潜んでいた影 6
ぱちぱちと暖炉の炎が燃え盛り、炎の篝火が男達の顔の影を揺らしていた。
暖炉のある大きな部屋の一室には、7人の男女が集結していた。
人種も国籍も異なる男女7人の集まる一室の扉が開き、一人の女性が入ってきた。
彼女は扉を閉めるなり、全員に告げていた。
「ハラルド王太子は一命を取り留めたらしいわ……」
彼女は比較的年齢は若いものの、情報を収集する事には長けている。
この王都ヴァイレルで3年は諜報活動を行っているだけの実力を有していた。
「っち、厄介なことになったな……」
ソファに腰を掛けていた男が舌打ちして、天井を見上げた。
「致命傷って聞いてたのによ! なんで死ななかったんだ!」
また違う男が苛立たしげに言う。
「そら、運がよかったのさ。あのランス、鉄よりも硬くなり、刺さったら砕け散る仕掛けになってるからな。普通なら即死のはずだが、死なずにすんだのは応急処置が早く、処置した奴が凄腕だったんだ」
そう自慢げに言う男は、自ら作り上げたランスの事を憂いげに言う。
「何みんな呑気な事言ってるの?」
今まで椅子に座って口を噤んでいた女性が、静かに怒りの言葉を口にしていた。
彼女は椅子から立ち上がると、全員に顔を向けてまくしたてる。
「独断で標的を変えた上に、ハラルド王太子は殺せず終い! 挙句の果てには王国はこの事を事故で解決したのよ! これがどれだけの事か分かってるの!?」
女性の言葉に一同は押し黙っていた。
ハラルド王太子の暗殺が明るみに出れば、ヴェルムンティア王国が政情不安になるのは必至だ。
ましてや、王太子が死んでしまえば、この国の王の権威を揺るがしかねない一大事であるのだ。
王国の貴族達は誰が主犯格なのかを疑い、疑心暗鬼が生じて内政に混乱を引き起こしかねない。
だが、ヴェルムンティア王国政府は冷静にその事に対処していた。
あくまでもこの事件は事故として処理し、金輪際一切の捜査も行わないとしたのだ。
本当に事故として処理するという事は、貴族達が暗殺しようとした事実そのものが取り消されるのと同義だ。何よりも……。
「これじゃあ、私達がやったことは無駄じゃないの!」
女性は苛立たしげに叫んでいた。
ハラルド王太子を標的にしたのにもしっかりとした理由がある。
ヴェルムンティア王国の王権の失墜と混乱を引き起こす事だ。成功すればヴェルムンティア王国貴族達がこの暗殺の主犯となり、王国貴族内にも謀反する人間がいるという証になるはずだった。
そこから、王国貴族達と王族達の疑心暗鬼を生じさせ、ヴェルムンティア王国の政情を不安定にさせようと画策したのだ。そうなれば、彼らの目的は達成される可能性は十分あったのだ。
だが、結果は完全な失敗に終わった。
「ハラルドを暗殺しようとしてから協力者からの連絡もないしな……」
一人の男がぼそりと呟いていた。
あれだけ厳重な警備を敷いていた大会に、加工済ランスを紛れさせるには、当然王国側の協力者も必要な事だった。
「当たり前でしょ! 彼らにだって標的変更は伝えてなかったんだから!」
立っていた女性は深く大きなため息を吐いていた。
もし伝えていれば、自分達は今頃ここには居られなかっただろう。
「それどころか、上からも連絡はない」
今まで黙って話を聞いていた男は机の上に置いている魔水晶を見つめる。
この水晶を通して本国より指令が下されていたのだが、暗殺を実行してからと言うものの、音沙汰がなくなっていた。
「こっちから連絡は取ったの?」
「取ろうとしたが、何度やっても繋がらない」
女が苛立たしげに言うも男は冷静に言葉を返していた。
「私達、見捨てられたのよ」
そう言った時だった。突然魔水晶が光を放ち、音声を届ける。
『……水鳥達、聞こ……か』
水晶からの反応を見て、男は水晶を手に持って精神を集中させた。
『聞こえるなら、応答しろ』
今度は明確に音声が届き、一同はその水晶を注視した。
「こちら水鳥、聞こえる。どうぞ」
『感度は良好なり、水鳥達、今回の作戦の成否を報告せよ』
「作戦は失敗、標的は健在だ」
『ハラルド王太子か?』
水晶から聞こえてきた声に、一同は言葉を失っていた。
上層部にはハラルド王太子を標的に変えた事は伝えていなかったのだ。
なぜ、その事を彼らが知っているのか、一同は疑問を持つ。
『なぜ知っているか? 諸君も知りたいだろう? 協力者からの報告だよ。彼らはカンカンに怒っていた。本来の約束と全く違うと……』
「そ、それは……」
リーダー格の男が答えようとすると、水晶の声はそれを遮っていた。
『言い訳はいい。協力者は金輪際一切の活動にも協力はしない上に、君達との接触も行わないと一方的に通告してきた。この意味が分かるな?』
「は……」
