モレアのお祭り 4
使用人と奴隷一同がディートリヒの前に集合して、競技場の外で作戦会議が開かれていた。
「ディートリヒお嬢様、申し訳ございません……」
使用人の一人が謝罪を申し出るも、彼女の機嫌は一向に直らなかった。
彼女は今回の決勝戦にレニが残るのを何としても阻止したかった。
だからこそ、思いつく限りの妨害行為を実行したのだ。
しかし、レニはその妨害を乗り越えて決勝戦に残ってしまっていた。
「何してるのよ!? 不甲斐ない!」
ディートリヒはそう叱責すると、腕を組んで考え出す。
「あのレニってちんちくりんを何としても落とす方法! 考えなくちゃ……!」
ディートリヒはハッとしてとある作戦を思いつく。
「そうよ! あれよ! あれを使うの!」
「あれと言いますのは?」
「胡椒よ! あれを振ってる時に粉末をすったらくしゃみが出たわ! だから、あのちんちくりんに胡椒を吸わせてくしゃみをさせるの!!」
使用人たちはディートリヒの言葉に唖然とする。
「お、お嬢様! 胡椒はとてつもない高級品でございます! 遥か南東から輸入してきているもの、黒いダイヤですよ?」
「良いじゃない! 家の倉庫には沢山あるでしょ!」
ディートリヒは胡椒の値段を知らないのかあっけらかんと言ってのける。
しかし、こんな下らないことに胡椒を使ったのがばれたとなれば、使用人と奴隷達は職を失うだけでなく、その命すら飛びかねない。
そんな大それた事をできないので、使用人たちは焦って止めていた。
「お嬢様! あれは大旦那様が南東より大金をかけて取り寄せたもの、しかも胡椒は一粒単位で値段がついております。これらをディルニア公国、ヴェルムンティア王国へと売り出すのです。無駄にはできないのですよ」
使用人の慌てた様子を見て、流石のディートリヒも胡椒の貴重さが分かる。
いくら貴族の箱入り娘とは言え、父親の大切な商品を勝手に手だしする事はよくないのだ。
「もう! なら、くすぐって笑わせてしまえばいいのよ!」
「お嬢様、この競技、意図的に相手に接触する事は原則禁止ですよ」
「ムキーーー! ならどうしろっていうのよ! 私はあのコートが絶対に欲しいの!」
「お嬢様……」
使用人達はディートリヒを見て困り果てていた。
「私はあのコートを母上の誕生日プレゼントに絶対に渡すの!」
ディートリヒはそう言うと、5年前の事を思い出していた。
彼女の年齢が10にも満たない小さな頃の話である。
その日は隣町からの帰宅途中で母親と馬車に乗っていた。
繊維祭が開かれて母親が御者に声をかけて、馬車を止めて外を見ていた。
「今年も盛況でよろしいことね」
母親はそう言ってディートリヒを連れて祭りの会場へと入っていく。
中では身分関係なく色々な人が優勝賞品を手に入れるためにボールを蹴っている。
母親と来た繊維祭のこの祭りの一時が未だにディートリヒは忘れられない。
何よりも、母親はその時の優勝賞品を見て呟いていた。
「ああ、今年はコートなのね。美しいコートね。欲しいけど、この祭り用の賞品だから、手に入らないわね……」
残念そうに呟く母親を見て、ディートリヒはこの時思ったのだ。
この祭りの賞品は毎年違うものが用意されていた。ある時は鞄、ある時は帽子、ある時はスカートなど、身に着ける物の何かが用意されていたのだ。
そして、今年の賞品は図らずも、あの時目にしたコートと似ていたのだ。
祭りの賞品は唯一無二の物、だからこそ、価値があるのだ。
お金さえ積めば、似た物は作れるだろう。
だが、それでは意味がないのだ。
あの祭りの賞品を母親は欲していた。だからこそ、今年出てきたコートを手に入れようと根回しをしたのだが、運営からは大会に出て優勝してくださいとあっさりと断られたのだ。
意地でも手に入れなくては、ディートリヒの気は収まらない。
「お嬢様、我々にお任せしてもらってもよろしいですか?」
そう申し出たのは決勝戦に残った屈強な男達、農場で作業をしている奴隷達だった。
「うーん、何よ! いい案でもあるの?」
「はい。ここは我々にお任せください」
