勝利への道 1
大きな蹄鉄の音が響き、木製ランスが鎧にぶち当たって、盛大な破裂音が会場を支配する。
馬から盛大に滑落した騎士は、闘技場の砂埃を巻き上げながら転がっていく。
観衆はそれを見てより一層と、歓声で会場を震わせていた。
そんな闘技場の一レーンにて、一組の騎士と従者が控えている。
白銀の重厚な鎧に身を包む騎士は、白馬に跨って相手方の騎士を見据える。バイザーはあげられており、そのバイザーの下には美少女が顔を覗かせていた。
「アストール! 鎧の具合は大丈夫?」
「ああ、バッチリだ!」
従者のメアリーが聞くとアストールは笑顔で答えていた。
周囲では既に予選が開始されており、ランスが交えられている。
五つある馬上槍試合用のレーンは、真ん中を柵で区切られ、その柵に沿って馬を翔らせて、相対する騎士に槍を突き立てる。相手を落馬させれば、一発で勝ち上がる事ができる。
それ以外の判定基準は頭を10点、首元を8点、左胸6点、胴回りを4点、その他を2点と言った得点制となっており、得点が高い方が勝つ仕組みだ。この勝負を三本連続で行い、勝利数の多い方が上がるトーナメント制となっている。
予選という事もあり、普段行われるはずの出自演説は省略されていた。
レーンの真ん中付近では審判員二人が高いイスに座り、双方が向き合うようにして間近でランスの当たり判定を行う。その足元より王国旗を持った男性が小走りで出てくる。
それを合図に、アストールはバイザーを勢いよく下ろす。
「ランス!」
アストールの叫び声に対して、エメリナが木製ランスを彼女に手渡していた。
ランスの穂先には王冠型の金物が取り付けられ、先の尖った木製ランスから騎士を保護している。また、この木製ランスは魔法によって、砕けやすくなっておりその衝撃を体が直に受けきる事は少ない。
とはいえ、馬を全力疾走させて、その速度と人馬の質量を一身に背負ったランスの威力は、上手く当てれば落馬させることも容易だ。
「エスティナ! 特訓の成果を見せてね!」
エメリナの言葉にアストールは静かに頷いて見せた。
「双方! 準備はよろしいか?」
旗手の男性が叫び、アストールに顔を向ける。彼女は手に持ったランスを真上に持ち上げる。
もう一方の相手方の若い騎士もアストール同様にランスを真上に向けていた。
「それでは、はじめえ!」
旗手の男性は思い切り真上から王国旗を振り下ろす。
合図を見たアストールは馬に蹴りを入れて、いきなり全力で走らせる。
同時にランスを前に向けて、しっかりと脇で支えて穂先を相手側に移動させた。
(特訓した介があったな……)
至って冷静にこの動作をスムーズに行う事が出来たのだ。
完全な重武装の鎧を着用して、片手にランス、片手に手綱をもって馬までコントロールしなければならない。フランチェスカに毎日稽古を付けて貰ったからこそ、ここまですることが出来たのだ。
だが、この一連の動作は騎士が出来て当たり前のことだ。
問題はその先だ。
アストールはすぐに穂先を相手の顔の方へと向けていた。
対する相手の騎士は安牌に胴体に狙いをつけて来ている。
この状況は非常にアストールが不利となる。
(でも、一度付けた狙いは、意地でも当てなきゃいけない!)
アストールは躊躇することなく、ランスの穂先を相手の兜へと向ける。
相手はそれが分かったとはいえ、最早、身をよじって避ける事など不可能だ。
(貰った!)
