王女との交渉 1
「軍使が参られました!」
ノーラが控える天幕に一人の兵士が駆け込んでくる。ノーラの傍らにはアストールが剣を携帯して控えており、天幕内には槍を持った衛兵が6人控えている。
そして、後ろにはイレーナがおり、ノーラの両隣にはギードとギベン方面予備軍の指揮官が居る。
厳重な警備のもと、アブロは丸腰で天幕の中に入っていた。
ノーラはアブロを見ると立ち上がる。
甲冑こそ着てはいないものの、鎖帷子と王家の紋章の入った前掛けをしていて、何よりも王族にふさわしい尊大なオーラを出している。
(これが、王族……)
アブロは力強い眼差しを向けてくる一人の少女を見て感心していた。
両隣に控える指揮官は表情こそ無表情だが、その瞳には敵意が宿っている。
それにも関わらず、ノーラからは敵意を感じ取れない。
今まで襲撃を受けてきたというのに、その相手を前にしてもノーラは一切動じることはないのだ。
「よくぞ、お一人で参った。その勇気、称賛に値する。私は今一時だけでも、そなたを客人として迎えたい。私はノーラ・ヴェルムンティアだ」
ノーラは笑顔でアブロを出迎える。
その敵意のなさにアブロは呆気に取られていたが、すぐに自分を取り戻して口を動かしていた。
「申し遅れ、すみません。アブロ・レギエンヌと申します。殿下にお目通し頂き、感謝致します」
「挨拶も済んだのだ。さぁ、座るが良い」
ノーラに促されて、アブロは机の前の椅子に座る。ノーラと指揮官二人は武装をしておらず、交渉の最低限のマナーを守っている。その様子を見たアブロは、彼女が自分を殺すつもりがないのだと確信する。
「して、私と交渉事とは何があったのですか?」
「ふむ。単刀直入に言おう。私はそなたら、反乱軍とは争いたくない」
ノーラの申し入れにアブロは少しだけムッとする。
「その言い様、我等の境遇を知っての物言いでしょうか?」
無礼な物言いに横にいたギードが叫びながら立ち上がろうとする。
「貴様!」
「よい! 控えろ!」
ノーラが一括して手でギードを制する。
その様子を見てアブロも改めて、彼女への認識を変えていた。
この少女はただの小娘ではない。立派な王族としての務めを果たすべく、ここに来ているのだと。
「私はそなたらが苦しんだ事を聞き及んでいる。私を殺したい程に恨んでいることも承知の上である」
ノーラの言葉を聞いた瞬間に、アブロは敢えて激昂していた。
「その言い様! 我々の何が分かる! 大切な人も故郷も全てを失った! お前達に奪われたんだ!」
アブロの怒りを前しても、ノーラは真正面から彼の言葉を受け止める。
彼が怒る理由も全て痛いほどわかるのだ。
ノーラはこのフェールムントで大切な人を多く失った。
王城ヴァイレルで顔を良く合わせていた従騎士、父の様に慕っていたゴラムもこの地で亡くした。
だからこそ、それが他人事ではないと感じられる。
ノーラはその思いをぶつけるために、アブロを見据えていた。
「そう、我等はお前達から最愛の者を奪った。以前の私であれば、分かったつもりになっていた事だろう」
「なに?」
「私もこの地でつい先日、親の様に慕った最愛の人を失った」
ノーラは真っ直ぐにアブロを見つめていた。
その目には明らかに悲しみの感情が宿っている。
だが、そこに恨みの感情はない。
アブロはノーラを見て瞬時に彼女の想いを感じ取る。
「愚かしいと言われるかもしれない。だが、それで初めて、そなたらの気持ちが分かったのだ。憎悪し、殺したいと言う気持ちが……」
ノーラはそう言うとアブロを見つめる。彼もまた黙ってノーラを見つめ返していた。
「私はこれ以上、フェールムントの民を苦しめたくない。今いる反乱軍の中にはフェールムントに家族が居る者もおるはずだ」
ノーラの言葉を聞いたアブロは、深く息を吸っていた。
「ノーラ殿下我々は3000弱の手勢を有しております。この軍勢を持ってすれば、殿下の軍勢を打ち破り、殿下の首を頂戴することもできましょう」
アブロは敢えてノーラを挑発していた。
その言葉を聞いたギードが流石に言葉が過ぎると咎めようとする。
しかし、冷静なノーラを見て、ギードもそれを思いとどまっていた。
ノーラはアブロに対して真剣な眼差しを向ける。
「そうか。だが、それが本当にそなたの望む答えなのか?」
