錯綜する企て 1
闘技大会も開催から既に6日が経っており、既に多くの大会が決勝を行っていた。
甲冑を着て相手と剣を交える剣技、動作一つ一つにおいて流麗さを競う演武の決勝が今日行われている。七日目の明日には一大イベントであるジョストの準決勝と決勝が行われる予定だ。
アストールは拘束されている期間に、試合の出場権を剥奪されており、闘技場の観客席で決勝試合を見る事しかできない。
「はぁ、全く持って憂鬱だ……」
「そこまで落ち込むことはないだろう」
溜息を吐いて闘技場の廊下を歩くアストールの横で、腕を組んだままアレクサンドが彼女を慰める。
「だって、特訓したのに試合にも出られないし、エドワルド殿下とも戦えない」
「命があるだけでも儲けものと思わなければなるまい」
「まあ、確かにそうかもしれないけどさ……」
アストールとしては試合にあのまま出場を続けてエドワルドに挑みたかった。
それが出来ないのが何とも心残りであるのだ。
そんなアストールの心とは裏腹に、観客席はどっと歓声を上げる。
剣闘試合の決勝試合と言うだけあって、観客たちの熱気は凄いものだ。
闘技場中央に競技場が用意されており、そこで二人の騎士が向き合って剣を交えている。
剣が交わって鉄の金切り音が響く度に歓声が上がる。
「明日はジョストの決勝だからね……」
最も盛り上がりを見せる試合、その地に立てない悔しさがアストールを襲っていた。
既に昼下がりになっており、今日の剣技の決勝試合のあとには、演武の決勝試合が待っている。
「エスティナよ。ここに来たのはただ試合を見に来たわけではあるまい?」
アレクサンドは横を歩きながら、アストールに問いかけていた。
鋭い質問に対してアストールは笑みを浮かべて返していた。
「流石は師匠、鋭いですね」
「それで何をしようと言うのだ?」
「師匠は貴族や議員に対して顔が広いじゃないですか?」
アストールがそう切り出すと、アレクサンドは怪訝な表情をしていた。
実際アレクサンドは一時期は貴族院に所属していた議員でもあり、貴族爵位を所有していた。何よりも王国の内政に貢献した人物でもあり、アストールの父親とも親交の深い人物でもある。
そして、あのルードリヒ国務大臣とも浅からぬ因縁を持っているとも聞いていた。
「貴公がそういう事を聞くとは何かあるのか?」
アストールの言葉から何かしらを察して、アレクサンドは真剣な表情で彼女を見据える。
「そうですね。お顔が広いので、私とエドワルド殿下のジョストの余興も明日の試合前にいれていただけるのではないかと思ったんです」
アレクサンドは大きく溜息を吐いていた。
「私の顔がまかり通っていたのは10年も前の話だ。今はどうなるかはわからぬぞ」
「でも、まだそのお顔は十分に通用するみたいですよ」
実際にアストールと闘技場中央に立った時に、アレクサンドも少なからず話題に上った人物だ。
彼は10年前にルードリヒと国務大臣の座を争ったこともある。
争点となったのは西方遠征の方向性であり、アレクサンドは不要な遠征を早急にやめて南方と東方の脅威に備える事を主張していた。対するルードリヒは現状の西方遠征を継続し、ハーヴェル海の制海権を手中に収めたのちに西方側との和解を目指すことを主張していた。
結局トルア国王は後者を取り、政争に負けたアレクサンドは爵位も財産も土地の全てを息子に譲って、隠居生活を選んだ身だ。アストールを近衛騎士に育て上げたのも、その隠居生活の一環ともいえる。
そんな彼が王都ヴァイレルに戻るというだけで、何かしらの噂が持ち上がるのも無理はない。
「10年も隠居しておきながら、噂になるほどの実力をおもちなんですから」
アストールは意地悪い笑みを浮かべていたが、アレクサンドの表情は硬いままだった。
「私は誓いを破るつもりもないし、自分の戒めを解くつもりもない。貴公と兄のエスティオがいる以上、私は絶対に中央に戻るつもりもない」
奥歯を噛み締めたかのような、悔しそうな表情を浮かべたアレクサンドを見て、アストールはただならぬ雰囲気を感じ取っていた。師匠であるアレクサンドがここまで思い詰めて、感情を露わにするのは、男である時からの付き合いを思い返しても初めてだった。
アストールは男の時にも見せなかった師匠の表情が気になって、ついつい聞き返していた。
「あの……10年前になにかあったのですか?」
アストールの問いかけに対して、アレクサンドははっと息をのんで表情を緩めて彼女に微笑んでいた。
「ああ、すまない。昔の苦い出来事を思い出しただけだ」
アレクサンドの表情から昔の政争の事を思い出しただけだとアストールは感じて、それ以上は深く聞こうとはしなかった。権力争いで嫌な事など数えきれないほどある。それを今まで表情に出した事すらないアレクサンドだ。相当に嫌な思い出であることに違いない。
「そうですか。それはすみませんでした」
師匠を気遣って声をかけるとアレクサンドは柔和な笑みで答える。
「よいよい。気にするな。それよりも口利きだが、昔の好のある者に頼めばできるかもしれん」
「ええ!? 本当ですか!?」
「ああ、この大会に関わっている有力議員とは昔から顔なじみでな」
「では、ご無理を言うかもしれませんが、師匠、お頼みしてもよろしいでしょうか?」
「任せろ。可愛い我が愛弟子の頼みだ。断るわけにもいかんだろう」
アレクサンドはアストールに対して相変わらず笑みを浮かべたままで答えていた。
だが、彼は笑みを消してから鋭い目つきで、アストールを見つめる。
「頼み事はこれだけではあるまい?」
「おお、流石に目ざといですね……」
アストールは師匠の鋭い指摘に対して少しだけおどけて見せていた。
「エキシビジョンマッチなど組む以上は、それなりに何かあるのであろう?」
「ここの警備体制にも手を入れたいんです」
「ほう、またなぜだ?」
「師匠にだけは言っておきますね。今回の件、エドワルド公爵殿下の暗殺が裏で動いているんです。それを炙り出すための作戦なんです」
さらっととんでもない事を告げるアストールに、アレクサンドは驚嘆していた。だが、すぐに顔色を変えて答える。
「そんな事を闘技大会で行うとなると、国王陛下の名誉を汚す事になるぞ?」
「ですけど、このままにしていても、エドワルド殿下の命が危ないですから……」
「しかし、もし何も起きなければ」
「何も起きなければ、別にそれはそれでいいんです」
「何故だ?」
「それならそれで、私はエドワルド公とジョストを楽しめますからね!」
アレクサンドはアストールの言葉を聞いて笑みを浮かべていた。
「全く、血筋は争えんようだな」
「なんの事です?」
「君はお父上に似てるってことだ」
「父上に?」
笑みを浮かべたアレクサンドに、アストールは真剣な眼差しで彼を見つめる。
「あぁ、良く君の父上からは無理難題を押し付けられたもんさ」
「その話、またゆっくり聞かせてくれますか?」
「あぁ、また、時間を作ろう。それよりも急いで議員に会ってこなければならんからな」
「宜しくお願いします」
アレクサンドはそう言うと直ぐにアストールの元から足早に立ち去っていく。彼女はそれを見送ると、背伸びをして闘技場へと向き直る。
「さーて、私もやるとするか!」
闘技場で繰り広げられる演武を見ながら、アストールもまた闘技場をあとにするのだった。




