兆候 3
イレーナはゴラムとグリドを自室に呼びつけて、事の顛末を報告させていた。
「王族従騎士2名が重症、現地徴用兵20名の内、16名が死亡、4名が意識不明の重症と……」
イレーナは報告書を読み上げて、ぴくぴくと口元を引くつかせていた。
「グリド殿、警備は万全と申されておりましたが、一体これはどうしたというのですか?」
「は、現地徴用兵は全部で40名です。残りの20名は既にフェールムントの東城壁へと配置換えを行いました」
的を外した回答を聞いたイレーナは、イラついてグリドを睨みつける。
「私が言いたいのはそういう事ではありません! なんで現地徴用兵がノーラ殿下の視察順路にいたのかと言う事です!」
いつにもまして怒気を含んだイレーナの口調に、グリドは肩をびくつかせていた。
「そ、それは……。王女殿下と現地徴用兵とのご交流があればと思いまして……」
いらぬ気遣いをしていたことに、イレーナの怒りに対して、火に油を注いでいた。
「何を勝手な事をされているのですか!! 私がその様な事をお願いしましたか?」
確かに警備に関してグリドに一任していたのは、イレーナにも責任がある。
しかし、このフェールムントの状況で警備に現地兵を分隊単位で配置していることなど、常識的に見ても普通ではない。
イレーナはなぜそういう判断を下したか、グリドを問い詰めていた。
「い、いえ、しかし、彼らは我が王国に忠誠を誓っておりましたし、普段の素行も正に王国兵の鏡でした」
「彼らが間者だと疑わなかったのですか?」
「そ、それは……」
グリドが容易く騙されていたことに、イレーナは呆れかえっていた。
「全く、貴方はここの守備隊長としての務めが出来ておりません!」
「……」
イレーナはグリドに対して、最早出す言葉がなく、彼から顔を背けていた。
そして、暫し考えを巡らせる。
ノーラが襲撃を受けた事で、フェールムントの危険度は極限まで引き上げられた。
この状況ではこの街でいつ反乱がおきてもおかしくはない。
イレーナの思考は既にある結論に至っていた。
「今回は奇跡的にノーラ殿下をお守りできましたが、次はお守りできるかもわかりません!」
「そうですな。私も全く同意見です。明日と言わず今すぐにでも、フェールムントを出るべきでしょう」
ゴラムもイレーナと同じ結論を導き出していた。
しかし、実行するには、一つ大きな問題があった。
「とはいえ、皆を乗せて出立の準備をするには、明日までかかります」
「そうですな」
現実的な問題として全員でここを出るとなると、それなりの時間がかかる。イレーナは何かいい方法がないかと暫く考えに耽る。
ノーラの安全をしっかりと確保するには、一番はこの街を出る事だ。
だが、城内でここまで敵が侵入している事から、ここを出るのにはかなりのリスクが想定される。
徴用兵は最早信用はできない。
予め予定していた西門からの脱出を速やかに実行する必要があるのだ。
イレーナは今とれる最大限の対策をグリドに告げる。
「グリド殿、フェールムントにはすぐに戒厳令を敷いてください」
「か、戒厳令ですと!?」
「そうです。現地徴用兵の組織的な反乱が起きたんですよ? その位の処置はしてもらわないと困ります」
「は、はい。わかりました」
戒厳令を敷けば民間人の外出は全て制限される。街中を警戒する兵士達が各所に配置されて、不審な人間はすぐに排除される。とはいえ、外の兵士の殆どが傭兵と徴用兵だ。
戒厳令が守られるかどうかも怪しい。
とは言え、それでも最低限の対策としてこれはとらないといけない措置だ。
「我々親善訪問団がこの地より出たら、戒厳令の解除は許可します。それまでは住民の移動、兵士の勝手な配置換えと移動は禁止してください」
イレーナは徴用兵の動きも制限するようにグリドに告げていた。
グリドはその言葉に対して、狼狽していた。
「そ、それでは、住民の反発は高まり、大規模な反乱が……」
「すでにその予兆はあったでしょう! これは最低限の処置です」
イレーナはそう言ってグリドに告げるも、彼は今一つ納得できていないのか復唱する事がなかった。
「グリド殿、貴方は今回の件で重大な失敗を犯したんですよ」
「はい……」
イレーナはグリドを更に問い詰めていく。
「今回の徴用兵の襲撃は、あなたに責任の一端があるんです。ましてや王陛下からお借りしている王族従騎士にも被害が出てるんです!」
イレーナの言葉を重く受け止めたグリドはうつむいていた。
今回の襲撃が起きた事で、自分への信頼はないに等しい。
そう判断したグリドが取れる行動は一つしかなかった。
「すぐに戒厳令を敷くようにします」
「わかればいいのです」