「何ですと?」
「私には見えるのだ。そなたが迷っているのが」
ノーラが真っ直ぐにアブロと目を合わせたまま動かない。
王族特有の力強い眼力を前にして、アブロもまた内心動揺していた。
高々15の娘に内心を見透かされることなど、屈辱以外の何物でもない。だが、それでも彼はノーラが全てを見通しているのだと気がついていた。
だからと言って、まだ彼女の真意が見えた訳ではない。
「殿下、あなたの意図していることが分かりません」
「貴方がた反乱軍は、どうにも振り上げた拳をどこにぶつけていいのか分らない。そう見えるのだ」
実際ノーラの言う通り、反乱軍の士気は、皮肉なことに現在目の前に居るノーラが居るからこそ保たれているに等しい。それがなければ、今頃軍は壊走して、反乱兵の殆どは二度と足に着くことはなかっただろう。
だからこそ、ノーラは言うのだ。
「そなたも、私と気持ちは一緒であるのではないか?」
ノーラの言葉にアブロは少しだけ心を揺らす。
「先日、私は最愛の者を奪った傭兵達が、村を略奪するのを目の当たりにした。私に取って、これほどまでに屈辱と自責の念に苛まれたことはない。我が臣民を殺し、犯し、安寧を奪う。私はそれが許せないのだ。私がいうと身勝手に感じるかもしれない。だが、私はフェールムントにも同じ気持ちをもっているのだ」
アブロはノーラの言葉を聞いて、何も言い返せなかった。
彼女を殺そうとしたのは確かであり、彼女自身もそれを理解している。理解してなお、彼女はそれでもフェールムントの民にも王国民と同じように憂いていると告げたのだ。
「私がこう言うと身勝手極まりないかもしれない。だが、今反乱を起こしている者達含め、皆が我が国の民なのだ。なのにこの様に刃を交えなければならないのは、私に取っては筆舌しがたい悲しみなのだ」
ノーラはそう言ってアブロを見つめる。
アブロはノーラが刃を向けてもなお、自分達を敵ではなく、王国の民として受け入れようとする態度に、心が動かされていた。
「この戦は私が望んだものではない。できれば、そなたらに許してもらいたいのだ」
ノーラの言葉を聞いたアブロは、そこで言葉を失っていた。
まさかあの悪逆非道のヴェルムンティア王国の王族が、フェールムントの民に許しを請う事など想像もしていなかったのだ。
「我が王を代弁して、言わせてほしいのだ。この度の戦において略奪で犠牲になった人々、遺族に謝罪を申し入れたい」
ノーラの言葉を黙って聞いていたアブロは、涙を流していた。
「ノーラ王女殿下、私は反乱を起こした首謀者ですぞ?」
「それでもその原因を作ったのは、我が王家である」
「その謝罪、お受けいたしたら、我らはどこに怒りを、憎悪をぶつければ良いのですか?」
アブロの問いかけに対して、流石のノーラも言葉に詰まっていた。
だが、暫し考えたのち、声を振り絞って告げる。
「その憎悪、怒りは私が背負う。それが王族の務めだ。そなたらの怒りと憎悪を受け止めてもなお、私はそなたらを王国臣民として受け入れたいのだ」
ノーラは本心からそう答えていた。
彼女の目を見ればそれが本当であると、アブロにもわかる。だからこそ、彼は目を逸らす。
「私は先の略奪で、結婚を誓い合った恋人を失いました。子を殺されて傭兵の子を育てている者もいます。親兄弟を失い、財も奪われ、住む場所すらない者も多くいました。だからこそ、我々は王国を憎悪しています。我々は貴方を許すことはできない。なのに、我々をそれでもなお、受け入れようと言うのですか?」
アブロの言葉にノーラは涙を流していた。
「そうだ。私はフェールムントの民と同じ境遇を味わった。だからこそ、わかるのだ。その憎しみ、ぶつけようのない怒りが、痛いほど、わかるのだ……」
とめどなく涙が頬を流れ出し、ノーラはそれでも言葉を紡ぐのをやめなかった。
「私は王族としてこの地を、そなたらと共に復興させたいのだ。だからこそ、貴重な男手をこの反乱で失いたくない。何よりも、これ以上フェールムントで悲しむ者を増やしたくないのだ」
ノーラがそう告げるとアブロは深く息を吸っていた。
「ノーラ殿下のお気持ちはわかりました。ですが、我々は殿下に弓を引いた身です。たとえ、殿下がお許しになっても、この西方地域の軍は許しはしますまい」
