錯綜する企て 7
国王トルアの主催していた闘技大会は妖魔騒動のせいで結局中止となっていた。
市民たちはあの騒ぎが西方同盟によって引き起こされたと噂している。
化け物となった暗殺者達の言葉を聞いた大勢の市民が話を広めていたのだ。
国王トルアが西方からの撤退を祝って開催した闘技大会が、まさか西方同盟によって潰されるとは夢にも思っていなかっただろう。
だが、何よりも市民たちが不安に思っているのは、あの厳重な警備をすり抜けてきた西方同盟の人間が、騒ぎを起こした事だった。
王都ヴァイレルには西方からの住民も多く住んでおり、彼らが西方同盟と通じているのではないかという不安を抱きつつあるのだ。
トルアはその事で頭を悩ませる。
「全く、ようやく一段落ついたと思ったら、この有様か……」
執務室で書類を読みながらトルアは大きなため息を吐いていた。
「西方からの主力部隊の撤退が完了しつつあるのに……。これ以上の戦線拡大は国内の予算をさらに消費する事になる……」
長引く戦争で国庫に余裕はない。
だからと言って貴族や民から重税を徴収するわけにもいかない。
西方の占領地からの税収は、占領地が安定してからようやくあてにできるものだ。
今はさほど大きな税を課税しているわけではない。
税収がない中でもう一度西方と戦争を行うのは、このヴェルムンティア王国の滅亡を意味する。
とはいえ、王国の民や貴族達はここまで西方同盟に舐められたとなれば、再び西方同盟に対して遠征を声高に主張し出すのは時間の問題だろう。
「これが最悪のパターンだ」
西方同盟がいくら強いとはいえ、所詮は寄せ集めの軍団だ。こちらが攻めなければ、向こうは勝手に自壊してくれる。それを密偵からの情報を得て確信していた。
それも見据えての中央軍の撤退だったのだ。また、今回の撤退は長引く戦いによって、貴族たちの間でも厭戦気分を解放する目的もあった。
膠着した戦線を前に連戦連勝の報も少なくなり、戦費の増大で増税を行う可能性があった。
貴族達の中にはぎりぎりで所領を経営している者もいる。
そうなると国王に対する反発は大きくなるだろう。
トルアはそれを分かっていた。
だが、今回の事件で民や貴族達が再び戦争を望もうとしている。
「さて、どうしたものか」
トルアは王国の生末を見据えなければならない。
このまま再び西方との戦争を再開しても、そこに終わりはない。
戦争は始めるのは簡単だが、その矛を収めるのが最も難しい。
今回の西方遠征軍の帰還は、正にその一歩であったのだ。
「全くもって……。西方同盟め、我が国と休戦条約を結んでおると言うのに……。全くもって抜け目がない」
終戦条約ではないのは、西方同盟内での抗戦派と穏健派の意見を纏め上げられなかったが故に、休戦条約になった。決して戦争が終わった訳ではなく、油断をすれば西方同盟は寝首をかきに来る。それが今回のディルニア公国の暗殺だ。
とはいえ、この休戦条約には、王国側に有利な条約も含まれている。
南方のイムラハ諸国との盟約破棄と、相互不可侵の条項が含まれているのだ。
トルアは次の報告書類に目を通す。そこにはディルニア公国の事が綴られていた。
西方同盟がディルニア公国への侵攻を整えつつあり、エドワルドがもし暗殺されていれば、西方同盟の侵攻でディルニア公国は占領されていたかもしれない。
西方同盟は王国の属領地の弱点を熟知しており、そこを狙ってきた。だが、その目論見は今回エスティナが阻止したのだ。
その報告を見てトルアは妙案を思い付く。
(ふむ。今回の騒動は西方同盟の挑発に他ならない。だが、その目論見をあのオーガキラーたるエスティナが阻止した。彼女を更に英雄に仕立てて、西方同盟の悪辣な企みを打ち砕いた。とそうすれば、貴族や民も納得しよう)
トルアはそう思うとエスティナが少し不憫で仕方なかった。
