兆候 4
リオネルはこのフェールムントに入ってから、明確な敵意と戦のにおいを感じ取っていた。
幾戦も戦地を渡り歩いてきたからこそわかる。戦前の独特な街の雰囲気、それがここからは感じられた。宛がわれた部屋から出て、リオネルはイアンの部屋へと向かう。
彼の部屋につくとノックをしていた。
「なんだ?」
「俺だ、リオネルだ。入ってもいいか?」
リオネルはイアンのいる部屋へとすぐに足を踏み入れていた。
「全く無遠慮だな」
部屋に入るとイアンが机の前で執務を行っている。
傭兵に対する給金の配分表の確認だった。
彼はリオネルを見るなり、その筆を止めていた。
不快そうに目を向けてくるイアンを前に、リオネルは首を竦める。
「俺は教養がなくてな」
「いいさ。要件は何だ?」
イアンは扉の前のリオネルに問いかけると、彼は扉を閉めてイアンの前にある椅子に座る。
「イアンさんよ。お前さんも感じてるだろ?」
「何を?」
「戦の臭いってやつだ」
リオネルの言葉を聞いたイアンは静かに答えていた。
「ああ。そのことか。気付いているよ」
街に入った時から感じていた民衆達からの敵意、それは尋常ならざるものだった。
イアン達もまたリオネル同様にこの街の雰囲気を機微に感じ取っていた。
リオネルは何かを察しているのか鋭い目つきでイアンを見ていた。
「この街では反乱がおこるだろうな」
「それが何か?」
イアンはそっけなく聞き返すも、リオネルはその表情を崩さずに彼を見据えていた。
「俺達の仕事が来るってことだよ。しっかりと依頼をこなす覚悟はあるのか?」
リオネルの言葉に対してイアンはそれでも尚はぐらかす様に答える。
「何をいまさら、俺達は戦って大きくなってきた。その時が来たら仕事はこなすさ」
「俺はそういう事を言いたいわけじゃない。お前さんはアレは実行するのかってことを聞きたいんだ」
リオネルの言葉に、イアンは初めて表情を真剣なものへと変化させた。
「王族従騎士がいるんだ。それは時と場合によるさ」
「それもそうか……。あいつら馬鹿みたいに強いからな」
リオネルはイアンの回答を聞いて納得していた。
王族従騎士が全国から選りすぐりの猛者を集めた集団である事は、傭兵団の中でも周知の事実だ。
ましてや、彼らがこの地に流れてきた時、傭兵団は挙ってその騎士を自分の団に引き入れようとするほどだ。だが、大抵は大きな傭兵団が、そういう逸材を取っていくのが世の常だ。
イアンはリオネルを見ながら口を開ける。
「何でも、今回のノーラ殿下襲撃の時には、王族従騎士が二倍の数の兵をものともせず倒したとか」
イアンの口から聞いた衝撃の事実に、リオネルは驚嘆して聞き返す。
「ノーラ殿下の襲撃!?」
「聞いてないのか?」
「それは初耳だ」
リオネルの反応を見る限り、下知されているのはイアンのみであった。
イアンもまた驚きつつリオネルに対して言葉をかけていた。
「ゴラム騎士長から聞いたらから、てっきりリオネル殿にも伝達されてるものと」
「どうやら、俺は騎士長からは信用されてないらしいな」
リオネルは苦笑する。
「そんなことはないだろう。まだ連絡が来ていないだけさ」
イアンはそう言ってリオネルを慰める。
「それならいいがな……」
「で、リオネル殿は、あれを実行するので?」
イアンはそう言ってリオネルを問い詰める。
その眼には鋭い光が宿っており、リオネルの動向をうかがおうとする意図が見え隠れする。
「俺はやる気はねえさ。王族従騎士が50人もノーラ殿下の直掩に回られてたら、それこそやり損ってやつよ」
リオネルはそう言って首を横に振っていた。
只でさえ王族従騎士が強力な戦力であるのに、それを相手取って戦うことなど、リオネルにとって何一つ益がないのだ。
もしも、その事を実行し成功したとしても、この国の中では生きていく事はできない。
リオネルはそう言った勘定を行った上で判断を下していた。
「真剣には検討したのだな」
「その上で、やらないって決めたのさ」
リオネルは苦笑して見せていた。
「ならいいさ。もしも、俺達が実行した場合はどうする?」
「その時は選択肢は一つよ。お前さん方を王国軍と追撃する」
リオネルはそう言ってイアンに鋭い眼光を向けていた。
二人の間には不穏な空気が流れ始めていた。
「ま、そういう事だから、くれぐれも注意することだな」
リオネルの言葉を聞いたイアンは苦笑していた。
「それはお互い様さ」
リオネルはイアンの本意が聞けたのに満足して、椅子から立ち上がっていた。
そして、そのまま部屋から出ていった。
◆
静まり返ったフェールムントの街、戒厳令が発令され、傭兵でさえも出歩かない。
街はわずかな魔法灯の灯りと暗闇、静寂に支配されている。
王国の宮廷魔術省によって、3万人以上の都市には青色の魔法灯の設置が義務付けられており、目抜き通りにはぽつぽつと魔法灯が立てられて、奇妙な明るさを保っていた。
そんな中を二人の警邏兵が闊歩していた。
「全く持って大損な仕事だな」
一人の兵はそう言って、空を仰いでいた。
