思わぬ襲撃 3
暗い森の中、それでも夜目を効かせたメアリーは何とか馬を走らせることが出来ていた。
馬を走らせていたメアリーは、後ろから追手が来ているのに気づく。
どんなに飛ばしても、その追手たちは離れることはない。
(やばいな……。これ、道に出る前に追いつかれる……)
メアリーはそう判断するなり、馬に思い切り蹴りを入れていた。
敢えて馬を興奮状態にする。
そして、まだ、追手が後ろに見えないことを確認したのち、前方から迫ってくる太い木の枝につかまっていた。馬には自分が降りた事を気付かせないほどの、ソフトな乗り移りだ。
メアリーはすぐに音もなく木の上の方へと上がっていく。
身軽な女性の体だからこそできる技であり、メアリーは息をひそめて気配すら押し殺していた。
乗り手を失った馬はそれでもずっと走り続けていく。
メアリーの乗っていた馬の蹄鉄の音が森に響き、遠ざかっていく馬をメアリーは見送る。そして、しばらくするとすぐに3頭の馬がメアリーの乗っていた馬を追って現れていた。
メアリーは息を顰めて木の上から、その三頭を見つめる。
三頭の馬の上にはガーム戦士団の傭兵が、必死に馬の走っていった方を見つめて追っている。
メアリーが木の上に登った事には一切気が付いておらず、彼女の真下を通り過ぎていった。
追手が走り去っていくのを確認して、メアリーは木から降りていた。
そして、すぐに道の方へと走っていく。
道を挟んで反対側に広がる森へと逃げ込めば、あの追手の三人とは遭遇しないだろう。
彼らが馬を見つけるのも時間の問題ではあるが、これだけ距離があけば、追手を撒くのはお茶の子さいさいだ。
メアリーは元々森で狩りをしてきた人間だ。
傭兵相手に森の中で追いかけっこをしても負ける気はしない。
彼女は周囲の気配を機敏に感じ取りながら、森の中を進んでいく。
だが、ここでメアリーは足を止めていた。
(アストール、大丈夫かな……)
メアリーが逃げ出した時にはまだ王族従騎士は10名が生き残っていた。
だが、あの状況をたったの10名で覆すのは、まず不可能だろう。
それでもメアリーは足を止めるわけにはいかない。
(アストールと約束したんだもんね)
無言での意志疎通。それは彼女との信頼の証でもある。
全てを言葉にしなくても、アストールが何を意図していたのかはすぐにわかる。
アストールはあの状況で自分の置かれた状況を冷静に分析していた。
女であるがゆえに、早々に殺されることはない。
だからこそ、メアリーに助けを呼ぶように言っていたのだ。
(でも、アストールが無事じゃなかったら……)
最悪の状況がメアリーの脳裏に過ぎる。
アストールが無理をしてガーム戦士団に立ち向かって殺される。
そんな情景がメアリーの頭の中で浮かんでは消えていく。
主人を、誰よりも愛している人を置いて来てしまった事を、メアリーは心の底から後悔していた。
今すぐ戻りたいという気持ちと共に、アストールに頼まれた救助要請が、メアリーの心を揺り動かす。
メアリーはそう葛藤しながら、森の中を進んでいた。
対面の道向こうの森の方からは、相変わらず傭兵の気配が消えず、メアリーは緊張していた。
「くそ! 馬だけだと! 乗ってた女はどこに行きやがった!!」
向こうから聞こえてくる声に、メアリーは動きを止めていた。
「馬鹿な! 馬から飛び降りたってのか?」
「それなら分かるだろう!」
三人の傭兵は明らかに苛立っていた。
その声がちょうど反対側の道から聞こえてきていたのだ。
だからこそ、メアリーは息を潜めざる負えなかった。
今物音を立てれば、確実にリオネル兵に気が付かれる。
それ程までに夜の森は静寂であり、良く物音をこだまさせるのだ。
「まだ近くにいるはずだ! 目を皿にして探せ!」
「お、おう!」
リオネル兵が馬を歩かせる蹄の音が響き渡り、メアリーは目の前の茂みの中へと身を隠す。
「ち! 全くどこ行きやがった!」
「見つけたらぼこぼこにして犯して殺してやる!」
気の立った傭兵が発した言葉に、メアリーは息を殺す。