確かに彼女から暗殺の件が終わっていないと直接聞いていたが、まさか、ここまで大事なことになるとは本人も想像していなかっただろう。何よりも闘技大会を中止に追い込んだ事に自責の念を感じているかもしれない。
(エスティナは我が国の英雄であり、今や至高の存在となっている)
トルアはそう思いながら、新たな勲章を彼女に用意するように進めようと決める。
(しかし、これだけでは、西方同盟への威嚇にもならぬな……)
トルアは傍に控えている侍従に言う。
「ルードリヒ執政官を呼べ」
侍従はトルアのその声で王の執務室より出ていく。
トルアは西方同盟に楔を打ち込む妙案を、ルードリヒ執政官と共に考えるために、彼を呼びつけるのだった。
◆
アストールは事件の収拾に協力してようやく落ち着いたのがつい昨日、事件から5日経ってからの事だった。アストールは王都に滞在しているエドワルド公爵の元に来ていた。
彼の傍らにはティファニアが控えており、対するアストールの横にはジュナルとメアリーが座っている。三人はエドワルドを見て彼からの言葉を待っていた。
「どこから話をしたらいいものやら……」
エドワルドはそう言って悩ましげに表情を歪ませる。それに対してアストールは真剣な表情で彼に対して促していた。
「順を追って説明していただければ……」
「そうだな。あのエストルが我が王国に来たのは、我が国においても指名手配になる前の話だ。奴は我が国に密入国してきていた。確か名前はギルバート・ヘプテンゼンという偽名を使っていた」
エドワルドは淡々と話を続ける。
「あ奴が入国してきているというのが判明したのはつい最近でな。何でも妙な金持ちの外国人が我が国内の魔法関連の道具を違法に買い占めて国外に出しているというタレコミがあってな」
「それがそのギルバート・ヘプテンゼン」
アストールの呟きにエドワルドは真剣な表情で答えていた。
「そう。そこで私は密偵と公国近衛兵を使ってそ奴を捕まえたのだ。最初は素性も何も分からなかったが、とある商人が奴と顔見知りだったらしく、すぐに身元が判明した」
エドワルドの言葉にアストールは直ぐに問いかけていた。
「素性が分かったなら直ぐにでも王国に差し出せばよかったのでは?」
「それがそう易々と行かないのだよ」
「どういう事で?」
アストールの問い掛けにエドワルドは少しだけ溜息を吐いていた。
「奴の購入した商品の中には、我が公国から横流しされた物も含まれていてな……」
エドワルドは悩ましいと言わんばかりに眉根をひそめていた。
「でも、その商品はまだ国外に出ていないのでしょう?」
「いや、それが既に国外に出ていて、しかもその行き先がヴェルムンティア王国なのだよ」
その言葉を聞いてアストールは直ぐにエドワルドが頭をなぜ抱えているのかが分かった。
エストルがどのような犯罪に加担しているのか、それすらも把握できていない上に、公国の横流し品が王国へと入ってきている。完全に国際問題へと発展しかねない事態なのだ。
「それは困りましたね……」
アストールもまたエドワルドに同調していた。
「そうなんだ。だが、今回のこの大会に来て、君と出会う事によってこの件を一気に解決できる妙案を思い付いたんだ」
満面の笑みを浮かべたエドワルドを見て、アストールは嫌な予感がする。
「まさか……」
「そうそのまさかさ。君にアイツを捕まえて貰う! ちょうど君もエストルを探していると言うし、双方の利害は一致していると思うがね」
ヴェルムンティア王国の英雄がディルニア公国の中で悪事を働いていた男を捕縛する。
ディルニア公国としても凶悪逃亡犯を捕まえて貰えたことから、アストールを称えられるのだ。
そうすれば、アストールへの注目が集まるので、横流しされた魔術器具の事もうやむやにできる。何よりも、アストールを称える事により、ディルニア公国も王国と同じ立場であるという政治的なスタンスを取りやすい。
「まあ、確かにそうかもしれませんが……」
確かに渡りに船の状況ではあるが、今回の件に加えて更に目立つ行為をすることになる。