グリドの言葉にイレーナは満足げに言うと、ゴラムに向いていた。
ゴラムは腕を組んだまま、フェールムントの地図を訝しんで見つめる。
「さて、訪問団は明日朝一番にフェールムントを出ます。ゴラム従騎士s長」
「は!」
声をかけられたゴラムは姿勢を正して、イレーナと目を合わせる。
最早一刻の猶予もないのは明白だ。
「傭兵隊と騎士隊には臨戦体制を整えさせてください」
「わかりました」
イレーナは大きくため息を吐いていた。
ゴラムとグリドが部屋から出ていくと、彼女は立ち上がって部屋の窓の前まで来ていた。
窓からはノーラが控えている塔が見える。
ノーラは自分の命が狙われた事で、相当な衝撃を受けている。
だからこそ、一人になる時間がいるだろう。
昼下がりの時間帯でありながら、城内は慌ただしく動いていた。
兵たちが忙しなく走り回っており、今回の騒動の大きさがうかがい知れる。
「これで明日まで何もなければいいのですが……」
イレーナは懸念する事が起きないように祈るしかなかった。
◆
ノーラはフェールムント城の寝室に戻り、窓の外を見つめていた。
曇った街の光景はまるでノーラの心境を映しているかのようだった。
「ノーラ様……」
ナルエはノーラがこの部屋に来てから、何一つ言葉を発さなかったことを心配していた。
初めて向けられた明確な殺意、今まで盗賊と対峙はしたことあれど、相手が自分と知るや、命乞いをする者さえいた。全員が王族を相手にした戦いを嫌悪して、まともに戦おうとしなかった。
それが今回は違った。
あの兵士達は明らかに自分に殺意を向けて、本気で殺しにかかってきていた。
ノーラはその憎しみを前に、どうしていいのかわからなかった。
ただ、自分の身を守るために、剣を手に取って相手と対峙した。
その時は必死だったが、今になって恐怖が全身を支配していた。
寝室に来てからは、何も考えられず、ただ、街の光景を見る事しかできなかった。
そうして、ようやく思い返せたのが、自分がやっていた盗賊を招き入れていた腕試しだ。
「ナルエよ。私がやっていたのは、所詮はお遊戯だったのだな」
覚悟をして殺しに来る相手と、殺意のない相手では、話にならないほどの違いがあった。
だからこそ、自分のやっていたことがむなしく感じられる。
実戦を思わぬ形で経験したことで、ノーラは王族としての自分の存在に悩みだす。
「私は王族として、この街に入り、正式に彼らに謝罪したいと思った。だが、それよりも、彼らの恨みは私が想像していた以上に根深い物になっていた」
家族を殺された住民たちは傭兵ではなく、王族の自分を憎んでいた。
彼らの憎しみを受け止めようと思うと、手が震えて吐き気さえ出てくる。
とてもではないが、自分の身一つで住民たちの憎しみを受け止めきれる気がしない。
ノーラはそう思いながら、自分の目の前で息絶えたあの若い兵士の言葉がフラッシュバックする。
明らかな殺意と憎しみのこもった剣、それは手合わせをすればよく分かる。
彼女も生半可な武術を体得しているわけではない。
だからこそ、大の男、しかも兵士の剣技に対応はできた。
しかし、そのせいで男の想いというモノまで知ることになったのだ。
剣撃に乗ってくる相手の想い、一撃、二撃と受けるたびに、ノーラはひしひしとそれを感じ取ったのだ。
ノーラは震える手を摩りながら、弱弱しい声音でナルエに聞いていた。
「私はどうすればいい?」
「ノーラ様……。私にもわかりません……。ただ、ノーラ様のお気持ち、それを少しでも彼らにお伝えできれば……」
「伝えても、彼らの気持ちは変わらぬ。我々は彼らから色々と奪ってしまったのだ……」
西方遠征の一番の犠牲者であるフェールムントの民衆達は、ノーラが謝罪してもけして赦しはしないだろう。あの憎しみを込めた目を見た時に、ノーラは確信した。
それ程までに悲惨な目に合ってきたのだ。
ノーラにはとても想像ができないほどの悲劇がここで起きた。
それを王族として、看過するわけにいかない。
だからこその視察だ。
それが却って、新たな悲劇を生み出す結果となっていた。
結局は復讐をしに来たフェールムントの兵士を殺す結果となった。
これはノーラが望んだ結果ではない。
「私は、私の決断が間違っていたと、思いたくない」
「ノーラ様のご決断は、王族としての立派な英断です。選んだ道は険しくとも決して外れたものではありません」
ナルエがそう諭すも、ノーラは顔を地面に向けて暗い表情を見せる。
「そうであるといいのだが……」
ノーラの複雑な悩みを前にナルエはそれ以上声を掛けられないでいた。
曇り空の合間から夕日が見え、ノーラを赤く照らす。
長い長い、夜が始まろうとしていた。