食い下がって来るのに、アストールもむきになって言い返す。
「でも、それは私が嫌なの!」
アストールがそう言うと、レニは怒りを抑えられないのか、手をプルプルと震わせていた。
そして、涙目でアストールを見つめる。
「僕は、僕は真剣にエスティナ様の為を思って、頑張ったんですよ……。なのに、その頑張りの証をあんな奴に渡してほしくなかったんです……。謝罪なんていらないですよ……」
レニはうるうると涙目でアストールを見つめる。
アストールはそれを見て、確かにレニの気持ちを考えた行動ではなかったと反省する。
「ごめん、そうなんだけどね……」
レニは涙を隠すために、顔を地面の方へと向けてふさぎこむ。
明らかに落ち込んだレニに対して、アストールは大きくため息を吐きたくなるのを我慢する。
息抜きのはずがとんだとばっちりを受けていた。だが、あのまま、コートを受け取っていても、アストールは気持ちよくコートを着られはしなかっただろう。
(だあああ! 畜生! 仕方ねえな!)
アストールは心の中で叫ぶと、レニの前に立っていた。
「レニ、目を瞑りなさい」
「え?」
レニはアストールを見上げると、目を丸くして彼女かれを見つめていた。
「いいから早く!」
「は、はい……」
レニは言われるがまま目を瞑る。
視界がなくなったと同時に、肩にアストールの両手が置かれていた。
そして、おでこに柔らかく少しだけ暖かく、気持ちのいい感触が伝わってくる。
「……へぁ?」
レニは何があったのか目を開けると、大きな胸が視界一杯に広がり、目を上に向ければ、アストールがおでこにキスをしていたのだ。
その事実を把握した時、レニの顔は真っ赤に染まっていた。
「ああわわあああわああ!」
アストールはレニから離れると、気恥ずかしそうにそっぽを向いていた。、
「レニ、この事は皆に秘密よ」
「えええあ、あわ、はい!」
動揺するレニは耳まで真っ赤にしていた。
憧れの主人であり、想いを寄せる女性、その女性からおでこにキスをされた。
その事実が、今までの不愉快さを一気に吹き飛ばしていた。
レニは今までの事が本当にどうでもよくなり、それと同時に確りと現状を把握するにつれて、どんどんとアストールと顔を合わせられなくなっていた。
二人はそんな微妙な空気感の中、宿屋へと足を進めるのだった。