協力者はこの大会に対して影響力を持っており、もちろん、暗殺を行うには彼らの協力なしには成功はしないのだ。ただ、それが誰なのかは、末端の8人には知らされていない。いわば、トカゲの尻尾切である。
ある人物を暗殺することを協力する代わりに、自分達がどこの誰かは、末端部には絶対に知らせない事。それが彼らとの協力条件なのだ。
万が一に失敗しても、末端部の彼らが全ての罪を背負うように仕向けているのだ。
幸い彼らはまだ一網打尽にされたわけではない。
『もはや、暗殺を実行する事は不可能だ。君達には帰還してもらい、それ相応の罰を受けて貰いたい』
水晶の主は彼らに淡々と命令を下していた。
「……しかし、まだ大会は続行されます!」
『任務は失敗した。君たちは早急にそこを脱出し、こちらに戻ってくるのだ』
「いえ、まだ終わってはおりません! 我らはこの命に代えても必ず奴を! エドワルドを必ず殺して見せます!」
『それでは不味いのだ。あくまでも事故死に見せかけなければ、協力者にも迷惑がかかる。その上、君たちの素性が知れれば、指揮系統の混乱していない王国軍が大挙して攻めてくることになる。折角の休戦条約がやぶられれば、ヴェルムンティアと西方同盟は共倒れになるだろう』
水晶の声の主は間者達を説き伏せようとする。
だが、彼らは決して自分達の意見を曲げようとはしなかった。
「ですが、すでにディルニア公国国境付近に軍を動かしていると……。なればこそ、私たちに今一度機会をお与えください!」
水晶の主はしばらく沈黙して答えを返さなかった。
今回の暗殺計画はディルニア公国への侵攻作戦の一部に過ぎないのだ。
エドワルドを事故死させてしまえば、大会で元とはいえ、王族を殺した事になり、ヴェルムンティア王国とディルニア公国の関係がかなり冷え切る事になる。その上、公爵不在のディルニア公国は政情不安になるのは必須だ。そこを大軍で押しかけて一気にディルニア公国へ侵攻する。
全土を掌握せずともポラーニ王国が失った失地を全て奪還して進軍を止めて、、ディルニア公国とヴェルムンティア王国を分断するのだ。ディルニア公国には西方同盟の加入を促せば、エドワルド亡き公国は形勢を見てこちらに鞍替えする“予定”なのだ。
今回の休戦条約もディルニア公国が、西方同盟の北部から楔を打つような形で牽制を行っているからこそ成立した。西方ではディルニア公国が戦況の全てを握っていると言って良い。
西方同盟は目の上のコブであるディルニア公国さえ排除すれば、西方での戦いは後々有利に動かせることを知っている。東方領地(西方同盟から見て)解放を目論んでいる西方同盟の重要な戦略の一環なのだ。
そんな重要戦略の一環に彼らを間者に選んだことを、今更ながらに後悔していた。
全員がヴェルムンティア王国とディルニア公国に対して何かしらの恨みを持った人物だ。国を滅ぼされた者、家族を惨殺された者、故郷を焼き払われた者、この戦乱の世においては決して珍しい存在ではない。だが、恨みを抱いているだけあって、その命と刺し違えてでも任務を全うするだろう。
彼らを選んだのは決死の覚悟で王国に一矢報いようとする復讐心だった。
だが、それが結局今回は裏目に出たのだ。ハラルド王太子が大会に出る事となり、独断で標的を自分達が憎むヴェルムンティア王家の人間に変えた。
更に質が悪い事に、彼らは天涯孤独の身だ。西方同盟に戻っても帰る場所などない。
それが余計に彼らの意志を固くさせていたのだ。
『……わかった。しかし、一つ条件がある』
水晶の主は彼らの意志が変わらない事が分かって許可を与えた。
「は、なんなりと」
『失敗したとしても、我々は関知しない。その上でお前たちだけで行う事だ。正体をばらそうものなら、我々は君たちを抹殺する。いいな?』
その言葉を聞いて8人は押し黙っていた。
何一つ支援はない。その上であの大会の出場者エドワルド暗殺を実行するのだ。
だが、勝機がないわけではない。
リーダー格の男は全員の顔を見た後、その場にいる全員が同じ気持ちであることを確認して答えていた。
「わかりました。必ず成功させて見せます」
『勝手にしろ。今後一切我々に連絡を入れるな、すぐに水晶を破棄しろ』
水晶からはそれ以降声は何一つ聞こえてくることはなかった。
部屋の中を静寂が支配する。
全ての者達から8人は見捨てられたのだ。
だが、元より帰る場所も生きる目的も無くしていた8人だ。
決意は変わらなかった。
「勝算はあるの?」
女性が口を開くと男はすぐに答えていた。
「ある。だから、これから俺が言うモノを全員で用意してくれ。西方同盟から貰った軍資金はまだある」
男はそう言うと静かに自分の秘めていた計画を喋りだしていた。