進むべき道 1
イレーナはシャレム城の城主に挨拶をして、今後の予定の打ち合わせを行っていた。
「ノーラ様はこのシャレム城で明日一日は休息を取らせていただきます。予定といたしましては、朝よりシャレム城の警備状況の視察、兵士の慰労演説、次の日にシャレムの復興状況の視察を行います。また、民衆向けの演説を昼から行います。演説終了後、シャレムの貴族や豪商を招いた晩餐会を行います。その後、一日開けて、このシャレムを出立いたします」
イレーナが一通りの予定を告げると、シャレム城の城主は資料を手に持って考え込んでいた。
「何かご不安な事でも?」
イレーナが強く聞き返すと、彼は嘆息して答えていた。
「いえ、そのですね。ここシャレムでは万全の体制を整えているので、何一つ問題なく予定をこなせますがね……」
シャレムの城主は言葉を濁しながら続ける。
「次のフェールムントへの出立は見合わせて貰った方がよいかと……」
シャレム城主はイレーナに言うと、彼女は毅然とした態度で聞き返す。
「なぜです?」
「フェールムントは現状城主が不在で、王国軍の軍政統治下にあります。民衆は反王国感情で満ちていますし、いくら王国軍が精鋭とは言え、住民の数も多いですからね。何よりもあそこは復興が思うように進んでいませんから……」
「そのような中をノーラ様が行くのが危険と?」
「ええ。ノーラ様がこのシャレムを訪問して私としても甚く嬉しく思っているのです。王国に忠誠を誓うからこそ、フェールムントへ行く事はあまりお勧めできません。我々シャレムの市民はノーラ様が滞在される期間を延長されても何一つ問題はないので、是非ともフェールムントへのご訪問をお見合わせ願いたいのです。たかが一領主がこのような差し出がましい事を具申致すこと、お許しいただきたいです」
シャレム城の城主から思わぬ具申を受けて、イレーナは面を食らっていた。
ダントゥールでの成功がシャレムでの成功にそのまま繋がると確信していたからこそ、フェールムントへは是非とも行きたかったのだ。
とはいえ、既に近衛騎士の斥候がフェールムントへと立っており、尚且つフェールムント城守備隊長より、ノーラ殿下受け入れ準備完了の報告を受け取っているのだ。
「わかりました。意見具申の方ありがとうございます。この件は持ち帰り、検討いたします」
イレーナはシャレム城の城主からの忠告を聞き、フェールムントへの訪問を取りやめるべきか迷いだす。今回の訪問ルートは元々ルードリヒ国務大臣が決めたものだ。それに必ず従わなければいけないのかと言えば、そうでもない。実際の所は、現場の判断を優先させて、場所の変更をしても問題はない。
ただし、今回の訪問は西方同盟に対する威圧行為でもあるのだ。
できれば、訪問する場所の変更はしない方が、外交的にも大きな効果が得られる。
そう言った要因を考えると、フェールムントの訪問成功が成せれば、王国の威信を高める事にもつながるのだ。
(とりあえず、皆を集めて一度合議すべきね)
イレーナは緊急合議をかけることを決断しつつ、シャレムでの公務内容の詳細な打ち合わせを行うのだった。
◆
シャレム城の会議室には今回の慰労訪問団の重鎮たちが揃っていた。
長机の両端には、警備主任責任者のゴラムに、近衛騎士警護隊長、副官がいた。また、執務官の秘書官や書記官、調理長、文政官とよばれるいわば外交特使やその秘書官、侍従長、西方出身の文民もこの緊急会議には参加している。
そんな重鎮が揃う中で、アストールはゴラムの横に座って珍しく緊張していた。
明らかに一介の警護者が口を挟める雰囲気ではないのだ。
「皆様、急ぎお集まりいただきありがとうございます。さて、今回皆様を招集いたしましたのは、次の訪問地フェールムントへの訪問をどうするか皆様の意見を聞き及びたく、この合議を開催させてもらいました」
イレーナが凛とした声で各人に聞こえるような大きな声で、かつ落ち着いて話をしていた。
「では、フェールムントの現状をゴラム王族従騎士長よりご説明願いたいと思います」
イレーナがそう言ってゴラムに話を振っていた。
それに対してゴラムは立ち上がって、全員の顔を見ながら話し始める。
「フェールムントは先の戦争で傭兵による略奪行為が激しく行われ、反王国感情の強い地域であることは、皆様もご周知の事と思います。あれから時間のみは経過いたしましたが、現状城主不在のまま、我が王国軍政下において統治が続いており、これに住民が反感を持っているのも確かです。現在フェールムントには王国軍正規兵1200名が常駐しており、それに加えて現地徴用兵が1300名、傭兵400名がこのフェールムントを守備している状況にあります。現在のこの警備状況は、ノーラ王女殿下の訪問が決まり、急遽増員したと言うわけではなく、常時兵員不足が発生している状況のため、やむなく現地徴用兵を雇い入れている状況です」
ゴラムが説明を終えると、イレーナは再び発言する。
「現状として我々が懸念しなければならないのは、ノーラ殿下をこのフェールムントにお入れになった時に、フェールムントの住民の感情を逆なでして暴動が起きかねないのではないか? と言う事です」
イレーナが簡潔に懸念事項を伝えていた。
そこに文政官が手を挙げていた。
「ローランド文政官、なんでしょうか?」
「は、今回の訪問の意義を改めて皆様で確認する必要があると思い、発言をしたいと思います」
