復興への道筋 2
アストールはイレーナに呼び出されて、フェールムント城の執務室に来ていた。
扉を開ければ、執務室の机で事務処理に追われるイレーナが頭をかきながら、羽根ペンを片手に書類に目を通していた。
「あのー、私になんの用でしょうか?」
アストールは恐る恐るイレーナに問いかける。
この反乱の一件以来、アストールはイレーナに対する認識を改め、ノーラに相応しい執務官として見ていた。イレーナは執務室に入ってきたアストールに目を向けると、小さく息を吐いて書類を両手で持って整えて机の上に置く。そして、彼女に顔を向けていた。
「ご足労様です。エスティナ様、実は私からお頼みごとをしたいんですけどね」
イレーナに顔を向けられて、アストールは反射的に肩をびくつかせてしまう。
ガリアールで転送装置の実験台にされた事を、いまだに忘れはしない。
体がそれを覚えているからこそ、イレーナに警戒感を解かずにはいられない。
特にこのような特別に、個別に呼び出して頼みごとをするなど、大抵いい話ではないはずだ。
アストールが身構えているのを見て、イレーナは苦笑する。
「別にあなたをとって食べたりしませんよ」
「前例があるからなぁ……」
「昔の事でしょう」
「いや、まだ一年も経ってませんよ」
アストールの率直な突っ込みにイレーナはくすりと笑っていた。
「それもそうでしたね。多忙すぎて、もう遥か昔のように感じてしまいますわ」
イレーナは性格こそ難ありだが、見た目は美しいお姉さんである。
整った顔立ちから繰り出される微笑は、男の胸を高鳴らせるには十分だった。
とは言え、アストールの身は女であるため、彼女を見てもさほどそそられない。
「忘れてもらっては困りますよ」
「すみません」
悪びれた風もなく謝るイレーナに、アストールは嘆息していた。
「それでそのお頼み事って何です?」
「貴方はディルニア公国に用事があるのでしたよね?」
イレーナは鋭い目付きでアストールを見据えると、彼女は驚いていた。
「なぜそれを?」
「私が知らないとでも?」
イレーナは上体を前のめりにすると、机の上で両手を組んで、顔をその上にのせて笑みを浮かべる。
「どこで情報を手に入れてるのか、わからないけどさ……。嗅ぎ回られるとあんまりいい気はしませんね」
アストールはイレーナに対して毅然とした態度で返すと、彼女は笑みを消していた。
そして、すぐに仕事口調で彼女に告げる。
「ノーラ殿下は暫し、このフェールムントでやることがありますので、ディルニア公国入りは大分後になります。その旨をエドワルド公爵殿下にお伝えして頂きたいんです」
「えーと、もしかして、その役目を私がやれと?」
「はい」
イレーナの言葉を聞いて、アストールは暫く動きが止まっていた。
アストールが驚くのも無理はなかった。
今現在、ノーラはフェールムントの再建に向けて、市民の代表者を募り、また、反乱を先導したアブロ、フェールムント守備隊隊長のグリド等主要な関係者と協議している。
一番の争点としてはアブロをフェールムントの城主とし、グリド初め王国軍兵士と市民代表がそれを補佐する体制を整えられるかだ。
とは言え、アブロの爵位を決める会議は難航しており、丸く収まるように進んでいない。
実質、この問題は後回しにして、街の復興を進めているのが現状である。
このフェールムントの城主を誰にするか決まるまで、ノーラはこのフェールムントを出ることは出来ないのだ。この問題を上手くまとめるまでは、次の訪問先のディルニア公国には向かえない。
西方でのこの出来事を伝えるため、その遣いとして自分が選ばれるとは、アストールは露とも思っていなかった。
しかし、一番に心配している事がある。
それは……。
「姫様の護衛任務はどうされます?」
そう、ゴラムより預かった護衛任務だ。
