潜んでいた影 4
エメリナは日が暮れたにも関わらず、街の裏路地の方へと足を踏み入れていた。ありとあらゆるならず者達の楽園が、この裏路地を抜けた新市民街の奥地にある。情報屋、盗賊団、強盗、逃亡犯や手配犯、魔術師、それに加えて他国の間者やそれを付け狙う王国の諜報員など、裏の世界の人間の巣窟と言っていい。
ここに来れば大抵のものと情報はそろうのだ。勿論、それ相応の対価を持っていればの話だ。
エメリナはここで大会関係者の名簿を入手しようと、金貨一枚を手に持っていた。
この金貨はあくまでもアストールが彼女に対して渡した活動資金の一部である。
狭い路地を抜けると、そこには多くの人が行きかう通りが広がっていた。
ここらを取り仕切るのは、名目上は王立騎士となっているが、実質はリャトル盗賊団がこの通りを仕切っている。
そこかしこにリャトルの手先と思われる傭兵が闊歩して、怪しい人間がいないかをチェックしていた。
ここで言う怪しい人間とは、勿論堅気の世界で生きる王立騎士や近衛騎士の事だ。
エメリナはあくまでも盗賊なので、そこまで怪しまれることはない。
ただし、女性と言う事もあってか、男たちの視線は自然と彼女に向いていた。
エメリナは大会関係者の情報を得るために、森の泉亭と呼ばれる酒場へと向かっていく。そこは王国の敵対国の諜報員などがよくいく酒場で、彼らから大金を叩いて情報を買う事もしばしばある。
今回がその時かもしれない。
エメリナが通りを歩いていると、後ろの方が突然騒がしくなっていた。
大通りに完全武装した騎士達が突然現れたのだ。だが、それを見たリャトルの子飼いたちは何も見て見ぬふりをしている。それどころか、慌てる素振りすら見せずに、ただ、騎士たちを傍観しているだけだ。騒いでいるのは、この通りに逃げ込んだ犯罪者などであり、彼らは騎士達を見て慌てて逃げだしていた。
(なんで騎士がこんな所に……?)
エメリナはそう思いつつ騎士達を見つめる。銀色の甲冑を纏っていて、素顔こそ知れない。だが、彼らの腰布が青色だったため、彼らが王立騎士であるとすぐに分かった。
騎士達の物々しさからして、完全に何かを目的として動いている。
エメリナはそれが気がかりになって、自分の前を通り過ぎていく銀色の一団の後を、さりげなく追っていく。
傭兵達が全く動じることなく見逃すと言う事は、リャトルが公認している行いとみていいだろう。
そのことが余計に彼女の勘に触った。
一団は真っすぐにある場所へと向かっていく。
その目指す先は森の泉亭の横にある宿屋だった。
騎士達は手始めに入り口を固めると、数名を裏口の方へと回していた。
明らかに何かを狙っての動きではあるが、一体誰を標的としているのか。何よりもこの裏の街にまで繰り出してくるほどの、重要な人物がここに居るとはとても思えない。
入り口を固めていた騎士達は抜刀して、盾を構えて宿屋に突入していく。
エメリナはそれを外でじっと見守っていた。
女性の悲鳴が聞こえてきたが、それ以上の悲鳴は聞こえてこない。
そのまま暫く待っていると、一人の男が騎士達に拘束されて連行されていく。
なぜ、王立騎士達がその男を捕まえたのかが、エメリナは気がかりで仕方ない。時間はそう沢山は残されていないが、この騒ぎが起きたせいで周辺の店は一斉に営業を取りやめていた。
(あー、これじゃあ、情報も仕入れられそうにないなぁ……。どうしたもんかね)
エメリナは自分の得意先が次々に店じまいしていくのを見て、半ば諦めを覚えていた。情報が手に入らないとなれば、こんな危険な街からは一刻も早く出ていった方がいい。
とはいえ、王立騎士達の連れていく男が気になり、彼女は居ても立っても居られない。
(こうなったら、後をつけちゃおうか……)
もしかすればアストールの件に関係しているかもしれない。
確証はないが、彼女の勘がそう言っていたのだ。
エメリナは彼らがどこに向かうのかを、相手に気取られないように尾行しだす。
騎士達は剣をしまって、男を取り囲んで厳重に警備をしながら連れていた。密集隊形を取ってその中央に男を隠すようにして、街を進んでいた。日が暮れているとはいえ、王都内の人通りは少なくない。騎士達は次第に人通りの少ない市民街の外側の方へと向かって進んでいく。城壁近くの水路へと向かっていた。水路付近には城壁の水門があり、周辺には民家もない。
あるのは王城兵士達の屯所くらいで、水門管理の小屋もこの時間帯には無人になる。
水門近くには水路をまたぐ大きめの橋があり、男はその橋を渡る前に、側道を降りて橋の下まで連れていかれる。