アストールの穂先は大きな音と共に砕け散る。
同時に彼女自身の胴体にも大きな衝撃が走っていた。
アストールは一瞬だけ息が出来なくなるが、すぐに息を吹き返して呼吸を整える。
会場は注目の一戦という事もあり、先ほどの一戦の結果に一気にどよめいていた。
アストールは馬の速度を緩めると、すぐに穂先の折れた槍を見据える。
「エスティナ卿首元8点、フェルマン卿胴体6点」
真ん中の審判員が声を上げて、アストールの陣営に白星を示す白い旗を突きさしていた。
アストールは馬首を反対に向けて、また自分の元居た位置まで馬を歩かせていた。
それは向こうの騎士も同じだった。
アストールの穂先は残念ながら顔を捕えることができず、首元のガード部分に当たって砕け散っていたのだ。対する相手の穂先はアストールの胴体を完全に撃ち抜いていた。バイザーを上げることなく、二人はすれ違いざまに折れたランスを掲げてお互いの健闘を称えて戻っていく。
「アストール! やったじゃん! 首元だよ!」
アストールがメアリーのもとに帰ってくると、彼女は嬉しそうに駆け寄ってきた。
彼女はバイザーを上げると、汗をかいた顔で苦笑する。
「まだ一本取っただけだ! 後一本は取らないと……」
アストールにいつもの余裕はない。
ギャロップをしながらのランスのコントロールは、想像を絶するほど体中の筋力を使う。
ましてや、男の体の時のようにスタミナがあるわけでもない。
本当ならば相手を落馬させて、一本勝ちを狙っていたのだが、現実はそう甘くはなかった。
「やっぱり、キツイな……」
純粋に力が足りないというのではない。今のダメージでは落馬も夢ではなかったのだが、どうやら相手の騎士も手練れの様で早々に脱落はしなかった。
何よりも今のアストールは、本来ならば調整程度で終わらせる二週間を、猛特訓にあてたのだ。
筋力にかかる負担、スタミナ、蓄積された疲労は、自分が考えていたよりも深刻な状況にある。
「もう一本取るしかない! ランスを!」
考えるよりも先に行動するアストールは、叫んだ後再びバイザーを下ろしていた。
エメリナがランスを持ってきてアストールに手渡すと、彼女は馬をコースのスタート位置まで闊歩させた。
(これを取れば、暫く休める……)
予選の人数は全ての地域を合わせると500人に上る。実際アストールはこの試合が終われば明日まで試合はない。それが今のアストールにとって唯一の救いだ。
再び中央の旗手が旗を振り下ろして、アストールは馬を嘶かせて走らせる。
正面より迫りくる白銀の甲冑の騎士、お互いに狙いは同じようで、首元に目を向けていた。
アストールは迫りくるランスに向かい腰を少しだけ捻り、体勢を傾ける。そうしたとしても、相手の狙いは首元であり、逸れる可能性は低い。だが、試さないよりはましだ。
二人の騎士が交差した瞬間に、片方のランスが粉々に砕け散り、勢い良く騎士が落馬する。
会場がそれに一気に沸き立っていた。
「やりやがった! あの女やりやがったぞ!」
アストールのランスが相手の胸元をまともに捕え、相手のランスが彼女の顔に当たるよりも前に、相手の騎士を落馬させたのだ。
少しだけ腰を捻るだけで、ランスのリーチを長くする事に成功したのだ。
「や、やったのか……」
アストールはギャロップを緩めて馬首を返していた。
主を失った馬が、メアリー達の方へと歩いていき、受け身を取ったであろう騎士がよろめきながら立ち上がっていた。アストールは砕け散ったランスを高だかと掲げて、馬の前足を跳ねさせて勝利の舞を披露する。観客たちはそれに一気に沸き立って、より一層盛大に歓声を上げていた。
「やはり噂は本当なんだ!」
「オーガキラー! オーガキラー! オーガキラー!」
アストールの評判を確かめるために、大勢の観客がこの試合を注目していたらしく、個々に彼女の勝利を称えていた。
アストールはそのまま馬を悠然と走らせると、メアリー達の元へと駆けよっていた。
メアリーもまた彼女を、笑顔で迎え入れる。まさか、相手を落馬させるとは思ってはいなかった。その分アストールが無事である事を心底喜び、それを隠そうとはしなかった。
「よかったあ! 少しひやひやしたじゃない!」
メアリーが声をかけてくると、アストールは折れたランスを手渡してバイザーを上げていた。
「狙い通りいくとは、私も思ってなかった。とにかく今は一刻も早く、この鎧を脱ぎたいよ!」
アストールが苦笑して言うと、メアリーの後ろからエメリナが唐突に表れていた。
「とりあえず一回戦おめでとう! 早くこっちに馬を回して!」
アストールは興奮冷めやらぬ体で、エメリナに誘導されるがままに馬を試合場外に移動させる。
その間も会場の歓声は鳴り止む所を知らない。
アストールは馬を馬台の横に着けると、兜を取ってメアリーに手渡していた。汗びっしょりに濡れた頭を覆う布を荒々しく取ると、アストールの凛々しくも美しい素顔が露わになる。サラサラの長いプラチナブロンドの髪の毛が露わになり、汗でぬれた髪の毛は鎧にひっつく。
それでも、彼女が遠目から見ても美少女である事は容易に確認できる。
アストールの姿を見た観衆は再び盛り上がりを見せた。ある者は感嘆の声をあげ、また、ある者は驚きの声を上げる。その中には「あれ、大衆浴場にいなかった?」などと言う声さえあった。