もはや、勲章どころの話ではなくなってくる。
あまりにも武功が多すぎるのだ。
ガリアールでの手柄、ルショスクでの二大事件の解決、そして、公爵の暗殺阻止、更に今王国を騒がせている人物の確保だ。
そうなった時、エスティナと言う人物は本物の英雄として神格化すらされかねない。
立場的には悪くはならないが、有名になればなるほどそれ相応の行動制限がかかってくる。
「君ほどの女傑、中々いない。今更指名手配犯の一人程度、その武功の内には数えられまい」
彼女の心中を察してかエドワルドはそう言って説得しに来ていた。
「しかしですね……」
「では、君はエストルと会いたくはないのかい?」
「いえ、会いたいですし、むしろとっちめてやりたいです」
「なら、私と共にディルニアに来ると良いじゃないか!」
「ディルニアに!?」
「ああ、何なら君を国賓として迎えてもいい」
エドワルドはそう言ってアストールに対して笑顔で声を掛ける。しかし、アストールはそれに対して表情を曇らせて言う。
「いや、それだけは絶対にやめてください」
「君がそう言うなら、仕方ないからやめるが……」
少しだけ残念そうにするエドワルドに対して、アストールは少しだけ安堵する。
「これで決まりだな」
「そうですね……」
エドワルドはアストールの同意が得られたことに、意気揚々と尋ねる。
「それで君はいつ出られる?」
「え?」
「私の船に乗っていくのだから、当然、君の予定も聞いておかないといけないだろう」
「ふ、船?」
「港湾都市ハイネルからヴェーヌ湾よりハーヴェル海へ出て行った方が3月ほど短縮して我がディルニアに着く。途中いくつかの港湾都市にも寄るし、陸地を行くよりも安全だ」
確かに陸地を行くとなると妖魔の脅威に加えて賊達の脅威もある。何よりもディルニア公国の兵士たちの兵糧の問題もある。だが、船ならば別問題だ。
寄港地を経由する事により食料と水の問題もなく、陸地を行くよりは安全性は高い。とは言え、嵐で海が荒れると話はまた別だが、基本的にはハーヴェル海は内海という事もあり、穏やかな海なのだ。とは言え、海になると海賊も出る。
それでも妖魔を相手にするよりはまだましだろう。
「どうだい? けして悪い話じゃなかろう?」
「そうですね……。でも……」
これ以上の知名度は要らない。
「アストールが行くなら私達も一緒行くよ」
メアリーはそう言ってアストールに決断を促していた。
メアリーは誰よりも彼女が男に戻って欲しいと思っている。だからこそ、その背中を押していた。エストルはゴルバルナとも関連されているのではないかと噂される人物だ。
そんな人物がいるというのであれば、行かないわけにもいかない。
何より、ルショスクのようにゴルバルナと全く関係のない事件で、空振りに終わる事はないのだ。
「分かりました。殿下、私たちをディルニアへ連れて行ってください」
「いい返事が聞けて良かった。そうと決まれば、身支度をしなくてはな!」
エドワルドは笑顔でアストールに答えていた。
「殿下はいつご出立になられるので?」
今まで黙って事の推移を見ていたジュナルが口を開く。
「そうだな。君たちが身支度を終えたら連絡をくれ。そこから出発をしようと思う。一先ずはディルニア国内の問題も落ち着いたからな」
「は、畏まりました。では、拙僧らはこれにて」
ジュナルがそう締めくくると、アストールは立ち上がって部屋を後にしていた。
そんな三人の後ろ姿を見て、エドワルドは大きく息を吐いていた。
「ティファニア」
「はい」
「お茶」
「畏まりました」
エドワルドは交渉が上手くいったことに安堵して、ガーベルティーをティファニアに要求する。
彼女は軽く一礼して、部屋から出ていく。
エドワルドは椅子に深く腰を掛けて天井を見上げた。
ようやく国内で問題になっていた最大の癌を取り除けるのだ。