見つかれば筆舌しがたい行為の上に、殺されるのは確実だ。だからこそ、彼女の内から恐怖が湧き出てきていた。メアリーは仕方なく背中にある弓を、音もなく手にもつ。そして、矢筒から矢を取り出していた。
全ての動きに音をたてないよう、慎重に行動を行う。
(これは狩りと一緒。相手は強力な妖魔と変わらない)
メアリーはそう自分に言い聞かせながら、弓に矢をつがえていた。
だが、それでいて茂みからは決して体を出さない。
矢を射るのは、彼らが自分を見つけるその瞬間までだ。
「居たか?」
「いや、この近辺にはいねえ! 足跡もないしな!」
「くそ! もう少し広げるぞ!」
そう言う傭兵たちの声が段々とメアリーの方へと近づいてくる。
彼らが手に持った松明の灯が、うっすらと葉のモザイクの陰から見えるようになっていた。
メアリーと傭兵たちの距離はかなり縮まってきている。
メアリーは口の中に溜まった唾を飲み込む。
「くそ! 全く見当たらねえな! 足跡みつけたか?」
「いや、見つからねえ!」
「こっちの道に出てみるか?」
傭兵たちの声と松明の灯が、だんだんとメアリーの近くへと寄ってくる。
彼女はゆっくりと矢を引いて、松明の方へと鏃を向けていた。
確実に倒せるその距離まで、メアリーは引き付ける。
三対一、確実に一人は倒せるし、残りの二人も倒す自信はある。
だが、それでも、位置がばれて馬で駆け寄られる事を考えると、そう楽観視もできない。
メアリーは矢を放つか、それともこのまま体を茂みに入れたままやり過ごすかを迷う。
矢を放つなら、今しかない。
今を逃せば、三人をやる距離ではなくなる。
だが、この暗さの中、障害物に矢が当たって軌道がそれる恐れもある。
夜の森は自分が今見えている以上に、見えていない障害物が多いのだ。
メアリーはここでも更に葛藤していた。
身を晒して射るか、それともこのまま隠れてやり過ごすか。
そうこうしているうちに、傭兵たちは道にまで出てきていた。
(タイムアップか……)
メアリーは矢をつがえたまま、茂みに身を隠していた。
今動けば、その音で大方いる位置がばれてしまうだろう。
夜の闇がメアリーをひた隠しにしてくれることを祈るしかない。
「どうするよ?」
「なにが?」
「道の反対側まで入って探すかってこと」
「そうだな……。一応探しておこう」
三人は一直線にメアリーの隠れている茂みの方へと近づいてくる。
メアリーは覚悟を決めて、目をつぶる。
「ち、暗くてろくに見えやしねえ」
「槍で茂みの中を突き刺して探せ!」
そうして、傭兵たちは目に入った茂みを、槍で突き刺してかき回す。
(やばい……。あんなことされたら、この茂みじゃ刺されて死ぬかも……)
次々に茂みの中を探す傭兵たち、メアリーの隠れている茂みが突き刺されるのも時間の問題だ。
一人の傭兵が、馬に跨ったままメアリーの隠れている茂みの前まで来る。
メアリーは覚悟を決めて、刺されるより前に飛び出して弓を射ることを決心する。
傭兵が槍を掲げて突き刺そうとしたその時だ。
大きながさがさと言う音がメアリーのいる反対側の方でしたのだ。
「ん? あっちか!」
「くそ! あっち側にいたのかよ! 行くぞ、野郎ども!」
三人はその音がした方向へと、すぐに走り去っていた。
メアリーは静かに、そしてゆっくりと息を吐いていた。
(なんとか助かったみたいね……)
間一髪のところでメアリーは九死に一生を得ることができた。
そして、即座に弓と矢をしまうと、メアリーはそのまま茂みから音を立てずにでいた。
おそらくは何かしらの野生動物が物音を立てたのを、傭兵たちはメアリーと勘違いしてくれた。
今更ながらに、メアリーの心臓の鼓動は大きく動いている事に気づく。
そして、全身に冷や汗をかいていた事で、ほてった体を冷やしてくれていた。
幸運はメアリーを見放しておらず、彼女はすぐに本体への合流へと足を急がせていた。
(アストール待ってて! 必ずあなたを助けるからね……)
メアリーは決意を新たに、常闇の森の中へと姿を消していた。