エメリナはその様子を見た後、近場に隠れる茂みがないかを探していた。
周囲に人通りはなく、橋の向こう側には城壁兵の屯所があるだけだ。
魔法灯の明かりの間にある闇夜を、縫うようにエメリナは音もなく進んでいく。
難なく橋の近くまで来ると、水路に沿って生け垣があるのを確認する。
エメリナはその生け垣の方へと身を潜めていた。
既に水路の橋の下では、男と王立騎士が言い合いを始めていた。
「お、おい! 俺が何をしたってえんだ?」
「お前は王太子殿下の暗殺を謀ったんだ」
エメリナはそのまま息を顰めたまま、様子を見守ることにする。
(偶然ね……。まさかこんな所で真犯人に辿り着くなんて……)
エメリナは安堵のため息をつきつつ、生け垣の中から橋の下へと目を向けていた。
橋はアーチ状の造りをしており、アーチの下側には排水路が流れている。近くの大河より水を引っ張て来ているため、常に水は枯れることはない。だが、街の住人の出した汚水は全てこの水路に流れているため、決して綺麗な状態にはない。
そんな劣悪な水路の端で押し問答が始まる。
「な、何のことかわからんぞ!?」
「貴様は競技会で使用するランスを入れ替えたはずだ」
王立騎士の問いかけに対して、男は思い出したかのように答える。
「あ? あれか。俺は簡単な仕事を依頼されたから、それをこなしただけさ」
「簡単な仕事?」
「ああ、俺は金を渡されて、どこかの旦那が持っていたランスを入れ替えただけだ。それ以外は知らねえ……」
「お前、本当にその依頼された男については何も知らないのだな?」
騎士の一言に男は頷いていた。
「あ、ああ、知らない。てか、あのランスが何かあったのか……」
男は動揺したまま、王立騎士達の動向を見守る。
王立騎士達の四人が男を取り囲んだ後、他の騎士達が橋下の水路を盾で塞いで封鎖する。外から中で何が行われているかを確認できなくなり、エメリナは舌打ちをしていた。
今しがた何が行われているのか、この目で直接確認したかったのだ。
(あと少しで確信に迫れるかもしれないってのに……)
「ん? なんだ? 何をしようってんだ?」
男も流石に今の状況がやばいと分かって、動揺する声が水路の橋下でこだまする。
かと思えば男の呻き声が聞こえ、暫くした後に水路から何かが投げ込まれる音が響く。
次の瞬間には王立騎士達は密集隊形を解いて、整列して見せていた。
そして、そそくさと隊列を組んだまま、素早く現場を後にする。
幸いエメリナのいる方向とは逆方へと向かって、王立騎士達はかけていた。
(んー、これってちょっとやばい奴じゃないのかな……?)
エメリナは少しだけ動揺していた。
王立騎士はいわば街の警邏をしている治安維持組織だ。本来ならば犯人は逮捕して、王立立法機関まで連行する必要がある。だがこれは、その業務を明らかに放棄している。
エメリナは王立騎士達がいなくなるのを確認し、周囲に密偵等が潜んでいないかを探り出す。だが、幸いにも周囲を見回すことができる場所はない。
エメリナはすぐに行動に出ていた。
生け垣より飛び出すと、水路の側道へと音もなく飛び降りる。そして、素早く橋下へと駆け込んでいた。先ほど騎士と男が押し問答をしていた場所だ。
橋の下は微かに鼻を刺すような刺激臭が充満している。先ほどのやりとりを見る限りでは、確実に男はこの水路に投げ捨てられているだろう。肝心なのは男に息の根があるかだ。
橋下の暗闇の中、目を凝らしてエメリナは水路を見つめる。
すると微かに男と思しき物体が水路の端に倒れているのを確認した。
しゃがみこんで確認すると、足元にはまだ生暖かい血だまりがあった。
(さっきの男の血……か?)
よくよく見ると男は俯せになって、ピクリともうごきはしない。水位は足首にも満たないため、男が立ち上がらないと言う事は既にこと切れていると考えていい。何より……。
(これ以上深入りするとやばそうだ)
エメリナは直感的にこの出来事が、王国の抱える闇の一部であると感じ取っていた。
(明日、一度エスティナに報告しなくちゃなぁ)
エメリナはどうするかをためらった後、深くため息をついていた。
王立騎士による犯人の一人と思われる男の暗殺。明らかに大きな力が背後で動いている。これ以上首を突っ込めば、イレーナ執務官の時のようにまたややこしい陰謀に巻き込まれかねない。
ここは一度アストールに報告をして、それでも追及するかを相談する方が先決だろう。
エメリナはそう判断して、橋の下を後にするのだった。