「どんな事をするつもり?」
「それは……」
ディートリヒに問われた奴隷たちは顔を見合わせていた。
彼女はこう見えてピュアなのだ。
汚い大人のやり口を余り教えたくはない。
だからこそ、口をつぐんでいた。
「何よ! 私に言えない事をするの?」
「汚れ仕事は我々奴隷の仕事です。ですから、お任せください」
ディートリヒはその言葉を聞いて腕を組んで考え込む。
実際、これまで考え付いた事は、全て実行してきた。
だが、何一つ上手くいかなかった。
もう頼れるのは決勝戦に残った彼らだけなのだ。
「わかったわ。貴方たちに任せるわ!」
「は! 必ずやディーお嬢様に優勝を献上いたします」
奴隷たちは頭を垂れて誓いを立てるのだった。
◆
「さあさあ、決勝戦の始まりです! 皆さん! 集まってください!」
運営スタッフがメガホンを持って大声で叫ぶ。
いよいよかと祭りを楽しんでいる人々が競技場の周りに人だかりを作っていた。
アストールはその最前列で競技場内に声援を送っていた。
「レニー!! 絶対に勝つのよ!!」
周囲の人々の声援に紛れないように大声で叫ぶと、レニはそれに気づいてアストールに手を振っていた。
笑顔でアストールも手を振って見せる。
「あらあ! やっぱり田舎貴族、やることがはしたないですわね!」
いつの間にかアストールの横にディートリヒがやってきていた。
彼女の周囲は体格のいい使用人たちが固めていて、自然と人払いが出来ていた。
「ふーん、そういう使い方もできるのね。意外に便利ね」
アストールは屈強な使用人たちを見て、感心して声を上げていた。
「きー、何よ、田舎貴族!」
ディートリヒはそう言うと競技場へと顔を向けていた。
「さあ! みんな! あんなちんちくりん! けっちょんけっちょんにしておしまい!」
叫ぶディートリヒを見てアストールは苦笑する。
(まったく、はしたないのはどっちなことやら)
レニは競技場の真ん中に立っており、その後ろにディートリヒの奴隷四人が佇んでいる。
不気味な威圧感を後ろから感じ取ったレニは、警戒せざる負えなかった。
(これは絶対になにかあるぞ……)
レニの心配をよそに、運営は決勝戦を推し進めていた。
「人も集まってきました! さあ、決勝戦のはじまりです!」
運営スタッフがそう言うと、周囲の観衆は大きな歓声を上げていた。
本戦の時よりも人が多くおり、自然とにぎやかな正に祭りとなっている。
久々の和やかで活気のある雰囲気に、アストールは自然と笑みをこぼしていた。
「さあ、いきますよ! はじめええ!」
運営スタッフのかけ声とと共に競技が開始される。
笛が鳴らされて、5人は一斉にボールを蹴り上げた。
一回目の時、まだ、何も妨害は入ってこない。
二回目の笛が鳴った時、またみんなが一斉にボールを蹴り上げていた。
その時、一人の奴隷がレニの前までやって来る。
「へっへっへ! やるじゃねえかお嬢ちゃん!」
屈強な男はそう言ってレニをほめたたえる。
「それはどうも! でも僕は男ですよ!」
「男? そんなわけねえ! それよりも俺達は絶対に勝たなきゃならねえ!」
何回か笛が鳴っているうちに、レニは四方を奴隷たちに囲まれていた。
「あ、いつの間に! 何かする気ですか?」
レニが問いかけると、男は笑みを浮かべたままで何も答えない。
次の笛が鳴った時、全員がボールに目を向けながら蹴り上げる。
その一瞬の隙をついて、一人の奴隷がレニの目に握っていた砂を投げつけていた。
体勢的にはけしておかしいものではなく、さりげない砂の投げ方だ。
レニは不意を突かれつつ、目をつぶる。
「が、ああ!」
感覚だけを頼りにボールが足に落ちてくるのを受け止める。
目をつぶっていても、何とかボールを受け止めたレニは、目を開けようとする。
だが、片目が痛くて開けられなかった。
そう、砂が完全に目に入って開かないのだ。
「う、卑怯ですよ!」
「ち! なんて奴だ!」
砂をかけた男はそう言ってレニを驚嘆した顔で見つめる。
「僕だって、こんなことで負けるわけにいかないんです!」
レニはそう言うも、運営スタッフは妨害に気づいた様子はない。
