金貨一枚の重み 2
一連のやり取りが落ち着くのを見計らったかのように、扉がノックされる。
「ガーベルティーをお持ちいたしました」
ティファニアがそう言って扉を開けて部屋に入ってくる。
二人の前まで来るとティアファニアは音を立てることなく机の上にティーカップを置いていた。
陶器製のティーカップに紅色をしたお茶が注がれており、カップからは湯気と共に茶葉の香りが立ち上っている。
「ありがとう。私はもう少し話をしたいのでな。すまないが君はもう少し部屋の外で待っていてくれないかな?」
「旦那様、畏まりました」
ティファニアは主人の言葉に対して一礼して、そのまま速足で部屋の外に出ていた。
彼女を見送るとエドワルドはティーカップを手に取って一口だけガーベルティーを呑んでいた。
「さてと、話の仕切り直しだ」
「仕切り直し?」
アストールの怪訝な表情を見てエドワルドは静かに口を開いていた。
「君はさっき王国内にも協力者がいると言っていたね?」
「はい。あの大会に事故を起こさせるようなランスを仕組むには、絶対に王国内の、それも政府、もしくは高位の議員特権を持つ貴族、大会運営に携わる貴族がいなければ可能ではありませんからね」
「なるほど……。確かにそうだな」
エドワルドは両肘を椅子のひじ掛けにおいて腹の上で両手を絡ませて考え込んでいた。
「心当たりがあるのですか?」
「まあね。有力な心当たりがある」
「どこの誰ですか?」
アストールの問い掛けに対して、エドワルドは静かに答えていた。
「北部の海運連合だ」
「北部海運連合?」
「私がハーヴェル海で第一交易権を手に入れている事は知っているだろう?」
「はい」
「それを良く思ってない貴族連中が組んでいる貴族連合だ。この国の北側の海運業で生業を立てている三貴族シュスティ家、ベルニヒ家、アイネマン家だ。我が国に対して対抗するための連合だよ」
その話を聞いてバラバラになっていた点と点がようやく一つの線で繋がっていた。
「決定的な証拠はありませんけど……。確かにそれなら話がうまく一つに繋がりますね」
ディルニア公国の損失は王国にとっては大きな痛手となる。だが、この北部海運連合からすれば、ハーヴェル海の第一交易権を得るチャンスが出てくる。それに加えて西部での騒乱が再び始まれば、海運も活発になって再び大きな商機が訪れるのだ。
そもそも北部の貴族は西方遠征にはあまり乗り気ではなかった。彼らは元々外洋での取引で西方同盟や更に遠方の国々、フェイマル連合王国との交易による莫大な利益をえていたのだ。それが西方遠征を行う事によって、商船を軍事物資の輸送で使用しなくてはならなくなり、収益が激減していた。
それでも協力をしていたのはハーヴェル海での交易特権を得るためだった。だが、いざ戦争が一段落してみるとその特権をディルニア公国にあっさりと奪い取られていた。
要は彼らからすれば、未だにディルニア公国は敵であり、商売敵なのだ。
「証拠にはならないが、我が国の商船はやつら子飼いの海賊によく襲われたりするからな」
「……子飼いの海賊?」
「私掠船さ。お貴族様公認の海賊ってやつだ。自分達に関係している船以外は襲っても構わないという御触書を貰った海賊たちだ」
エドワルドは悩ましげにつぶやいていた。
「私がいなくなった方がいいという連中が、王国内には存在するからな」
「彼らからすれば、西方の出来事なんて他人事ですからね……。何よりも王国内では異例の西方同盟寄りとなれば、西方同盟と利害は一致しますし、暗殺に加担している可能性は大いにありますね」
アストールは自分の言葉で大きな事に気が付いていた。
今回失敗した暗殺事件に彼らはあくまで関与していない立場をとっている。それはハラルドにその矛先が向いてしまったからに違いない。その罪を確実に西方同盟に着せるためには、裏情報を流す工作をしているだろう。だが、それはあくまで自分達に火の粉が降りかからないようにするための工作だ。
ディルニア公爵が標的だとばらしてしまうと、その疑いの矛先が自分達に向く可能性すらある。何よりも暗殺などなかったとする決定を覆す事態になりかねない。
そんな馬鹿な事を商業を生業とする者が犯すのか甚だ疑問だ。
アストールは考えをまとめるために、ティーカップを手に取ってガーベルティーを口に含んでいた。
爽やかな香りとほんのりと舌に絡みつく渋みが、彼女の思考を落ち着かせていた。
「あの、殿下」
「何かな?」