そう、アブロは最もノーラにとって痛いところを突いていた。
例え、ノーラがアブロを許そうとも、それをすれば、他の地域でも反乱を起こしても許されるという免罪符にもなる。何よりも、ノーラを狙った反乱を、西部方軍が許すわけがないのだ。
「だが、それではフェールムントはどうなる?」
「殿下にお願いがあります」
「何か?」
「私の首をお取りください」
「何だと!?」
「私は一度戻り、軍勢を解散させましょう。その上で、私はノーラ殿下にこの首を差し出します。そうでなければ、この反乱収まりが付きますまい」
「それでは、貴公が……」
「良いのです。殿下、私は元より西方同盟の人間、この地には愛を誓い合った者が居たからこそ、留まっていたにすぎませぬ。その最愛の人もおりませぬ故、私は未練などありません」
アブロはすっきりとした顔で告げていた。
だが、ノーラはそれに怒りをあらわにする。
「そうやって、死ねば楽になれるとでも思っているのか?」
「何をおっしゃられますか?」
「私はお前の様に死んで逃げる者は嫌いだ。何よりも、お前を殺すのは、得策ではない」
ノーラはそう言うとアブロに真剣な眼差しを向けていた。
「アブロ・レギエンヌよ。そなたは状況をよく見る事のできる将だ。その潔さといい、他を思いやる為に自らの命すら顧みない。だが、それは同時に、反乱を起こした者としての責務からの逃げともとれる。だから、お前は私に忠誠を誓うわぬか?」
その場に居た全員が目を点にさせる発言。それを前にして、一番に驚いているのはアブロ本人だった。
「何をおっしゃいますか? 私は西方同盟の人間だった男ですぞ? その様な男を」
「だからこそだ。お前の言い分もわかる。だが、お前が私に忠誠を誓おうと言うなら、このフェールムントをお前の手に委ねてもよいと考えている」
ノーラの突拍子もない発言に対して、ギードが即座に止めに入っていた。
「ノーラ殿下! 流石にそれは許されませぬぞ! こやつは反乱首謀者です! 尚且つ御身を害そうとした輩です! それを許した上に、家臣に加えるなど、言語道断!」
「ええい、黙れ! 私はこのアブロ・レギエンヌという男が、どうして反乱首謀者としてなり得たのかがよく分かる。何よりも、皆をまとめ上げる事のできるカリスマを持つ男だ。そして、他国に来てなお、その命を差し出して、皆を助け、私をも気遣う高潔な精神を持つ武将だ。私はアブロの様な男は、このフェールムントに必要だと言っているのだ!」
ノーラはギードに対して怒鳴りつけていた。
それは一国の王女ではなく、最早、女傑そのものだった。
アブロはその様子を見て、呆気に取られていた。
「アブロよ。私はお前と話をして、お前はフェールムントになくてはならない男だと確信した」
「しかし、私は元々ただの一兵士、ましてや西方の小国の平民出にすぎぬ男です」
「そうであれば、爵位も進ぜよう。それで私と共に、この地を良くして欲しい」
ノーラはそう申し出ると、アブロは本気で彼女がそう言っていることを確信する。
「ノーラ殿下、本当に私に信を置いて頂けるのですか?」
「でなければ、この様な申し出はせぬ」
アブロは暫し悩んだ後、ノーラに告げていた。
「殿下、フェールムントの復興に力を入れていただくと、約束をしてくれるのですね?」
「ああ、フェールムントの復興はこの地の安定化には必須。そなたが本気で行動してくれるなら、私は協力を惜しまない」
アブロは瞳に力を取り戻していた。
復讐の光ではなく、希望の光を瞳に宿し、そして、言うのだ。
「わかりました。その申し出、お受けいたします。ノーラ殿下に忠誠を誓います。が、それは一度軍に戻って皆を説得してからです。その後、改めてノーラ殿下に忠誠を誓いたいと思います」
アブロはそう言うと立ち上がっていた。
「私はこれより、陣地に戻り、皆を説得し、武装を解除させましょう」
「わかった」
アブロはノーラの魅力に魅了されていた。
属領地とは言え、他国同然のこの地で、ノーラは自分にしか成せない事をしようとしている。
その姿にアブロは心打たれていた。
ここまでこの地の事をおもんばかっている君主など中々いない。
そうだからこそ、反乱軍を絶対に解散させる事を誓っていた。