金貨一枚の重み 3
アストールは闘技大会にてエドワルドが棄権して試合をする必要が無くなり、あの馬上槍試合の特訓が何のためにあったのかをふと疑問に思っていた。
街を歩き続けるアストールは活気のある目抜き通りを見て溜息を吐く。
噴水の前で子どもたちが走り回り、人形劇を披露する劇団員や語り部が人を集めて叙事詩を疲労する。
その集まった人々にパンや牛乳、チーズや酒を売り歩く売り子、露店はいつも以上に大賑わいで、国王の即位祭を祝うために全国から人がこのヴァイレルに来ている事が分かる。
この一見して平和な街の光景の陰で、暗殺が行われようとしたことなど誰も想像しないだろう。
「ああ! エスティナ様だ!」
「ええ! どこどこ!」
「あそこよ!」
どこからともなく聞こえてきた声にアストールは振り返る。
そこには三人の若い娘が立っていた。三人はアストールを見つけて、すぐに駆け寄っていた。
「凄い! 生きる伝説の女騎士様よ!」
「握手してください!」
三人の若い町娘はエスティナの前で握手を求める。
「ああ、いや、私はそんな大層な人間じゃない」
「そんな事ありません! 男性ばかりの騎士の世界で、唯一人女性として活躍されてるんですから!」
「そうです! 私達も憧れちゃいます!」
「早く握手をしてください!」
アストールは三人を前に狼狽していた。女性の体になって男に迫り寄られた経験はあるものの、このように女性に迫り寄られることなど想像もしていなかった。
アストールは三人の手を順に握っていくと、彼女らは感激の歓声を上げていた。
「ありがとうございます!」
「私ジョストの試合見ていましたけど、ランスって重いんですか?」
町娘は興味津々にアストールに視線を向けてくる。
「え、ええ。でも、木製なので、本物よりも大分軽いです」
「そうなんですか!? では本物のランスも持って出られたのですか?」
「実戦はないけどね」
アストールはどうにも三人の問い掛けを無視できずに受け答えをしていた。
女性たちが次々に質問をしている内に、何事かと人が次々に足を止めていく。
そして、いつしか彼女の周りには人垣が出来上がる。
「ああ、おいおい、どうしてこうなった!?」
自分の置かれている状況が把握できず、アストールは困惑していた。
「オーガキラーのエスティナ様よ!」
「王国の英雄よ!」
「あの試合は良かった!」
「王太子殿下を打ち負かす実力者だ!」
周囲の人々はアストールに群がって、彼女はもみくちゃにされだす。
「ああ、ちょっと、ちょっとまった!」
アストールは自分の知名度があのハラルドとの一戦で一気に上がっている事に気がついた。
試合後に街にゆっくりと出歩く事はなく、その前は街を歩いていても見向きするのは男ばかり、その内の二割ほどが声を掛けてくるので軽くあしらっていた。だが、今は状況が違う。
子どもから大人まで、老若男女問わずアストールを一目見ようと人垣を作っているのだ。
まさかここまでの事になるとは思わず、アストールは周囲の人垣を押し分けて露店通りに出ていた。
「うへぇ、ハラルド殿下を倒した事があんなに大きな騒ぎになんのかよ……」
人垣から抜けるとアストールは足早にその場を後にしていた。だが、熱心なファンと思わしき人物が数名追いかけてくる。アストールは振り返って追いかけてきた数名の男女に向かって言う。
「あの慕ってくれるのは嬉しんだけど、追いかけてまでは来ないでくれないかな?」
男女は疑問の表情を浮かべていた。
「貴方達は私を知っているかもしれないけど、私はあなた達を知らないの。追いかけられると、流石の私でもちょっと怖いわ」
アストールの言葉を聞いた男女は納得したのか声を揃えて言う。
「それはすみませんでした……。でも、まさか本物のエスティナ様を間近に見られる機会なんてないので……」
「とりあえず、これ以上はついて来ないでね」
アストールの言葉に数名の若い男女は頷いて同意していた。
それを確認してアストールは踵を返して歩みだしていた。
(はぁ、全く厄介な事になったなぁ)
あの大闘技場には多くの観客を収容できるゆえ、アストールを見る人間も必然的に増えてくる。
何よりも闘技大会で最も注目を集めた試合の主役であり、結果は相手を負傷させたとは言え、あのハラルド王太子を実力で打ち破った女性であるのだ。
一度正体が知れるとここまで人垣ができるとは、思ってもみなかった。
(これじゃあ、おちおち情報の収集もできないなぁ)
人目を引いてしまっては隠密行動などもってのほかだ。
そこでアストールはふと気づく。
これだけ有名になっているという事は、あの歓楽街の裏通りの酒場などに行けば、自分が誰であるかなど名乗らなくてもすぐに誰かわかる。あの男達が自分を見つけて情報を出してきたという可能性すらある。
(やっぱり、私を使って西方同盟に暗殺の疑いを全てのっけるって腹積もりか……)
アストールは落ち着いて考えていた。
顎に右手を乗っけながらそのまま歩き続ける。
(北部海運連合と西方同盟が関与しているのは確実……。でも、あの情報屋はなんで俺に西方同盟の工作員がまだ居ると知らせた?)
北部海運連合がここまであからさまな情報を流す事は正直考えづらい。暗殺のあの字も出てこない今の状況では、何もしない事が一番の隠れ蓑になるのだ。
(ん? 待てよ……。西方同盟はエドワルドの事故死に失敗すれば、その後はどうにも動きようがなくなる。普通なら手出しせずにそのまま退却するはずなのに、何でまだ工作員がいる……?)
そもそも、なぜエドワルドからハラルド王太子に標的が変わったのか。それすらも謎だ。
西方同盟は確かに軍隊を動かしてディルニア公国侵攻を実際に実行しようとしていたのだ。
そこまでの準備をしておきながら、ハラルド王太子に標的を変えるとは考えづらい。
(現場の暴走……?)
軍を動かしてまで用意周到な計画を実行したのに、万が一に今回の様な失敗を生じさせるとするならば、それはただ一つ、暗殺実行部隊の独断行動だけだ。
何らかの原因で彼らが勝手にエドワルドからハラルドに標的を変えた可能性が高い。
(そうなると、やっぱり実行部隊はここに居て、西方同盟はその処置に困っている可能性もある)
そもそも、なぜ実行部隊がまだ街にいる事を、あの情報屋は知っていたのか。
それを考えた時、自然と彼らの正体が導き出された。
(あいつらは西方同盟の関係者……?)
貴族の関係者よりは、西方同盟の関係者と見た方がしっくりと来る。
それならば北部海運連合に話が行きつく事になりかねない話をしたのも納得がいく。
自らが罪を被る事を強調していれば、北部海運連合に目は向かないと計算しての行動をとっているとしても、その情報をアストールに回すのは失敗である。
事態の鎮静化を計るならば、アストールに実行部隊を取り押さえさせるのは妥当である。
何せ彼女はいまや王国の英雄であり、何よりも現状で実行部隊を壊滅させるのに適当な動機を持った人物であるのだ。
(でも、このまま実行部隊を取り押さえても、何かいいように使われただけな気がしていけ好かないな)
アストールはそう思うものの、エドワルドを暗殺から守ると誓った以上は実行しないわけにもいかない。
(さて、どうしたもんかね……)
思案しだしたアストールは、ある場所へと再び足を運ぶのだった。