そうだ、温泉に行こう! 1
交易都市モレアは都市と言いつつも、城壁のある城塞都市ではない。
領主の住まう城の周りにのみ城壁があり、その城を中心として街が広がっていた。
モレアは南側に住民が集中して住んでおり、北側には機織り、布編みをして衣服を作る繊維工場や、そこで造られた地物を売る商家、露店商が交易品を売る市場がある。
綿花の一大生産地であるモレアの特色が強く出ており、先の大戦でも西方同盟とヴェルムンティア王国と中立に近い条約を結んでいて、どちらがこの街を拠点として活用するのは自由であるものの、町周辺では戦闘行為の一切を禁止していた。
それがまかり通るのは、このモレアがクロスアーマーの一大生産地であり、双方の軍隊に良質な装備品を売りつけていたからだ。言わば装備の生産拠点であったのだ。
こういった経緯からこのモレアの街は、両軍が無傷で手に入れて利用するため、双方の間でもこの街は占有しても占領はしないという条約が結ばれるほどだ。
アストールはそんな特殊な自治を認められているモレアの街を、メアリーとエメリナ、レニを引き連れて歩いていた。
「ねぇねぇ! どこに向かってるの?」
メアリーがアストールの横を歩きながら、聞くと彼女は笑顔で答えていた。
「とりあえず酒場のある歓楽街よ」
「ええー。なんで?」
「やっぱり旅の疲れを癒すなら、酒場に行くのが定石でしょ」
少しだけ不満そうにするメアリーに、アストールは笑顔で答えていた。
「でもさ、酒場以外に何かいける場所とかあるんじゃない?」
メアリーがそう言うも、アストールは頑なに行き場所は変えない。
そんな頑固なアストールに対して、エメリナが口を挟んできていた。
「ねえ、旅の疲れを癒すなら、公衆浴場っていうのも良いと思うんだー」
エメリナの提案にメアリーがぎょっとする。
そう、エメリナはアストールが本来男であることを知らないのだ。
アストールはその提案を聞いて、逡巡して問う。
「公衆浴場ねぇ……。モレアにそんな所あるの?」
「うん、実は宿屋で皆が準備している時にね、街の人から情報仕入れてたのよ」
「ほほー」
アストールは顎に手をやりながら、メアリーを横目でみる。
勿論、その顔には不敵な笑みを浮かべており、メアリーはそれに気づいてない胸を隠すように両手で覆い隠す仕草をしていた。
そのつっけんどんに睨みつけてくるメアリーに対して、アストールは今まで着せ替え人形として、やられてきた仕返しと言わんばかりに笑顔で答えていた。
「それもいいわねえー。最近ずっと寒かったし、体温めるのに丁度いいわ。そう思わない? メアリー?」
わざとらしくメアリーに聞くと、メアリーは慌てて答える。
「え、ええ!? でも、その、何というか、あ、そうそう! レニだっているんだよ? 一人だけってのも可哀そうじゃない?」
何かしらの言い訳を見つけ出してメアリーは公衆浴場に行く事を拒否しようとする。
だが、その希望はもろくも崩れ去っていた。
「疲れを癒すなら公衆浴場はとてもいい提案だと思いますよ?」
レニはあっけらかんとして言ってのける。
「え? でも、折角四人で居るのに、一人だけになっちゃうんだよ?」
「メアリーさん、心配はありがたいですけど、僕も温泉は好きなので、一人で入っても楽しめます」
レニのその言葉に対して、メアリーは更に食い下がる。
「レニみたいに可愛い男の子が一人だったら、攫われていけないことするおじさんがいるかもしれないじゃない?」
「大丈夫ですよ。僕は全能神アルキウスの加護もありますから、そんじょそこいらの男なら、一撃でのせますよ」
レニはそう言って笑顔で答えていた。
「てことだから、多数決で決定ね! 公衆浴場に行きましょ!」
アストールはそう言ってメアリーに勝ち誇った笑みを見せつける。
メアリーはそれに逆らえず、悔しそうにきっとアストールを睨みつけていた。
「わーい! やったあ!」
屈託ない笑顔を浮かべてエメリナは飛び上がっていた。
そんな、無邪気なエメリナをアストールは笑顔で見つめ、メアリーはそれを睨みつける。
レニはそんな三人の構図を不思議そうに見ていた。
四人が歩いていると、顔を色とりどりな化粧をした女性が通り過ぎていく。