敢えてレニは沈黙を守り、また、笛の音に合わせてボールを蹴り上げていた。
「えーここで、決勝戦恒例の連続蹴り始めます!」
運営スタッフがそう言うと、笛の音が小刻みにピッピッピッピッピと等間隔で鳴らされだす。
突然の出来事に参加者は動揺しつつも、何とかついていこうとする。
だが、一人の参加者がリズムに乗れずに脱落する。
「ああああああ! 何をやってますの!」
ディートリヒが忌々し気に叫ぶ。
「もう、こうなったら、あれをするわ!」
彼女そう言うと使用人から手鏡を手渡してもらう。
そして、あろうことか、照り付ける太陽の光を、手鏡で反射してレニに向かって照射していた。
キラキラと向けられる太陽光の反射に、レニは片目をつぶったまま、ディートリヒに背を向ける。
即座に対応されて、ディートリヒは再び悔しさの悲鳴を上げていた。
「何なのよ! あのちんちくりんは!」
そうしているうちに、一人の奴隷がレニに近寄ってくる。
そして、ボールがレニの方に飛んでいくようにして、彼の背中へとぶつかっていく。
「おっとっと、あぶない! あぶない!」
背中に衝撃を受けるも、レニはバランスを崩さずに、ボールを蹴り続けていた。
「ひ、卑怯ですよ!」
「すまんすまん! バランスを崩しちまって!」
男は悪びれた様子もなくレニに告げていた。
そして、再び男がレニにわざとぶつかろうとする。
それをレニは身軽に避けていた。
軽くかわされることで、本当にバランスを崩してまた一人脱落する。
「なんてことなの!」
「卑怯な事してるからだよ!」
アストールはディートリヒに告げると、彼女はきっと彼女を睨みつけていた。
「残りは二人ですね!」
「お嬢ちゃん、やるじゃねえか!」
「だから、僕は男ですよ!」
「また、嘘つくんじゃねえよ!」
男はそう言って近づいて何かをしようとする。
その時、突然畑の土に足を取られて、男は転倒していた。
「ぐは! なんてことだ!」
男の足は足首まで地面に埋まっていて、明らかに人為的に作った落とし穴にはまっていた。
「じ、自分で掘った穴にかかったんですか?」
「ああ、そうだな。だがな、お前さんの周りは落とし穴をまだ掘ってある! 気を付けるんだな!」
奴隷の男はそう言ってレニにプレッシャーをかけていた。
さすがのレニもその言葉に焦燥する。
「なんてこと! 一対一になるなんて、思いもしていなかったわ!」
ディートリヒはそう言って驚嘆していた。
アストールもまたどんどん自滅していくディートリヒの奴隷達を見て呆れかえっていた。
「これはいけるわね! レニ、あと少しよ! 頑張りなさい!」
「何をやっているのよ! もし優勝できなければ! あなた達帰ったら折檻ですわよ!!!」
ディートリヒの言葉に奴隷たちはびくつく。
完全にマイナス効果を生む言葉に、残った男は肩をびくつかせていた。
一定間隔で吹かれていた笛は急にやむ。
かと思えばまた一回だけ吹かれる。
そういった不規則な吹き方をされ、精神的に追い詰めてくるのだ。
これはある意味根競べの競技でもある。
この祭りの神髄を思い知ったレニは少しだけ冷や汗をかいていた。
だが、それ以上にプレッシャーを受けているのは、横の男だった。
もしも、失敗すればかえって厳しい折檻が待っているのだ。
レニは同情をしつつも、競技に集中していた。
だが、決着の時はすぐに訪れる。
再び連続して笛が吹かれ始めたかと思うと、すぐに笛が止んだ。
それに動揺してバランスを崩して、レニと相対していた男はボールを高く蹴り上げてしまっていたのだ。
「はーい! 決着です! 優勝者は神官服を着たこちらのお嬢様でーーーす!」
「ぼ、僕は男です!」
突然の決着にレニはボールを蹴り上げると手に取って、運営スタッフを睨みつけていた。
ディートリヒは中に居る奴隷達を見て、茫然自失となっていた。
対するアストールは大きく手を振って、レニに対して祝福の言葉を叫んでいた。
「よくやったわねー! レニ! 優勝おめでとうーー!!」
こうしてモレアのお祭りは、レニの勝利で幕を閉じるのだった。