思わぬ襲撃 4
「なに!? あの逃げた女を取り逃がした?」
リオネルは部下からの報告を聞いて、奥歯をかみしめていた。
「はい、馬は見つけたのですが女はいませんでした。馬を乗り捨てて逃げたと思うんですが、馬の周りには足後もなく、隠れているのかと周辺をくまなく探したんですが、その、痕跡すら見つからず……」
リオネルは部下に対して掴みかかりたくなるのを我慢して、大きなため息を吐いていた。
「強行軍決定か……」
リオネルはそう言ってこれから進む細い道を見つめる。
騎士と部下の遺体を埋葬する時間もない。
逃げられたとなれば、女従者が近衛騎士本隊に合流するのは時間の問題だ。
この事が知られれば確実に、追撃部隊が即座に追ってくるだろう。
となれば、そうだらだらと行軍などできないのだ。
「おい、おまえら、死体はそのまま放置だ。先を急ぐぞ」
リオネルはそう言って全軍に前進を伝えていた。
リオネル兵は40名が死亡、負傷は15名となっている。兵士達の中には仲間の死体をそのままにしておく事に、納得できていない人もいるらしく、前進を渋る者もいた。
(50人を奇襲して負う損害じゃねえな……)
リオネルは内心そう思いつつも、手勢が減った事で、行軍スピードが上がる事を期待する。
実際兵士が少ない方が行軍スピードも上がるのだ。
「オルマ!」
リオネルは副官を呼びつけると、オルマが馬に乗って現れていた。
「は!」
「死傷者の数以外は予定通りだ。このままあの村まで一気に進軍する。全員に伝えろ。村に着いたら、略奪し放題にしていいと」
「そりゃあ、兵たちは喜びますな。伝えます」
オルマはそう言って馬を駆けらせていた。
ガーム戦士団はフェールムントと先ほどの戦闘で相当に気が立っている。
彼らの昂った気を治めるのに、この先目指す村の略奪は丁度いいのだ。
何よりも、餌を目の前にぶら下げればb、行軍スピードはかなり上がる。
それを見越しての下知だった。
(我ながら、あくどい事ばかりやってんな)
リオネルは自嘲気味に笑みを浮かべると、馬に蹴りを入れて村に向かって進みだす。
(さてと、予定通りの工程だがここからが問題だな。あの女が逃げたってことは、すぐにでも追撃部隊がくる。相手はイアンと近衛騎士、あの西門守備兵に加えてコズバーンか……)
リオネルは自分たちを追ってくる敵を想定して頭をかく。
(最悪、略奪なしで逃げないといけないか……)
リオネルは今の戦力を見て、相手の数が多すぎることに気付いていた。
西門の守備兵は恐らく生き残って150、それに加えて近衛騎士の100、イアンの傭兵団150名、大方400人だ。こちらは戦える手勢は250程度だ。
いざ戦闘となれば、覆せないことはないが、厳しい戦いになるのは目に見えていた。
相手は姫を取り返すために必死になる手練れの兵士たちなのだ。
(あの女が逃げたのは手痛いな。とはいえ徒歩だ。追撃が開始されるのは、おそらく明るくなってからだ。そうなると、距離は大分稼げるはずだ)
リオネルは頭の中で相手から逃げ切る算段を立てる。
(とにかく、ノーラは無事無傷で手に入った。こいつを手土産に、西方同盟まで逃げ切れば、かなりの報酬も貰えて、ルードリヒも手が出せなくなる。これで俺達は救われるってことだ)
リオネルは部下の事を想いながら、馬の歩む速度を緩めることなく村を目指しだす。
傭兵の一団はノーラの乗った馬車を引き連れて、細い道を進みだしていた。
激しく揺れる馬車の中で、ノーラのなき声だけがこだまする。
ナルエに抱き着いて、ただただ嗚咽を漏らして、ノーラはむせび泣く。
「私が、私が、フェールムントに行くなんて決断しなければ、ああああああ」
ゴラムを目の前で失い、信頼していた王族従騎士達は全滅、何よりもノーラの無事を祈りながら身を挺していたあの従騎士の笑顔が、彼女を苦しめていた。
そんなノーラに声をかけることはできない。
「ゴラムが、ゴラムが死んだのも、ううう、あああ、私の、私のせいだああああ」
嗚咽を漏らすノーラを前に、イレーナは下を俯いて唇をかみしめていた。
ナルエは泣くのを必死に我慢して、それでも目から涙を流してノーラを抱きしめて頭を撫でていた。アストールもまた、その光景を前に、奥歯をかみしめる。
王族従騎士に全てを任せていて、どうすることもできなかった。
ただただ、自分が女であるがゆえに生き残ってしまった。
そんな事実を前に、アストールは自然と涙を流していた。
女の体であればこその現状、だが、男であれば、あの目の前の5人のリオネル兵など、いとも容易く倒せていただろう。そう思うと、余計に歯がゆく感じて、何よりも悔しくて仕方ない。
拳を握りしめて、ぼとぼとと涙がとめどなく、その拳に落ちていた。
敗北と屈辱を同時に味わい、そして、何よりも今ほど、自分が女の体である事が恨めしく思えたことなど、今の今まで一度もなかった。
生き残ってしまった事よりも、ノーラを守るための実力が、この体では絶対に発揮できない。
その事実がアストールをむしばんでいた。
イレーナは交渉に失敗し、ゴラムを失った事を悔いていたい。
(あの男はまだ、あそこで死ぬべきではなかったのに……)
最悪の場合は、自分が刺し違えてでも、ノーラを守らないといけない。
その為に、護身用のナイフをブーツに忍び込ませている。
だが、王族従騎士を全員殺したあのリオネル兵を相手に、こんな物は棒切れと変わりない。
(くそ、ぎりぎりまで切り札は使えない。まだ、今じゃない)
イレーナは唇をかみしめて、悔しそうに外をみていた。
ノーラは父親のように慣れ親しんだゴラムを失った事で、悲しみで胸がいっぱいになっていた。
彼女とゴラムの出会いは、兄王子ハラルドが彼から剣技を習っている時だった。
ハラルドの剣技をゴラムが武道場で指南している時に、幼きノーラも剣技に興味を持って、共に指南を受けるようになったのだ。
そこから、ノーラは剣技のみならず、槍術も彼から学ぶことになる。
武を通しては師であり、そして、父親よりも親しみやすく、ノーラにとっては唯一心を許せる年上の家族のような男性であったのだ。
そんな彼を、自分が間違った決断をしたがゆえに、殺してしまった。
自責の念、そして、何よりも彼を殺したリオネルに対する憎悪が胸の内で混ざり合い、感情を処理できなくなっていた。
ノーラは周りを気にする余裕もなく、ただただ泣いていた。
これまで重責を全うしていた圧力を支えていた支柱が崩壊したのだ。
そうなれば、彼女はどうしようもなく、号泣するのは仕方がない。
今は他に何も考えられず、泣いて感情を処理するしかなかった。
そんな四人を乗せて、馬車は次なる悲劇の地へと進むのだった。