服も花柄と文様が入った民族衣装であり、特別な何かがあることをうかがわせていた。
歓楽街が近くなってくると、着飾った人と多くすれ違うようになる。
「お祭りでもしてるのかな?」
メアリーがそう言って歓楽街へと顔を向けると、歓楽街には露店が多く出ていて、一般人から先程の着飾った人々まで、結構な数の人でにぎわっている。
「おお、可愛いお嬢さん方だね」
呆気に取られて歓楽街の入り口で立ち止まっている四人を前に、数人の男性がやってきていた。
彼らはノースリーブの羽織を着ており、その下は裸である。
体と顔には文様で化粧していて、少々お酒臭かった。
ズボンも花と文様が刺繍された派手派手しいものだ。
「何か用ですか?」
アストールがつっけんどんに聞くと、男の一人が笑顔で聞いていた。
「いやー、君たちよそ者だろう? このモレアの繊維祭「ヴァンボイフェスト」を案内しようかと思ってね!」
男たちは笑顔でそう言うも、アストールは今一つ乗り気ではなかった。
折角の休息を男達と過ごす気にはなれなかった。
「ありがたいんだけどさ、今日は私達疲れてるのよ。また今度、お願いできるかしら?」
アストールがそう言うと、男たちは残念そうに引き下がっていく。
祭りと言う事もあって街の中に活気があるのは良い事だ。
何よりも、この街は一切の戦禍の傷跡を感じられなかった。
「良い街だね」
メアリーが行き交う人々を見て、明るい表情を浮かべていた。
この西方に入ってからというもの、戦場の悲惨さばかりを目の当たりにしてきた。
激戦渦巻く西方の地で、戦禍を免れた珍しい街である。
それは住民を見ていればよくわかる。
皆、この綿花の収穫を祝って、楽しそうに路上で飲み、仮装を褒めあっているのだ。
そして、露店で売られている物を買ったり、酒を飲んだり、食べ歩きをしていたりと、住民の表情は皆明るく楽しそうに過ごしている。
「本当にいい街だ」
アストールもそれに同意していた。
一同はそんな活気ある歓楽街を歩きながら、公衆浴場に辿り着いていた。
公衆浴場は時間が早いという事と、仮装の化粧を落としたくないという理由から、あまり人は入っていない。受付に行った時に、エメリナが店番の女性に話しかけていた。
「女3人、男1人なんですけど、おいくらになります?」
公衆浴場の女店主は四人を見て、目を丸くする。
「あらまあ、女4人かと思ったわ。どの子が男の子なの?」
女店主の言葉にレニが不服そうにしながら名乗り出る。
「僕です……」
「まぁ、可愛いわね! お姉さんたちと一緒に入らなくても大丈夫?」
女店主の言葉に年頃のレニはぼっと顔を真っ赤にする。
「ぼぼぼぼ、僕は、男ですよ!?」
「そうなんだけど、これだけ可愛いと、気にならないのかなって思ってね」
「だ、だだから、男ですって!」
「うん、わかってるわよ。実は貸切風呂ってのがあってね。四人で貸切なら、入れるかなと思ってね」
女店主の妙な気遣いに、メアリーがすぐに反論しようとする。が、それを遮るようにアストールが前に出て女店主に話しかけていた。
「いいですね! これなら、誰も欠けることなく一緒にお風呂入れるし」
エメリナは特に気にした様子もなく、笑顔で同意する。
「うん、確かに。レニが独りぼっちってのも可哀そうだしね」
レニはどうすればいいのか戸惑っていると、メアリーが即座に反論していた。
「二人とも、レニが困ってるよ!? 普通に入ろうよ」
しかし、アストールはそれを認めようとはしなかった。
「いいじゃない! レニは神官戦士なんだから、女性の裸なんて見たって大丈夫よね」
アストールがレニに目を向けると、彼は困って顔を赤らめつつ目を背けて小さい声で答えていた。
「えー、えと、確かに、そう言う考え方もありですね……」
「はい、決まり! てことで、貸切風呂お願いね。お金は全部私が持つからいいよ!」
アストールが強引に話を進めた事に、メアリーは明らかに不愉快に表情を曇らせていた。
「ありがとうね。お嬢さん方、貸切風呂はここの廊下を真っすぐ進んで、突き当りを右に曲がって、左から三つ目の扉だよ」
アストール達はお金を支払ってタオルを受け取ると、足早に貸切風呂へと向かうのだった。