復興への道筋 3
アストールはイレーナの執務室から出ると、すぐにノーラが滞在している部屋へと足を運んでいた。
扉をノックして部屋に入ると、ノーラは鏡の前でナルエに髪の毛を解かしてもらっている。
ノーラ年頃の女子であり、ナルエに髪の毛を整えてもらっている彼女は、嬉しそうにしていた。
とは言うものの、鏡に映るノーラの目の下にはクマができていて、その疲労具合がありありと出ている。最近のハードな仕事スケジュールでは、まともに身なりを整える時間もなかなか取れなかったのだ。
「……ナルエよ。私はひどい顔をしているな」
ノーラは鏡に映る自分を見て小さく溜息を吐いていた。
「この所、お休みがありませんでしたからね……」
いつどこで、誰の目に見らても遜色ない身嗜みを整えるのは、王族として当然のことだ。
ナルエはそれを踏まえた上で、この化粧直しをノーラのストレス解消の一環としていた。
「にしても、この肌荒れはどうにかならぬものか……」
ノーラはそう言って自分の頬に両手をあてていた。
彼女のハードな仕事量からして、その影響が顕著に出ているのがその素肌だった。
かさつく肌をなでながら、ノーラは涙目になりながらナルエを見据える。
「最近聞いたのですが、王国南部でとれるクシュナーオイルが美肌に効くといいますよ」
ナルエはさらっと美肌にかんする化粧品の話を振っていた。
「なんなのだ? そのクシュナーオイルというのは?」
「南部の温暖な海洋気候で良く育つクシュナーという木がありまして、その木から採れる実を原料に油を取ってるんです」
ナルエはそう言ってノーラに説明を続けていた。
「南部ではとてもポピュラーな油で、料理から美容にまで、幅広く使われてます」
「そうなのか……。気になる……」
ノーラはそう言って頬を膨らませながら、鏡に映る自分と目を合わせていた。
ナルエはそんな彼女を見て、微笑みながら答える。
「ディルニア公国に行けば、あるいは手に入るかもしれませんね」
ナルエは花を浸けていた化粧水を両手に浸けて、ノーラの頬をマッサージする。
ノーラはそれにとても気持ちよさそうに顔を緩めていた。
アストールはその光景を見ながら、自分もやってみたいという欲が出てくるのを我慢する。
そして、わざとらしく咳ばらいをした後、二人に声をかけていた。
「ノーラ殿下、失礼いたします」
ノーラはアストールに顔を向けることなく、そのまま鏡を見ながら答えていた。
「エスティナよ。ご苦労。イレーナからはどの様な事を言われた?」
ノーラからの言葉にアストールは答える事を窮する。何といっても、彼女が帯びた命令は、ノーラの傍から離れろと言う命令である。
今の状態で彼女の元から離れるのは、あまり得策とは言えない。
それでも、アストールは言葉を紡いでいた。
「大変申し上げにくいのですが……」
「なんだ? 申せ」
「ディルニアに行くようにと言われました」
アストールの言葉を聞いたノーラは動きが止まる。
そして、慌てて彼女の方へと顔を向けていた。
「私よりも先にディルニアに行くということか!?」
ノーラの驚いた声が、静まり返った部屋の中に響き渡る。アストールは鏡の前にいるノーラの元まで歩いていくと跪いていた。
「はい、イレーナ様より、エドワルド公爵殿下に書簡をお渡しする様にことずかっておりまして……」
その言葉を聞いたノーラは深く溜め息をついていた。
「全く、イレーナだけは相変わらず勝手に決めおって……」
ノーラの言葉にアストールはくすりと笑う。
普段はノーラが打合せとは違う想定外の事を、イレーナに無断で決めてしまっている。
イレーナは常に彼女の言動に振り回されており、ノーラが勝手という言葉を使うのが、アストールにとっておかしくて仕方がなかった。
「何かおもしろいことでもあるのか?」
「あ、いえ! ノーラ様の我が儘をいつも効いておられるのはイレーナ様ですから……。ちょっとした仕返しなのかと……」
アストールはそう言い繕うと、ノーラは腕を組んで彼女に詰め寄る。
「ええ!? 私が我が儘だと!?」
アストールは立ち上がると、態度も機嫌も変えることなく笑顔で答えていた。
「ええ、そうですよ。フェールムントの鎮圧戦の指揮を執ると言ったのも、イレーナ様にはご相談されてなかったのでしょ?」
アストールの鋭い指摘に対して、ノーラは目をそらしていた。
「そ、それは! どうせ言った所でイレーナは従わぬ。であれば、強引に進めるしかないであろう!」
「俗世ではそれを我が儘と言うんですよ」
アストールの言葉に、ノーラは頬を膨らませる。
「そうやってからかって! そんな態度を取るのは、お前とお前の兄ぐらいだぞ?」
ノーラは顔を背けると、アストールは彼女の前まで歩み寄っていた。
そして、アストールは彼女を優しく抱擁する。
ノーラはその行動に対して、嬉しくなる想いと共に、離れてしまうという悲しみが同時に胸の内に込み上げてくる。
腿の横にあったノーラの両手はぎゅっと握りしめられており、目には涙が浮かび始める。
ナルエはアストールの行動を止めることなく、二人を静かに見守っていた。
「ノーラ様、私は先にディルニア公国に行き、ノーラ様をお待ちしております」
ノーラはアストールの言葉を聞いて、溜まらず彼女に抱きついていた。
「私は、私は心細い。この様に軽口を叩ける者も少ない。王族従騎士も、グラナも、皆、失ってしまった」
ノーラはアストールに抱き着いたまま、アストールのふくよかな胸の中に顔を埋めて涙を流しだす。
「私の心を許せるのは、今やエスティナ、お前とナルエだけになってしまった……」
アストールはノーラからそう言われて、優しく彼女の頭を撫でていた。
「今は誰も見てはおりません。お辛いなら、私がこの胸を御貸しいたします」
「お前は……。本当に良い騎士だな……」
ノーラはそう言うと、抑えていた感情を吐き出していた。
大人を相手に小娘と舐められまいと、普段は尊大な態度と、王族としての振る舞いで、けしてその内なる想いを暴露できない。
ましてや、今は反乱を起こした者と協議をしながら、このフェールムントの復興をしようと努力している。とても齢15の少女が成せる偉業ではない。
反乱軍を前にしても全く動じるそぶりは見せずに、毅然とした態度で反乱軍を諭していた。
だが、ノーラも王族である前に、一人の少女でもあるのだ。
そんなプレッシャーを前にして尚、耐え続け、そして、皆の期待に応えてきた。
自分の行動、言葉一つに、多くの人の命がかかっている。
決断一つで戦争さえ起きかねない緊張感に、この小さな体は耐えてきたのだ。
それを想うと、アストールは彼女がどれほど努力してきたのか、身に染みて分かる。
生死を共にしたからこそ、アストールにとってノーラは特別な存在となっていた。
しかし、王族としての尊厳もなく、今の彼女は只の生娘に戻っていた。
アストールの胸を借りて号泣するノーラの頭を、彼女は優しく撫でてなだめていた。
(今はこれでいい……)
幾ら彼女が王女として成長したとはいえ、年頃の少女に変わりないのだ。
アストールはそんな少女の悲しみを、優しく包み込んで癒してあげるのだった。