「どうぞ」
「此度のノーラ殿下の慰労訪問、これは西方地域での王国の影響力が確実なモノであり、かつ西方同盟に対する威圧行為にもなる重要なご公務であります。その為にルードリヒ国務大臣が、その効果が最大限発揮される都市を選出しました。私個人の意見といたしましては、多少の危険を侵してでも、フェールムントへの訪問はすべきだと思います」
文政官は毅然とした態度で言ってのける。
彼の役職上、多少の危険があろうとも訪問は断行すべきと言うのは尤もなことだった。
「それは些か急ぎ過ぎな意見ではないでしょうか?」
そう言ったのは西方地域出身の文民だった。
「なに?」
「かのフェールムントの悲劇は口にするのも憚れる行いがされました。それこそ、住民の憎悪が大きく、もしも、ノーラ殿下がフェールムントにお入りになられるならば、暴動も起きかねません。それ程までに住民の反王国感情は激しいのです」
彼の言葉にローランド文政官はすぐに返していた。
「しかし、我々は対外的に西部の地域を盤石にしているという外交的アピールをしなければならない。フェールムントでの訪問を成功させれば、それこそ我々は外交的打撃を西方同盟に与えられましょう」
イレーナは二人のやり取りを聞きながら、黙って考えていた。
二人のやり取りが落ち着きを見せると、彼女は口を開いていた。
「万が一暴動が起きた場合、それこそ、我々は西部の地域を支配しきっていないという事になるのではないでしょうか?」
イレーナの鋭い切り口に、文政官は返す言葉が見つからなかった。
「……では、フェールムントの訪問を中止すると?」
文政官の言葉にゴラムは畳みかけるように言う。
「昨今の事情を鑑みるに、警備責任者として中止すべきであると具申します」
ゴラムの言葉に対してイレーナは嘆息する。
「私個人として、訪問中止は現実的提案であると思っています。しかしながら、今回この訪問に際して、フェールムント守備隊が多大な労力を払って、準備を整えているのも事実です。彼らの努力を水泡とすべきではないとも考えています」
イレーナは悩まし気に眉根を顰める。
「あ、あの発言良いでしょうか?」
アストールが緊張しながら口を開くと、イレーナは淡々と答える。
「どうぞ」
「僭越ながら、私個人の意見としては、リスクが大きい以上は中止すべきと思っています。しかしながら、外交的意味合いを考えると、文政官殿の言う事も一理あると思います。そこで、一つご提案なのですが、フェールムントの安全状況が完全に確認できるまで、訪問見合わせをしてはどうでしょうか?」
「見合わせと言うのは?」
「えーとですね。あちらの警備状況のみならず、住民の反王国感情の調査等、そう言った安全管理上のリスクを把握したうえで、行く行かないを決めると言う事です。幸いシャレムについて今日は初日、まだ時間があるので、そう言った調査も可能かと……」
アストールが発言すると、周囲の重鎮たちは考え込んでいた。
「近衛騎士長、フェールムントへはすでに斥候は出しているのですよね?」
イレーナが即座に確認すると、彼はすぐに答える。
「は、先行してすでに調査員を向かわせて警備状況の把握を行っている所です」
「それに問題がなければ、フェールムントへの訪問を実施すると……?」
イレーナはアストールに意見を求めるものの、ゴラムが遮るようにして口を開く。
「は、しかしながら、訪問をするとなると、暴動が起きた際の対応と言うものも予め準備しなくてはなりません。そうなると、我々警護部隊のみでは流石に手を回すことができません」
ゴラムはアストールをフォローするように言うと、イレーナはまた悩まし気に眉根を顰めていた。
「そうですね。備えは絶対に必要でしょう。ゴラム王族従騎士長、フェールムントの城塞見取り図と地図をお渡しするので、暴動時の対応を検討願えないでしょうか?」
イレーナの提案にゴラムは嘆息する。
本来であれば、ここは即座に中止を判断してほしかった。
そんなゴラムの思いが見て取れる。
「わかりました。やりましょう」
「現状はフェールムントへの訪問は見合わせ、ゴラム王族従騎士長の対策次第では、訪問を行うという事でいきたいと思います。次の合議はシャレムの行事終了後に改めて開催したいと思います。皆さまご足労ありがとうございます」
イレーナの一言で合議は終了していた。
各人が席を立って、部屋を後にしていく。
ゴラムはアストールを連れて、部屋を出ていく。
「全く、反対してくれるのではなかったのか?」
ゴラムは歩きながらアストールに言うと、彼女は苦笑して答えていた。
「すみません。でも、あの場ではそう言うくらいしかないかなと……」
あのまま話が進むことがなければ、結局合議の意味をなさなかった。
何よりもイレーナはフェールムントへの訪問には慎重になっている。
とはいえ、フェールムントでの警備体制次第では、訪問を実施する可能性もあるのだ。
アストールの提案したやり方だと、時間がかかるので、市民感情までは調査しないだろう。
それでも、斥候に行った隊員は確実にその街の雰囲気も含めて報告をしてくるだろう。
「まあ、よい、最悪の事態に備えるのもまた我らの仕事よ。エスティナよ! シャレムでの警護は頼むぞ。私はフェールムントでの緊急時の避難事項を作成するのでな」
「は!」
アストールはゴラムよりノーラの警護を一任されていた。
それに答えるように元気よく返事をしていた。