ゴラム亡き今、ノーラの護衛は残された近衛騎士ギードが責任者となって、警護を続けている。
「ギード殿に加えて、今は西方軍5000名がノーラ様をお守りしています。それに、フェールムントには既に敵はおりませんのでね」
「あら、そう、それで私は不要と?」
アストールは皮肉を込めて言うものの、イレーナは表情一つ変えなかった。
「まぁ、そう言う捉え方も出来ないわけではないですね」
「相変わらず否定はしないんですね」
アストールの言葉に口元を少しつり上げると、イレーナは立ち上がっていた。
そして、アストールの前まで歩み寄る。
「私は貴方に新たな任務を頼みたいのです」
かつては敵対していた関係が、今や完全に主従のような関係になっている。
その事実を前にアストールは嫌悪感を感じつつも、イレーナに対して笑顔で答えていた。
「それは構いませんよ。ていうか、渡りに船ってやつですから」
実際の所、アストールはゴルバルナの手掛かりを持つ、あのエストルを捕らえるために、ディルニア公国へと向かうのだ。
ノーラの護衛任務は、業務量こそ多いものの、そのついでと言っていい。
「なら、お頼みしましたよ。馬と馬車はお貸ししますので、よろしくお願いしますね」
イレーナはそう言うと手に持っていた書簡を、アストールに手渡していた。
しかし、アストールはふと疑問に思う。
「あの、エドワルド公爵に書簡を渡した後はどうすればいいの?」
イレーナはその問い掛けを聞いて、少しだけ考える。そして、すぐに彼に答えていた。
「そうですね。その後の任務は特にありませんし……。これまで色々ありましたから、さぞお疲れでしょう。休息でも取ってください。その後は、王国に帰るなり、そこは貴方にお任せしますよ」
イレーナからの思わぬ提案に対して、アストールは再び驚いていた。
「そ、そんなのでいいの?」
「ええ、貴方の行動は基本的に、私の管轄外ですからね」
実際の所、執務官として近衛騎士を使うことはおかしいことではない。だが、それは正式な手続きのもと行われればと言う条件付きだ。
近衛騎士に命令するならば、本来はその騎士の所属する団長より命令を下ろすのが正式な形だ。
今回の件に関しては、外遊での王族警護と言う特殊な事情ゆえ、そこを省いても許される。しかし、一度任務を解いた後では、それ以上の命令をアストールに下すのは越権行為に等しくなるのだ。
イレーナはそこも考慮して、アストールに自由にしろと言っていた。
「そう、なら、お言葉に甘えさせてもらおうかしらね」
アストールはそう言って、ディルニア公国で待ち受けているであろうエストルを捕まえることを決心する。
その瞳には男に戻ると言う熱い想いが煮えたぎっていた。
そんなやる気に満ちたアストールを見て、イレーナは淡白な口調で告げていた。
「せいぜい頑張ってくださいね」
「嫌味な言い方ね」
「すみません、私もこう言う言い方でしか貴方を励ます事ができなくて」
皮肉を効かせた言い方を前に、アストールはイレーナに対して手を振って見せる。
「せいぜい頑張りますよ」
そう言いながらアストールは部屋を出ようとする。イレーナはそんなアストールを呼び止める。
「エスティナ様」
「なに?」
「御出立前にノーラ様に挨拶だけでもお願いします」
その言葉はイレーナなりのノーラへの気遣いだった。
これまでノーラを間近で守り続けていたアストールが、もし突然何もなく居なくなれば、彼女はかなり心配するだろう。
何よりも、一言も物申さず立ち去るのは、流石に王族に対して不敬でもある。
アストールは足を止めると、顔だけイレーナに向ける。
「分かりました。ノーラ様にはディルニア公国でお待ちしているとお伝えします」
「感謝申し上げます」
アストールの答えに、イレーナは安堵の表情を浮かべていた。
アストールは敢えてそれには触れずに、部屋を出ていくのだった。