ディルニア公国を狙う西方同盟の軍はいまだ動きもなく、集結していた軍団も徐々に数を減らしているという。だからこそ、ここでちょっとしたバカンスを楽しんでいた。
国内に帰れば山ほどある問題に立ち向かわなければならないのだ。
現状反ヴェルムンティア王国派閥が動きを見せる事はない。
彼らはエドワルドの過去の行動に不満を持ち、未だ国内で火種を燻らせ続けている。
だが、彼らを弾圧する事も出来ない。
なぜなら、彼らも共にディルニアを思っているからこそ、そういう不満を持ち続けているのだ。
そんな彼らを弾圧すれば、エドワルドはいよいヴェルムンティア王国の傀儡の王と見られかねない。
そうなった時、国民の心は一気にエドワルドから離れていくだろう。
現状は半数以上の国民がエドワルドの過去の行動に対して好意を持っており、ヴェルムンティア王国に服従したのは致し方ないことと受け止めている。国民の生活と命を第一に考えて行動に出たエドワルド王の想いが伝わっているからこそ、彼は大衆から愛され多くの支持を得ている。
この支持こそが反ヴェルムンティア王国派閥が動けない理由でもあるのだ。
ここで彼らが動けば、国民の命をないがしろにしたと反発を受け、支持を得られないのは彼らも良く分かっているのだ。
国内のこの絶妙なバランスを崩しかねない男があのエストルなのだ。
もしこのバランスが崩壊すれば、西方同盟に付け入る隙を与えてしまう。
西方同盟は嬉々として公国に攻め込んでくるだろう。それに乗じて反王国派閥が反旗を翻すのは目に見えている。
そうなれば、ヴェルムンティア王国の西方地域は一挙に失われる。
ディルニア公国は北部から楔を打つ形で領域を持っており、西方同盟が現状王国と全力でぶつかれない最大の理由ともなっている。
もし、現状のまま王国側に全力で攻勢を仕掛ければ、ディルニア公国が南下して西方同盟の背後へと回り挟撃が可能となる。
逆にこのディルニア公国を西方側が影響下に置いてしまえば、王国軍の背後を脅かす事が可能になる。西部戦線の一番重要な立ち位置に居るのがこのディルニア公国なのだ。
そして、トルアはそれを分かっていた。
何よりもこの国を力で制圧して圧政を敷くよりも、自治権を持たせて隷属させた方が、王国にはメリットが多かったのだ。ハーヴェル海の商業圏の確保と引き換えにしても、ディルニア公国の自治権維持には余りあるメリットがあった。
お互いがその事を意図せずして利害の一致があったからこそ、トルアとエドワルドは意気投合が出来た。トルアからすれば表向きは国民の命を大事に思う王を赦すという寛大な王というアピールができる上に、西方での戦線の矛を収めるという最大の功績を残せる。
エドワルドからすれば国民の命の為に、自らの命を差し出そうとした勇敢な王として称えられ、そして、王国の庇護の元ハーヴェル海の利権を一挙に手に入れられる。
双方が勝者と言える関係なのだ。
また、この庇護下に乗じて、領土問題も一挙に方を付けれた。
国民は独立を保ちつつ、利益ばかりを享受できたからこそ、ヴェルムンティア王国に反感を持つ者は少なかった。そんな中でも反王国派閥は、公国の中枢に巣くっており、その影響も看過できないのが現状なのだ。
「まぁ、これで何とか国の維持はできるか……」
考えをまとめてエドワルドは大きく安堵の溜息を吐いていた。
その溜息は虚空へと消えていく。
「殿下、お茶が入りました」
ティアファニアがガーベルティーを持ってくる。
机に置かれたカップにガーベルティーが注がれ、その甘い匂いがエドワルドの鼻を通して体全体に行き渡る。エドワルドは香りを堪能した後、ガーベルティーを口に含んで胸の底から安堵感が沸き上がる。
その安堵が問題解決からなのか、それともガーベルティーから得られたのか、彼にはもはやどうでもよかった。
「ティファニアよ。私はやはり彼女らを信じるよ」
「はい」
二人の会話は部屋の中で静かに消えていくのだった。