魔法灯の明かりで、星空は微妙にボヤけて見える。
「なんでだ?」
「見れば、わかるだろう。戒厳令が出されてる街で誰もいないのに、巡回させられるんだぜ?」
警邏兵は不満を口にしながら、周囲に目をやった。
魔法灯は設置されているのに対して、街の復興は進んでおらず、フェールムントの市民達は金をかける所が違うとさえ思っているだろう。
つい先日も反王国の暴動が起きており、兵士が傷ついていた。
もはや、この街の怒りはいつ暴走してもおかしくないのだ。
「仕方ないだろう。ノーラ殿下の急遽決まった訪問だ。それに加えて、急な戒厳令ときた。こりゃあ、いよいよきな臭くなってきたってもんよ」
相方の兵士は魔法灯を見ながら、歩き続ける。
「上の奴らは何考えてるのやら。あいつらが考えたことは、大体全部下にしわ寄せがくる」
上層部の急遽決めた訪問によって、現場の兵士達はてんやわんやと動かなく行けなかった。
それはこのフェールムントも例外ではない。
「復興も進んでない。治安も回復してない。それでいて、魔法灯だけがなんでか先につけられる。何考えてんのやら……」
「全くな。俺達下っ端の兵隊の苦労なんて、お上は考えちゃいねえさ」
「それに今回はあのお転婆武人のノー」
もう一人の警邏兵が言葉を口にしようとしたとき、相方が怒鳴りつける。
「馬鹿野郎! ノーラ殿下の悪口は言うんじゃねえ!」
「おっと、そうだったな。すまねえ」
思い出したかのように、謝る兵士を前に相方の兵士は呆れ顔になる。
「だー。畜生! さっさと終わって、明日には歓楽街に遊びに出たいぜ」
「お前も好きだな」
相方の兵士の発言に、苦笑する兵士。
「男なんだぜ、仕方ないだろ」
「ま、かく言う俺も好きだがな」
自分もこの任務が終われば、この男と共に夜の街に出かけようと、遠回しに言う。
「け、人の事言えねえじゃねえか」
呆れる相方の兵士。
「すまん。すまん。ん?」
笑みを浮かべた兵士は、何かが建物の影で蠢くのを見つける。
目を細めて蠢く何かを見つめる。
「どうした?」
相方の兵士が異変に気づいて、彼に問う。
「あそこに人影が見えたような」
兵士はそう言って目を凝らす。
「んなわけねーだろ。ここは比較的安全な大通りだ。それによ、戒厳令の中どうどうと歩く馬鹿が……」
戒厳令が敷かれた目抜き通りを、まさか人が歩くわけがない。しかも、この真夜中に人が歩いていること自体がおかしいのだ。
半信半疑で目を凝らす相方の兵士は、街灯の影に確かに何かが蠢くのが見えた。
「いやがった……」
それは確かに人のモノだ。
怪しいことこの上なく、二人はゆっくりとその蠢く影に引き寄せられるように近づいていく。
そうして、ようやく人の形と視認できるところまで近づいた時だった。
その人影は待ってましたとばかりに、走って逃げ出していた。
反射的に二人は腰の剣柄に手をかけ、人影を追っていた。この時、二人は大きなミスを犯していた。この時点で増援を呼んでいれば、最悪の事態は避けられただろう。だが、二人は不審者を逃がさないためにも反射的に人影を追いかけていた。
細路地に入り込んでいったのを、一心不乱に追いかける。不審者と二人の距離はつかず離れずの絶妙な距離を保っていた。
入り組んだ細路地に入り込んでいるにも関わらず、二人はそれに気づけなかった。
二人はその巧妙な罠に、まんまと引っ掛かる。
「ん? おい! やばいぞ!」
ようやく一人の兵士がそれに気づいて、立ち止まる。
「ん? どうした?」
「急いで引き返すぞ!」
二人が気が付けば細路地の入り組んだ奥地に入り込み、それが危険だと気付いた二人は追跡をやめて引き返そうとする。
だが既に二人の運命は、蜘蛛の巣にかかった蝶の如く、覆しようのないものとなっていた。二人が引き返そうとした時、後ろには武器を持った民兵が10人ほどわらわらと出てきて立ち塞がる。
反対方向からも鍬などの農具で武装した民兵が現れ、行く手を阻んでいた。
「俺たちは、罠にはまったみたいだな……」
「ああ、畜生。畜生! これで最後かよ!」
二人は無駄と分かりつつ、その場で抜剣していた。
民兵たちは無言で二人に槍や鍬で襲いかかる。斬りかかろうとする二人は、リーチと数の差を前にあっけなく、串刺しとなっていた。
力なくその場に倒れこむ二人、その二人を踏みつけて一人の男が兵士の剣を拾い上げる。
そして、空高々にあげ、叫んでいた。
「フェールムント解放軍の諸君、復讐の時は来た! 我らの城にいるノーラを捕らえ、我らの悲願である王国に復讐をするのだ!」
そう言うと男は細路地の一角に移動する。
そこには木の机やイスが木端にされて、山積みになっている。
男が現れるのを見ると、その木端の横にいた民兵達が一斉に油をかける。
そして、火を放っていた。
勢いよく燃え出す細路地の一画。
それを皮切りに、他の路地からも次々に狼煙となる炎が上がり始めていた。
その場にいた民兵たちは、一斉にその場から走りさっていく。
今、フェールムント解放軍による復讐を目的とした反乱の火蓋が、切って落とされていた。