「やっぱり暗殺はまだ終わっていないと思います」
「なぜそう思う?」
「まあ、ちょっとした勘ってやつですけど……」
「勘か……」
「北部海運連合の貴族達がそうそう自分達の足跡を辿らせるような事をすると思えないんです」
アストールの言葉を聞いたエドワルドは腕を組んでいた。
「だが、暗殺計画は失敗したからこそ、そういう情報を流したと見た方が……」
アストールは今一納得ができなかった。なぜなら……。
「簡単すぎるんですよ。普通はこんなに簡単に答えに辿り付けるわけがない……」
まるで何者かが自分を動かしているかのような錯覚さえ覚える。
昨日の今日でここまでの回答を手に入れれる事自体が怪しくさえ思えるのだ。
「確かに言われてみれば、簡単に答えが出過ぎているな」
「エドワルド公爵殿下、次の試合はいつ出場されるのですか?」
エドワルドはアストールの問い掛けに苦笑して答える。
「ああ、その件なんだが、俺は闘技会を辞退した。本国の事情も良くないし、何より君が出場しない試合に興味はない」
アストールは彼の言葉を聞いて、ハッとなり口を開けていた。
暗殺事件に気を取られて重要な事を失念していたのだ。
「あああああああ! 殿下! そう言えば、エストルの居場所を教えて下さると言われてた試合ができなくりましたよ! ああ、どうしましょう!」
アストールは取り乱して早口でまくし立てていた。
闘技会でエドワルドと戦えない事は、エストルの居場所を知るチャンスそのものを失うという事、即ち、彼女自身が男に戻る機会が遠のく事になるのだ。
「おいおい、少し落ち着きたまえ」
「でも、でも!」
アストールが今にも泣きそうになり、エドワルドは苦笑していた。
「その事なら心配しなくていい。君は一回戦を勝ち抜いてあのハラルド王太子殿下にも一撃を食らわせて、実力を証明したんだ。居場所は教えるよ」
「へ?」
アストールが目を点にして僅かに口を開けてエドワルドを見る。彼は屈託のない笑みを浮かべる。
「君の実力は十分に分かった。本当の所は君と一戦交えてみたいが、本国の情勢も良くないからその時間もなさそうだし、諦めてるんだよ」
「……よろしいんですか?」
「ああ。それに君は私に貴重な情報を齎してくれた。それだけでも十分にエストルの居場所を教えるに値する」
エドワルドは快くアストールに言葉をかけていた。
実のところエストルはアストールが試合に負けようとも、エストルの居場所を教えるつもりでいた。
本心は彼女と本気の一戦を行い、気持ちのいい試合をしたいだけだった。
「でも、条件は満たしていませんよ……」
「君が納得しないというなら、一つ条件を出してもいい」
「どんな条件ですか?」
「君が私を暗殺から守り抜くというのはどうかな?」
エドワルドからの提案にアストールは少しだけ迷いを見せていた。
実際、彼が暗殺の標的であったのは事実だが、まだ暗殺が続いている証拠はない。
まだ暗殺が続いていると思っているのは、ただの勘である。
「暗殺から守ると言うからには、私の警護を頼もうと思ってもいるのだがね」
迷いを見せていたアストールはその言葉を聞いて、更に考え込んでいた。
実際彼のそばに居れば、暗殺者が襲ってきても従者と共に防ぎきる自信はある、だが、彼女の想いは少し違う。暗殺が起きる前に未然に防いでおきたいのだ。
「確かにそれも一考ですが……」
「すぐに答えを出してくれとは言わないよ」
「すみません……」
「それに君を傍に置くと勝手に決めれば、ライル達に怒られかねんからね」
アストールが困っているのを見たエドワルドは冗談交じりに笑っていう。
彼女がこの言葉を重く受け取ってしまっている事を見抜き、少しでも気軽くしようと気遣っていたのだ。その心遣いを感じてアストールは微笑んでいた。
「そうですね。また、進展があればここに来てお話しさせて頂きます」
「ああ、頼むよ。本来なら今日にもここを発とうと思っていたが、君の情報のお陰でさほど急がなくでも問題はなさそうだし、気長にお待ちしているよ」
アストールはエドワルドの言葉を聞くと、冷めたガーベルティーを一気に飲み干していた。
そして、立ち上がると一礼していた。
「次来るときはもっといい知らせを持ってきます」
「ああ、楽しみにしている。それまでは私も警備を厳重にしておくよ」
エドワルドは静かに頷いて見せると、アストールもまた頷いて同意して見せていた。
お互いが瞳を見つめあって、信頼を分かち合った後、アストールは部屋を後にするのだった。