不屈の闘志 3
「大丈夫であるかな……」
ノーラはそう言ってアストールから預けられた剣を抱きしめる。
「あれから、結構時間経ちますけど、全然来ませんね」
イレーナはそう言って心配そうに馬車の外を見ていた。
依然として村の中からは悲鳴が聞こえてくる。惨憺たる状況が馬車の中でも伺えた。
イレーナとの沈黙が続き、ノーラは考えていたことを話さずにはいられなかった。
「……こうなったのも、全て、私のせいだ」
思いつめたノーラをイレーナは黙って見つめていた。
「私が、私がフェールムント行きを断行したから……」
「ノーラ殿下。それは違いますよ……」
「だが、しかし、私が来たことによって死ぬ必要のなかった者たちが、大勢死んだ。フェールムントの兵士や市民、ゴラムに王族従騎士、この村も、全部、全部、全部、私が殺したも一緒だ!!」
嗚咽を漏らしながら叫ぶノーラを、イレーナは近づいてギュッと頭から抱きしめる。そして、その胸の中に抱える。ノーラはイレーナが意外な行動に出た事に動揺する。
しかし、ナルエすらいない状況、ノーラは安堵して身を任せていた。
「ノーラ様、そんなにご自分を御責めにならないでください」
「だが、私が来なければ、この村だって」
「起きたことは、もう、取り返せないのです」
「だったら、これは私の罪に他ならないではないか!」
イレーナの胸の中で泣きながら、心の叫びをイレーナに浴びせる。
そんな彼女に、イレーナは優しく諭すように言う。
「そうかもしれません。お辛いことを言うかも知れませんが、それを受け止めた上で、民の上に立つ。それが王族の務めなのではないでしょうか?」
イレーナの言葉を聞いたノーラは胸に埋めていた顔を放し、彼女の顔を見上げていた。
呆気に取られたかのような表情で、イレーナに問いかける。
「王族の務め?」
「はい。こうやって苦しむ民を、貴方はその身を持って見てきたのです。だったら、何をすべきか。貴方ならお分かりになるはずです」
「王族の務め……」
今ここに居るのは自らが選択して起きた事、そのせいで大勢の人が傷ついて死んでいった。
その事を想うとノーラは胸が張り裂けんばかりの苦しみに襲われる。
涙目のノーラは呟いたあと顔を左右に振っていた。
「分からぬ! 私には、私にはわからぬ! なぜ、なぜ、私のせいでここまで民が苦しみ、殺されなければ……」
馬車の中に響く乾いた音、頬を叩いたイレーナの手、赤くなった頬をノーラは押えて、イレーナを見る。イレーナは毅然とした態度で、ノーラに怒りの表情を向けていた。
しかし、それは決して彼女を追い詰めるためのものではない。
怒りの中にはしっかりとノーラの事を憂慮する思いが混じっている。
「ノーラ様! お気を強くお持ちください。貴方は王族の身にお生まれになったのです!」
「し、しかし、私にどうしろと!」
「この事を確りと受け止め、繰り返させない。それをご自身の胸に誓うのです」
「それが王族の務めと……?」
ノーラははたかれた頬に手を当てて、イレーナを見つめていた。
怒気の含まれた表情だが、どことなく優しさも含まれている。
イレーナは表情を緩めると、ノーラの手を取って真剣な表情で彼女を諭す。
「そうです。でなければ、ここで死んだ者たちは浮かばれないでしょう……」
「……そうなのだろうか」
「今はお分かりにならないかもしれませんが、いずれわかる時が来るはずです」
ノーラは再びイレーナに抱き着いていた。
無言で抱き着いてきたノーラに、イレーナは面食らう。
これまで犬猿の仲と言っていいほど、二人の仲は冷え切っていたのだ。
ノーラの我が儘を聞き入れてきたイレーナだったが、こうして共に捕らわれている状態でなお、彼女は忠臣として仕え続けている。
そんなイレーナを、ノーラは認めていたのだ。
「イレーナよ」
「何でしょうか?」
「私はやっぱり、お前が嫌いだ」
イレーナの顔を見ることなく、ノーラは彼女に抱き着いたまま告げる。
イレーナはその言葉を受け入れて、ノーラの頭を撫でていた。