そんな事は一切気にせず、アストールは一人でどうにか馬台の上に降り、メアリーに手を貸してもらいながら地に立っていた。その時には既にエメリナが馬を引いて、その場から立ち去っていた。
「いやー、かなり涼しいねええ! やっぱり素顔が一番!」
一種の緊張状態から解放されたのか、彼女は笑顔で自分の控室へと向かって歩く。
「とにかく、無事でよかった! もう少しで顔に当たる所だったからね!」
メアリーは改めてこの競技の危険さを再確認する。
あと一歩鎧にランスが当たるのが遅れていれば、頭でその衝撃を受けなければならなかった。
そうなった時の体のダメージは相当なものになる。
たとえ一日休んだとしても、すぐには回復は見込めない。むしろ、大怪我に繋がり、最悪、その怪我が原因で死ぬかもしれないのだ。それを考えるだけで、メアリーは悪寒を感じていた。
「そうはさせなかった! あれも狙ってできたから、大分自信はもてたよ!」
アストールはそんな事はつゆ知らず、笑顔でメアリーに答えていた。
「もう、無理はしないでよ!」
「無理をしないと、元には戻れない……」
メアリーが少しだけ表情を暗くすると、アストールも同じように表情を曇らせた。
この次の戦いには王太子との戦いが控え、尚且つさらに勝ち進んで予選を突破してエドワルドと戦わなければならないのだ。それを考えると、嫌でも無理をしなければならい。
気が滅入りそうになるのを抑え、アストールはメアリーに頼んでいた。
「これからどんどん無理をするかもしれないけど、変わらず支えてくれないか?」
アストールの言葉にメアリーは目を輝かせていた。
「うん! 私でよければ、これからもどんどん支えていくよ!」
「ありがとう。頼りにするぜ」
アストールが笑顔で言うと、メアリーもまた満面の笑みを浮かべて答えていた。
二人は互いの信頼関係を確認しながら、再び控室の方へと向かうのだった。
◆
「ほほう、勝ったか……」
騒ぎ立つ観衆の中で、エドワルドは笑みを浮かべていた。
先ほどのアストールの試合を見て、その実力を改めて知ったのだ。
相手の騎士が弱かったわけではない。それは試合を見ればすぐにでも判る。
一度目で受けたダメージは、相手の騎士の方が大きいだろう。それを加味して敢えて胴体をついて、落馬させる。それは熟練の騎士でなければ、判断は難しいだろう。
だが、彼女は相手の騎士を落馬させて、勝利を確実にした。その事実は消えない。
(確かにオーガをも倒す実力を持っていると言われると、納得のいく結果だ)
エドワルドは指を顎に持っていき、彼女の実力を改めて分析していた。
相手のランスが顔に当たるよりも先に、上体を左に捻り、ランスのリーチを少しでも長くした。恐らくは考えるよりも体が先に動いたと言って良い。最初からその体勢を取ると、相手に読まれて負けていたのは、恐らくアストールの方だった。それを咄嗟の判断でやってのけた。
(機転も利く上に武芸も達者……。噂が独り歩きしているだけではないようだな)
この一戦を見てアストールの実力は大方推し量れた。
(彼女に協力をしてもらえれば、エストルをどうにかする事もできるか……)
エドワルドは自領に匿っているエストルの事を思い出して、苦虫を噛み潰したように表情をゆがめる。
(トルア陛下を裏切るわけにはいかぬ……。恩赦にかけても、奴だけは必ず捕まえて差し出さねば)
内心の焦りを抑えつつ、エドワルドは拳を握りしめていた。
エドワルドの後ろより侍従のセーファスが現れ、彼の耳元で囁くように告げていた。
「エドワルド殿下、そろそろ予選です。御支度を」
「ああ、そうだな。向かうとしよう」
二人は観客席より人込みのある階段へと移動していた。
石とコンクリートでできた廊下を歩みつつ、セーファスがエドワルドにきいていた。
「あの娘、やりますね」
「かなりな」
エドワルドはセーファスの言葉に対して、何一つ表情を変えなかった。
そこからも彼の決意の固さがうかがい知れた。
「本当にお使いになるので?」
「ああ、それが一番丸く収まる」
エドワルドは静かに答えていた。
自領のおかれた状況は他の属領に比べれば、ほぼ自治権を確立しているので、全くもって悪いわけではない。だが、それも一人の男によって脅かされているのだ。
手配犯と話題になっているエストル・キャビオーネだ。
黒魔術師と関係を持っていると噂され、既にその指名手配は属領地にまで伸びてきており、エストルは完全な国外逃亡以外に生き残る道はないのだ。そんな重要人物を匿っているのが国王に知れるところになれば、ディルニア公国の自治権も奪われかねない。
言わばエストルは目の上のコブだ。
そのこぶを切り取って、全て丸く収めてくれるのが近衛騎士代行のエスティナ・アストールだ。
彼女の兄の行方の情報を知っていると、以前エストル本人から聞いていた。
ここはあくまでも彼女に、エストルを捕縛させて国王に報告するのが最も得策ともいえる。何よりもアストールの実力が噂だけではないのは、先ほどの試合が証明していた。
(かけてみる価値はあるな……)
自国の命運を密かに一人の小娘に託しつつある自分に気づいて、エドワルドは自嘲していた。
(全く、私も焼が回ったもんだ)
それでもエドワルドはゆっくりと、足を力強く踏みしめて試合へと向かうのだった。