「私は嫌いになられても構いません。それでもこれは私の仕事ですから」
「そういう所が嫌いだ。でも……」
ノーラはそう言うとイレーナを見上げて目を合わせる。
そして、表情を緩めて彼女に告げていた。
「なんでしょうか?」
「ありがとう」
抱きついたままのノーラを見たイレーナは、優しく微笑んでいた。
「礼には及びませんよ」
二人は惨劇が繰り広げられる村の真ん中にある馬車の中、抱き合っていた。
その時だった。
「なんだ? 貴様わあああああ!」
突然聞こえてきた番兵の悲鳴、それに思わず二人は馬車のカーテンを開けて外を見る。黒い毛皮が見え、巨大な物体がもっそもっそと動いている。
明らかに馬車の番兵を殺したソレを見たノーラは、先ほどとは違い、力強くイレーナに抱き着いていた。
「く、クマ?」
暗がりの中、動くその巨体は到底人とは思えない。
その熊らしきモノが腕を振り上げ、目にも止まらぬ速さで手の先の白銀で逃げる番兵を真っ二つに切り裂く。その様は熊と言うよりも妖魔と言った方がふさわしい。
番兵を始末したソレはゆっくりと馬車の方へと向き直る。
顔は真っ黒い毛に覆われ、目は黒光を反射する。
二人は思わずカーテンを閉めて、身を低くする。
「イ、イレーナ、あれは、あれは妖魔か!?」
「わ、分かりません! ですけど、人を物理的に真っ二つにできる人間なんて、この世にいません!」
明らかに常軌を逸している攻撃に、イレーナとノーラは抱き合ったまま息をひそめる。イレーナはいつ何が起きてもいいように、左側のブーツに隠していたナイフを手に取る。
これでは気休めにもならないだろうが、最悪、ノーラが逃げる時間くらいは稼げるだろう。
暫しの間外から聞こえてくる足音は、ゆっくりと近付いてきている。気が付けば、扉の前まで来ていて、ドアノブが倒されてゆっくりと扉が開く。イレーナはノーラを背中に隠し、身構えていた。
そして、扉の向こうからソレがゆっくりと顔を馬車の中へと入れていた。
「遅くなって済まぬな! 我が名はコズバーン・ベルモンテ。エスティナに仕える従者である!」
王女を前に臆することなく、むしろ大きな態度で彼女たちを威圧するかのごとく大きな声で名乗る。コズバーンはその髭ずらの顔に似合わない笑みを浮かべると続けていた。
「ここらを制圧するのに時間を頂きたい! そなた等はここで待機しているとよい!」
コズバーンは笑みを浮かべたまま扉を閉める。二人はその後ろ姿を見送ると、既に馬車の周囲は十数人の王国兵が駆けつけて確保していた。
明らかに味方の兵士が馬車を確保して、周辺を警戒している。
その光景をみた二人は、呆気に取られていた。
「た、助かったの……?」
「みたいだ……」
呟くようにしてイレーナが言うと、ノーラもそれに同調する。
二人は安堵し、息を吐いて馬車の中で項垂れる。
今日この地まで一日たりとも生きた心地はしなかった。
監視を続けられてきて、かなりの疲労感が彼女たちを襲う。
「全く持ってエスティナには毎度驚かされるな」
ノーラは力なく呟いきながら、あの巨人の事を思い出す。
これまでに幾らかあの大男を見る機会はあった。
だが、彼が戦っている所は見た事がなかった。
今回、その未公開な状況を生で見る事をができ、彼の活躍が嘘ではない事を確信させられた。
「そうですね。エスティナ様も名を上げられてますが、その周りに居る従者もその名に恥じぬ活躍ぶりです」
イレーナはそう言って外で暴れ続けるコズバーンを見て安堵の溜息を吐いていた。
「これで私達は殺されなくて済むという事ですね」
コズバーンの活躍ぶりは噂にたがわぬもので、傭兵団を次々にひき肉へと変えていく。
それはさながらあるくジュースシェイカーという所だ。
「あ、そう言えばエスティナに剣を渡さないと……」
ノーラが馬車から降りようとするも、イレーナはそれを制止していた。
「ここはお待ちください。騒ぎが収まるまでは、外には出ないようにしましょう」
イレーナの正論にノーラは素直に従っていた。
村の襲撃が収束するのを、待つのだった。